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品行方正
追憶⑨ 品行方正だからこその、皮肉
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回夜光輝は赦せない。何より自分を赦せない。
◇ ◇ ◇
「どうして……」
一年前と同じ火葬場で、一年前と同じ喪服に身を包んだ回夜光輝が無気力な呆然とした姿でベンチに座っていた。
「どうして、こんなことに……」
項垂れ、目を伏せてうわ言を呟き続ける。少し離れた所では、大人達が集まり深刻そうに会話しているのが見える。恐らくは今後の屋敷等の処分に関してだろう。
しかし――そんなことは光輝にはどうでもよかった。
「梅香……」
幾度も口にして来た、少女の名を呟く。
「どうして……助けを求めなかった……?」
俯く光輝に、
「〝品行方正〟だからよ」
私――回夜歩美はそう答えた。
「歩美……?」
漸く私に気付いたのか、顔を最低限上げて此方に目線を向ける光輝。そんな彼に、私は構わず続ける。
「梅香ちゃんは、咲子おばさまを含む家族から〝品行方正〟に育てられたと聞くわ」
「……それがどうした?」
表情が動かない光輝。話しづらいが、まあ仕方ない。この状況で反応を求められるはずもなく、私は自分の『考察』を述べていく。
「光輝も学校で教わるでしょう? 『人の嫌がることをしてはいけません』『人の秘密をベラベラと喋ってはいけません』『人の悪口を言ってはいけません』『人の好意を無下にしてはいけません』って」
「……それ、が……今回の事件、と?」
小さな光輝の呟き。それに私は頷く。
「〝品行方正〟だから、梅香ちゃんはその通りにした。
咲子おばさまの冷蔵庫。その中身は消費期限の切れた大量のお菓子やジュース。
危ないものを、自分は勿論弟にまで食べさせる訳にはいかない。だけど正直にそれを本人に言うのは憚られる。
かと言って、それをご両親に伝えればもめることになるのは確実。何より、〝品行方正〟に育った梅香ちゃんにはそれが出来ない」
何故なら、
「『人の嫌がることをしてはいけません』『人の秘密をベラベラと喋ってはいけません』『人の悪口を言ってはいけません』『人の好意を無下にしてはいけません』。
そんな風に〝品行方正〟に育った梅香ちゃんには、そんなことは出来なかった。
だってそれは、『人の嫌がる』ことで『人の秘密をベラベラ喋る』ことで『人の悪口』でもあり『人の好意を無下にする』ことだから」
だから、梅香ちゃんには他の人に相談することが出来なかった。
悩んだ梅香ちゃんは――一人で全て背負い込み、隙を狙って咲子おばさまの冷蔵庫の中の消費期限の切れた食べ物を処分する他なかったのだ。
「そん、な……」
呆然とした、光輝の声。瞳が揺れる。
「皆の願い通り〝品行方正〟に育ったが故に、この事件は起こった。
さて……そうあれと望み、育てた彼女のご両親や咲子おばさまは、満足しているのかしらね」
とと。少し皮肉が効きすぎたかしら?
