【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第一章:鬼灯横丁の怪医者

第十六話:幼馴染の危機

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 玄庵から妖怪の特性や人間との違いを教わり、おみつは妖怪が引き起こす病の奥深さをより深く理解した。

 自身の役割への自覚も芽生え、助手としての道を歩み始めていた。そんな折、おみつにとってかけがえのない存在である幼馴染の楓(かえで)が、奇妙な病に倒れたという知らせが飛び込んできた。

 その日の夕刻、おみつが診療所の戸締りをしていると、息を切らした楓の母親が、真っ青な顔で駆け込んできた。

「おみつちゃん! 楓が、楓がおかしくなっちまったんだよ!」

 母親は目に涙を浮かべ、半ばパニックになっていた。おみつは胸騒ぎを覚え、すぐさま事情を尋ねた。楓は数日前から、夜になると魘(うな)されるようになり、奇妙な幻覚を見るようになったという。日中も意識が朦朧(もうろう)とし、体には原因不明の痺れが走るようになったと。

「今日になって、ついに目を覚まさなくなってしまって……。どうか、玄庵先生に診てやってください!」

 母親の必死の訴えに、おみつは即座に玄庵に報告した。玄庵は母親の話を静かに聞くと、すぐさま楓の家へ向かう準備を始めた。おみつもまた、不安と焦りで胸が押しつぶされそうになりながら、玄庵の後に続いた。

 楓の家に着くと、寝かされている楓の姿に、おみつは思わず息を呑んだ。顔は血の気がなく、額には冷や汗が滲んでいた。体は小刻みに震え、まるで何か恐ろしいものから逃げているかのようだった。

 玄庵は楓の枕元に座り、その手首を取り脈を診る。そして、楓の顔や腕に、微かに揺らめく黒い靄(もや)のようなものがあることに気づいた。おみつにはうっすらとしか見えないその靄が、楓の体を蝕んでいるように見えた。

「これは、憑き物の仕業ですな。楓さんの身につけているものに、強い執着を持つ妖怪が憑いています」

 玄庵は淡々と告げた。お母親はハッと顔を上げた。

「まさか……。そういえば、楓が先日、古物市で珍しい簪(かんざし)を拾ってきて、それがお気に入りで肌身離さずつけていたのですが……」

 母親は、楓の髪に挿されたままの、古びた簪を指差した。その簪は、細工は美しいものの、どこか陰鬱な雰囲気を纏っているように見えた。おみつは、その簪から発せられる不穏な気配を、明確に感じ取った。

「その簪です。この簪に、かつて持ち主であった者の強い念が残っており、それが妖怪と化しています。楓さんが簪を身につけたことで、その妖怪が憑き、彼女の生命力を吸い取っているのです」

 玄庵の言葉に、おみつはぞっとした。以前、付喪神の件で、道具に魂が宿ることがあると知っていたが、それが親しい幼馴染を苦しめているとなると、その恐ろしさは段違いだった。

「先生、どうか楓を助けてください! 私に何ができることでもあれば!」

 おみつは玄庵に縋った。玄庵は、おみつのその言葉に、静かに頷いた。

「治療は可能です。しかし、この妖怪は、単なる悪意で憑いているわけではない。簪に込められた悲しい記憶が、彼を縛り付けている。その記憶を解き放たなければ、楓さんは癒えません」

 玄庵はそう言うと、おみつに一つの指示を出した。

「おみつ、この浄化の塩と聖なる水で、簪を清めなさい。そして、その簪に、あなたの心を込めて話しかけてください。楓さんを救いたいという、純粋な気持ちを」

 おみつは、玄庵から受け取った清めの道具を手に、震える手で簪を清め始めた。冷たい水が簪に触れると、簪から発せられていた不穏な気配が、わずかに揺らいだように感じられた。

 おみつは、必死に楓の無事を祈りながら、簪に語りかけた。

「お願い、楓を苦しめないで。楓は、私の大切な幼馴染なの。あなたも、きっと何か悲しい思いを抱えているのでしょう? でも、お願いだから、楓を放してあげて……」

 おみつが心から訴えるほどに、簪の周りの黒い靄が、少しずつ薄れていくのが見えた。そして、その靄の中から、かすかにすすり泣くような声が聞こえてきた。それは、怒りや憎しみではなく、深い悲しみに満ちた声だった。

 玄庵は、おみつの様子を静かに見守っていた。そして、頃合いを見て、楓の額に手をかざした。玄庵の掌から、温かい光が放たれ、楓の体を包み込む。楓の顔から苦痛の色が薄れ、体の震えも収まっていった。

 やがて、楓の意識が戻った。ゆっくりと目を開けた楓は、おみつと母親の顔を見て、かすかに微笑んだ。

「おみつ……お母さん……」

 楓は弱々しい声でそう言った。おみつは、楓の手を握りしめ、安堵の涙を流した。

 玄庵は、簪を手に取り、そこに宿る妖怪の気配を静かに感じ取っていた。

「一時的に憑き物は離れました。しかし、完全に癒やすためには、簪に宿る記憶と向き合う必要があります」

 玄庵の言葉に、おみつは改めて気を引き締めた。楓は危機を脱したが、まだ根本的な解決には至っていない。

 おみつは、玄庵の言葉を信じ、楓のために、この簪に宿る妖怪の悲しい記憶を解き放つことを決意した。
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