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第51話 出撃命令と新たな鍵1
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帝都の鐘が午前を告げた頃。
第十三騎士団の仮設拠点――城壁の外れにひっそりと建てられた、簡素な石造りの宿舎に、重く響く扉音が鳴り渡った。古びた蝶番がきしむたび、空気に湿った冷気が入り込む。
「失礼いたします」
扉を押し開けて現れたのは、偵察任務を担うヴァーグだった。
無口さはいつもと変わらぬものの、肩口に滲む疲労と、外套にまとわりつく砂埃が長い夜を物語っていた。目の下に落ちた影は、休息を犠牲にしてきた証拠でもある。
「どうした」
机に腰を掛け、手早く報告書を仕分けていたフェイが顔を上げる。視線は落ち着いていたが、その奥には薄い警戒の光が宿っていた。
「北方、旧都市ヴェル=カラン周辺にて……不自然な魔力の揺らぎを確認しました」
わずかな言葉。しかし、その場にいた面々の空気を一変させるには十分だった。
エヴァが思わず眉を寄せ、深紅の瞳に不穏を映す。
グライヴは「は?」と大げさに声を上げ、椅子を軋ませながら立ち上がる。
リィは無言のまま佇み、ただ水面のように静かな眼差しでヴァーグを見ていた。
ヴェル=カラン――。
かつて魔王が支配の手を伸ばした都市。七星の英雄と共闘軍に敗れ、赤月の夜に滅んだその街は、今なお廃墟のまま封じられているはずだった。
その名が告げられた瞬間、宿舎の壁に漂う空気は冷え込み、遠くの鐘の音すら霞むように思えた。
「魔力の揺らぎ……それだけ?」
フェイが淡々と問い返す。声色は変わらぬが、その静けさがかえって緊張を際立たせる。
「はい。ただ、通常の環境変動では説明がつかない規模です。……まるで“何かが動き始めた”かのように」
報告が終わるや否や、再び扉が叩かれた。鋭く、ためらいのない音。
入室の許可を待つことなく、規律を刻む軍靴の音が石床を渡り、黒衣の男が姿を現した。
「第十三騎士団、エヴァ=ムーン・カルザ団長。並びに団員諸君」
漆黒の軍服。肩には王家の紋章を示す銀の章飾。王直属の情報将校である。
整えられた髪と、無駄のない立ち居振る舞いは、冷たさすら感じさせた。
「また堅っ苦しいのが来やがった」
グライヴが唇の端を歪め、毒気を含んだ小声でつぶやく。だが将校は一切耳を貸さない。
「直命を伝える。――第十三騎士団は直ちに北方へ出撃、ヴェル=カラン周辺の異常を調査せよ」
その声は揺るぎなく、感情を排した硬質な響きだった。
命令を告げるだけの道具。そう形容するのが最も相応しい冷徹さ。
「直命……?」
エヴァが思わず問いかける。彼女の胸にかすかな緊張が走る。
「理由を知りたいか?」
将校は淡々と書状を広げた。羊皮紙には王の花押が厳然と記されている。
「北方監視隊が壊滅した。遺された通信によれば“八魔将と思しき影”を確認したとのことだ。王は早急な調査と阻止を望んでいる」
八魔将――。
その名が響いた瞬間、空気が凍りつく。フェイを除いた三人は即座に身を正し、戦気を纏う。
その気配は刃が鞘を離れる直前のように鋭かった。
「……来たか」
フェイが低くつぶやいた。誰に向けた言葉でもなく、自身の奥底に沈めていた確信を引きずり出すような響き。
「よぉ、ついに八魔将とやり合えるってことか?」
グライヴが唇を吊り上げ、槍の柄を指先で叩く。昂ぶりを隠そうともしない。
「ちょっと、浮かれないで」
短く制したのはエヴァだ。
だが彼女自身の胸もまた波立っていた。先日のフェイとライアスの戦い――あの次元を超えた交錯を見てしまったがゆえに、今は己を奮い立たせずにいられない。八魔将と相対するなら、自分も力を示さねばならないのだ、と。
「……命令は承ったわ」
エヴァはきっぱりと答えた。声は静かだが、内に潜む緊張は否応なく伝わる。フェイはただ、遠いものを見るように黙していた。
将校は一礼し、踵を返す。冷たい軍靴の音が遠ざかると、宿舎に残ったのは十三団の面々だけ。
「ふん……いよいよ本番ってわけだな」
グライヴが吐き捨てるように言い、槍の柄を軽く叩いた。
「本番……そうね」
エヴァはその言葉を繰り返す。しかし心の奥では、別の思いが疼いていた。
――アル王が告げた言葉。
フェイと自分の師の因縁。そして王が語った“兄弟弟子”という事実。
未だ問いただせずにいる。戦いが迫るこの瞬間でさえ、喉に引っかかったままの言葉が下りてこない。
(……今は、まだ)
彼女は胸中でそう呟き、前を向いた。
「リィ」
フェイが静かに名を呼ぶ。
「…………」
リィは返事をせず、ただ顎を引いて頷いた。その無言は承諾であり、既に戦場を見据えている証だった。
「よし。行きましょう」
エヴァの号令は短く、それでいて鋭く空気を切り裂く。
逡巡も雑談も断ち切られ、宿舎に立つのは戦士の顔だけ。
行き先は――かつて赤月の下で滅びた古都、ヴェル=カラン。