光輝が激高して食って掛かるかと思ったが、しかし光輝は微動だにしない。代わりに、
「なら……」
沈んだ表情のまま、光輝は言葉を紡ぐ。
「何故……梅香は、俺に助けを求めなかった……?」
泣きそうな、光輝の瞳が私を射抜いた。
「あいつは、俺にとって〝妹〟のような存在だ。
祐樹が亡くなった後……俺は、梅香に会った。夕飯の、弁当を買っていた。
なんてことない。忙しい時もある……その時はそう思った。
だけど違った。あいつの母親は、祐樹が亡くなった後、気力を失い、家事が出来なくなり……そして喧嘩に発展したと、今になって知った」
今となっては、全てが遅過ぎる。後の祭り。
「何故……冷蔵庫の件が知れ渡った後も、俺に助けを求めなかった? 事情を教えてくれれば、或いは……歩い、は……」
そう呟き続ける光輝。
だが――私は溜息を吐いてしまう。
「本当に……まだ分からないの? 光輝?」
呆れる。こんな簡単なことが分からないとは……。
「? 何が、だ……?」
心底分かっていないという表情の光輝。それに私は顔を手で覆い、仰ぐ。報われない。
「梅香ちゃんはね……
光輝のことが、〝好き〟だったのよ」
「――――――え?」
本当に、間の抜けた声を、光輝は上げた。
◇ ◇ ◇
梅香ちゃんが咲子おばさまの冷蔵庫の中の消費期限の切れたお菓子やジュースを夜中にこっそりと梅の木の下に隠しているのを見つけたあの日の夜。
『……梅香ちゃん。もしかして、貴女……』
『?』
歩美さんの方を向き、私は確信を言葉に変えた。
『光輝のこと……〝好き〟なの?』
『―――――っ!』
はっと顔が強張り……やがてその頬に赤みが差し、
『…………………はい』
そう、可愛らしく頷いた。
◇ ◇ ◇
「好、き……? け、ど……それが一体俺に助けを求めないのと……関係……」
「関係あるわ」
はぁーっと溜息を吐く。本当に、光輝の鈍さには呆れる。
髪をかき上げ、一言。
「惚れた男の前で、弱い姿を見せたくないでしょう?」
言ってやった。
「惚れ、た……?」
「〝好き〟の意味も取り違えていたの?」
げんなりする。〝好き〟を男女のソレとはつゆほども思っていなかったようだ。例えるなら、小動物が〝好き〟なのと同じと思っていたのだろう。
「はぁ……」
こめかみをもむ。何処まで鈍感なのだろうか。光輝の中では、梅香ちゃんは〝妹〟以外の何物でもなく、それ以上でもそれ以下でもなかったのだろう。梅香ちゃんが浮かばれない。
「梅香ちゃんは、光輝が好きだから……だから、弱さを見せたくなかったの。だから、相談も出来なかった。私に口止めもお願いした。
光輝に弱い部分をさらけ出すくらいなら、背負い込む方を選んだのね」
「そんな……!」
光輝の表情が歪む。事此処に至って、漸く全て察したのだろう。
「それじゃ……俺が、俺達が梅香を追い詰めたみたいなものじゃないか……!」
「違うわ。梅香ちゃんがそう望み、選んだだけよ」
私はそういうとくるりとその場で回る。
「梅香ちゃんは誰も傷つけたくなかった。〝品行方正〟でいたかった」
くるり。
「同時に光輝の前で、弱い自分を見せたくもなかった」
くるくる。
「これは、そう――ただそれだけのことなのよ」
ピタリ。止まる私。
「それだけ……って」
「それだけよ」
抗議(?)の声を上げる光輝を私は一蹴する。
「咲子おばさまは孫や子供達に喜んでもらおうとお菓子やジュースを買った。買って、買って、買い過ぎてしまった。
冷蔵庫に埋もれたお菓子やジュースの山は、咲子おばさまの愛情の証。
梅香ちゃんのご両親、特に嫁に入ったお母様も、いいお嫁さんであろうとした。
けど、結果がああなってしまった。これは、ただそれだけのことなの」
ふっと……私は思わず嗤ってしまう。
「誰も彼もが相手の幸せを、笑顔を願っていた。だけど、良かれと思ってしたことが、逆に相手を傷つけた。
本当……皮肉な話ね。
消費期限が切れてしまうほど、お菓子等の食べ物を買い込んだ咲子おばさま。
良いお嫁であろうと、良い息子であろうとした梅香ちゃんのご両親。
〝品行方正〟に育った梅香ちゃん。
そして、誰からも愛されていた祐樹君。
皆が皆、自分以外の幸せを願っていた。相手をおもんばかっていた。なのに、結果はこうよ」
相手をおもんばかっての行動が、裏目に出て……結果全員が不幸になった。そんなこと、誰も願っていなかったろうに。
いや、しかし。だからこそ、
「〝人間〟って、面白いわね」
私は――思わず呟いた。
――後に、これが私が『人間観察』を趣味とする起源となる。夜の梅香ちゃんを見て、夜でこそ人間の本性が透けて見える……と考えるようになり、夜に散歩するようにもなった。
そしてやがて高校に入り、一人の〝絆〟を大事にする少女と出会うこととなった。
「〝面白い〟……?」
しかし、私の発言に光輝が眉をしかめた。
「お前は……〝面白い〟のか?
