みんな善いことだと思ってた

月影 朔

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【第三章:静かなる終焉(2029年~2030年)】

第39話:資料No.038(三上の日記・考察メモ)2030年

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【資料No.038】
資料種別:個人用日記帳に挟まれていたメモ用紙(スキャンデータ)
記録年:2030年

(以下は、アマチュア無線技士・三上██氏の日記帳(資料No.036)の、2030年6月の日付のページに挟まれていた、一枚のルーズリーフのメモ書きである。彼の無線交信ログ(資料No.037)に記された、日本各地からの無数の断末魔の声。それらの断片的な情報を、彼はただ記録するだけではなかった。この孤独な地下室で、彼は最後の知性を振り絞り、この国を覆い尽くした悪夢の全体像を、たった一人で描き出そうと試みていた。その狂気的とも言える、思考の軌跡が、この一枚の紙に凝縮されている)

【思考メモ:日本列島における同時多発的異常事象の関連性に関する考察】

日付:2030年6月5日
記録者:三上

前提:
日本政府、および主要なインフラは事実上崩壊。公式な情報源は完全に沈黙。信頼できる情報は、短波帯に乗って届く、各地の生存者による断片的な音声通信のみ。これらの「ノイズ」の中にこそ、真実のパターンが隠されていると仮定する。

仮説段階①:初期陰謀論モデル(全て棄却)

この国を滅ぼしたものは何か。当初、俺が考えていた可能性のリストだ。だが、どれも矛盾が多すぎる。

・~~外国勢力による、新型生物兵器(Biological Weapon)の散布?~~
→ 可能性はゼロではない。だが、あまりに効果範囲が限定的すぎる。なぜ「土葬」や「熊」といった、奇妙なファクターが介在する必要がある? もっと効率的な感染方法はいくらでもあるはずだ。非合理的。

・~~未知のウイルス(Airborne Infection)の大気中への漏出?~~
→ これも違う。大気感染なら、もっと無差別に、爆発的に感染が拡大するはずだ。現状は、地理的に極めて偏った、クラスター状の発生を繰り返している。

・~~指向性の高い、特殊な電磁波(マイクロ波)による、広域精神汚染(Psychological Contamination)?~~
→ 「踊り」という症状だけを見れば、脳への直接的な干渉も考えられる。だが、「動く泥」や「熊の凶暴化」といった、物理的な現象を説明できない。

・~~太陽フレア、あるいは地磁気の異常に伴う、集団幻覚?~~
→ 馬鹿げている。幻覚で、人が死ぬか。幻覚で、村が「飲み込まれる」か。

結論:
これは、外部からの攻撃などではない。もっと内因的な、この国の「中」から発生した、土着の災厄だ。思考の起点を、そこに戻さなければならない。

仮説段階②:キーワードの抽出とマッピング

無線ログ(資料No.037)に残された、各地からの断末魔の声。そこに繰り返し現れる、キーワードを抽出する。これらは、無関係な叫びなどではない。同じ悲劇の、異なる側面を語っているに過ぎない。

(以下、メモ用紙の中央に、いくつかの単語が殴り書きされている)

・「土に埋める」「土に還す」「死者を弔う」
→ 中国地方の老人の通信。「わしが、『土に還すのが一番の供養だ』なんて言うてしもうたから…」
→ 東京の通信。「我々が犯した過ちは、ただ一つ。死者を、弔おうとしたことだ」

・「動く泥」「泥の男」「泥の塊」
→ 新潟の通信。「『動く泥』に、ドアが…溶かされて…」
→ 中国地方の通信。「泥でできた、でっかい坊主が…こっちを…見とる…」

・「熊」「熊じゃない『何か』」
→ 北海道の通信。「熊じゃない。あれは、熊の大きさじゃなかった…村ごと、『何か』に…飲み込まれた…」
→ 四国の通信(資料No.023の事件を傍受していた可能性)。「熊が避難所に侵入した!」

