【本編完結】人形と皇子

かずえ

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第三章 幸せの行方

57 常陸丸 4

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 夜中、二人で頬の手当てをしてもらい、部屋に戻したが、眠れなかったのだろう。顔色は悪く、目が窪んでいた。頬は腫れ上がっているのに、やつれて見える。無理もない。あれは、拷問のような時間だった。
 苦しむ友人に手を差し伸べたら、更に苦しむのだ。触れられず、声も届かず、悪夢から覚めるのをひたすらに待つ。手が届かないぎりぎりの距離で、意識が戻るのを待つしかできないことの絶望は、二度と経験したくない……。
 殿下は、あんな夜を何度も……?
 気が遠くなりそうだ。

力丸りきまる。」

 部屋から連れ出し、軍部の鍛練場へ向かう。食事なんて、一食や二食抜いても死にはしない。朝早くから鍛練場にいた軍人が、頬の腫れ上がった普段着の俺達を、ぎょっとした顔で見てくる。
 気にせずに、気の抜けた人形のような弟に、組手を仕掛ける。俺達が子どもの頃から、準備運動として行っていた組手。意識せずとも、力丸の体も動く。俺達は、そういう生き物なのだ。少しずつ速度を上げると、はっとしたように付いてくる。
 ああ、頬が痛い。お前のは、俺が手加減したが、殿下のは手加減無しだ。受け止めるつもりだったが、やはり体はそれを良しとしなかった。咄嗟に、少し衝撃を逃がしたらしい。骨は折れずにすんだようだ。あの時は、折れてもいいと思ったが、後々の任務のことや乙羽おとわの心中を考えたら、自分の反射神経に感謝した。昨夜も、乙羽おとわに物凄く心配されてしまったのだから。
 速度は上がっていく。一手の間違いが怪我に繋がるほどの速度と力が、体に伝わる。組手のことだけで、頭がいっぱいになる。自分には限界だと思える速度で、修型へと促した。
 ぴたりと止まって礼をすると、周りから感嘆の声が漏れている。いつの間にか、人だかりができていた。

「あ、兄上……。」
「少しは、すっきりしたか。」
「……はい。」
「よし。では、帰ろう。」

 汗拭きも持ってこなかったため、ぼたぼたと流れる汗を服の袖で拭いながら歩く。
 
「あいつ、寝たかな……。眠れたかな……。」
「さあな。」

 離宮の風呂場で、シャワーだけを使い、手早く汗を流した。さっぱりして、生松いくまつの部屋へ向かう。

「昨日は、夜中にすまん。」
「いいえ。」

 手早く、俺達の頬に薬を塗って、冷えるシートを貼りながら、生松いくまつは静かに答えた。

「俺の、せいで。俺が、何かをした。何を…。」

 生松いくまつが力丸の隣に座って、目を合わせる。

成人なるひとのあれは、フラッシュバック、と言います。その人にとって、あまりにも酷いことや辛いことが起きた状況で、また同じことが起きるのでは、と不安になるあまり、その体験がよみがえって、またそんな目にあっているかのように錯覚してしまうもの、と言われています。嫌な記憶が、何度も再生されるんだと。気持ちだけでなく、体への感触も全て、本人には感じられているらしいのです。引き金は人それぞれで、成人なるひとは、布団で寝ているときに体に触れることだと思っていました。私たちは、そう思っていました。昨日は寝ていない。状況は、覚えていますか?」
「風呂へ…。風呂へ一緒に行こうと、声をかけた……。」
「成る程……。風呂への誘いも。今後は誰も、その声かけをしないように徹底しましょう。」
「すみません。俺……。」
「仕方ないですよ、力丸りきまるさま。その引き金を、誰も知らなかった。知らなかったのです。」

 たくさんの痛みが、頬以外にも走って。
 殿下の握りしめた手から落ちた血の滴が不意に頭に浮かんだ。
 俺を呼べよ、緋色ひいろ……。
 一人で泣くなよ。
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