爺ちゃんの時計

北川 悠

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靖国神社

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「ねえ新ちゃん、どうしても一人で行くの?」
 秀美は頬を膨らませて新一を睨めつけた。
「ごめんね。だって秀美ちゃん仕事でしょ? 僕はほらニートだから」
 そうは言ったものの靖国神社には一人で行きたかった。相良君に報告したい事は山ほどある。自己満足だとは分かっているが、けじめである。
「そうだ、秀美ちゃん。次のお休みの日、お母さんに会える?」
「えっ? なんで?」
「あっそうか……俺、あの日、秀美ちゃんから聞いてるんだよ。矢野川さんの事。矢野川さんに会いたいから、お母さんを一緒に説得してくれって秀美ちゃんに頼まれてるよ」
「あっ。そう言えば、あの時そんな事言ってたね。不思議……という事は、わたしの知らないわたしを知っているって事? 新ちゃん、わたしなんか変な事言ってなかった?」
「さあ?」
 新一はとぼけて見せた。
「もう。新ちゃんったら!」
 松子さん宅にお邪魔した後から二人の仲は急速に進展した。と言ってもまだキスをしただけだ。別に急ぐ必要はない。新一は二十三歳にして初めて本気の恋をした。ゆっくりでいい。事を急ぐと、ろくな事はない。秀美ちゃんに対する想いは大切にしたい。


 鳥居をくぐり拝殿で参拝した。
 靖国神社に来たのは初めてである。無宗教である新一は一応ネットで参拝方式を調べて来た。こうゆうものは、かたちが重要だ。
 参拝客はまばらだったが、後が詰まると申し訳ないので、手短に参拝を済ませた。
 総理大臣の靖国神社参拝については、外国との軋轢をはじめ色々な問題がある。戦争犯罪人を正当化するのか。云々……少なくとも新一にそんな思いは微塵もない。
 当時の兵士達も洗脳されていた。と言われてしまえばそれまでかもしれない。だがあの時代、兵士達は国、家族、恋人の為に戦い、そして散っていった。そう思うと手を合わせずにはいられない。
 境内なら何処でもいいだろう。新一は拝殿の近くで懐中時計を見つめながら、相良君にこれまでのあらましを報告し、感謝を伝えた。
 相良君。七十八年前の今日、君は海に消えた。僕はもうすぐ君との事を忘れてしまうだろう。でも、この時計に刻まれた【志】の文字は消えない。時代も生き方も違うけど、僕もこの、志を引き継がせてもらうよ。
 そして、そこからもう一度拝殿に向かって一礼した。
 溢れてきた涙を拭き、懐中時計をハイビスカス柄のタオルに包んでリュックにしまった。このタオルは秀美ちゃんに貰ったものだ。時計同様、新一の宝物である。
 視線を感じ、ふと前を見ると身なりの良い年配の男性が立っていた。
「失礼ですが柳原新一さんですか?」
「えっ? あ、はい」
 反射的に返事はしたものの、その男性に見覚えは無い。白髪で、歳は七十歳くらいだろうか。
「ああ、やはり。やはりそうでしたか」
 その男性は感無量といった感じで新一の手をとり、一方的に握手をした。
「あの、どなたでしょうか?」
 唐突すぎて訳が分からない。
「申し遅れました。上田修と申します。私の父は上田隆明。太平洋戦争中は海軍に所属し、回天部隊の隊員でした」
「上田? あの上田少尉の?」
 上田少尉。あの上田少尉の子供なのか。
「はい。やはりご存じでしたか。当時父は相良秀則という大学の同期生と親しくしていたようで、相良氏から貴方宛ての手紙を預かっていました」
「えっ、手紙?」
 手紙? 相良君が僕に手紙を? マジか。嬉しい。メチャメチャ嬉しい。でも、どうやって……そもそも上田少尉には何も話す事が出来なかったのに。
「はい。お話すると長くなります」
 上田さんの口調は穏やかだったが、今にも泣きだしそうなほど高揚している様が見て取れる。だが、泣きだしたいほど嬉しいのは自分だった。
「構いません。お話頂けますか? でもその前に、どうして僕が柳原新一だとわかったのですか? 初対面だと思いますが」
 自宅ならまだしも、ここは東京だ。
「ここでお会いしたのは偶然です。本当は明日お宅にお伺いするつもりでした。今日は上京のついでに参拝していこうと思ったのです。父も一時ですが軍人でしたし、相良少尉の命日ですから。そしたら貴方を見かけたのです」
「僕を知っていたのですか?」
「いえ。でもこの猛暑の中、その若さで懐中時計を手にして靖国神社で参拝……もしやと思い声を掛けさせて頂きました」
 修は額に噴き出した汗をぬぐいながら説明した。
「そうでしたか。上田さん、ここじゃ暑いし、もしお時間ありましたら、どこか涼しいところでお話しませんか?」
 確か駅近くに喫茶店があった気がする。一刻も早く詳細を聞いて手紙を読みたかったが、こんなところで長々と立ち話をしていたら、上田さんが熱中症になってしまうかもしれない。
 修は喜んで新一の提案に賛同した。

