聖女の如く、永遠に囚われて

white love it

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黴と闇

5.

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 温泉といってもかけ流しではない。良子は遠慮すると言って、祖父母の家へと帰って行った。連休が終わるまでは、ここにいるとの話だった。
 和人も露天風呂の温泉に入ることにした。
 眺めのよい景色を期待していたが、露天風呂は周りを柵と木々に囲まれていた。おまけに湯を通すパイプや排水溝が黴ているので、和人としてはどうにも緊張をほぐしきれなかった。
 もちろん、隣の女湯はさらに頑丈に囲まれていた。
 
「あ、お夕飯、きてたんだ」

「うむ。ちょうど今仲居さんが運んできたところだ」

 浴衣姿の幸子が、料理の並べられたテーブルの前に座っている。
 料理は、よくある旅館の夕食コースというより、家庭料理の延長のような質素なものだった。だがよく見ると、イワナの塩焼きや、田舎特有の郷土料理らしきものがある。

「やっぱり、あんまり繁盛してないんですね、この旅館。温泉もイマイチだし、料理もこんなだし。なんか部屋もよく見ると、古くさい感じ……」

 部屋に入った時にはあまり気にならなかったが、よく見ると部屋の中にシミや汚れがある。畳も、色が変わってしまっている。

「そこがいいんじゃないか」

 幸子の声の響きは、明らかに本心からのものだった。

「私に言わせれば、ここほど居心地の良い旅館はないね」

 普段はお酒を飲まない幸子だったが、日本酒を頼んだらしく、手酌で飲みだした。

「さっき聞いた江戸時代の話は、確かに面白かった。だが君はどうかな? どこか遠い昔話のように感じたんじゃないかな?」

「まあ、そうですね。っていうか、実際、昔話でしょ?」

 イワナの内臓の塩辛をつまみながら、和人は答えた。塩辛はどこが美味しいのか、さっぱり分からなかった。日本酒を飲みながらなら、美味しいと感じるのだろうか?

「確かに昔話だが、君は現在を生きていて、この話と現在をつなぐ途中の点を考慮に入れていない」

「途中の点?」

「この旅館が建てられたのは、昭和の後期かな。その時代について、君はほとんど知らないだろう? もっと昔はどうだ? たとえば私が子供だった頃の時代」

「幸子さんの子供だった頃って、つまり第二次大戦よりも前?」

「そうだ」

 幸子は少し遠くを見る目をした。

「さすがに、ちょんまげを結った人間はいなかったが、今よりもはるかに昔だ。体制も、社会も、人の心も今よりずっと固く、おおらかで、同時に暗く、閉鎖的だった」

 幸子の口調からは、皮肉で言っているのかは、和人にはイマイチはっきりしなかった。

「江戸時代とあの頃を結んだ線の延長にこの古い旅館はあり、その先に現在があり、そのさらに先に未来がある。線だよ、和人。その線を理解することが大事なの」

「理解したところで、この線の先はぶっつり途切れている気もするけど」

 和人は肩をすくめた。
 ネットを見ても、ニュースを聞いても、碌なことを言っていない。
 ふと冷静に考えると、生まれてくる時代の悪さに絶望しそうになる。一体どれだけの理由があるだろう? 絶望するにたる理由の数を数えたら、きりがないのだ。経済の低迷、環境破壊、汚職、戦争、いじめ、病気やウイルス、自然災害……
 そんな絶望に落ち込みそうになる心の迷いを、友達とのくだらないおしゃべりやゲーム、SNSでもらうイイねの数で慰める。それが今流行りはやりの生き方なのだ。
 
「そんなに簡単に諦めないでほしいな」

 幸子はくっくっくと、笑いながら言った。

「あのどん底から這い上がった人々の子孫なんだぞ、君たちは」  
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