《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

文字の大きさ
8 / 53

第8話 酒場騒動、そして彼は何者か

しおりを挟む
日もすっかり傾き、空は茜から紫へと色を変え始めていた。やがて暮れの風が冷たさを帯び始めたころ、フェイとエヴァは道中二つ目となる小さな村へとたどり着いた。

村の入り口から見えるのは、素朴を絵に描いたような宿屋。年季の入った木造の建物は、少々くたびれた様子を見せており、正面に掲げられた木の看板は片方の鎖が外れ、今にも地面に落ちそうなほど斜めに傾いていた。

「わー……看板、傾いてるねこの宿。味があるっていうか、まぁ……うん、倒れてはない。ギリギリ。」

フェイは馬上でそれを見上げ、感心したような表情を浮かべながらぽつりと呟いた。冗談めかしたその言葉に、エヴァは呆れたように目線をそらす。

「……一応、営業はしてるみたいね。今日はここで休むわよ」

宿屋の隣には、それと同じくくたびれた建物の酒場があり、開いた木窓からは音楽と笑い声、そしてアルコールに酔った喉の潤いが混ざった喧噪が漏れていた。テラス席には何人かの男たちが足を投げ出し、椅子にぐったりと身を預けたまま眠りこけている。そのうちの一人は、口元にパンを咥えたままいびきをかいていた。

フェイはその光景を見て、肩を揺らして笑う。

「ふふ、まさに“旅の途中”って感じの情景だねぇ。こういう村に来ると、逆に落ち着くなあ。あっちもこっちも、いい具合に緩んでる」

エヴァは視線だけでフェイを一瞥し、静かに馬を下りると手綱を引いた。

「……私が先に部屋を取ってくるわ。あなたはここで待ってて。くれぐれも騒がないでよ」

フェイは軽く手を上げて応えた。

「任せて任せて。気配を消すのは得意だから。……木陰に溶け込むのは生きる術みたいなもんだしね」

その口調は軽妙だったが、エヴァはふとその言葉の裏に、ほんのわずかな“本気”の気配を感じ取った。

「……どうかしら」

そう返す声には、わずかに探るような鋭さが滲む。

エヴァはそう言い残し、足取りも音も静かに、宿の引き戸を開けて中へと入っていった。フェイは彼女の背中を目で追いながら、小さく息を吐いた。

「……騎士様も、なかなかに隙がないな」

誰にともなく呟くその声は、酒場の喧騒にあっさりと溶けて消えていった。

 中に入れば、案の定、空気は濃かった。

 古びた木の床は歩くたびに軋み、油が焦げたような匂いが燻ったランプの灯りと共に鼻をつく。カウンターの奥には黙々と酒を注ぐ主人の姿が見え、その傍らには、どこか乾いた視線をこちらに向ける男たちの姿があった。

 数人の男たちが、明らかに「よそ者チェック中」だ。フェイはあえて目を逸らし、軽く肩をすくめながら店内に足を進める。

 ──が、その一人が立ち上がった。

「おい、おまえ……見ねえ顔だな。どこから来た?」

「どこからって……えーと、道から?」

 真顔で言ったフェイに、男たちが一斉に眉をひそめる。

「いやいや、冗談冗談。しがない旅の者です。たまたま帰路の途中で寄らせてもらっただけだよ」

 笑ってごまかすフェイだが、男たちは明らかに色めき立っていた。にじり寄るように囲み始める。

 小柄だが目つきの鋭い青年、肩幅の広い中年、刃物の匂いを感じさせるような若い男──やれやれ、これはまた面倒な展開だなとフェイは心の中でため息をつく。

「この辺、最近盗賊が出るって話でな。妙な格好のやつは全部怪しいんだよ」

 ニタニタと笑うその言葉に、背後から別の声が被さった。

「あー、確かにフェイって見た目が怪しいものね」

 ──エヴァだった。いつの間にか後ろに立っていた彼女は、冷ややかな声音と鋭い目で男たちを見据えている。

 フェイは小さく笑って肩をすくめた。

「そんなに怪しいかな? ……でも、まぁ、見た目って当てにならないよ?」

 次の瞬間。

 ドンッ。

 前にいた中年の男がフェイの肩を押した──その直後、空気が変わった。

 フェイの腕がすっと上がり、その手を掴んだかと思えば、軽やかに身体を回転させ──

 ドゴン、と鈍く重い音を立てて、男の背が床に叩きつけられた。

「っとと、ごめんごめん。つい、条件反射ってやつで」

 フェイは申し訳なさそうに苦笑しながら言ったが、その表情はどこか楽しそうでもあった。

 酒場が一瞬で静まり返る。

「てめぇ……ッ!」

 小柄な青年が短剣を抜いた。しかし、その一手すら遅い。

「危ないなあ」

 数秒のうちに、三人が床に転がった。

 青年の突きを紙一重でかわし、足払いからの肘打ちで沈める。後ろから来た若者には椅子を蹴り飛ばして足を止め、その隙に踏み込み、前蹴り一閃で壁際に吹き飛ばす。

 酒場のテーブルが倒れ、ジョッキが宙を舞った──が、それすらもフェイは手で受け止め、音ひとつ立てずにカウンターに戻していた。

 無駄がない。それでいて、どこか軽やかで、飄々としている。

「……あなた、本当は何者?」

 酒場の片隅で、誰かが呟いたその声が妙にクリアに響いた。

 フェイは手をヒラヒラと振って笑う。

「いやいや、辺境に住んでる、ただの旅の者だってば」

 エヴァは黙ってその横顔を見つめていた。今までのどんな場面よりも、真剣なまなざしだった。

(陽気な顔の下に、これは……正確で制御された“力”。しかも、見せるつもりもないまま、意図して抑えている)

