【完結】『大江戸妖怪診療所~奇病を治すは鬼の医者~』

月影 朔

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第八章:敵の帰還、最終決戦

第百四十六話:揺らぐ戒、力の制御の乱れ

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 おみつの言霊が、戒の心の奥底に眠る純粋な願いを揺さぶった。玄庵の清浄な光が、彼の心の闇を剥がし、過去の悲しみと対峙させている。

 戒は頭を抱え、苦悶の声を上げながら、その身を包む闇色の霊気を激しく乱れさせた。


 「うああ……! やめろ……! これ以上、我に……何も、語るな……!」


 戒の叫びは、もはや怒りというよりも、心の奥底からの悲鳴に近かった。彼の体に宿る歪んだ神の依代の力は、その主の動揺に呼応するかのように、制御を失い、不規則な揺らぎを見せ始めた。祭祀場全体が、まるで巨大な獣が暴れているかのように激しく震え、天井からは砂塵が舞い落ちる。


 おみつは、戒の苦しみを肌で感じ取っていた。彼の心に触れるほどに、その悲しみは深く、そして根深いものであると理解できた。しかし、だからこそ、ここで諦めるわけにはいかない。


 「戒! あなたは、世界を壊したいわけじゃないはず! ただ、苦しむ人々を、愛する妹さんを、救いたかっただけなんでしょう!?」


 おみつの声は、澄んだ鈴の音のように、乱れ狂う霊気の渦を貫いた。彼女の言葉の一つ一つが、戒の心の奥深くに閉ざされた、かつての純粋な願いに、直接触れていく。


 「妹……うぐっ……! あの時……あの時、神々が救いの手を差し伸べていれば……! この世界が、穢れてさえいなければ……!」


 戒の脳裏に、飢えに苦しみ、息絶えた妹の姿が、鮮明に蘇る。その悲痛な記憶が、彼の心をさらに深く揺さぶり、歪んだ依代の力は、より一層制御を失っていく。彼の巨大な影が、形を保てなくなり、まるで煙のように揺らめき、膨張と収縮を繰り返す。


 「戒のやつ、よほど堪えてるようだな」


 古尾が、額に汗を浮かべながら呟いた。戒の力の乱れは、周囲の霊気をも不安定にさせ、古尾たちも、その圧力に苦しめられていた。


 「今が好機! しかし、同時に危険でもある……!」


 竜胆が、警戒の面持ちで玄庵を見つめた。戒の力が暴走すれば、祭祀場だけでなく、江戸全体に甚大な被害が及ぶ可能性があった。


 玄庵は、戒の苦しみを静かに見守っていた。彼の瞳には、慈悲の光が宿り、その掌から放たれる清浄な光は、戒の乱れた霊気を、優しく包み込もうとしていた。破壊ではなく、あくまで浄化。それが、玄庵の目指す道であった。


 「戒……お前の悲しみは、消えることはないだろう。だが、その悲しみと、共に生きていくことはできる。それが、この世を生きるものの、定めなのだ」


 玄庵の言葉は、戒の心に、静かに、しかし確実に響いていく。それは、ただ戒の罪を咎めるだけでなく、彼の苦しみに寄り添い、共に背負おうとするかのような言葉であった。


 「にゃあ……」


 玉藻が、玄庵の足元で、静かに鳴いた。その声は、玄庵の言葉を後押しするように、深く、そして力強かった。


 戒の体から放たれる闇色の霊気の波が、さらに大きく、不規則にうねり始めた。しかし、その中に、ごくわずかながらも、清らかな光の粒が混ざり始めているのを、おみつは感じ取っていた。それは、戒の心の奥底に残された、まだ穢されていない、純粋な光であった。


 戒の顔から、次第に苦悶の表情が消え失せ、代わりに、深い思索の表情が浮かび上がった。彼の瞳は、虚空を見つめ、まるで己の過去と、そしてこれからを、深く見つめ直しているかのようであった。歪んだ依代の力の制御は、依然として乱れているが、その乱れは、破壊へ向かう暴走ではなく、迷いと葛藤の表れへと変わっていた。


 戦いは、最終局面を迎えようとしていた。
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