あいつを……梅香を、救えたかもしれないんだぞ? 俺たちは……!」
声は普通だが……その奥に怒りが込み上げているのを感じた。
だけど、
「無理ね。梅香ちゃんは、それを望んではいないわ。
望んでいたら、私や光輝に助けを求めていたはずだもの」
私は首を横に振って、光輝の言葉を否定する。
「………………!」
グッと押し黙る光輝。しかし、
「それでも……何か……出来たはずだ……何か……」
納得がいかないのだろう。ぶつぶつと呟き続ける。私はそれに肩を竦める。
確かに――私が梅香ちゃんの願いを切り捨てるか、約束を破って冷蔵庫の一件を話していれば、或いは祐樹君の命は助かったかもしれない。
しかし――それは同時に梅香ちゃんを裏切り、傷つけることと同じだ。更に、咲子おばさまも一緒に。
そして、それを梅香ちゃんは望まなかった。
梅香ちゃんは選んだのだ。誰もが傷つかない方を。何とか、自分の力で解決する方を。
光輝に、弱い部分を見られない方を。
だけど。
(やはり――皮肉ね)
梅香ちゃんが誰よりも理解して欲しかった、認めて欲しかった相手のはずの光輝にとって、梅香ちゃんは〝妹〟でしかなかった。
〝妹〟と見られるのが嫌でどうにかしようと決意したはずの梅香ちゃん。なのに、光輝はその意図を読めなかった。
(報われないわね)
嘆くべきなのだろうか? それとも、憐れむべきなのだろうか?
「――歩美」
不意に、光輝が私の名を呼んだ?
「何?」
「――俺は、お前の言うことに、納得出来ない。理解出来ても、俺はお前のような選択は出来ない。
やっぱり、俺がお前だったら、何が何でも、たとえ約束を破ってでも、梅香を救おうとしたと思う」
「……そう」
私はそれに簡素に答える。
光輝の選択も、ついでに言えば私の選択も、正しく、そして間違っている。どちらが正解なのかという、数学的な話ではない。これは、そう――〝好み〟の話なのだと、私は考えている。
梅香ちゃんの意思を尊重するか、それとも救おうとするか。その違いでしかない。
「なら……私を憎みなさいな。それで光輝の気が晴れるなら」
私は自分の選択を間違えたとは思わない。何故ならそれは梅香ちゃんの選んだ選択だからだ。それを『間違い』ということは私には出来ない。
だが、
「………………いや、無理だな」
ふっと光輝は諦めたかのような微笑を浮かべた。
「梅香のことを思うと……憎めない。
梅香の意思を尊重するお前を、否定したいけど憎むことは出来ない。自分でも、宙ぶらりんだとは思うが」
「……そう。損な性格ね」
「だろうな」
苦笑する光輝に私は憐憫を覚えた。いっそ一思いに、憎んで嫌いになり、お前のせいだと決めつけてしまえば楽だろうに。
だが――こうも思いもする。
そんな光輝だからこそ、梅香ちゃんは惚れたのだろう、と。
「歩美。お前は……〝魔女〟のようだな。うん、童話に出てくる魔女のようだ。
人の選んだ選択を見て、その結果を知って喜ぶ魔女のようだ。
人の選んだ選択で、皮肉な結末になるのを喜んで見守る魔女のように。
人魚姫が泡になると、分かっていて人へと変えた、魔女のように」
「……当たっているかもね」
確かに、私は梅香ちゃん達一家の、皮肉な結末を面白がっている。光輝の言う通りだ。
ふぅーっと光輝は溜息を吐き……腰かけていたベンチから立ち上がり私を睨む。
「俺は、お前を赦せない。お前が知らせてくれれば、梅香を助けられたかもしれないから」
「そうね」
頷き、肯定する。しかし――
「――だけど」
光輝はふっと淡く、儚げに笑い、呟いた。
「一番赦せないのは――梅香のことを何にも分かってやれなかった、俺自身だ」
「………………そう」
私は――光輝にかける言葉が思いつかず、ただそれだけを口にした。
