みんな善いことだと思ってた

【第二章：天災と人災（2028年）】

第20話：資料No.019（緊急勅令・官報）2028年

【資料No.019】

資料種別：官報（号外） 
記録年：2028年

(以下は、南海トラフ巨大地震発生から三週間後、政府が発令した緊急勅令を記した官報の号外である。 この一枚の、極めて事務的で、無機質な文書が、結果として、北関東の片隅で起きていたローカルな怪異を、日本全土を覆い尽くすパンデミックへと変貌させる、決定的な引き金となった) 


官報

号外

内閣告示第三号

臨時埋葬許可法に関する緊急勅令

公布日： 2028年5月22日

内閣総理大臣 ██ ██

総務大臣 ██ ██

法務大臣 ██ ██

厚生労働大臣 ██ ██

2028年5月1日の南海トラフ巨大地震により、我が国は未曾有の国難に直面している。  特に、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、高知県、愛媛県、宮崎県、大分県、鹿児島県の太平洋沿岸部において、津波による被害は甚大であり、確認された死者及び行方不明者の総数は、現在までに二百万人を超える見込みである。

この異常事態に鑑み、政府は国民の生命、身体及び財産の保護、並びに公衆衛生の維持のため、ここに憲法の規定に基づき、国家緊急事態を宣言する。

現在、被災地においては、火葬施設の損壊、燃料の不足、そして何よりも、火葬能力を大幅に上回る膨大な数のご遺体の発生により、通常の葬送が著しく困難な状況に陥っている。このままご遺体の安置が長期化した場合、夏季の気温上昇に伴う腐敗の進行、それに伴う感染症の爆発的な蔓延が予測され、二次的な被害の拡大が強く懸念される。

これらの事態を回避し、被災地の衛生環境を可及的速やかに回復させ、国民の健康被害を最小限に食い止めることは、政府に課せられた喫緊の課題である。

よって、政府はここに「墓地、埋葬等に関する法律」の特例措置として、「臨時埋葬許可法」を時限的に制定し、本日付で施行することを決定した。

【臨時埋葬許可法・要旨】

第一条（目的）
本法は、大規模災害時における公衆衛生の維持を目的とし、通常の火葬が困難な場合に限り、特例として地方自治体の長が指定する場所への臨時的な埋葬（土葬）を許可するものである。

第二条（適用地域）
本法の適用地域は、当面の間、被害が特に甚大である以下の十県に限定する。
静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、高知県、愛媛県、宮崎県、大分県、鹿児島県。

第三条（埋葬地の指定）
適用地域の各地方自治体の長は、地域の状況を鑑み、公園、農地、山林等の公有地の中から、住民の生活圏から一定の距離が確保され、かつ、水源地から離れた場所を「臨時埋葬地」として指定することができる。

第四条（埋葬の実施）
臨時埋葬地における埋葬の実施は、原則として、災害派遣された自衛隊、警察、消防、および自治体職員が担当するものとする。ご遺族の心情に配慮しつつも、作業は公衆衛生の確保を最優先とし、迅速かつ効率的に行われなければならない。

第五条（記録の保存）
埋葬にあたっては、可能な限りご遺体の身元を確認し、埋葬地点の座標と共に、これを記録、保存すること。

第六条（時限措置）
本法は、災害発生から一年後の2029年5月1日をもって、その効力を自動的に失うものとする。効力失効後、臨時埋葬地に埋葬されたご遺体については、国の責任において、速やかに掘り起こし、再度の検案を経て、火葬に付すものとする。

附則
本勅令は、公布の日からこれを施行する。


(編纂者による注記：この官報に記された内容は、当時、未曾有の国難に直面していた日本国民にとって、一つの「善いこと」として受け止められた。 誰もが、これが公衆衛生を守り、死者の尊厳を一時的にでも確保するための、やむを得ない、そして人道的な措置であると信じて疑わなかった。 政府も、メディアも、そして国民自身も、誰もが「善いことだと思っていた」。 


しかし、我々、未来の視点からこの記録を再検証する者にとって、この一枚の紙は、歴史上最も恐ろしいパンドラの箱を開ける鍵であったことが分かる。


「土に埋める」という行為。 


それは、死者を弔うという、人類が古来より行ってきた、最も人間的な善意の表れの一つである。 だが、この時の日本において、その行為が何を意味するのか、その本当の恐ろしさを知る者は、北関東の片隅で、誰にもその声が届かぬまま消息を絶った、一人のフリージャーナリストをおいて、誰もいなかったのである)