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「旦那様の特別なご厚意で、今夜はここに泊まっていいとのことです」
「え? あ、はい。でもこの程度の雨なら……」

 相田の長い自慢話(その大半はいかにして他人を罠にはめ、騙し、蹴落としてきたかだったが)が終わり、和也たちは一階に降りてきた。
 最初に案内された部屋(松永いわく大広間)に行くと、霧江たちがテーブルを囲んでいるところだった。
 和也たちが挨拶をして荷物をまとめ帰ろうとしたところで、松永に呼び止められたのだ。雨が強くなってきたので、今夜は泊まっていくようにと。
 といっても和也たちは泊まりの準備をしてきたわけではない。あわてて断ったのだが……

 ガタン!

 びっくりして音の方向を向くと、霧江がティーカップをやや乱暴にテーブルに置いたところだった。ティーカップ自体は柄にいたるまで丁寧な金細工模様がされたものだったが、霧江はそれをジュースの入ったコップでもつかむかのように持っていた。

「松永さんのいうとおりにしたほうがいいわよ」

 霧江が真剣な顔でいった。

「この雨の中、あなたたちのような軽装で山を徒歩で降りるのは危険すぎる。かといって私は最初からここに泊めてもらう予定だから、車で送ってあげるわけにもいかないしね」
「悪いな、坊主共。俺たちも泊まりの予定なんだ。明日、もう一度本気で商談にのぞまなきゃいけないんでな」

 そういって牧本が手をあげた。彼の前に置かれたコップをみるに、すでにビールを飲んでいるようだ。

「ねえ? どうする?」

 乃愛が眉をひそめてきいてきた。

「私、日焼け止め以外の化粧品、何ももってきてないんだけど」
「化粧品はともかく」
 
 真が乃愛をさえぎっていった。

「周りが知らない大人ばっかりっていうのは気になるな。何かあっても頼れる奴がいない」
「霧江さんは?」

 南がちらりと霧江に視線を向けた。

「あの人はいい人そうよ? それに私たちに泊まるようにいってるのは親切心からでしょ?」
「それにさ、何かあってもって、真は何を心配してるの?」

 和也の質問に真はため息をついた。

「あのな、和也。俺たちのなかには美少女中学生が二人もいるんだぞ。世の中、良識のある大人だけじゃないんだ。用心するのは当然だろ」

 その美少女中学生コンビは顔を見合わせると、クスリと笑った。

「ありがとう、真。乃愛はともかく私まで美少女扱いしてくれて」
「なにかあったら真っ先に真くんを呼ぶね」

 肩をすくめてこたえる真をみて、和也は思った。
 なるほど。モテるやつはちがう。    


 
 大広間での夕食は六時過ぎに始まった。
 牧本が機嫌よさそうにビールをあおりながら、向かいに座る和也たちに軽口をたたく。

「それでどうだい? 少しは参考にできそうなのかい? 相田の爺さんのアドバイスは」
「ええ、まあ……」
「ふん。あの爺さんのことだ。どうせ人を蹴落とせだの、なりふりかまうだのいったんだろ」
「……まあ、そんなとこです……」
「まあ、牧本さん。実際に彼はそのやり方であの地位にまで登りつめたわけですからね。社会を知るという意味では、子供たちもいい経験になったのでは?」

 どうやら相田正一の人格はすでに噂として、牧本たちには知られていたらしい。どうりで和也たちがインタビューをしに来たといったとき、微妙な態度をとったわけだ。
 和也は長テーブルで両隣に座る真や南たちにちらりと目をやりながら、あいまいな答えを繰り返していた。何せ残りの三人ときたら、何か考え事でもあるのかボーっとしながら口だけ動かしているという有様なのだ。

「それにしてもこのご飯、ほんとおいしいです」

 松永のつくった夕食は、ごはんに魚を焼いたもの、みそ汁、お新香というシンプルな和食の組み合わせだったが、味はおいしかった。和也の言葉に南もうなづきながらきく。

「出汁とか特別なの使ってるんですか?」 
「ありがとうございます。別に普通の市販品ですよ。ただこんな場所ですから、いろいろな種類を買いだめしてるんです」

 そういうと、軽く会釈して松永は和也たちの向かい側、牧本や米塚の隣に腰掛けた。
 どうやらこのお屋敷では使用人も客人と同じテーブルにつくらしい。あるいはそもそも自分たちは客人と思われてないか。そう考えると逆に見知らぬ大人たちとの食事も気楽に思えてきて、和也としてはむしろ好都合だった。

