【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔

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第四部:大団円 ~からくりと人情が結ぶ未来~

第五十九話:人情の絆

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 夜明け前の闇の中、重い木戸を押し開けて長屋の路地に足を踏み入れた瞬間、張り詰めていた糸が切れたかのように、甚兵衛とお絹の身体から力が抜けた。しかし、担架からくりに乗せた辰五郎を下ろすまでは倒れるわけにはいかない。

 路地の奥、おかみさんの部屋の窓から漏れる僅かな灯りが見える。彼女は、やはり彼らの帰りを案じて、夜通し起きていたのだろう。
「おかみさん…! 帰りましたい…辰五郎さんを…」

 お絹が、掠れた声で呼びかけた。戸が開き、おかみさんが顔を出す。彼女は、三人の姿…特に、担架からくりに乗せられた辰五郎の姿を見て、息を呑んだ。

「おや…おやまあ…!」

 おかみさんは、何も言わず、すぐに戸口を開け放った。彼女は、ただ事ではないと瞬時に察したのだろう。しかし、表情に驚きや動揺はあっても、混乱はない。母のように、全てを受け入れる覚悟がそこにあった。

「ここに! ここへ運びな!」

 おかみさんは、テキパキと指示を出し、部屋の隅に寝床を整える。長屋の中で一番広く、綺麗な部屋だ。甚兵衛とお絹は、最後の力を振り絞り、担架からくりを運び入れた。担架から辰五郎を寝床へ移すと、二人はその場にへたり込んだ。

 物音に気づいたのか、他の住人たちも起き出してくる。棟梁(とうりょう)夫婦、魚屋の源さん、物書きの清吉…皆、事態を把握しきれていないが、ただならぬ雰囲気に気づき、心配そうに見守っている。

「源さん! 悪いが、近所の源庵(げんあん)先生を呼んできておくれ! 清吉さん、湯を沸かしてくれるかい!」

 おかみさんの指示が飛ぶ。長屋の人々が、すぐに動き出した。毛布、綺麗な手ぬぐい、温かい湯…彼らは、何も聞かずに、困っている仲間を助けようとする。これが、この長屋の「人情」だ。地下の冷たい陰謀とは対極にある、人間の温かさだ。

 辰五郎は、長屋の人々の手によって、優しく手当を受けた。汚れた衣服を脱がせ、綺麗な着物に着替えさせる。身体を拭き、傷がないか調べる。大きな外傷はないが、極度に衰弱している。源庵先生が駆けつけ、脈を取り、簡単な診察を行った。

「命に別状はないだろう。しかし、栄養失調と、心労が酷い。しばらくは安静に、しっかりと栄養を取らせる必要がある」

 源庵先生の言葉に、皆が安堵のため息をついた。生きていた…無事だった。

 甚兵衛とお絹は、辰五郎の傍らで、長屋の人々に囲まれていた。温かい茶を飲まされ、綺麗な衣服を着せられる。疲労困憊だが、長屋の人々の温かい心遣いが、身体と心に染み渡る。

「あんたたち…大変だったんだろう…」

 おかみさんが、二人の泥まみれでやつれた顔を見て言った。甚兵衛は、多くを語らない。ただ、「…辰五郎さんを…助け出せました…」とだけ告げた。おかみさんは、それ以上は聞かない。ただ、深く頷き、彼らの肩に優しく手を置いた。

 長屋の人々も、詮索はしない。彼らは、「甚兵衛さんたちが、辰五郎さんを大変なところから助け出してきたらしい」とだけ理解した。それで十分だった。仲間が無事に戻り、友を助け出した。それが全てだ。

 辰五郎は、長屋の人々の手によって、綺麗な寝床に寝かされた。安らかな寝息を立て始めた。囚われの日々から解放され、ようやく安心して眠れているのだろう。

 甚兵衛とお絹は、長屋の人々の温かさに包まれながら、自分たちの部屋へ戻った。身体は動かないほど疲れている。しかし、心は満たされていた。救出は成功した。そして、彼らが守りたかった「人情」の場所、長屋という家へ、友を連れて帰ることができた。

 窓の外は、空が明るくなり始めている。夜が明ける。

 彼らは帰還したが、戦いは本当に終わったわけではない。氷雨の行方、そして「影」という組織が完全に潰えたのか。長屋の安全は? 辰五郎は、この長屋で本当に無事なのか。

 しかし、今はまず休息が必要だ。そして、辰五郎の回復を見守る。その後のことは、それからだ。

 長屋の夜明け。それは、安堵と、そして新たな始まりを告げる光だった。大団円へ向けた物語は、ここ長屋という「人情」の場所で、最後の局面へと入る。
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