 評価──ではない。それは理解に近いものだった。

 この男は、間違いなく「ただの旅人」ではない。

「……これじゃあ、ゆっくり酒も飲めないね、エヴァ。仕方ないから、部屋行こうか? この人たち、ちょっと寝かせとこう」

「……あんた、本当に“ただの旅人”?」

 男三人を軽くいなしておいて、顔色ひとつ変えずに笑っている。その姿には高揚もなく、自慢げな様子もない。

 ただ、自然にこなした、というだけのように見えた。

「まぁ、そういうことにしといてよ」

 夜は静寂を取り戻し、倒れた男たちの低いうめき声だけが、酒場の床に残されていた。

──翌朝。

 東の空がうっすらと白み始めるころ、二人は宿を後にした。

 昨夜の騒ぎが嘘のように、街はまだ眠りの中。ひんやりとした朝の空気を吸い込みながら、霧の彼方に浮かび始めた帝都の城壁が、うっすらとその輪郭を現していた。

「さ、今日も歩くよー。王様に“おつかれさま”ぐらいは言ってもらわないとね」

 フェイが馬の首筋を軽く撫でながら、気の抜けた調子で言う。

 その横でエヴァはぼそりと呟いた。

「……その前に、報告書には何て書こうかしら。トラブル全部、嘘偽りなく書こうかしら」

 フェイは振り返り、顔をしかめた。

「そこは……ほら、いい感じにオブラートに包んでくれると助かるなぁ」

「“条件反射で三人倒した”とか、“椅子を蹴って華麗に制圧した”とか?」

「おおぅ……それ、ぜんぶ書いたら変な噂が立つからやめてぇ……」

 そんな言葉を交わしながら、二人は並んで馬を進めた。

 柔らかな朝靄の中を踏みしめる馬蹄の音が、静かな大地に小さく響いていた。空は白み、帝都の塔が朝日に照らされて輝き出す。

 ――凱旋の朝が、静かに幕を開ける。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

シロ鼬
ファンタジー
エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

碧天のノアズアーク

世良シンア
ファンタジー
両親の顔を知らない双子の兄弟。 あらゆる害悪から双子を守る二人の従者。 かけがえのない仲間を失った若き女冒険者。 病に苦しむ母を救うために懸命に生きる少女。 幼い頃から血にまみれた世界で生きる幼い暗殺者。 両親に売られ生きる意味を失くした女盗賊。 一族を殺され激しい復讐心に囚われた隻眼の女剣士。 Sランク冒険者の一人として活躍する亜人国家の第二王子。 自分という存在を心底嫌悪する龍人の男。 俗世とは隔絶して生きる最強の一族族長の息子。 強い自責の念に蝕まれ自分を見失った青年。 性別も年齢も性格も違う十三人。決して交わることのなかった者たちが、ノア=オーガストの不思議な引力により一つの方舟へと乗り込んでいく。そして方舟はいくつもの荒波を越えて、飽くなき探究心を原動力に世界中を冒険する。この方舟の終着点は果たして…… ※『side〇〇』という風に、それぞれのキャラ視点を通して物語が進んでいきます。そのため主人公だけでなく様々なキャラの視点が入り混じります。視点がコロコロと変わりますがご容赦いただけると幸いです。 ※一話ごとの字数がまちまちとなっています。ご了承ください。 ※物語が進んでいく中で、投稿済みの話を修正する場合があります。ご了承ください。 ※初執筆の作品です。誤字脱字など至らぬ点が多々あると思いますが、温かい目で見守ってくださると大変ありがたいです。

異世界でカイゼン

soue kitakaze
ファンタジー
作者:北風 荘右衛(きたかぜ そうえ)  この物語は、よくある「異世界転生」ものです。  ただ ・転生時にチート能力はもらえません ・魔物退治用アイテムももらえません ・そもそも魔物退治はしません ・農業もしません ・でも魔法が当たり前にある世界で、魔物も魔王もいます  そこで主人公はなにをするのか。  改善手法を使った問題解決です。  主人公は現世にて「問題解決のエキスパート」であり、QC手法、IE手法、品質工学、ワークデザイン法、発想法など、問題解決技術に習熟しており、また優れた発想力を持つ人間です。ただそれを正統に評価されていないという鬱屈が溜まっていました。  そんな彼が飛ばされた異世界で、己の才覚ひとつで異世界を渡って行く。そういうお話をギャグを中心に描きます。簡単に言えば。 「人の死なない邪道ファンタジーな、異世界でカイゼンをするギャグ物語」 ということになります。

出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜

シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。 起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。 その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。 絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。 役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。

迷宮遊戯

ヘロー天気
ファンタジー
ダンジョンマスターに選ばれた魂が生前の渇望を満たすべく、迷宮構築のシステムを使って街づくりに没頭する。 「別に地下迷宮である必要はないのでは?」

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

処理中です...