 若くして病気で亡くなった上田少尉は妻に手紙を託していた。
 修さんが物心ついた時、すでに父親は他界していたので、父の記憶は全くないという。
 上田少尉が相良君から預かった手紙は奥さんに渡り、奥さんの死後、息子である修さんに委ねられた。美代子さんの時と同じだ。
 新一宛ての手紙は、令和五年七月十一日以降に渡すよう指定されていた。
 上田さんが母親からこの手紙を受け取ったのは九年前で、その二日後にお母さんは亡くなったという。享年八十六歳、苦労はしたが幸せな人生だったと言っていたそうだ。
 松野家同様、上田さんも、その手紙の事は直ぐに忘れ、再び思い出したのは先月の事だという。
「上田さんにとっては全くの他人である僕の為に……ほんとに、ほんとうにありがとうございます。何とお礼を言ったらいいか……」
 新一は深々と頭を下げた。
「いえ、私は楽しかった。失礼。ですがワクワクしました。でも最初に手紙を読んだ時はとても信じられませんでした」
「でしょうね」
「母の死後、言われた通りに封を開けて中を見ると、相良少尉からの手紙が入っていました。貴方に宛てたものと、父と私達に宛てた手紙も同封されていました。そこには昭和が六十四年で終わる事、次の元号が平成と令和である事が書かれていました。父、隆明が亡くなったのは昭和二十六年です。平成や令和という元号を知る由はありません」
「それでその手紙を信じたのですか?」
「それもありますが、先程お話したように、私はその手紙の事を忘れていました。再びそれを思い出したのは先月、七月十一日です。信じざるを得ません」
 修は一口、水を飲んでから続けた「ほんとはすぐにでもお会いしたかったのですが、戦友会の名簿にあった柳原さんの住所は駐車場になっていました。やっと現住所がわかったら、今度は私がギックリ腰をやってしまって……気持ちは焦っていたのですが、遅くなって申し訳ございません」
「いえいえ。こちらこそすみませんでした」
 こんな年配の人に謝られると、とても恐縮してしまう。一息おいて新一はアイスコーヒーをすすった。
「母がその手紙を私に託した日、手紙の事を思い出したのは父の葬儀の時以来だと言っていました。母が私に嘘をつくはずがありません」  
 修は話し終わると、一気にコップの水を飲み干した。
「そうでしたか。ありがとうございます。同じように、相良少尉が別の家族に宛てた手紙で僕は現世に戻る事ができました」
 新一は大津島での出来事を上田さんに話した。
 長い話だったが修は真剣に新一の話に耳を傾けた。
「お話頂きありがとうございます。父は……父は相良少尉に助けられたのですね」
「解りません。でも、自分が行かねば上田が死ぬ。それは絶対にさせない。そう言っていました」
「そうですか。そんな友達がいたのなら父はきっと幸せだったのだと思います」
 そう言うと修は新一に手紙を渡した。
「これも縁です。何かありましたらご連絡ください」
 修はテーブルの上に名刺と珈琲代を置いて立ち上がった。
「あの……」
「その手紙はお一人でお読みください。ではまたいつか」
 そう言うと上田さんは丁寧にお辞儀をして店を出て行った。
 テーブルに置かれた名刺には、浜松北リハビリテーション病院・院長・上田修と印刷されていた。
マジか。相良君、上田少尉の息子さん。メチャメチャ立派な人だったよ。
 新一はもう一杯アイスコーヒーを注文した。
 ブラックのまま一口飲んでから手紙をひろげた。
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