《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

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第37話 戦う匂い、乾いた風

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翌日。
雲ひとつない澄み渡る空が広がり、陽光は白銀の矢のように降り注いでいた。
石畳はまばゆく輝き、街の輪郭をきりりと際立たせている。

フェイとエヴァは、北部の丘陵地にある円形闘技場の観客席に並んで腰を下ろしていた。

街の喧騒から少し離れた高台に、その巨大な建造物はまるで古代の神殿のように静かに鎮座していた。
**《グラディウス・サークル》――“武の円環”と称されるこの場所は、**カルディナの戦士たちにとってただの競技場ではない。
それは誇りの場であり、試練の場であり、名を刻む者たちが血と技をもって“本物”を証明する聖地だった。

灰色がかった重厚な石材で築かれた外壁は、風雨に晒されながらも崩れることなく、幾多の試合の記憶を沈黙の中に蓄えている。
無骨でありながら、どこか荘厳な気配を纏うその佇まいには、ただの闘技場とは異なる“重み”があった。

傷つき、風化した壁面――それは数百年に及ぶ激闘の証。
戦士たちの命の軌跡が、この場所を「ただの闘い」から「歴史」に変えていた。

半月状の石階段を登りきると、真っ白な大理石の柱が並ぶエントランスが姿を現す。
その上部には、多言語で刻まれた標語が、訪れる者を迎えていた。

“いかなる種も、武の前には等しき者なり”

ドラゴニュートの直線的な言語、獣人族の奔放な筆致、古代人類語の崩し字、エルフの繊細な文様……
多様な言語が美しく並び、この場所がただの競技の場ではなく、**民族の誇りと平等の理念が根ざした“精神の円環”**でもあることを静かに語っていた。

観客席はすり鉢状に地面を囲み、その中央には直径約四十メートルの広大な闘技場が広がっている。
踏み固められた赤土と白砂が、戦いの舞台をくっきりと二分し、至るところに刃の痕や焼け焦げが残されていた。
それらの“傷跡”が生々しく語りかけてくる――ここは、ただの見世物ではない。命の火花が飛び交う、真実の闘技場なのだと。

試合中でなくとも、場内には絶え間ないざわめきがあった。
露店からは肉を焼く香りが漂い、子どもたちが歓声を上げ、騎士見習いたちが目を輝かせて戦技を見つめている。
それぞれの階層、それぞれの種族。それぞれの夢が、この場所に交差していた。

「……これが、カルディナの名物の一つということかしら」

エヴァの視線は遠く、けれど確かに“憧れ”の色を帯びていた。

「武を尊び、誇りにする者たちが集う場所……だね~」

フェイが細めた目は、過去の記憶を掘り返すようにも、未来を予感しているようにも見えた。
この場所に満ちる“空気”は、普段飄々とした彼ですら、口を選ばせるだけの威厳を持っていた。

そして――
この円環の中心に、やがて“無敗の蒼槍”が立つ時。
この場はただの闘技場ではなく、神に捧げる祈りの場のような神聖さを帯びる。



石造りの大アーチを抜けると、観客席はすでに熱気に包まれていた。
千を超える人々が今か今かと息を潜め、その視線をただひとつの名前に注いでいる。

「国の法には触れない範囲で、力を誇る者たちが名を上げる場所。傭兵も騎士崩れも、名を売るにはここを通るってわけか」

「なるほどね……それで、その“青の槍”は?」

「今日の三戦目。たぶん、見られるみたいだよ」

その言葉と同時に、観客席の一部がざわめき始める。
音が波紋のように広がっていく。

「来たぞ……!」

「あれが“青の槍”か?」

観客たちの視線が、闘技場中央の陽光差す大地へと注がれる。

そこに、ひとりの男が現れた。

黒灰色のローブを纏い、深くフードをかぶっている。
その姿は、まるで影から生まれたような気配を纏い、顔どころか肌すら見えない。
だが、その歩みは静かで、しかし確実に“何か”を孕んでいた。
獣のような勘、研ぎ澄まされた殺気、沈黙の威圧感。

対するは、全身を筋肉で固めた大男。
両手に握るのは、片手で扱うには無理があるほどの二本の重剣。
観客席からは大声の応援が飛び交う――だが、その熱狂が、妙に空回りしているように見えた。

開始の鐘が鳴り響いた、その瞬間――

男は静かに、布の奥から“それ”を抜き放った。

青く、細身の鋼槍。
その刃は、陽光を受けて淡い光を放ち、まるで薄氷に封じられた青炎のように、静かに震えていた。
その光景に、観客のひとりがごくりと唾を飲む音が聞こえた。

