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きっと忘れない
4.
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伊藤一正は、前回と同じ部屋に和人と幸子を案内した。
まだ昼前だったせいか、部屋に電気はついておらず、おまけに窓はほとんどカーテンが閉められていた。そのせいで部屋の中は少し薄暗かった。
和人はさりげなくスマホをチェックすると、スピーカーモードにしてから良子へとつないだ。
服の下からだが、音が十分に伝わることは確認済みだった。
伊藤一正は一度、部屋から出ていくと、和人たちにコーヒーを持ってきた。だが和人はそれを飲む気にはなれなかった。もう戦いは始まっているのだと思うと、これまで経験したことのない緊張と興奮が全身を襲ってきた。
一方、幸子はといえば、さすがに年のせいか、隣にいる和人から見てもはっきりと分かるほどの余裕と威厳をたたえていた。
伊藤一正は自分用のコーヒーを一杯飲むと早速切り出した。
「それで? アポも取らずに来たからには、相当大事な話なんですよね」
幸子は真正面から伊藤を見据えた。
「犯人はあなたね」
「犯人? 何の話ですか?」
少し意外だったのは、そう答えた伊藤の目元がわずかに笑っていたことだ。
伊藤はあまり動揺していない?
和人はむしろ、そのことに不安感を覚えさせられた。
「島津家に忍び込み、ナイフで孝之さんを脅した事件。それからT都に住む、とある金持ちの家に強盗に入った事件。そしてこの村の桂先生の病院を燃やした事件。少なくともその三つの事件の真犯人の話だ」
「ほー」
感心したような、人をおちょくったような声を上げる伊藤に、幸子も少し拍子抜けしたような顔になる。
「僕には完璧なアリバイがあることは知ってますよね?」
「もちろん。だからこれは、正確にはあなたの単独犯ではない。あなたの双子の兄弟とによる共同犯行だ」
伊藤は椅子から立ち上がると、拍手し始めた。
それも本気の拍手だ。
まるでバレエかミュージカルの最後に、出演者にカーテンコールをする時のようだった。
幸子も、和人もぽかんとしたまま、見ているしかなかった。
「いや、すごい。本当、すごいですよ」
「それじゃあ、認めるのね?」
「もちろん」
伊藤は椅子に腰かけると、遠くを見るような目になった。
「僕の家は本当に貧しくてね。ああ、その話はもうしましたよね。それで母が双子を生んだ時、助産師と相談して、生まれた子供は一人だっていうことにしたんですよ。あ、でも、無戸籍児って、別にそこまで珍しい存在じゃないんですよ。表に出せない関係の間に生まれた子供とか、戸籍に載っていないまま大人になった例はいくつもありますからね。ただ、うちの場合、他と違うのは、僕と弟、あ、そうそう僕が一応兄なんです。僕と弟、二人で一人の人間として生きてきたことです。伊藤一正っていう名前もある種の記号みたいなもので、僕と弟にはそれぞれ家族間のみで通じる名前が別にあるんですよ。一応、保険証も一人分はあるので、病院にはそれで行ってましたね。あの助産師さんは家族にもそのことは言ってなかったので、病院に行くときは、村外にある別々のところに二人で行ってましたよ。そうやってどの程度お金が節約できたかは分かりませんが、まあ学費の負担は少なかったでしょうね」
饒舌に話す伊藤を見ているうちに、和人は嫌な汗をかき始めた。
だがその理由までは分からなかった。
「大人になるにつれて、この僕と弟の関係はかなり利用できることに気づいた。裏社会でね」
「裏社会?」
「そうだ。ダークウェブ上には、暗号化された僕の、いや僕たちの宣伝用サイトがある。そもそも島津の爺さんを殺さなかったのも、わざわざ家の鍵の複製を作って忍び込んだのも、あのデブの不動産会社の会長に顔を見せたのも、宣伝のための証言を引き出すためさ。あの不動産会社の会長からだけ盗みを働いたのは、あの金塊が脱税の証拠だったからだよ。【未来教】と一緒さ。俺は不正な仕方で金持ちになった奴らが嫌いなんだ」
