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第六章:古き神々の涙と因果の病
第百一話:因果の病、始まる
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第六章:古き神々の涙と因果の病 第百一話:因果の病、始まる
江戸の町は、これまで経験したことのない奇妙な病に蝕まれ始めていた。
玄庵診療所には、連日、体の変調を訴える者たちがひっきりなしに訪れる。その症状は多岐にわたるが、どれもこれも、人々の心を深く抉るような、得体の知れない不安を伴っていた。
ある者は、手足の指が木のように硬くなり、まるで根を張るかのように大地に繋がれてしまう。そして、別の者は、全身に苔が生え、ゆっくりと、だが確実に、その生気を奪われてゆく。
いずれも、その土地の匂いを纏い、まるで大地そのものが病を吐き出しているかのようだった。
「先生、これはいったい……」
おみつは、不安げな面持ちで、診察台に横たわる患者の腕を見つめた。その腕は、まるで風化した古木の幹のようにごつごつとしており、触れると冷たい。かつて見た蝕組が引き起こした穢れの病とは、明らかに異なる異質さがそこにはあった。
玄庵は、患者の腕にそっと触れ、その指先から微かに漏れる気の流れを感じ取っていた。彼の瞳の奥には、深い思索の光が宿っている。
「これは……因果の病」
玄庵の口から零れた言葉は、おみつには馴染みのない響きだった。
因果。それは、仏教の教えで語られる、過去の行いが未来に影響を及ぼすという道理のこと。しかし、それが病とどう結びつくというのか。
「因果の病……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。人々の行いが、この土地を汚し、古き神々の悲しみを呼び起こした結果だ」
その言葉に、おみつは先日、枯れた池のほとりで玄庵が呟いた「古き神々の涙」という言葉を思い出した。人々の信仰が廃れ、忘れ去られた神々が流す涙が、このような奇病となって現れているというのか。
そこへ、ひょっこりと古尾が診療所の戸を開けて顔を出した。いつもは飄々としている古尾の顔にも、珍しく疲労の色が浮かんでいる。
「やれやれ、玄庵さん、おみつさん。近頃は妙な病が流行りだして、古狐の情報網も追いつかねぇや。体が石くれみてぇになっちまう奴とか、皮膚が土くれみてぇに崩れ落ちる奴とか……聞けば聞くほど、胸糞が悪くなる話ばかりだぜ」
古尾はそう言いながら、慣れた様子で診察台の隅にちょこんと座った。
「古尾。八百万の神々について、おみつに話してやれ」
玄庵の言葉に、古尾は怪訝な顔をした。
「八百万の神々、ですかい? そんなこと、今更何になるってんでぇ?」
「この病の根源がそこにある。人々の無知と無関心が、神々を悲しませ、この世を蝕んでいるのだ」
玄庵の静かだが確信に満ちた言葉に、古尾は観念したようにため息をついた。
「へいへい、分かりやしたよ、先生。おみつさんよ、八百万の神ってのはな、この世のあらゆるところに宿る神様のこった。山にも川にも、木にも石にも、なんならおめぇさんが使ってる箸にも、神様は宿ってるって言われてたんだ」
古尾は腕を組み、知ったかぶりで語り始めた。
「昔の人ってのは、自然を恐れ、敬う心が深かったからな。恵みをくれる山や川には感謝し、怒りを鎮めるために祭りを捧げていたもんだ。神様は、人間が心から敬い、信仰することで力を得る。だが、近頃の人間ときたら、どうだい?
