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第五章:暁光~明日の灯火(ともしび)~
第百話:鬼灯横丁の灯火と、因果の涙の始まり
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蝕組との戦いが終わり、鬼灯横丁に穏やかな日々が戻ってから数日。
玄庵診療所は、相変わらず奇妙な患者たちで賑わっていた。玄庵は、これまで以上に冷静な眼差しで患者と向き合い、おみつは彼の右腕として、その成長ぶりを日々見せていた。
しかし、その平和な日常の裏側で、新たな、そしてより根源的な異変の兆候が、静かに、しかし確実に広がり始めていた。
玄庵診療所の戸が開き、一人の老婆が顔をしかめて入ってきた。老婆の手には、黒く変色し、萎れてしまった朝顔の鉢が抱えられている。
「先生、おみつさん……。どうしたもんでしょうねぇ、この朝顔……。毎日、水をやっているのに、こんなになっちまって……」
老婆は、困惑した顔で朝顔を見つめた。
玄庵は、鉢を受け取ると、朝顔の葉に触れた。その葉は、まるで何かに吸い取られたかのように、生命力を失っていた。
「これは……」
玄庵は、眉をひそめた。
この数日、診療所には、奇妙な症状を訴える患者が相次いでいた。先日訪れた、体が木のように変化していく老人の症状は悪化の一途を辿り、今では手足の指が完全に木の枝のように固まってしまっていた。
その一方で、他の場所でも、これまでの穢れとは異なる、風や水にまつわる奇病が次々と報告され始めていた。
井戸が枯れたり、川の水が濁ったり、あるいは、原因不明の風が吹き荒れ、作物がなぎ倒されたりする現象が各地で起こっていた。
人々は、天候不順や疫病のせいだと考えていたが、玄庵とおみつは、その裏に隠された、より深い意味を感じ取っていた。
おみつは、老婆の朝顔を手に取ると、その鉢から、かすかな「悲しい水の匂い」がするのを感じた。それは、以前の患者から感じた匂いと全く同じだった。
「おばあさん、この朝顔、もしかしたら、水が足りていないのかもしれませんね……。いいえ、むしろ、水が、この朝顔の悲しみを、吸い取っているかのような……」
おみつは、そう呟くと、朝顔の鉢にそっと触れた。すると、彼女の浄化の光が、わずかに朝顔へと流れ込み、葉の変色が、ごくわずかだが、和らいだように見えた。
玄庵は、おみつの言葉に、ハッとした。彼は、おみつが感じ取った「悲しい水の匂い」が、この新たな異変の鍵となることを、確信し始めていた。
その日の午後。竜胆が、青い顔をして診療所を訪れた。
「玄庵……おみつ……。大変なことになった……」
竜胆は、息を切らせながら、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「どうしました、竜胆さん?」
おみつが、心配そうに駆け寄った。
「町のはずれにある、あの大きな池が……完全に枯れちまったんだ……。昨日までは、あんなに水が満ちていたのに……」
竜胆の言葉に、玄庵とおみつは目を見開いた。その池は、この江戸の町を潤す重要な水源の一つだった。
「枯れた……? まさか……!」
玄庵の脳裏に、最近見るようになった奇妙な夢の光景が、鮮明に蘇った。光を放つ「依代」から、大粒の「水」が涙のように流れ落ちる光景。そして、彼が感じ取っていた、この土地の「湿り気」。
「これは……。これは、まるで世界の悲しみが顕れているかのようだ……」
玄庵は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
彼の瞳には、深い洞察力が宿っていた。蝕組の穢れは、人々の負の感情から生まれるものだった。しかし、今、この世界で起こっている異変は、もっと根源的な、土地そのもの、あるいは、自然そのものが抱える悲しみから生まれているかのようだった。
玄庵は、以前、おみつに語った言葉を思い出した。
「この世には、人間の理解を超えた、もっと深く、長い時を経て積もった悲しみがあるのかもしれない」。それは、まさに、この状況を言い表す言葉だった。
「古き神々の涙……」
玄庵は、無意識のうちに、そう呟いた。
彼の脳裏に、夢で見た、悲しみに満ちた顔の古き神々の姿が浮かんだ。彼らは、かつてこの地の自然を司り、人々と共に生きていた神々。しかし、人々の信仰が薄れ、祭りが廃れることで、力を失い、悲しみを抱き続けていたのではないか。
そして、その悲しみが、今、この世界の「水」を枯らし、木々を病ませ、風を荒れさせる原因となっているのではないか。
「先生……! では、この異変は、私たちが浄化すべき穢れとは、違うということですか……?」
おみつが、不安そうに尋ねた。
玄庵は、静かに頷いた。
「ああ、穢れとは、異なる。これは、もっと深く、この世界の根源に関わる悲しみだ。そして、それは、おそらく、これまで私たちが見てきた全ての因果の、始まりに過ぎないのかもしれない……」
玄庵は、そう言って、遠くの空を見上げた。その空には、澄み渡った青空が広がっていたが、彼の目には、その奥に潜む、新たな、そしてより根源的な脅威の波が、押し寄せているのが見えているかのようだった。
鬼灯横丁の小さな診療所には、相変わらず患者たちが訪れ、温かい明かりが灯っていた。おみつは、少し成長し、玄庵の右腕として、患者の心と体に寄り添い続けている。人間と妖怪が手を取り合い、共に生きる未来への確かな灯火は、鬼灯横丁から江戸全体へと、ゆっくりと広がり始めていた。
