【完結】絵師の嫁取り

かずえ

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二十六 描くということ

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 泊まってしまった……。
 師匠の宇多麿うたまろと、どうやら隠すつもりもなく情を交わしている様子の浮雲太夫の二人が寛ぐ姿を見て、絵に描きたい、とぽろりと溢した遊斎に、

「描きゃあいいじゃねえか」

 と、軽く返した宇多麿うたまろは、今は亡き師匠も持っていなかったような上等な筆と、墨、硯をぽん、と寄越してきた。
 そのまま、準備をする遊斎を気にした様子もなく、二人で話している。描きたいばかりの遊斎も、気に止めるはずもない。夢中で描いているうちに、二人は寄り添ってうたた寝を始めてしまった。そんな姿も美しい、その姿も残したい、と筆が止まらない。

「姐さん。お支度の時間どす」

 浮雲太夫の禿かむろが、襖越しにおずおずと声を掛けてきて、はっと気付いたのは宇多麿うたまろであった。

「おや。もうそんな時刻かい?」
「へえ」

 宇多麿うたまろは、自身の膝に頭を乗せて、無防備に寝ている太夫を優しく揺すぶった。

「太夫、太夫。よく寝られたかい?」

 そこでようやく遊斎は、現実に引き戻された。
 気だるげに起き上がる太夫の姿にまた、創作意欲がわき上がる。
 ああ、着飾って微笑む姿より余程……。

「遊斎。遊斎」
「は、はいっ」
「一度、筆を置け。太夫が退出なさるのを見送りしよう」

 宇多麿うたまろは、手を貸して太夫を起こすと、

「入っておいで」

 と、禿を呼んだ。二人の子どもが、きちんと座って襖を開けて入ってくる。可愛らしい着物を着て、ちょこちょこと動く様はお人形のようで、それもまた絵に留めておきたいような気にさせられた。
 三好屋では、決まった場所に座って、着飾った遊女が来るのを待って描いていたものだから、こうした生活の様子を見られるのが物珍しい。

「何をきょろきょろとしてるんだい?」
「いやあ、太夫たちもこうして暮らしているんだと思って」
「三好屋に、何日もいたんだろう?」
「昼間に、張見世の隅で絵を描いてただけだったから、こういうのが珍しくて」
「はーん……」

 宇多麿うたまろは、溜め息のような言葉を吐いた。

「それでもこの絵を描きあげたお前を、尊敬するよ」

 色の着いた三好屋の版画絵を、ひらひらと動かす。

「綺麗な上辺だけを見せられて、それでもちゃあんと、この表情かおを描いた。お前は、偉い」
「え?」
「あたしら絵描きのことを、世間はちいとも分かっちゃいない。目に見えるものだけを描いてると思われちゃ、やってらんないね」

 遊斎は、そんな小難しいことを考えたことは無かったが、確かに、相手の為人ひととなりが分かっている方が、よく描ける気がする。作次やみつ、最高傑作のおふくの絵。皆、よく知る人々だ。

「なるほどなあ」

 そうして、話は盛り上がり、色付けの手法を習ったりしているうちに夜は更け、遊女たちの寝静まる頃、絵描きたちも寝てしまっていたのだった。
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