聖女の如く、永遠に囚われて

white love it

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 帰り道、ゆきはもう何も言わなかった。言っても無駄だと思っているのか、あるいはことの成り行きをゆきなりに、見守りたいと思っているのか、和人には分からなかった。ただこれが一番いい選択なのだという自信はあった。だからゆきが何を言っても、気にするつもりはなかった。
 ただ少しでも早く幸子に会いたかった。
 そして、その瞬間は和人が思っているよりも、ずっと早く訪れた。

「二人とも、ちょっと来なさい」

 和人とゆきが玄関に入るなり、出迎えた母親、未歩がそう声をかけてきた。
 いつもどこかのんびりとしている母とは思えないほど、真剣な顔つきだった。
 和人はそれが怒っているのか、それとも泣きそうなのか最初判別がつかなかった。
 だがすぐにそれは、どちらでもないのだと知った。
 薄々想像していたことだったが、和人が居間に入ったとき、そこには幸子が正座していた。窓から入ってくる夕陽に照らされ、まるで後光が差しているかのようだった。
 少し落ち着いて雰囲気のワンピースに身を包み、うすくピンクのルージュをさしている。まるで、家庭訪問の教師だ。もちろんここまで美しい女教師などフィクションの世界にも存在しないのは、分かっていたが。
 幸子は床に手をつくと、ゆっくり頭を下げた。

「和人。本当にすまなかった。君に恥ずかしい思いをさせてしまった。私を許してほしい」

 そのときの幸子の表情は、母親と同じ、真剣そのものだった。怒っているのでも、泣いているのでもない。真っすぐで、嘘偽りのない素顔そのものだった。

「幸子さん……」

 和人がなんと言っていいか分からないまま立ち尽くしていると、横からゆきがいった。

「幸子さん、何を謝ってるんですか? うちのお兄ちゃんを侮辱したことですか?」

 ゆきが言い終わる間もなく、後ろから未歩が出てきて、ゆきの口を両手でふさいだ。

「ゆき。和人の言葉を待ちなさい」

 和人はゆきと母親をちらりと見た。
 それから口を開いた。

「ううん。僕の方こそ、幸子さんをまるで自分のみたいに見て、ごめんなさい。失礼だったよね」

「いや、そうじゃないんだ。聞いてほしい」

 和人は腰を下ろした。ゆきや未歩も。
 まだ手を洗っていなかったけれども。

「私はこの人生で、これまでにだいぶ異性の目を引きつけてきた。パーティーでダンスを踊った直後に、そのまま婚約を申しこまれたこともあった。一人、婚約までいった男もいた。いや、同性から告白されたことも何度かあったな」

 婚約という言葉に和人はドキリとした。
 見たこともないその相手の男相手に、和人はほんの一瞬、言いようのない敗北感を覚えた。

「だが知っての通り、私は独身。どの相手とも決して結ばれることはなかった。そのことは、私自身の選択ゆえ後悔はない。問題は、私とつきあった相手、あるいは私に恋をした者たちの、その後の人生だ」

「どういう意味ですか?」

「残念ながら、ほとんどの者が不幸になった。破産したり、重病を患ったり、身内を次々と亡くした者もいる。私の婚約者も、ある事情から中東での紛争に巻き込まれ、1950年代のはじめには亡くなってしまった」

 幸子は少しも表情を崩さなかった。
 和人の横にいる未歩も、顔色は変わらなかった。

「分かるか? 私に惚れるということは、私を好きになるということは、不幸になるということなのだ。あの日、私を見る君の目に、かつての男たちと同じ色があった。君に彼らと同じ運命を辿ってほしくはなくて、心配のあまり、ひどい言葉で突き放してしまった。ゆきの言う通り、君に恥ずかしい思いをさせた。一世紀近くも生きてきて、年若い少年の憧憬すらまともに向き合えなかったこと、心から申し訳なく思っている」

「でも、それは、その人たちの人生と、幸子さんとは何の関係もないでしょう。ただの偶然なのでは?」

「和人。私は魔女なのだ。少なくとも、私は男から愛されていい存在ではないの」

「お兄ちゃん、その人の言う通りだよ。もう関わらないほうが……」

 ゆきの言いかけた言葉を和人は手で制した。

「いや。それはおかしい。なんの因果関係もないよ。もしかしたら、幸子さんの不老の美しさが心を占めて、他のことに対する注意が疎かになっていたのかもしれないし、あるいはもっと幸子さんに気に入られたくて、無理な投機に手を出したのかもしれない。幸子さんの不老と同じ特質が、自分や親戚にもあると錯覚して、健康に気をつけなくなった人もいるのかも。でも、それは幸子さんの責任じゃないよ」

 未歩も横で頷く。 

「そうですよ、幸子さん。和人の言う通りだわ。それはその人たちの選んだ人生であって、幸子さんが選ばせた人生ではありませんもの。もし和人が身の程知らずにも、幸子さんを好きになって、突き放されても、それもまた、和人の選んだ道なんですから。それに幸子さんの不老のメカニズムが分かっていないのに、そのことと幸子さんを好きになって不幸になった男たちの因果関係を勝手に結ぶのは、名探偵としては少し性急じゃありません? 今の和人の推理のほうが、よほど名探偵らしいですよ」

 未歩の言葉に、幸子はしばらく考えこんでいた。やがて、深々と頭を下げた。

「ありがとうございます」

 幸子の声は少しだけ震えていた。
 それから顔を上げて、和人を見た。

「確かに今の君の推理、なかなかだった。私の教え方がよかったかな」

 まだ少し声は弱々しかったが、いつもの言い方だったので和人は嬉しくなった。自然と口元が緩むのが分かった。

「ゆき! 待ちなさい」

 突然、ゆきは部屋を飛び出ると、階段を駆け上がっていった。すぐに母が「ゆき!」といって後を追った。
 ただでさえ色白の幸子の顔が、さらに青ざめる。

「ゆきは、彼女にとって兄は大切な存在だった。それを私が……」

「幸子さん、ゆきも少し時間が経てば分かってくれますよ」

 和人は幸子の言葉を遮った。
 ゆきのことは母に任せるしかない。
 今はそれよりも気になることがある。

「幸子さん、それよりも良子さんが大変なんです」

「良子さん?」

 幸子の眉間がキュッとしまる。
 それは久々に見る、名探偵としての幸子の顔だった。
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