「きれい……」

エヴァが思わず呟いた声は、ほんの一滴の水のように場に響いた。

次の瞬間。

男――グライヴが、一歩、前へ踏み出した。

――ズン。

その一歩に、観客席の石がわずかに軋む。
まるで雷が地を打ったかのような衝撃が、足元から這い上がる。

そして彼は、滑るように宙を移動した。
空気を切る音すら追いつかないほどの動きで、大男の間合いに“瞬時”に入り込む。

「速っ……!」

重剣が動くよりも先に、蒼槍が動いた。
一閃――否、半歩の間合いから斜めに払う、精密かつ鋭利な薙ぎ。

その一撃で、大男の剣が弾き飛ばされ、肩口が浅く裂ける。
鮮血が砂に落ちるよりも早く、観客席から歓声が爆発した。

だが、グライヴは動じない。
その表情も、声も見えない。
フードの奥にあるのは――沈黙そのものが具現化したような冷静さ。

戦いは、わずか二分で終わった。
大男は地に膝をついたまま動けず、観客たちは一瞬の静寂ののち、爆発的な拍手と歓声に包まれる。

「……あれが、グライヴかな」

フェイがぽつりと呟く。

「もし、そうだとして……どうやって話しかければいいかしら」

「ま、あたって砕けろかな」

いつもの調子で返すフェイの言葉に、エヴァは思わず小さく笑った。
まるで、この不穏な予感すら、自然な流れだと言わんばかりに。

---

闘技場を包んでいた熱気が、名残惜しげに夜風へと溶けていく。
残響のように響くざわめきだけが、遠くの石壁に淡く反響し、やがて静寂に吸い込まれていった。

観客たちは三々五々、満足げな表情で帰路につき、それぞれの夜へと歩みを進めていく。
そんな中――フェイとエヴァは、人通りの絶えた裏通りへと足を運んでいた。

石畳には夜の露が滲み、歩を進めるたび、靴底がかすかな水音を立てる。
遠くのどこかで誰かが笑う声が、濡れた風に乗って流れてくる。
それは現実とも夢ともつかない、曖昧な音だった。

裏口の前には、ひとりの若い男が立っていた。
腕を組み、警戒心を隠さぬ眼差しでこちらを睨んでいる。
肩に軽装の革鎧、腰には細身の剣。経験不足は隠せぬものの、その立ち方からは責務に対する自負が滲んでいた。

「ここは関係者以外、立ち入り禁止だ。見学なら表からどうぞ」

慣れた口調。だが、その言葉には明らかに“防御の色”が混ざっていた。

エヴァが小さく溜め息をつく。
けれどフェイは立ち止まらず、相手を威圧もせず、ただ穏やかに言葉を投げかけた。

「“かつての青目が会いたい”って、グライヴに伝えてくれる?」

――一瞬、空気が変わった。

湿った夜気が、わずかに凍る。
若い見張りの男の表情が、微かに揺れた。
何かを思い出しかけたような、けれど掴みきれず指先からこぼれるような戸惑いが、その瞳を曇らせる。

「……は?」

「そのまま伝えてくれればいい。きっと通じるよ」

フェイの声は淡々としていて、どこか確信に満ちていた。
まるで、自分の存在そのものが“鍵”であるかのように。

男は困惑を顔に浮かべながらも、しばしの沈黙の後――
なぜか逆らう気になれなかったのか、渋々と頷き、扉の奥へと姿を消した。

静寂が戻る。
その一瞬の隙間に、フェイは壁にもたれかかり、夜の冷気を胸いっぱいに吸い込んだ。
目を閉じたその横顔には、懐かしさとも憂いともつかぬ感情が宿っている。

数分後。
古びた鉄の蝶番がきしむ音と共に、扉がゆっくりと開かれた。

戻ってきた男の顔からは、先ほどの警戒の色がすっかり消えていた。

「……通っていいそうだ。グライヴさんが、“すぐ来い”って」

その変化に、エヴァが驚いたようにフェイを見やる。

だが彼は、涼しい顔で肩をすくめただけだった。

「言った通り、通じたみたいだね。……やっぱり、覚えてたか」

夜風がふわりと吹き抜け、フェイの髪を揺らす。
その髪の一房が、淡く青い光を帯びる――まるで、過去の残響が触れてきたかのように。

静まり返った裏口の奥。

その先に待つのは、かつての記憶の影か。
それとも、新たな因縁の始まりか。

フェイとエヴァは、躊躇なく歩を進めた。
静かな闇の中へ、運命の扉を押し開くようにして――。
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