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第六章 家族と暮らす
114 自嘲 朱実
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「あれ?」
離宮の執務室訪問三日目。午後にばかり来ていたので本日は午前に訪ねてみたら、三郎と常陸丸しかいなかった。持ってくる書類が無くて、わざわざ父から緋色へ渡す書類をもらってきたというのに。
「皇太子殿下」
三郎と常陸丸が立ち上がって包拳礼の形を取る。
「ああ、楽にして。仕事の邪魔をするつもりはないんだ。それより、今日はずいぶんと静かだね?」
「雨ですから」
五月の雨は少し肌寒い。体調を崩しやすいということか。冬だけでなく一年中、迷惑なことだ。
「緋色は、雨が降ろうと槍が降ろうと元気だろう?」
「成人が元気ないと、緋色殿下の元気もないですよ」
「ふーん」
心配はするのだろうが、共に元気がなくなるというのはよく分からないな。とりあえずソファに腰を下ろすと、立っていた二人も礼を解いて自分の席に着いた。私の相手をする気はなく仕事に戻ったのは、緋色から、私が訪ねてきても放っておいていい、とでも言われているのだろう。そうでなければ、本日の用事は、と尋ねるくらいはするだろうから。
「失礼します」
扉が開いて入ってきたのは、使用人のお仕着せを着た乙羽だった。乙羽が二条ではなくなったので、会わなくなって久しい。小さくて細くて幼かった綺麗な少女は、小さくて細いことは変わらぬまま、色気のある美人に成長していた。
「久しぶりだね、乙羽。元気そうだ」
「お久しぶりにございます、皇太子殿下。お陰様で恙無く暮らしております」
流れるように包拳礼を取る所作は落ち着いていて、常に彼女につきまとっていた不安定な何かが、すっかりと消え去っている。
「ああ、楽にして。皇太子殿下なんて呼ばれると落ち着かないな」
私の言葉に、にこりと笑う顔も屈託が無く、美しさは増すばかりだ。美人との評判は知っていたが、成る程、これは確かにと頷かざるを得ない。赤璃とはまた雰囲気の違う美しさ。
目の前に出された茶に口をつけながら、まじまじとその姿を眺めてしまった。
「皇太子殿下。本日のご用件は?」
いつの間に近くへ来ていたのか、常陸丸が乙羽の横で威圧してくる。いや、君の伴侶に何か含む所がある訳じゃないよ。いつまでも余裕の無い男だな。困ったものだ。
「ああ、書類を緋色に」
「渡しておきましょう」
差し出された手に、素直に渡す訳がない。私は緋色に会いに来たのだから。
「いや。私から渡したい。緋色は?」
「部屋です。成人が寝ているので、許可の無い方は入れません」
「許可はどうやったら取れる?」
「取れません。うちの者しか部屋には入れないんで」
「うちの者……。そう……」
「呼んで参りますので、少々お待ちください」
乙羽が笑顔のまま頭を下げる。
「いや……いい。お茶だけ頂いたら帰るよ」
つい、断ってから、何をしに来たのか本当に分からないなと自嘲する。
私は、私のことを誰も名前で呼ばなくなった執務室へ通って、何を知りたいのだろう……。
離宮の執務室訪問三日目。午後にばかり来ていたので本日は午前に訪ねてみたら、三郎と常陸丸しかいなかった。持ってくる書類が無くて、わざわざ父から緋色へ渡す書類をもらってきたというのに。
「皇太子殿下」
三郎と常陸丸が立ち上がって包拳礼の形を取る。
「ああ、楽にして。仕事の邪魔をするつもりはないんだ。それより、今日はずいぶんと静かだね?」
「雨ですから」
五月の雨は少し肌寒い。体調を崩しやすいということか。冬だけでなく一年中、迷惑なことだ。
「緋色は、雨が降ろうと槍が降ろうと元気だろう?」
「成人が元気ないと、緋色殿下の元気もないですよ」
「ふーん」
心配はするのだろうが、共に元気がなくなるというのはよく分からないな。とりあえずソファに腰を下ろすと、立っていた二人も礼を解いて自分の席に着いた。私の相手をする気はなく仕事に戻ったのは、緋色から、私が訪ねてきても放っておいていい、とでも言われているのだろう。そうでなければ、本日の用事は、と尋ねるくらいはするだろうから。
「失礼します」
扉が開いて入ってきたのは、使用人のお仕着せを着た乙羽だった。乙羽が二条ではなくなったので、会わなくなって久しい。小さくて細くて幼かった綺麗な少女は、小さくて細いことは変わらぬまま、色気のある美人に成長していた。
「久しぶりだね、乙羽。元気そうだ」
「お久しぶりにございます、皇太子殿下。お陰様で恙無く暮らしております」
流れるように包拳礼を取る所作は落ち着いていて、常に彼女につきまとっていた不安定な何かが、すっかりと消え去っている。
「ああ、楽にして。皇太子殿下なんて呼ばれると落ち着かないな」
私の言葉に、にこりと笑う顔も屈託が無く、美しさは増すばかりだ。美人との評判は知っていたが、成る程、これは確かにと頷かざるを得ない。赤璃とはまた雰囲気の違う美しさ。
目の前に出された茶に口をつけながら、まじまじとその姿を眺めてしまった。
「皇太子殿下。本日のご用件は?」
いつの間に近くへ来ていたのか、常陸丸が乙羽の横で威圧してくる。いや、君の伴侶に何か含む所がある訳じゃないよ。いつまでも余裕の無い男だな。困ったものだ。
「ああ、書類を緋色に」
「渡しておきましょう」
差し出された手に、素直に渡す訳がない。私は緋色に会いに来たのだから。
「いや。私から渡したい。緋色は?」
「部屋です。成人が寝ているので、許可の無い方は入れません」
「許可はどうやったら取れる?」
「取れません。うちの者しか部屋には入れないんで」
「うちの者……。そう……」
「呼んで参りますので、少々お待ちください」
乙羽が笑顔のまま頭を下げる。
「いや……いい。お茶だけ頂いたら帰るよ」
つい、断ってから、何をしに来たのか本当に分からないなと自嘲する。
私は、私のことを誰も名前で呼ばなくなった執務室へ通って、何を知りたいのだろう……。
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