硬貨の表裏のように、私と光輝の考えは対のような思考なのだろう。
私は少女の『意思』を尊び、逆に光輝は少女の『命』を重要視する。
そこに正解や間違いはない。ただ、『選んだ』という事実があるのみ。
水と油のように交わらず、しかし非常に似通った思考。
鏡合わせのような存在。それが私と光輝なのだろう。
「……時間だ。そろそろ、行くか」
「そうね」
私は歩き出した光輝の横に付いていく。そしてふと――思う。
(私が〝魔女〟なら……この事件の原因と言えなくもない光輝や梅香ちゃんは何と呼ぶべきなのかしらね?)
そんなことを考えながら、私達は梅香ちゃん達との最後の別れを済ませるべく、火葬場へと歩いて行った。
これについての私の〝答え〟が出るのは、もうしばらくしてからのことだ。
◇ ◇ ◇
『皮肉な結末に〝魔女〟は嗤いて〝死神〟は嘆き、そして人は〝悪魔〟へと変わる』
誰も彼もが、幸せになろうと努力していたのに、結果は真逆。どうしてこうなってしまったのかしら?
でも――そうね。だからこそ、
人は、世界は、面白いのよね?
【完】
◇ ◇ ◇
「どうして……」
一年前と同じ火葬場で、一年前と同じ喪服に身を包んだ回夜光輝が無気力な呆然とした姿でベンチに座っていた。
「どうして、こんなことに……」
項垂れ、目を伏せてうわ言を呟き続ける。少し離れた所では、大人達が集まり深刻そうに会話しているのが見える。恐らくは今後の屋敷等の処分に関してだろう。
しかし――そんなことは光輝にはどうでもよかった。
「梅香……」
幾度も口にして来た、少女の名を呟く。
「どうして……助けを求めなかった……?」
俯く光輝に、
「〝品行方正〟だからよ」
私――回夜歩美はそう答えた。
「歩美……?」
漸く私に気付いたのか、顔を最低限上げて此方に目線を向ける光輝。そんな彼に、私は構わず続ける。
「梅香ちゃんは、咲子おばさまを含む家族から〝品行方正〟に育てられたと聞くわ」
「……それがどうした?」
表情が動かない光輝。話しづらいが、まあ仕方ない。この状況で反応を求められるはずもなく、私は自分の『考察』を述べていく。
「光輝も学校で教わるでしょう? 『人の嫌がることをしてはいけません』『人の秘密をベラベラと喋ってはいけません』『人の悪口を言ってはいけません』『人の好意を無下にしてはいけません』って」
「……それ、が……今回の事件、と?」
小さな光輝の呟き。それに私は頷く。
「〝品行方正〟だから、梅香ちゃんはその通りにした。
咲子おばさまの冷蔵庫。その中身は消費期限の切れた大量のお菓子やジュース。
危ないものを、自分は勿論弟にまで食べさせる訳にはいかない。だけど正直にそれを本人に言うのは憚られる。
かと言って、それをご両親に伝えればもめることになるのは確実。何より、〝品行方正〟に育った梅香ちゃんにはそれが出来ない」
何故なら、
「『人の嫌がることをしてはいけません』『人の秘密をベラベラと喋ってはいけません』『人の悪口を言ってはいけません』『人の好意を無下にしてはいけません』。
そんな風に〝品行方正〟に育った梅香ちゃんには、そんなことは出来なかった。
だってそれは、『人の嫌がる』ことで『人の秘密をベラベラ喋る』ことで『人の悪口』でもあり『人の好意を無下にする』ことだから」
だから、梅香ちゃんには他の人に相談することが出来なかった。
悩んだ梅香ちゃんは――一人で全て背負い込み、隙を狙って咲子おばさまの冷蔵庫の中の消費期限の切れた食べ物を処分する他なかったのだ。
「そん、な……」
呆然とした、光輝の声。瞳が揺れる。
「皆の願い通り〝品行方正〟に育ったが故に、この事件は起こった。
さて……そうあれと望み、育てた彼女のご両親や咲子おばさまは、満足しているのかしらね」
とと。少し皮肉が効きすぎたかしら?