山を削り、川を汚し、神様の恵みを当たり前のように享受して、感謝の心なんてとうに忘れちまってる。そんな人間どもの行いに、神様が悲しまねぇわけがねぇだろうよ」
古尾の言葉は、おみつの心に深く響いた。確かに、江戸の町は発展し、人々の生活は豊かになった。しかし、その陰で、自然への畏敬の念は薄れ、多くの人々が当たり前のように自然の恵みを享受している。
それは、まるで、かつて玄庵が語った、人々の業が穢れを生み出した時の状況と、どこか似ているように感じられた。
「この病は、神々の悲しみが具現化したもの……」
おみつが呟くと、玄庵はゆっくりと頷いた。
「そうだ。大地に住む人々が、大地を穢し、神々を忘れ去った結果、彼らの体が土のように固まる。水辺を汚した人々が、水にまつわる病に倒れる。それは、人々の因果が、病として現れたものだ」
玄庵の言葉は、恐ろしい真実を突きつけているようだった。蝕組との戦いは、目に見える穢れとの戦いだった。
しかし、今、目の前にあるのは、目には見えぬ人々の心の澱みが、形となって現れたもの。それは、より深く、より根源的な問題だった。
「じゃあ、先生、どうすれば……。この病を治すには、神様に許しを乞うしかないんでしょうか?」
おみつは、不安げに玄庵を見上げた。玄庵は、ゆっくりと患者の腕から手を離し、静かに目を閉じた。
「病を治すのは、医師の役目だ。しかし、この因果の病を真に癒やすには、人々の心を変える必要がある。
神々への感謝と、自然への畏敬の念を取り戻すこと。それが、この病の根本的な治療となる」
その言葉は、玄庵の決意の表れでもあった。彼は、これまでのように薬や術で病を治すだけではなく、人々の心に深く入り込み、その在り方そのものに問いかける必要性を感じていたのだ。
それは、医師としての、そして人として、新たな境地へと踏み出すことを意味していた。
その夜、玄庵診療所には、遠くの村から運ばれてきた、新たな患者が運び込まれた。
その者は、全身が苔に覆われ、まるで森の木の根と一体化しているかのようだった。
その顔は苦痛に歪み、呻き声が診療所に響き渡る。
玄庵は、その患者の横に跪き、目を閉じて、その体に耳を傾けた。
彼の脳裏に、かつて夢で見た「古き神々の悲しみに満ちた顔」が鮮やかに蘇る。
この病は、始まりに過ぎない。
この先、どのような試練が待ち受けているのか、玄庵にはまだ計り知れない。しかし、彼の心には、確かな覚悟が宿っていた。この因果の病を治すこと。それが、彼に課せられた新たな使命だと。
おみつは、玄庵の横顔を見つめた。
その表情は、以前よりも穏やかだが、その瞳の奥には、新たな戦いへと挑む、強い意志が宿っているように見えた。彼女の心にも、新たな決意が芽生え始めていた。
玄庵と共に、この因果の病と向き合い、人々と神々の間に横たわる深い溝を埋める手助けをしたい。その純粋な想いが、彼女の胸に燃え盛っていた。
因果の病は、静かに、しかし確実に、江戸の町に広がり始めていた。
それは、過去の業が形を変えて現れた、神々からの戒めなのかもしれない。玄庵と、彼を支えるおみつ、古尾、そして玉藻。彼らは、この新たな脅威に対し、いかに立ち向かうのか。
夜の帳が下りた鬼灯横丁には、静かな決意の灯が揺れていた。
江戸の町は、これまで経験したことのない奇妙な病に蝕まれ始めていた。
玄庵診療所には、連日、体の変調を訴える者たちがひっきりなしに訪れる。その症状は多岐にわたるが、どれもこれも、人々の心を深く抉るような、得体の知れない不安を伴っていた。
ある者は、手足の指が木のように硬くなり、まるで根を張るかのように大地に繋がれてしまう。そして、別の者は、全身に苔が生え、ゆっくりと、だが確実に、その生気を奪われてゆく。
いずれも、その土地の匂いを纏い、まるで大地そのものが病を吐き出しているかのようだった。
「先生、これはいったい……」
おみつは、不安げな面持ちで、診察台に横たわる患者の腕を見つめた。その腕は、まるで風化した古木の幹のようにごつごつとしており、触れると冷たい。かつて見た蝕組が引き起こした穢れの病とは、明らかに異なる異質さがそこにはあった。
玄庵は、患者の腕にそっと触れ、その指先から微かに漏れる気の流れを感じ取っていた。彼の瞳の奥には、深い思索の光が宿っている。
「これは……因果の病」
玄庵の口から零れた言葉は、おみつには馴染みのない響きだった。
因果。それは、仏教の教えで語られる、過去の行いが未来に影響を及ぼすという道理のこと。しかし、それが病とどう結びつくというのか。
「因果の病……ですか?」
おみつが問い返すと、玄庵は静かに頷いた。
「ああ。人々の行いが、この土地を汚し、古き神々の悲しみを呼び起こした結果だ」
その言葉に、おみつは先日、枯れた池のほとりで玄庵が呟いた「古き神々の涙」という言葉を思い出した。人々の信仰が廃れ、忘れ去られた神々が流す涙が、このような奇病となって現れているというのか。
そこへ、ひょっこりと古尾が診療所の戸を開けて顔を出した。いつもは飄々としている古尾の顔にも、珍しく疲労の色が浮かんでいる。
「やれやれ、玄庵さん、おみつさん。近頃は妙な病が流行りだして、古狐の情報網も追いつかねぇや。体が石くれみてぇになっちまう奴とか、皮膚が土くれみてぇに崩れ落ちる奴とか……聞けば聞くほど、胸糞が悪くなる話ばかりだぜ」
古尾はそう言いながら、慣れた様子で診察台の隅にちょこんと座った。
「古尾。八百万の神々について、おみつに話してやれ」
玄庵の言葉に、古尾は怪訝な顔をした。
「八百万の神々、ですかい? そんなこと、今更何になるってんでぇ?」
「この病の根源がそこにある。人々の無知と無関心が、神々を悲しませ、この世を蝕んでいるのだ」
玄庵の静かだが確信に満ちた言葉に、古尾は観念したようにため息をついた。
「へいへい、分かりやしたよ、先生。おみつさんよ、八百万の神ってのはな、この世のあらゆるところに宿る神様のこった。山にも川にも、木にも石にも、なんならおめぇさんが使ってる箸にも、神様は宿ってるって言われてたんだ」
古尾は腕を組み、知ったかぶりで語り始めた。
「昔の人ってのは、自然を恐れ、敬う心が深かったからな。恵みをくれる山や川には感謝し、怒りを鎮めるために祭りを捧げていたもんだ。神様は、人間が心から敬い、信仰することで力を得る。だが、近頃の人間ときたら、どうだい?