「まあ確かに携帯電話も通じない山奥じゃ、何かほしくてもコンビニまでひとっ走りってわけにはいかないわな」

 牧本がやや呆れた口調でいった。実際、和也たちも家族に連絡をとるのには、備え付けの電話を借りていた。

「相田さんと荒野さんは?」

 思い出したように米塚がたずねる。

「旦那様のお食事はすでに届けおわっております。荒野様は具合がよくないので、お部屋で一人で召し上がるとのことです」

 荒野、米塚、牧本の三人には客室が与えられている。一階の玄関口からこの大広間につくまでの間に三つ扉があったのだが、まさにそれが客室とのことだった。
 一方、和也たちに与えられたのは大広間の奥のキッチンのさらに奥にある二つの物入れだった。隣の部屋は使用人の松永が使っており、他に空いている部屋はなかった。



 食事が終わると、客人は全員自室へと帰っていった。松永も手っ取り早く後片付けを済ませると、「おやすみなさい」といって部屋に消えていった。

「霧江さんて、何か特別な美容マッサージでもしてるのかな? あるいは特別な化粧品とか?」

 乃愛は片付けられた物入れのなかで、毛布代わりに与えられたバスタオルにくるまりながら同室の南にたずねた。松永がきれい好きだからか、あるいは置かれている物(古くなった雑誌の束や洋服など)が少ないからか、埃もなく居心地は悪くなかった。床が固いことをのぞけばの話だったが。

「落ち着いて考えてみると、正直、相田さんの人生経験は私にはちょっと合わない気がするのよね。どっちかっていうと視聴率や興行収入しか頭にないプロデューサーみたいな感じだし。その点、霧江さんのほうが女優として参考になる点が多そうだと思うの」
「……まあ、確かに相田さんよりはお手本にしたいタイプよね」
「あんなに透きとおるような肌をした美人、芸能界にもいないわよ。凛としていて、それでいてどこか儚げな瞳をしていて……秘訣があるんだとしたら気になるなぁ」
「明日、きけばいいじゃない」

 南が髪をとかしながら答えた。客室にはシャワーがついているが物置には当然ない。松永はキッチンの奥にある浴室を使わせてくれるといったが、そこまで甘えるわけにはいかない。それに正直なところ、男子二人と湯船を共有するのはどこか気恥ずかしかった。かわりに松永からヘアブラシやタオルを借りることにしたのだ。

「明日になったら、みんな忙しくてそんな暇はない気がするの」
「じゃあ連絡先でもきいて、あとでメールするとか」
「今じゃダメかしら?」
「今?」

 南は時計をみた。十二時ちょっと前。

「でもあの人、お風呂に入ってるかもしれないし」
「それならそれで逆に貴重な姿をみれるかもよ」
「具合悪いっていって休んだのよ」
「さっき、松永さんが食器を引き取りに行ったら全部きれいに完食してたっていうわよ。もう平気なんじゃないかしら?」

 南は肩をすくめた。
 確かに荒野霧江はちょっとみたことのないレベルの美人だった。だが別に芸能界を目指しているわけではない南としては、そこまで美の秘訣が気になるわけでもない。

「ねえ、乃愛。なんでそんなに気になるの? 別にあの人が特別な美容方法をやっていたからって、それを真似すればあの人みたいになれるわけじゃないのよ。乃愛は今のままでも十分可愛いんだし……」
「聞きたいことは聞きたい時に聞きに行く。多分、この館の主ならそうすると思うの」
「……なるほど。さっそくインタビューで学んだことを生かすわけね。OK」

 南がそういって立ち上がると、乃愛は待ってましたとばかりにバスタオルを放り投げた。



「おい、和也。なんか変な音しないか?」
 
 夕食後、あてがわられた物置で和也と真がモノポリーのゲームをしていると(ゲームは物置の中のダンボールの中からみつけた)、ふいに真が顔を上げていった。

「音?」
「ああ、うなり声みたいな音だ」
「女子二人組のいびきじゃないの? それより早くサイコロを振ってよ、真」
「お前、それあとで二人にいいつけるぞ」

 真はそういうとサイコロを投げた。
 モノポリーは簡単にいってしまえば銀行ゲームだ。サイコロを振って、マス目の上を駒を動かし泊まった場所の土地を買ったり、そこに家やホテルを建てる。あとから来た人がそのマス目に止まるとレンタル料が入る仕組みだ。
 勝負は接戦だった。真はかなり大胆に家やホテルを建てたし、和也はかなりいい共同募金のカードを続けて引くことができたのだ。
 しばらくして、また真が顔をあげた。

「やっぱり何か音がするぞ」
「女子二人組じゃないとしたら、松永さんのいびきかな?」

 そういって和也は腕時計をみた。
 十二時ちょっと前。年寄りだから早く寝てても不思議じゃない。
 でもちょっと気になる。真は足も速いし、中学一年生としては身体も大きい。でもサッカーやそれ以外のスポーツでも子供の時から活躍してきたのは圧倒的な勘のよさがあるからだ。ドッジボールで相手の投げた球を間一髪でかわしてきたのも、ミニバスでスチールを何度も決めてきたのもその勘のよさがあるからだということを和也はよく知っている。

「じゃあ、ちょっと様子見てみる?」

 真は指をパチンと鳴らすと立ち上がった。
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