光輝が激高して食って掛かるかと思ったが、しかし光輝は微動だにしない。代わりに、
「なら……」
沈んだ表情のまま、光輝は言葉を紡ぐ。
「何故……梅香は、俺に助けを求めなかった……?」
泣きそうな、光輝の瞳が私を射抜いた。
「あいつは、俺にとって〝妹〟のような存在だ。
祐樹が亡くなった後……俺は、梅香に会った。夕飯の、弁当を買っていた。
なんてことない。忙しい時もある……その時はそう思った。
だけど違った。あいつの母親は、祐樹が亡くなった後、気力を失い、家事が出来なくなり……そして喧嘩に発展したと、今になって知った」
今となっては、全てが遅過ぎる。後の祭り。
「何故……冷蔵庫の件が知れ渡った後も、俺に助けを求めなかった? 事情を教えてくれれば、或いは……歩い、は……」
そう呟き続ける光輝。
だが――私は溜息を吐いてしまう。
「本当に……まだ分からないの? 光輝?」
呆れる。こんな簡単なことが分からないとは……。
「? 何が、だ……?」
心底分かっていないという表情の光輝。それに私は顔を手で覆い、仰ぐ。報われない。
「梅香ちゃんはね……
光輝のことが、〝好き〟だったのよ」
「――――――え?」
本当に、間の抜けた声を、光輝は上げた。
◇ ◇ ◇
梅香ちゃんが咲子おばさまの冷蔵庫の中の消費期限の切れたお菓子やジュースを夜中にこっそりと梅の木の下に隠しているのを見つけたあの日の夜。
『……梅香ちゃん。もしかして、貴女……』
『?』
歩美さんの方を向き、私は確信を言葉に変えた。
『光輝のこと……〝好き〟なの?』
『―――――っ!』
はっと顔が強張り……やがてその頬に赤みが差し、
『…………………はい』
そう、可愛らしく頷いた。
◇ ◇ ◇
「好、き……? け、ど……それが一体俺に助けを求めないのと……関係……」
「関係あるわ」
はぁーっと溜息を吐く。本当に、光輝の鈍さには呆れる。
髪をかき上げ、一言。
「惚れた男の前で、弱い姿を見せたくないでしょう?」
言ってやった。
「惚れ、た……?」
「〝好き〟の意味も取り違えていたの?」
げんなりする。〝好き〟を男女のソレとはつゆほども思っていなかったようだ。例えるなら、小動物が〝好き〟なのと同じと思っていたのだろう。
「はぁ……」
こめかみをもむ。何処まで鈍感なのだろうか。光輝の中では、梅香ちゃんは〝妹〟以外の何物でもなく、それ以上でもそれ以下でもなかったのだろう。梅香ちゃんが浮かばれない。
「梅香ちゃんは、光輝が好きだから……だから、弱さを見せたくなかったの。だから、相談も出来なかった。私に口止めもお願いした。
光輝に弱い部分をさらけ出すくらいなら、背負い込む方を選んだのね」
「そんな……!」
光輝の表情が歪む。事此処に至って、漸く全て察したのだろう。
「それじゃ……俺が、俺達が梅香を追い詰めたみたいなものじゃないか……!」
「違うわ。梅香ちゃんがそう望み、選んだだけよ」
私はそういうとくるりとその場で回る。
「梅香ちゃんは誰も傷つけたくなかった。〝品行方正〟でいたかった」
くるり。
「同時に光輝の前で、弱い自分を見せたくもなかった」
