《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

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第20話 祝宴と日常、そして影

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納屋での出来事から数時間後。
夕暮れが静かに村を包み始めていた。

風は穏やかで、焚き火の炎が小さく揺れている。
その周囲に、村人たちがぽつぽつと集まりはじめていた。
空は茜から群青へと移り変わる最中で、東の空にはすでに最初の星が浮かびはじめていた。

レオの回復を知った村人たちの顔には、はっきりと安堵の色が浮かんでいる。
張り詰めていた空気が、ようやく緩んでいく。
火を囲む場には簡素な煮込みの香りが漂い、子どもたちは草むらを元気に走り回っていた。

パチ、パチッと、薪が爆ぜる音が心地よく響く。

「……祝宴、なんてものじゃないけど。気持ちだけでも」

そう言って村長が二人を焚き火のそばへと案内した。

エヴァはわずかに戸惑いながらも、フェイの隣に腰を下ろす。
フェイは、まるでふるさとに帰ってきたような顔で、のんびりと火を見つめていた。

「こういうの、好きだよ。……たぶん、僕の“原点”だしね」

「……あんたの“原点”って何よ」

エヴァが少しだけ笑うように言うと、フェイは煮込みの湯気に顔をほころばせた。

「んー、たとえば……。戦いも、魔術も、旅もさ。結局こういう日常のためにやってるって思える瞬間が、僕にとっては答えなのかも」

「……珍しくまともなこと言うのね」

「え、褒められた?」

「調子に乗らないで」

ふっと笑みが広がり、近くにいた子どもたちもくすくすと笑う。
小さな女の子がエヴァに野の花で作った花飾りを差し出し、エヴァは一瞬だけ戸惑った後、それをそっと受け取った。

「……ありがとう」

花飾りを膝に乗せたまま、エヴァはしばし焚き火を見つめていた。
燃える薪の香り、柔らかい光、土の感触。
それらすべてが、自分にとってはあまりにも“非日常”で、けれど不思議と、心の奥に安らぎをもたらしていた。

(……こんな時間が、ずっと続けばいいのに)

そんな思いがふと、胸に浮かんだ自分に、エヴァは少しだけ驚く。

——あたし、こんなふうに願うこと、あったっけ?

これまで生きてきた道は、ずっと「守るため」「戦うため」だった。
眠る時間も削り、感情を捨て、心を凍らせてきたはずなのに。
それでも、こんなふうに焚き火を囲む小さな日常が、胸の奥で何かを溶かしていくのを止められなかった。

だが同時に、彼女は理解していた。

(……だからこそ、また剣を取るのよ)

この温もりを知ってしまったからこそ。
それを守るためなら、何度でも戦えると。
それが——今の自分の“原点”なのだと、ようやく気づけた。

やがて火は静かに燃え続け、村人たちは少しずつ家へと戻っていく。
焚き火の周囲はまた、穏やかな静けさに包まれていた。

そのとき、村長がふと何かを思い出したように近づいてきて、声を潜める。

「……そうだ。少し前に、森の奥で“妙な影”を見たという者がいた。白くて、でかくて、何も喋らないが、じっと見ていたそうだ」

「……それ、毛がなかった?」

「そう。まるで熊みたいだが、顔に目がなかったという話でな」

フェイの表情がぴたりと変わる。
笑みを浮かべたまま、目の奥に深く静かな光が宿る。

「いた、やっぱり。そっちにいるんだね。……よかった。会える」

エヴァが少し眉をひそめた。

「どういうこと?」

「今回の任務のお相手かな。ちょっと可愛いけど、驚かないでね」

「いや、可愛いの定義、あなたズレてるのよ」

「大丈夫。エヴァは意思疎通ができないと思うけど、こっちの味方だから」

フェイは軽く旅の荷を背負い直し、立ち上がる。

エヴァはまだ焚き火の名残が残る地面を見つめていた。

——やっぱり、私たちはまた“動く”んだ。

動き続けることでしか、今の自分を証明できない。
それが自分に与えられた役割だと、分かっている。

「……また、動くのね。あたしたち」

「うん。止まってたら、置いてかれるから」

フェイの軽やかな笑みに、エヴァは黙ってついていくことを選んだ。

(この先には、何が待ってるんだろう)

不安というよりも、予感——
それは、小さな異変がやがて大きな渦に変わる兆しのようだった。

けれど、目の前の出来事に一つずつ向き合っていくしかない。
そう決めたからこそ、エヴァは歩き出す。

「……行きましょ」

「お、頼もしいね。じゃ、森の中へご案内~」

二人の背に、村の柔らかな灯りと、ささやかな夜の笑い声が遠ざかっていった。
それはまるで——
旅の記憶に、一瞬だけ刻まれた、かけがえのない“日常”の光景だった。

***

夕陽の色が、琥珀色の硝子を通って柔らかく床に落ちていた。

そこは王宮の西棟、高層塔の最上階にある静かな空間。

「《暁の間》」と呼ばれる、現王アル・クロード・ヴィクトル専用の私室。
床には黒檀の寄木細工。壁は静かな青を基調とした絹張りで、書棚が左右にずらりと並ぶ。
窓辺にはひと抱えもある地図台が広げられ、中央の長机には、幾通りもの地図や手稿、封蝋の解かれた書簡が散らばっている。

——そして、その奥に設けられた革張りの一人掛け。

そこに、王が静かに腰かけていた。

アル・クロード・ヴィクトル。
その目は、いつも政と地勢だけでなく、人と未来を見ている。

執務官が静かに一歩近づき、手にした一枚の報告書を差し出した。

「……辺境派遣部隊より。森林村での任務継続中。小規模騒乱が鎮圧されたとの予備報が」

王の手が書簡を受け取り、さらりと眼を通す。

その筆跡のひとつに、彼はふと目を留めた。

「……フェイ、か」

ほんの一言。
だが、その音には確かな記憶が宿っていた。

「今のところ、帝都との術通信圏外につき、続報は届かず。少し不安定な地帯です」

「……そうか。あの森なら、確かに」

窓の向こうには、森を越えた遠い山脈が、わずかに薄紅の光に沈んでいた。

王は立ち上がると、ゆっくりと書棚を一つ開く。
その奥には、かつての地誌や遺産に関する書が眠っていた。手に取ったのは、そのうちの一冊——

《人と“境界”のものについて》

「……やはり、何かが動いているのかもしれんな」

王の口から洩れた独白は、部屋の沈黙に静かに溶けていく。

——だが確かに、心の底では感じていた。
フェイとエヴァ。
あの二人がいま関わっているものは、偶然の任務などではない。

「それが“始まり”ならば……彼らの選択は、帝国の未来そのものに触れるかもしれん」

再び机に戻ると、王は筆を取り、さらりと数行を綴る。

「任務継続。必要と判断すれば、支援班の派遣を。だが、干渉は控えよ」

目は柔らかくも、深く冴えていた。

そして最後に、書類を閉じ、王は空を仰ぐ。

夕陽の光が、硝子越しに王の瞳を金色に染めていた。
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