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第35話 波打つは闇と港町
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帝都の一角、古びた劇場の地下。
今はもう使われなくなった楽屋の奥、誰も知らぬはずの密室に、ふたりの影が対峙していた。
照明はなく、ただ一本の蝋燭が、揺らぐ火とともに壁を照らしている。
一方の影は、帝国の軍装の上に黒のフードをかぶり、その顔を隠していた。
もう一方は、人とは異なる輪郭。
白磁のような肌に、異様に細長い指先。
――魔族の使者。
「……動いた、か?」
魔族の声は低く、硬質だった。まるで氷を擦り合わせるような音。
「西だ。カルディナへ向かった。名目は“調査”。ただし、裏は――スカウトだな。新たな〈七星〉の血筋を求めている」
「……そうか。奴が、動いたか。案内人が、再び“輪”を広げようとしていると」
フードの男は無言で頷く。
「……まさか、貴様が情報を寄越すとはな。裏切りには、対価が要るぞ?」
「裏切ったつもりはない。……ただ、“見極めている”だけだ」
「……ふん、言い訳は人間の十八番だな。だが――この情報、無駄にはしない」
魔族はゆっくりと立ち上がる。
その背から、ぼんやりと“闇”の気配がにじみ始めた。
「丁度いい。カルディナには“我ら”の一柱が滞在している。直接ぶつけてみよう。……あの男が今も“変わらず”にいるかどうかを」
「……それで?」
「結果次第。まずは小手調べだが、貧弱ならば――潰す」
「……」
男は何も言わなかった。ただ、仄暗い視線を、蝋燭の炎に向ける。
魔族の気配が部屋を満たし、炎がひときわ大きく揺れた。
「貴様の名は聞かぬ。“内通者”として、それで十分だ。……だが、貴様が裏切る覚悟がないまま我らを利用するのなら――その報いは、必ず返す」
「わかっている。……だから、“お前たち”にも試す資格があるか、見せてもらう」
「ほう……ならば、楽しみにしているとしよう。“今の七つ星”が、どこまでやれるのかを」
気配が、すうっと消えていく。
残された男は、蝋燭の灯が消えるまでその場を動かなかった。
微かに口の端を歪めながら、独りごちる。
「……さて。どちらが“未来”に至るか……見せてみろ、フェイ」
***
帝都を出て、幾日が過ぎていた。
西へ、西へと続く道。
はじめこそ石畳の整った街道も、帝都を離れるほどに赤土へと変わり、風景は緩やかな丘陵へと移ろっていく。
遠くには風車がゆっくりと回り、時折、旅の終わりを予感させるように、海風が馬車の幌を揺らした。
三人を乗せた馬車が小高い丘を越えたとき、潮の匂いが鼻をかすめる。
「……潮風、だね」
フェイが目を細め、深く呼吸する。
その声に、隣のエヴァもふと顔を上げて窓の外を見やった。
「……匂いが変わった。空気も少し、湿ってる」
車窓のすぐそばでは、リィが小さくくしゃみのような音を立て、前足で鼻先をぬぐっていた。
彼女にとっても、初めての匂いだったのだろう。
やがて馬車は、カルディナの町並みを遠くに捉える。
西大陸の端に位置する港町――交易と海運の要衝。
その風景は、帝都とはまるで違っていた。
街に近づくにつれ、石造りの門が見えてくる。
門を抜けた瞬間、空気が一変する。
荘厳な帝都の空気とは異なり、ここにあるのは喧噪と自由、そして多様性。
通りには香辛料の匂いが漂い、屋台の掛け声が飛び交い、人々が風のように流れてゆく。
左右に並ぶのは染物屋、薬草商、貴金属の露店――
それらの隙間を、猫族の少年がパンを片手に走り抜け、怒鳴り声をあげる牛族の衛士がそれを追いかけていった。
砂色の竜人族が山羊を引き、森精種の少女が果実の籠をかかえる。