しかし、その灯火は、これから訪れるであろう、より大きな試練の始まりを告げるものだった。古き神々の涙。
それは、この世界が抱える、太古からの深い悲しみの象徴。人間と妖怪は、今、その悲しみと向き合い、真の平穏を築くための、新たな戦いの扉を開こうとしていたのだ。
玄庵診療所は、相変わらず奇妙な患者たちで賑わっていた。玄庵は、これまで以上に冷静な眼差しで患者と向き合い、おみつは彼の右腕として、その成長ぶりを日々見せていた。
しかし、その平和な日常の裏側で、新たな、そしてより根源的な異変の兆候が、静かに、しかし確実に広がり始めていた。
玄庵診療所の戸が開き、一人の老婆が顔をしかめて入ってきた。老婆の手には、黒く変色し、萎れてしまった朝顔の鉢が抱えられている。
「先生、おみつさん……。どうしたもんでしょうねぇ、この朝顔……。毎日、水をやっているのに、こんなになっちまって……」
老婆は、困惑した顔で朝顔を見つめた。
玄庵は、鉢を受け取ると、朝顔の葉に触れた。その葉は、まるで何かに吸い取られたかのように、生命力を失っていた。
「これは……」
玄庵は、眉をひそめた。
この数日、診療所には、奇妙な症状を訴える患者が相次いでいた。先日訪れた、体が木のように変化していく老人の症状は悪化の一途を辿り、今では手足の指が完全に木の枝のように固まってしまっていた。
その一方で、他の場所でも、これまでの穢れとは異なる、風や水にまつわる奇病が次々と報告され始めていた。
井戸が枯れたり、川の水が濁ったり、あるいは、原因不明の風が吹き荒れ、作物がなぎ倒されたりする現象が各地で起こっていた。
人々は、天候不順や疫病のせいだと考えていたが、玄庵とおみつは、その裏に隠された、より深い意味を感じ取っていた。
おみつは、老婆の朝顔を手に取ると、その鉢から、かすかな「悲しい水の匂い」がするのを感じた。それは、以前の患者から感じた匂いと全く同じだった。
「おばあさん、この朝顔、もしかしたら、水が足りていないのかもしれませんね……。いいえ、むしろ、水が、この朝顔の悲しみを、吸い取っているかのような……」
おみつは、そう呟くと、朝顔の鉢にそっと触れた。すると、彼女の浄化の光が、わずかに朝顔へと流れ込み、葉の変色が、ごくわずかだが、和らいだように見えた。
玄庵は、おみつの言葉に、ハッとした。彼は、おみつが感じ取った「悲しい水の匂い」が、この新たな異変の鍵となることを、確信し始めていた。
その日の午後。竜胆が、青い顔をして診療所を訪れた。
「玄庵……おみつ……。大変なことになった……」
竜胆は、息を切らせながら、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
「どうしました、竜胆さん?」
おみつが、心配そうに駆け寄った。
「町のはずれにある、あの大きな池が……完全に枯れちまったんだ……。昨日までは、あんなに水が満ちていたのに……」
竜胆の言葉に、玄庵とおみつは目を見開いた。その池は、この江戸の町を潤す重要な水源の一つだった。
「枯れた……? まさか……!」
玄庵の脳裏に、最近見るようになった奇妙な夢の光景が、鮮明に蘇った。光を放つ「依代」から、大粒の「水」が涙のように流れ落ちる光景。そして、彼が感じ取っていた、この土地の「湿り気」。
「これは……。これは、まるで世界の悲しみが顕れているかのようだ……」
玄庵は、そう呟くと、大きく息を吐いた。
彼の瞳には、深い洞察力が宿っていた。蝕組の穢れは、人々の負の感情から生まれるものだった。しかし、今、この世界で起こっている異変は、もっと根源的な、土地そのもの、あるいは、自然そのものが抱える悲しみから生まれているかのようだった。
玄庵は、以前、おみつに語った言葉を思い出した。
「この世には、人間の理解を超えた、もっと深く、長い時を経て積もった悲しみがあるのかもしれない」。それは、まさに、この状況を言い表す言葉だった。
「古き神々の涙……」
玄庵は、無意識のうちに、そう呟いた。
彼の脳裏に、夢で見た、悲しみに満ちた顔の古き神々の姿が浮かんだ。彼らは、かつてこの地の自然を司り、人々と共に生きていた神々。しかし、人々の信仰が薄れ、祭りが廃れることで、力を失い、悲しみを抱き続けていたのではないか。
そして、その悲しみが、今、この世界の「水」を枯らし、木々を病ませ、風を荒れさせる原因となっているのではないか。
「先生……! では、この異変は、私たちが浄化すべき穢れとは、違うということですか……?」
おみつが、不安そうに尋ねた。
玄庵は、静かに頷いた。
「ああ、穢れとは、異なる。これは、もっと深く、この世界の根源に関わる悲しみだ。そして、それは、おそらく、これまで私たちが見てきた全ての因果の、始まりに過ぎないのかもしれない……」
玄庵は、そう言って、遠くの空を見上げた。その空には、澄み渡った青空が広がっていたが、彼の目には、その奥に潜む、新たな、そしてより根源的な脅威の波が、押し寄せているのが見えているかのようだった。
鬼灯横丁の小さな診療所には、相変わらず患者たちが訪れ、温かい明かりが灯っていた。おみつは、少し成長し、玄庵の右腕として、患者の心と体に寄り添い続けている。人間と妖怪が手を取り合い、共に生きる未来への確かな灯火は、鬼灯横丁から江戸全体へと、ゆっくりと広がり始めていた。
しかし、その灯火は、これから訪れるであろう、より大きな試練の始まりを告げるものだった。古き神々の涙。
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