山を削り、川を汚し、神様の恵みを当たり前のように享受して、感謝の心なんてとうに忘れちまってる。そんな人間どもの行いに、神様が悲しまねぇわけがねぇだろうよ」
古尾の言葉は、おみつの心に深く響いた。確かに、江戸の町は発展し、人々の生活は豊かになった。しかし、その陰で、自然への畏敬の念は薄れ、多くの人々が当たり前のように自然の恵みを享受している。
それは、まるで、かつて玄庵が語った、人々の業が穢れを生み出した時の状況と、どこか似ているように感じられた。
「この病は、神々の悲しみが具現化したもの……」
おみつが呟くと、玄庵はゆっくりと頷いた。
「そうだ。大地に住む人々が、大地を穢し、神々を忘れ去った結果、彼らの体が土のように固まる。水辺を汚した人々が、水にまつわる病に倒れる。それは、人々の因果が、病として現れたものだ」
玄庵の言葉は、恐ろしい真実を突きつけているようだった。蝕組との戦いは、目に見える穢れとの戦いだった。
しかし、今、目の前にあるのは、目には見えぬ人々の心の澱みが、形となって現れたもの。それは、より深く、より根源的な問題だった。
「じゃあ、先生、どうすれば……。この病を治すには、神様に許しを乞うしかないんでしょうか?」
おみつは、不安げに玄庵を見上げた。玄庵は、ゆっくりと患者の腕から手を離し、静かに目を閉じた。
「病を治すのは、医師の役目だ。しかし、この因果の病を真に癒やすには、人々の心を変える必要がある。
神々への感謝と、自然への畏敬の念を取り戻すこと。それが、この病の根本的な治療となる」
その言葉は、玄庵の決意の表れでもあった。彼は、これまでのように薬や術で病を治すだけではなく、人々の心に深く入り込み、その在り方そのものに問いかける必要性を感じていたのだ。
それは、医師としての、そして人として、新たな境地へと踏み出すことを意味していた。
その夜、玄庵診療所には、遠くの村から運ばれてきた、新たな患者が運び込まれた。
その者は、全身が苔に覆われ、まるで森の木の根と一体化しているかのようだった。
その顔は苦痛に歪み、呻き声が診療所に響き渡る。
玄庵は、その患者の横に跪き、目を閉じて、その体に耳を傾けた。
彼の脳裏に、かつて夢で見た「古き神々の悲しみに満ちた顔」が鮮やかに蘇る。
この病は、始まりに過ぎない。
この先、どのような試練が待ち受けているのか、玄庵にはまだ計り知れない。しかし、彼の心には、確かな覚悟が宿っていた。この因果の病を治すこと。それが、彼に課せられた新たな使命だと。
おみつは、玄庵の横顔を見つめた。
その表情は、以前よりも穏やかだが、その瞳の奥には、新たな戦いへと挑む、強い意志が宿っているように見えた。彼女の心にも、新たな決意が芽生え始めていた。
玄庵と共に、この因果の病と向き合い、人々と神々の間に横たわる深い溝を埋める手助けをしたい。その純粋な想いが、彼女の胸に燃え盛っていた。
因果の病は、静かに、しかし確実に、江戸の町に広がり始めていた。
それは、過去の業が形を変えて現れた、神々からの戒めなのかもしれない。玄庵と、彼を支えるおみつ、古尾、そして玉藻。彼らは、この新たな脅威に対し、いかに立ち向かうのか。
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