「……にぎやか、というより、混沌ね」
エヴァが眉をひそめると、フェイは穏やかな声で返した。
「秩序があるようで、ない。でも……こういう町の方が、“情報”はよく流れる」
「帝都と違って、誰が何者でも干渉しすぎない……そういう空気、ね」
リィは馬車の外に半身を出し、じっと通りを見渡していた。
彼女の異形は目を引いたが、カルディナの人々は過剰な反応を見せることはない。
珍しがりながらも、干渉はしない――それが、この街の“流儀”なのだろう。
「案外、リィみたいな存在にも慣れてる街なのかもしれないな」
「……なんだか、羨ましいわ。帝都じゃ、私たち“第十三団”ってだけで、視線が刺さったもの」
フェイはうなずきながら、ふと歩みを止める。
「……」
そして――
ゆっくりと、まぶたを閉じ、ひと呼吸。
まるで街の喧噪をすり抜けるように静かに、目を開けた。
その瞬間、フェイの瞳がわずかに色を変えていた。
淡く澄んだ灰青の瞳が、深い群青のように染まり、奥底で微かな光が瞬く。
まるでその視線は、人々の間に浮かぶ“気配の揺らぎ”を見通しているかのようだった。
(……いる。確かに、“あの気配”がある)
多くの波に埋もれるようにして、ひとつだけ――
鋭く、激しく、血の奥に震える“意志の棘”のような感覚。
(やっぱり、ここか。巡り合わせってやつは、妙なもんだな……)
エヴァが不思議そうに眉をひそめた。
「……フェイ? 何か見つけた?」
「……ああ。ちょっと懐かしい顔が、未来で暴れてるって話を、思い出しただけ」
「何それ、相変わらず回りくどいわね」
「ま、いずれわかるさ。面白くなるよ」
エヴァは小さく息を吐いて、彼の横顔を見つめた。
(ほんとに……なにかを知っていて、でも全部は言わない。
でも、それでも。私は……この人が導こうとしてる先を、見てみたい)
その足元を、潮風がかすめていった。
それはただの風ではなく、“出会いの前触れ”のように感じられた。
今はもう使われなくなった楽屋の奥、誰も知らぬはずの密室に、ふたりの影が対峙していた。
照明はなく、ただ一本の蝋燭が、揺らぐ火とともに壁を照らしている。
一方の影は、帝国の軍装の上に黒のフードをかぶり、その顔を隠していた。
もう一方は、人とは異なる輪郭。
白磁のような肌に、異様に細長い指先。
――魔族の使者。
「……動いた、か?」
魔族の声は低く、硬質だった。まるで氷を擦り合わせるような音。
「西だ。カルディナへ向かった。名目は“調査”。ただし、裏は――スカウトだな。新たな〈七星〉の血筋を求めている」
「……そうか。奴が、動いたか。案内人が、再び“輪”を広げようとしていると」
フードの男は無言で頷く。
「……まさか、貴様が情報を寄越すとはな。裏切りには、対価が要るぞ?」
「裏切ったつもりはない。……ただ、“見極めている”だけだ」
「……ふん、言い訳は人間の十八番だな。だが――この情報、無駄にはしない」
魔族はゆっくりと立ち上がる。
その背から、ぼんやりと“闇”の気配がにじみ始めた。
「丁度いい。カルディナには“我ら”の一柱が滞在している。直接ぶつけてみよう。……あの男が今も“変わらず”にいるかどうかを」
「……それで?」
「結果次第。まずは小手調べだが、貧弱ならば――潰す」
「……」
男は何も言わなかった。ただ、仄暗い視線を、蝋燭の炎に向ける。
魔族の気配が部屋を満たし、炎がひときわ大きく揺れた。
「貴様の名は聞かぬ。“内通者”として、それで十分だ。……だが、貴様が裏切る覚悟がないまま我らを利用するのなら――その報いは、必ず返す」
「わかっている。……だから、“お前たち”にも試す資格があるか、見せてもらう」
「ほう……ならば、楽しみにしているとしよう。“今の七つ星”が、どこまでやれるのかを」