伊藤は興奮してきたのか、徐々に声が大きく、口調は乱暴になっていった。
和人は身体が熱くなってくる気がした。
「殺しちゃったんじゃ、証言は取れないからね。はっきりと伊藤一正という人間を見たという証言をさせた上で、完全なアリバイ証明をする。これが大事なんだ。この記事を読んだ連中は、きっとアリバイに関して、何か大きな切り札、とっておきの秘策があるのだと気づく。そして、その切り札がある限り、どんな犯罪を犯しても決して捕まることはないとね」
伊藤は和人を指差した。
「あの女子生徒。そうそう、良子だ。あいつを洗脳したのも、もちろん宣伝のためだ」
「宣伝?」
和人は汗が額を滴り落ちてくるのを感じた。見れば、幸子も汗をかいている。伊藤も。
だが誰も汗を拭おうとはしなかった。
伊藤の話に取り込まれていった。
「SNSでターゲットに近づき、思考や行動を操作するっていうのも、完璧なアリバイ作りと同じくらい貴重な能力なんだよ。一部の権力者をSNSを使って洗脳するだけで、国や企業そのものを動かせるんだぞ。まったく【未来教】はいい財産を残していってくれた」
「やはり【未来教】の遺産なのか? やはりあなたが連中を潰したのね」
幸子が聞いた。
「ああ。あいつらのパソコンに侵入して、会計上の不正をしている証拠を見つけて、それを警察に送りつけたんだよ。もともとは奴らの心理操作マニュアルをいただきたかったんだけどな。まあ、あのまま活動されてても目の上のたんこぶだったし、ちょうどよかったわな」
「【未来教】のマニュアルとやらはそんなにすごいのか?」
「今でも十分通用するね。誰かさんの妹も、ちょっと喫茶店のママに唆されただけで、魔女に平気で楯突くようになったろ? ああやって身内が仲間割れしていくのを見るのはこたえるよな?」
そういって伊藤はニヤニヤと笑った。
和人は衝撃から、耳の奥を流れる血の音が一気に大きくなったのを感じた。
ジンジンと、焦がれるように血の流れが熱く速くなっていくのが分かる。
和人は震えながら伊藤一正を睨見つけた。
「まさか、凛さんはあんたの手下なのか? それでゆきが幸子さんを嫌うように仕向けたのか?」
凛の喫茶店でされた会話が思い出される。確かに、今思えば、凛は幸子をよく思っていないような節があった。もしゆきが日頃から、あの店で、凛との会話の中で幸子について、それとなく悪い話を吹き込まれていたら、突然あのような態度になったのも納得がいく。
「知ってるか? 身内、それも善悪の判断がついてない、社会経験の乏しいガキを洗脳して、そこから一家全員を取り込んだり、あるいは家庭を破綻させてから押し売りや寄付をねだるっていうのは、カルト教団の十八番なんだよ。もちろん【未来教】のことな」
まだ昼前だったせいか、部屋に電気はついておらず、おまけに窓はほとんどカーテンが閉められていた。そのせいで部屋の中は少し薄暗かった。
和人はさりげなくスマホをチェックすると、スピーカーモードにしてから良子へとつないだ。
服の下からだが、音が十分に伝わることは確認済みだった。
伊藤一正は一度、部屋から出ていくと、和人たちにコーヒーを持ってきた。だが和人はそれを飲む気にはなれなかった。もう戦いは始まっているのだと思うと、これまで経験したことのない緊張と興奮が全身を襲ってきた。
一方、幸子はといえば、さすがに年のせいか、隣にいる和人から見てもはっきりと分かるほどの余裕と威厳をたたえていた。
伊藤一正は自分用のコーヒーを一杯飲むと早速切り出した。
「それで? アポも取らずに来たからには、相当大事な話なんですよね」
幸子は真正面から伊藤を見据えた。
「犯人はあなたね」
「犯人? 何の話ですか?」
少し意外だったのは、そう答えた伊藤の目元がわずかに笑っていたことだ。
伊藤はあまり動揺していない?