そこに潜むのは、八魔将の影。
物語は、静かにしかし確実に、次の局面へと動き始めていた。
第十三騎士団の仮設拠点――城壁の外れにひっそりと建てられた、簡素な石造りの宿舎に、重く響く扉音が鳴り渡った。古びた蝶番がきしむたび、空気に湿った冷気が入り込む。
「失礼いたします」
扉を押し開けて現れたのは、偵察任務を担うヴァーグだった。
無口さはいつもと変わらぬものの、肩口に滲む疲労と、外套にまとわりつく砂埃が長い夜を物語っていた。目の下に落ちた影は、休息を犠牲にしてきた証拠でもある。
「どうした」
机に腰を掛け、手早く報告書を仕分けていたフェイが顔を上げる。視線は落ち着いていたが、その奥には薄い警戒の光が宿っていた。
「北方、旧都市ヴェル=カラン周辺にて……不自然な魔力の揺らぎを確認しました」
わずかな言葉。しかし、その場にいた面々の空気を一変させるには十分だった。
エヴァが思わず眉を寄せ、深紅の瞳に不穏を映す。
グライヴは「は?」と大げさに声を上げ、椅子を軋ませながら立ち上がる。
リィは無言のまま佇み、ただ水面のように静かな眼差しでヴァーグを見ていた。
ヴェル=カラン――。
かつて魔王が支配の手を伸ばした都市。七星の英雄と共闘軍に敗れ、赤月の夜に滅んだその街は、今なお廃墟のまま封じられているはずだった。
その名が告げられた瞬間、宿舎の壁に漂う空気は冷え込み、遠くの鐘の音すら霞むように思えた。
「魔力の揺らぎ……それだけ?」
フェイが淡々と問い返す。声色は変わらぬが、その静けさがかえって緊張を際立たせる。
「はい。ただ、通常の環境変動では説明がつかない規模です。……まるで“何かが動き始めた”かのように」
報告が終わるや否や、再び扉が叩かれた。鋭く、ためらいのない音。
入室の許可を待つことなく、規律を刻む軍靴の音が石床を渡り、黒衣の男が姿を現した。
「第十三騎士団、エヴァ=ムーン・カルザ団長。並びに団員諸君」
漆黒の軍服。肩には王家の紋章を示す銀の章飾。王直属の情報将校である。
整えられた髪と、無駄のない立ち居振る舞いは、冷たさすら感じさせた。
「また堅っ苦しいのが来やがった」
グライヴが唇の端を歪め、毒気を含んだ小声でつぶやく。だが将校は一切耳を貸さない。
「直命を伝える。――第十三騎士団は直ちに北方へ出撃、ヴェル=カラン周辺の異常を調査せよ」
その声は揺るぎなく、感情を排した硬質な響きだった。
命令を告げるだけの道具。そう形容するのが最も相応しい冷徹さ。
「直命……?」
エヴァが思わず問いかける。彼女の胸にかすかな緊張が走る。
「理由を知りたいか?」
将校は淡々と書状を広げた。羊皮紙には王の花押が厳然と記されている。
「北方監視隊が壊滅した。遺された通信によれば“八魔将と思しき影”を確認したとのことだ。王は早急な調査と阻止を望んでいる」
八魔将――。
その名が響いた瞬間、空気が凍りつく。フェイを除いた三人は即座に身を正し、戦気を纏う。
その気配は刃が鞘を離れる直前のように鋭かった。
「……来たか」
フェイが低くつぶやいた。誰に向けた言葉でもなく、自身の奥底に沈めていた確信を引きずり出すような響き。
「よぉ、ついに八魔将とやり合えるってことか?」
グライヴが唇を吊り上げ、槍の柄を指先で叩く。昂ぶりを隠そうともしない。
「ちょっと、浮かれないで」
短く制したのはエヴァだ。
だが彼女自身の胸もまた波立っていた。先日のフェイとライアスの戦い――あの次元を超えた交錯を見てしまったがゆえに、今は己を奮い立たせずにいられない。八魔将と相対するなら、自分も力を示さねばならないのだ、と。
「……命令は承ったわ」
エヴァはきっぱりと答えた。声は静かだが、内に潜む緊張は否応なく伝わる。フェイはただ、遠いものを見るように黙していた。
将校は一礼し、踵を返す。冷たい軍靴の音が遠ざかると、宿舎に残ったのは十三団の面々だけ。
「ふん……いよいよ本番ってわけだな」
グライヴが吐き捨てるように言い、槍の柄を軽く叩いた。
「本番……そうね」
エヴァはその言葉を繰り返す。しかし心の奥では、別の思いが疼いていた。
――アル王が告げた言葉。
フェイと自分の師の因縁。そして王が語った“兄弟弟子”という事実。
未だ問いただせずにいる。戦いが迫るこの瞬間でさえ、喉に引っかかったままの言葉が下りてこない。
(……今は、まだ)
彼女は胸中でそう呟き、前を向いた。
「リィ」
フェイが静かに名を呼ぶ。
「…………」
リィは返事をせず、ただ顎を引いて頷いた。その無言は承諾であり、既に戦場を見据えている証だった。
「よし。行きましょう」
エヴァの号令は短く、それでいて鋭く空気を切り裂く。
逡巡も雑談も断ち切られ、宿舎に立つのは戦士の顔だけ。
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物語は、静かにしかし確実に、次の局面へと動き始めていた。
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