気配が、すうっと消えていく。
残された男は、蝋燭の灯が消えるまでその場を動かなかった。
微かに口の端を歪めながら、独りごちる。
「……さて。どちらが“未来”に至るか……見せてみろ、フェイ」
***
帝都を出て、幾日が過ぎていた。
西へ、西へと続く道。
はじめこそ石畳の整った街道も、帝都を離れるほどに赤土へと変わり、風景は緩やかな丘陵へと移ろっていく。
遠くには風車がゆっくりと回り、時折、旅の終わりを予感させるように、海風が馬車の幌を揺らした。
三人を乗せた馬車が小高い丘を越えたとき、潮の匂いが鼻をかすめる。
「……潮風、だね」
フェイが目を細め、深く呼吸する。
その声に、隣のエヴァもふと顔を上げて窓の外を見やった。
「……匂いが変わった。空気も少し、湿ってる」
車窓のすぐそばでは、リィが小さくくしゃみのような音を立て、前足で鼻先をぬぐっていた。
彼女にとっても、初めての匂いだったのだろう。
やがて馬車は、カルディナの町並みを遠くに捉える。
西大陸の端に位置する港町――交易と海運の要衝。
その風景は、帝都とはまるで違っていた。
街に近づくにつれ、石造りの門が見えてくる。
門を抜けた瞬間、空気が一変する。
荘厳な帝都の空気とは異なり、ここにあるのは喧噪と自由、そして多様性。
通りには香辛料の匂いが漂い、屋台の掛け声が飛び交い、人々が風のように流れてゆく。
左右に並ぶのは染物屋、薬草商、貴金属の露店――
それらの隙間を、猫族の少年がパンを片手に走り抜け、怒鳴り声をあげる牛族の衛士がそれを追いかけていった。
砂色の竜人族が山羊を引き、森精種の少女が果実の籠をかかえる。
「……にぎやか、というより、混沌ね」
エヴァが眉をひそめると、フェイは穏やかな声で返した。
「秩序があるようで、ない。でも……こういう町の方が、“情報”はよく流れる」
「帝都と違って、誰が何者でも干渉しすぎない……そういう空気、ね」
リィは馬車の外に半身を出し、じっと通りを見渡していた。
彼女の異形は目を引いたが、カルディナの人々は過剰な反応を見せることはない。
珍しがりながらも、干渉はしない――それが、この街の“流儀”なのだろう。
「案外、リィみたいな存在にも慣れてる街なのかもしれないな」
「……なんだか、羨ましいわ。帝都じゃ、私たち“第十三団”ってだけで、視線が刺さったもの」
フェイはうなずきながら、ふと歩みを止める。
「……」
そして――
ゆっくりと、まぶたを閉じ、ひと呼吸。
まるで街の喧噪をすり抜けるように静かに、目を開けた。
その瞬間、フェイの瞳がわずかに色を変えていた。
淡く澄んだ灰青の瞳が、深い群青のように染まり、奥底で微かな光が瞬く。
まるでその視線は、人々の間に浮かぶ“気配の揺らぎ”を見通しているかのようだった。
(……いる。確かに、“あの気配”がある)
多くの波に埋もれるようにして、ひとつだけ――
鋭く、激しく、血の奥に震える“意志の棘”のような感覚。
(やっぱり、ここか。巡り合わせってやつは、妙なもんだな……)
エヴァが不思議そうに眉をひそめた。
「……フェイ? 何か見つけた?」
「……ああ。ちょっと懐かしい顔が、未来で暴れてるって話を、思い出しただけ」
「何それ、相変わらず回りくどいわね」
「ま、いずれわかるさ。面白くなるよ」
エヴァは小さく息を吐いて、彼の横顔を見つめた。
(ほんとに……なにかを知っていて、でも全部は言わない。
でも、それでも。私は……この人が導こうとしてる先を、見てみたい)
その足元を、潮風がかすめていった。
それはただの風ではなく、“出会いの前触れ”のように感じられた。
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