和人はむしろ、そのことに不安感を覚えさせられた。
「島津家に忍び込み、ナイフで孝之さんを脅した事件。それからT都に住む、とある金持ちの家に強盗に入った事件。そしてこの村の桂先生の病院を燃やした事件。少なくともその三つの事件の真犯人の話だ」
「ほー」
感心したような、人をおちょくったような声を上げる伊藤に、幸子も少し拍子抜けしたような顔になる。
「僕には完璧なアリバイがあることは知ってますよね?」
「もちろん。だからこれは、正確にはあなたの単独犯ではない。あなたの双子の兄弟とによる共同犯行だ」
伊藤は椅子から立ち上がると、拍手し始めた。
それも本気の拍手だ。
まるでバレエかミュージカルの最後に、出演者にカーテンコールをする時のようだった。
幸子も、和人もぽかんとしたまま、見ているしかなかった。
「いや、すごい。本当、すごいですよ」
「それじゃあ、認めるのね?」
「もちろん」
伊藤は椅子に腰かけると、遠くを見るような目になった。
「僕の家は本当に貧しくてね。ああ、その話はもうしましたよね。それで母が双子を生んだ時、助産師と相談して、生まれた子供は一人だっていうことにしたんですよ。あ、でも、無戸籍児って、別にそこまで珍しい存在じゃないんですよ。表に出せない関係の間に生まれた子供とか、戸籍に載っていないまま大人になった例はいくつもありますからね。ただ、うちの場合、他と違うのは、僕と弟、あ、そうそう僕が一応兄なんです。僕と弟、二人で一人の人間として生きてきたことです。伊藤一正っていう名前もある種の記号みたいなもので、僕と弟にはそれぞれ家族間のみで通じる名前が別にあるんですよ。一応、保険証も一人分はあるので、病院にはそれで行ってましたね。あの助産師さんは家族にもそのことは言ってなかったので、病院に行くときは、村外にある別々のところに二人で行ってましたよ。そうやってどの程度お金が節約できたかは分かりませんが、まあ学費の負担は少なかったでしょうね」
饒舌に話す伊藤を見ているうちに、和人は嫌な汗をかき始めた。
だがその理由までは分からなかった。
「大人になるにつれて、この僕と弟の関係はかなり利用できることに気づいた。裏社会でね」
「裏社会?」
「そうだ。ダークウェブ上には、暗号化された僕の、いや僕たちの宣伝用サイトがある。そもそも島津の爺さんを殺さなかったのも、わざわざ家の鍵の複製を作って忍び込んだのも、あのデブの不動産会社の会長に顔を見せたのも、宣伝のための証言を引き出すためさ。あの不動産会社の会長からだけ盗みを働いたのは、あの金塊が脱税の証拠だったからだよ。【未来教】と一緒さ。俺は不正な仕方で金持ちになった奴らが嫌いなんだ」
伊藤は興奮してきたのか、徐々に声が大きく、口調は乱暴になっていった。
和人は身体が熱くなってくる気がした。
「殺しちゃったんじゃ、証言は取れないからね。はっきりと伊藤一正という人間を見たという証言をさせた上で、完全なアリバイ証明をする。これが大事なんだ。この記事を読んだ連中は、きっとアリバイに関して、何か大きな切り札、とっておきの秘策があるのだと気づく。そして、その切り札がある限り、どんな犯罪を犯しても決して捕まることはないとね」
伊藤は和人を指差した。
「あの女子生徒。そうそう、良子だ。あいつを洗脳したのも、もちろん宣伝のためだ」
「宣伝?」
和人は汗が額を滴り落ちてくるのを感じた。見れば、幸子も汗をかいている。伊藤も。
だが誰も汗を拭おうとはしなかった。
伊藤の話に取り込まれていった。
「SNSでターゲットに近づき、思考や行動を操作するっていうのも、完璧なアリバイ作りと同じくらい貴重な能力なんだよ。一部の権力者をSNSを使って洗脳するだけで、国や企業そのものを動かせるんだぞ。まったく【未来教】はいい財産を残していってくれた」
「やはり【未来教】の遺産なのか? やはりあなたが連中を潰したのね」
幸子が聞いた。
「ああ。あいつらのパソコンに侵入して、会計上の不正をしている証拠を見つけて、それを警察に送りつけたんだよ。もともとは奴らの心理操作マニュアルをいただきたかったんだけどな。まあ、あのまま活動されてても目の上のたんこぶだったし、ちょうどよかったわな」
「【未来教】のマニュアルとやらはそんなにすごいのか?」
「今でも十分通用するね。誰かさんの妹も、ちょっと喫茶店のママに唆されただけで、魔女に平気で楯突くようになったろ? ああやって身内が仲間割れしていくのを見るのはこたえるよな?」
そういって伊藤はニヤニヤと笑った。
和人は衝撃から、耳の奥を流れる血の音が一気に大きくなったのを感じた。
ジンジンと、焦がれるように血の流れが熱く速くなっていくのが分かる。
和人は震えながら伊藤一正を睨見つけた。
「まさか、凛さんはあんたの手下なのか? それでゆきが幸子さんを嫌うように仕向けたのか?」
凛の喫茶店でされた会話が思い出される。確かに、今思えば、凛は幸子をよく思っていないような節があった。もしゆきが日頃から、あの店で、凛との会話の中で幸子について、それとなく悪い話を吹き込まれていたら、突然あのような態度になったのも納得がいく。
「知ってるか? 身内、それも善悪の判断がついてない、社会経験の乏しいガキを洗脳して、そこから一家全員を取り込んだり、あるいは家庭を破綻させてから押し売りや寄付をねだるっていうのは、カルト教団の十八番なんだよ。もちろん【未来教】のことな」
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