くるくる。
「これは、そう――ただそれだけのことなのよ」
ピタリ。止まる私。
「それだけ……って」
「それだけよ」
抗議(?)の声を上げる光輝を私は一蹴する。
「咲子おばさまは孫や子供達に喜んでもらおうとお菓子やジュースを買った。買って、買って、買い過ぎてしまった。
冷蔵庫に埋もれたお菓子やジュースの山は、咲子おばさまの愛情の証。
梅香ちゃんのご両親、特に嫁に入ったお母様も、いいお嫁さんであろうとした。
けど、結果がああなってしまった。これは、ただそれだけのことなの」
ふっと……私は思わず嗤ってしまう。
「誰も彼もが相手の幸せを、笑顔を願っていた。だけど、良かれと思ってしたことが、逆に相手を傷つけた。
本当……皮肉な話ね。
消費期限が切れてしまうほど、お菓子等の食べ物を買い込んだ咲子おばさま。
良いお嫁であろうと、良い息子であろうとした梅香ちゃんのご両親。
〝品行方正〟に育った梅香ちゃん。
そして、誰からも愛されていた祐樹君。
皆が皆、自分以外の幸せを願っていた。相手をおもんばかっていた。なのに、結果はこうよ」
相手をおもんばかっての行動が、裏目に出て……結果全員が不幸になった。そんなこと、誰も願っていなかったろうに。
いや、しかし。だからこそ、
「〝人間〟って、面白いわね」
私は――思わず呟いた。
――後に、これが私が『人間観察』を趣味とする起源となる。夜の梅香ちゃんを見て、夜でこそ人間の本性が透けて見える……と考えるようになり、夜に散歩するようにもなった。
そしてやがて高校に入り、一人の〝絆〟を大事にする少女と出会うこととなった。
「〝面白い〟……?」
しかし、私の発言に光輝が眉をしかめた。
「お前は……〝面白い〟のか?
あいつを……梅香を、救えたかもしれないんだぞ? 俺たちは……!」
声は普通だが……その奥に怒りが込み上げているのを感じた。
だけど、
「無理ね。梅香ちゃんは、それを望んではいないわ。
望んでいたら、私や光輝に助けを求めていたはずだもの」
私は首を横に振って、光輝の言葉を否定する。
「………………!」
グッと押し黙る光輝。しかし、
「それでも……何か……出来たはずだ……何か……」
納得がいかないのだろう。ぶつぶつと呟き続ける。私はそれに肩を竦める。
確かに――私が梅香ちゃんの願いを切り捨てるか、約束を破って冷蔵庫の一件を話していれば、或いは祐樹君の命は助かったかもしれない。
しかし――それは同時に梅香ちゃんを裏切り、傷つけることと同じだ。更に、咲子おばさまも一緒に。
そして、それを梅香ちゃんは望まなかった。
梅香ちゃんは選んだのだ。誰もが傷つかない方を。何とか、自分の力で解決する方を。
光輝に、弱い部分を見られない方を。
だけど。
(やはり――皮肉ね)
梅香ちゃんが誰よりも理解して欲しかった、認めて欲しかった相手のはずの光輝にとって、梅香ちゃんは〝妹〟でしかなかった。
〝妹〟と見られるのが嫌でどうにかしようと決意したはずの梅香ちゃん。なのに、光輝はその意図を読めなかった。
(報われないわね)
嘆くべきなのだろうか? それとも、憐れむべきなのだろうか?