・「踊る人」「歌」「くねくね」
→ 四国の通信。「踊ってる奴らが、外の『何か』を、呼んでるんだ! あの歌で…!」
→ 最後の混信。「歌が…歌が聞こえる…頭の中に…直接…ああ…くねくねと…」
→ そして、この地下室の外から、今も聞こえる、あの歌…。

仮説段階③:因果関係の連結

(上記のキーワード群が、震えるような線で、次々と結ばれていく。思考が、徐々に核心へと収束していく様子が、線の力強さからうかがえる)

まず、【土に埋める】という行為。これが、全ての起点ではないのか?
中国地方の老人は、はっきりとそう言っていた。「わしが、『土に還す』なんて言うてしもうたから…」と。東京の生存者も、後悔していた。「死者を、弔おうとしたことだ」と。

(「土に埋める」という単語が、太い線で力強く囲まれる)

次に、その「土」から、何かが生まれている。
新潟の通信。「動く泥」。
中国地方の通信。「泥でできた、でっかい坊主」。
フリージャーナリストの工藤(彼の失踪記事の断片を、俺はネットのアーカイブで読んだ)が追っていたのも、「泥の男」だった。

(【土に埋める】から、【泥の男】へと、一本の矢印が引かれる)

そして、【熊】。
北海道の通信では、「熊じゃない『何か』」が村を飲み込んだと言っていた。
だが、他の多くの地域では、まず「熊」として認識されている。
奴らは、なぜ、異常なまでに凶暴化した? なぜ、人間を恐れない?
まさか。奴らは、「土」から生まれた「何か」を、食っているのではないか?
「土に埋められた」ものを。

(【土に埋める】から、【熊】へも、矢印が引かれる。そして、【熊】と【泥の男】の間には、疑問符付きの点線が引かれている。「同質?」という小さな書き込み)

最後に、【踊る人】。
この現象は、常に、上記のキーワードの「後」に現れる。
中国地方の通信。「土に還した」後、じいさんもばあさんも、「あの気味の悪い踊りを始めて、一月で…」。
四国の通信。熊の襲撃の後、「踊ってる奴ら」が、ただ見ている。
工藤記者が追っていた北関東の事件でも、そうだった。「泥の男」に襲われた人間が、その後、奇妙な踊りを始める。

これは、伝播しているのだ。
【泥の男】から、人間へ。
【熊】から、人間へ。
そして、その結果として、【踊る人】が生まれる。

(【泥の男】から【踊る人】へ、矢印が引かれる)
(【熊】から【踊る人】へ、矢印が引かれる)

そして、最も恐ろしい、最後のピース。
「踊る人」は、どうなる?
例外なく、死ぬ。
そして、死んだ人間は、どうされる?

(【踊る人】から、【土に埋める】へと、最後の矢印が引かれる。その瞬間、全てのキーワードが、一つの、おぞましい円環を形成する)

結論(暫定):

これは、別々の怪異などではない。
これは、一つの、完璧な「サイクル」だ。

【土に埋める】→【泥の男/熊】→【踊る人】→(死)→【土に埋める】…

全ての始まりは、死者を弔うという、人間の「葬儀」という行為そのものにある。
俺たちが、良かれと思ってやってきた、死者を土に還すという、あの行為。
あれが、この国全体を、一つの巨大な培養槽に変えてしまったのだ。

土が、おかしくなった。
その土から生まれた「何か」を、獣が食い、おかしくなる。
その獣が、人を襲い、おかしくする。
おかしくなった人間は、踊り、そして死ぬ。
死んだ人間は、また、土に還される。

この、地獄の連鎖。
俺は、たった一人で、この悪夢の、あまりにも単純な法則に、たどり着いてしまった。

これは、病気などではない。
これは、侵略などでもない。

これは、葬儀だ。
この国全体を巻き込んだ、壮大で、そして、終わることのない、葬儀なんだ。

(メモは、ここで終わっている。彼の指が導き出した、あまりにも絶望的な結論。その円環の中心で、彼は、これから自分が語るべき最後の真実と、そして、すぐそこまで迫っているであろう、自らの終焉を、静かに悟っていたのかもしれない)
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