《蒼眼のトライブ Last Testament(ラスト・テスタメント)》

ケリーエヴァンス

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第10話 謁見、感謝の意

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城門をくぐった瞬間、世界が変わる。

 ほんの一歩。されどその一歩で、帝都の喧騒はまるで幻だったかのように背後へと消えていた。

 足元に広がるのは真紅の絨毯。しっとりとした厚みが靴底に柔らかな抵抗を与え、大理石の床には天窓から差す光が反射して淡くきらめいていた。空気そのものが澄み切っており、呼吸の一つさえ無意識に整えたくなるような空間だ。

 天井は高く、幾重にも連なる梁に吊るされたシャンデリアには魔石が組み込まれているのだろう。揺らめく灯りが虹色の光彩を描き、壁面の彫刻を幻想的に照らしている。

 その壁には王国の歴史を物語るような精緻な浮き彫りが続き、間を飾る燭台には金の蔦細工が巻かれていた。単なる装飾でありながら、全てが緻密に調和し、ひとつの「威厳」という形を成している。

 そこに立つ衛士たちは、ただの装飾ではない。甲冑に身を包み、微動だにしない彼らの姿には、いかなる緊張も通さぬ鋼の気迫が宿っていた。精鋭中の精鋭──その言葉すら生ぬるい。

 フェイは一歩、また一歩と歩を進めながら、ちらりと天井を仰ぎ見る。

「……静かで綺麗だねぇ。緊張感の中に芸術がある」

 その声に応じる者はいない。足音だけが、じわじわと高まる緊張のリズムを刻む。

 廊下は長く、入り組んではいるものの、不思議と迷いはしない。あらかじめ動線が緻密に設計されているのだろう。政務の間、執務室、応接室……すれ違う者もいないが、それゆえに一つひとつの部屋が持つ意味が浮かび上がってくる。

 そして。

 ついに、行く手に階段が現れる。幅広で、踏みごたえのある石段。装飾は最小限ながら、刻まれた文様が王家の威光を示している。

 その石段を登りきった先──

 荘厳な両開きの扉があらわれる。背丈の倍はあるかと思うほど巨大なその扉は、重厚な木材に金と銀の意匠が絡み合い、中心には王国の紋章が刻まれていた。

 ふたりの騎士が一礼し、無言のまま扉に手をかける。

 きぃ──……というわずかな音を残しながら、扉が静かに開かれていく。

 まばゆい光が、ほんのわずかに漏れ出した。

その先が──謁見の間だ。

扉を抜けた瞬間、空気がまた一段と変わる。肌を撫でる空気が冷たく澄んでいて、胸の奥が自然と引き締まるような感覚を覚える。

天井はさらに高く、はるか頭上で幾重にも重なる巨大なアーチ梁が、まるで天空をも支えているかのように組まれていた。光を受けた石材が鈍く輝き、ただその構造だけでも、王権の威容を物語っている。

視線を下ろせば、空間の左右には磨かれた白大理石の大柱が等間隔に並び、並ぶ者を威圧するかのような静かな圧を放っている。柱の間を彩るタペストリーは、それぞれ王国の歴史や伝承をモチーフとした見事な刺繍で、風もないのにゆるやかに揺れているようにさえ見えた。

足元には濃緋の絨毯が敷かれ、その中央には王家の紋章──三つの星と一本の剣を組み合わせた意匠──が、銀と金糸で緻密に織り込まれていた。

そして、その先に──

高く設けられた王座。純白の石台に据えられ、周囲とは一線を画すように一段高い位置にある。その背後を飾る巨大なステンドグラスは、朝の光を受けて万華鏡のように色彩を放ち、そこに立つ者の背を神々しく彩っていた。

そしてこの大空間全体に、言葉では言い表せないほどの“静かな圧”が満ちていた。

まるでこの場所そのものが、ここに至るすべての者を試しているかのように──

 

フェイは無意識のうちに呼吸を整えていた。

飄々とした態度は変わらない。だが、その表情には一瞬だけ、凛とした緊張が宿っていた。

(……さて、と)

その視線の先。王座には、まだ誰の姿もなかった。

だが、その空間にただ立つだけで、王がどれほどの存在なのか──おのずと理解できるような、そんな場だった。

謁見の間は厳かな空気に包まれていた。
フェイは、普段のふわりとした空気を少しだけ収め、落ち着いた所作で一歩進み出る。

「フェイ=オーディン、参上いたしました」

その声に応じるように、王は玉座の上からゆるやかに頷いた。

「よく来てくれた。到着を待っていた」

その響きは凛として、だがどこか優しさがにじむものだった。

フェイは少しだけ真面目な表情を見せ、静かに頭を下げる。

「光栄です。こうして戻ってこられたことを、嬉しく思います」

帝国オーディンの第3代王、アル=クロード・ヴィクトル。
静かにそこにいるだけで、場の温度が変わるような存在だった。

玉座に座る姿は、まるで彫像のように隙がなく、鋼のように強く──それでいて、陽のような温もりも宿している。

まっすぐ伸びた背筋に、肩まで流れる金の髪が静かに揺れ、鋭い眼差しの奥に柔らかい光を宿していた。
口元に浮かぶのは穏やかな微笑。けれど、その穏やかさこそが、最も油断ならないと側近たちが恐れる所以でもある。

王としての手腕は、民衆も重臣も知るところだ。

──かつて東境州にて干ばつと飢饉が連鎖した際、王は即断で備蓄食糧を放出し、自ら現地に赴いた。

「民が地に膝をつくなら、王もまた膝をつけ」

そう言って泥に手を突っ込み、共に地を掘り、水を引き、民と飯を囲んだ。
その姿勢は、たった一度の命令よりも何十倍もの説得力を持ち、民心を救った。

いまではその地は「アルの谷」と呼ばれ、豊穣と平和の象徴となっている。

また、軍事にも抜かりはない。若き日に剣の修行を重ね、第一団団長ライアスとの試合では互角に打ち合ったという記録が残っている。
政治と剣、民と軍──いずれにも偏らぬ均衡。それこそが“聡王”と呼ばれるゆえんだった。

──だが今、フェイを見るその目には、どこか個人的な親しみが微かににじんでいる。

王は続けて、エヴァへと目を移した。

「ムーンカルザ、任務ご苦労だった。君の働きには感謝している」

「ありがたきお言葉です、陛下」

淡々としたエヴァの返答に、王はわずかに目元を和らげた。

「滞在中の宿舎はこちらで手配してある。衛士が案内するだろう。……フェイ=オーディン、後ほど、私室へ来てくれ」

「承知しました」

一礼したフェイの背に、エヴァの視線がすっと重なる。
その視線には、わずかながら変化があった──それが何か、彼女自身まだうまく言葉にできていなかったが。
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