「――歩美」
不意に、光輝が私の名を呼んだ?
「何?」
「――俺は、お前の言うことに、納得出来ない。理解出来ても、俺はお前のような選択は出来ない。
やっぱり、俺がお前だったら、何が何でも、たとえ約束を破ってでも、梅香を救おうとしたと思う」
「……そう」
私はそれに簡素に答える。
光輝の選択も、ついでに言えば私の選択も、正しく、そして間違っている。どちらが正解なのかという、数学的な話ではない。これは、そう――〝好み〟の話なのだと、私は考えている。
梅香ちゃんの意思を尊重するか、それとも救おうとするか。その違いでしかない。
「なら……私を憎みなさいな。それで光輝の気が晴れるなら」
私は自分の選択を間違えたとは思わない。何故ならそれは梅香ちゃんの選んだ選択だからだ。それを『間違い』ということは私には出来ない。
だが、
「………………いや、無理だな」
ふっと光輝は諦めたかのような微笑を浮かべた。
「梅香のことを思うと……憎めない。
梅香の意思を尊重するお前を、否定したいけど憎むことは出来ない。自分でも、宙ぶらりんだとは思うが」
「……そう。損な性格ね」
「だろうな」
苦笑する光輝に私は憐憫を覚えた。いっそ一思いに、憎んで嫌いになり、お前のせいだと決めつけてしまえば楽だろうに。
だが――こうも思いもする。
そんな光輝だからこそ、梅香ちゃんは惚れたのだろう、と。
「歩美。お前は……〝魔女〟のようだな。うん、童話に出てくる魔女のようだ。
人の選んだ選択を見て、その結果を知って喜ぶ魔女のようだ。
人の選んだ選択で、皮肉な結末になるのを喜んで見守る魔女のように。
人魚姫が泡になると、分かっていて人へと変えた、魔女のように」
「……当たっているかもね」
確かに、私は梅香ちゃん達一家の、皮肉な結末を面白がっている。光輝の言う通りだ。
ふぅーっと光輝は溜息を吐き……腰かけていたベンチから立ち上がり私を睨む。
「俺は、お前を赦せない。お前が知らせてくれれば、梅香を助けられたかもしれないから」
「そうね」
頷き、肯定する。しかし――
「――だけど」
光輝はふっと淡く、儚げに笑い、呟いた。
「一番赦せないのは――梅香のことを何にも分かってやれなかった、俺自身だ」
「………………そう」
私は――光輝にかける言葉が思いつかず、ただそれだけを口にした。
硬貨の表裏のように、私と光輝の考えは対のような思考なのだろう。
私は少女の『意思』を尊び、逆に光輝は少女の『命』を重要視する。
そこに正解や間違いはない。ただ、『選んだ』という事実があるのみ。
水と油のように交わらず、しかし非常に似通った思考。
鏡合わせのような存在。それが私と光輝なのだろう。
「……時間だ。そろそろ、行くか」
「そうね」
私は歩き出した光輝の横に付いていく。そしてふと――思う。
(私が〝魔女〟なら……この事件の原因と言えなくもない光輝や梅香ちゃんは何と呼ぶべきなのかしらね?)
そんなことを考えながら、私達は梅香ちゃん達との最後の別れを済ませるべく、火葬場へと歩いて行った。
これについての私の〝答え〟が出るのは、もうしばらくしてからのことだ。
◇ ◇ ◇
『皮肉な結末に〝魔女〟は嗤いて〝死神〟は嘆き、そして人は〝悪魔〟へと変わる』
誰も彼もが、幸せになろうと努力していたのに、結果は真逆。どうしてこうなってしまったのかしら?
でも――そうね。だからこそ、
人は、世界は、面白いのよね?
【完】
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そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
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