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君と僕だけ
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君と僕だけ
「別れて。」
「は?なに?」
「別れたい。」
「...。」
目の前で表情も変えずに言う黒髪長身の男は、何と聞いても別れを告げた。理由や言い訳などなにも言わずに壊れたようにその言葉だけを繰り返す。
「あっそ。」
「うん。」
何を言っても意味をなさないから最大限態度の悪い返事をすれば、奴は頷いてそこから立ち去った。それが数日前の昼、突然振られた顛末である。
「この時間までシロがいるのめずらしーな。」
サークルの飲み会の二次会で、右隣に座る同期はレモンサワーを傾けながら壁にもたれかかった。
「愛しのりっちゃんは?」
「振られた。」
目の前にあった誰かが飲みかけたハイボールを飲みながら答えれば、同期は声を上げた。
「まじか、シロ。」
「なになにどーしたんですか?」
あまりに驚くから左隣に座る後輩の女の子が身を乗り出した。金髪ロングの後輩は酔っているのか目がとろんとしている。
「シロ振られたらしーよ。」
「言いふらすなよ。」
「えー!!高校生の時から付き合ってるっていうメンヘラりっちゃん?なんで?!」
「詳しいね。」
驚いた彼女は酔った勢いか、ぺらぺらと話し始めた。
「だって有名ですよ、シロさんは彼女が厳しいから
飲み会すぐ帰るって。」
「なんで振られたん?」
「うーん...一方的に?」
「シロお前...まじか。」
今日は飲むぞ!と同期に慰められ、そしてその同期は30分後にはつぶれた。
「寝ちゃいましたね。」
「うん...君は?大丈夫?」
「実はちょっと気持ち悪いです。」
「えっ、」
「でも外の空気吸えば大丈夫なんで。」
そう言って立ち上がった彼女は少しふらついて、外に向かっていったので後を追いかけた。
「1人で大丈夫だったのにぃ...、」
「もう夜遅いから。」
がやがやとうるさい居酒屋から出てガードレールにもたれかかると、そよそよと涼しい風が吹いていた。
「大丈夫?」
「うん、だいぶいいですよ、」
「そう。」
しばらく無言が続いたので遠くに見えるバイパスに車が通っていく様子を眺めた。深夜1時を回っているせいか走るのはトラックばかりだ。
「なーんで振られちゃったんですかねぇ、」
「んー。」
「イケメンで優しくて気が利いて、高嶺の花ですよ?」
「めちゃくちゃ褒めるじゃん。」
歩道にしゃがんだ彼女は上目遣いにこちらを見上げた。ゆるんだ胸元から谷間が見えている。
「やっぱまだりっちゃんが好きですか?」
「うーん...。」
「ねぇ先輩、こっちきて。」
「どうしたの。」
彼女に手招きをされたので同じように歩道にしゃがんで、目線を合わせた。
「えへへ、」
照れたように笑った彼女はすん、と鼻をすすった。短いデニムのパンツからは生足が出ている。
「ごめん、気がつかなくて。」
「えっ、いいですよ、」
羽織っていたシャツを脱いで彼女に渡せば、顔の前で手を振った。
「嫌じゃなかったら、使って。」
「...。」
そう言えば彼女は唇を尖らせてシャツを受け取り、
後ろから手を通して背側が膝にかかるように着た。
「こんなんされたら、好きになっちゃいますよ。」
「はは、そんな大げさな。」
「本当に。」
「...。」
「ねぇ、私じゃだめですか?りっちゃんのこと好きなままでいいから。」
とろんとしているくせに奥底では真剣な眼差しで言うものだから、思わず言葉に詰まってしまう。
「まずはライトなお付き合いからでいいんで!」
「...ライトって?」
「セフレからってことです。」
「それってライトなの?」
「だめ?」
久しぶりに女の子と付き合うのも、いいか。
「いいよ。」
彼女はへにゃりと笑ってやったー、と言い、そして膝にかかった俺のシャツに盛大に吐いた。
「本当にすみませんでした...。」
「全然いいのに。」
飲み会から数日後、喫煙所でタバコを吸っていると、彼女がやってきて深々と頭を下げて新品のシャツを差し出した。
「それより、大丈夫だった?」
「それはもう全然大丈夫です。」
なおも申し訳なさそうにする彼女とは、件の飲み会以降初めて会う。
「あと、同じシャツ売ってなくて...というかシャツの柄覚えてなくて...先輩に似合いそうなのを選びました。」
「ありがとう。」
こんなふうに誰かから純粋な好意でプレゼントを貰うのは久しぶりで素直に嬉しかった。
「あの、お詫びにご飯作るんで今日家来ません?」
「いいの。」
「もちろん!」
そう言って眩しい笑顔でこちらを見た彼女は夕日に照らされてきらきらしている。
「家、こっちの方なんですよ、」
大学の最寄り駅側とは逆方面の門へ向かう彼女は指を差し、田舎から出てきて土地勘がないまま契約したせいなのだと唇を尖らせた。
「かわいいね、それ。」
「え?」
「唇。クセ?」
「えっうそ、やだ!親にも注意されてたのに!」
飲み会の時もやっていたその仕草は派手な見た目とは逆に子供っぽくて可愛らしい。
「かわいいのに。」
もう一度そう言うと、彼女はなんとも言えない顔をした。
「ずるい。」
「そうだよ。」
少し前を歩く彼女の華奢な手を握って軽く指を絡めれば、彼女は何も言わずにゆるく握り返した。
手を繋いだまま5分ほど歩いて、よくある2階建てのアパートの角部屋に入ると女の子の家の匂いがした。
「狭いんですけど、どうぞ。」
「お邪魔します。」
ピンクで統一されたベットとピンクのラグ、グレーのカーテンに白いテーブル。存外、乙女趣味のようだ。
「適当に座っててくださーい。」
「はい、」
しばらくぼんやりと部屋を眺めていると廊下から規則正しいトントンという音が響いた。本当に夕飯をご馳走してくれるらしい。
その音を聞きながらスマホを見れば、なにも連絡はなかった。付き合っていた頃は嫌というほど連絡してきたのに、別れたら全く音沙汰がない。部屋にはまだ荷物が残っているからせめて取りに来る日を返信してほしいのに。
「先輩?」
「...ん?」
「お酒飲みます?」
「じゃあ、少しだけ。」
「えへへ、」
秋味とかかれた期間限定の缶を両手に下げた彼女は今日も短いデニムのパンツから生足を出している。
「ねぇシロさん、」
「ん?」
「りっちゃんのこと教えて。」
「うーん...何が知りたいの。」
お手製の鍋を食べ終えた頃、ほろ酔いになった彼女は俺の肩に頭を載せていた。
「どんな子?」
「寂しがり屋さんで、泣き虫。」
「かわいい?」
「かわいい時もあるよ。」
「ふふ、愛されてたんですねぇ、りっちゃんは。」
彼女は頭を上げてゆっくりとした動作で膝の上に乗った。さらさらの金髪から女の子らしいシャンプーのいい匂いがする。
「ねぇ先輩、」
「うん、」
「この前の話、覚えてます?」
「...セックスする?」
「ん、」
柔らかいピンクの唇が触れてゆっくりとキスをしながら彼女を抱きしめると、ふにふにと柔らかくて力を入れたら壊れてしまいそうだった。
ブブー。
スマホが机の上で震える音で、作業していた手を止めてパソコンから離れた。
「あ。」
画面を確認すると彼女から家に来ないかというメッセージが届いていた。先日セックスしてからも何度かそういった行為をして、飲み会で彼女が言っていた通りライトな付き合いは続いている。
『お邪魔します』
簡易に返信をしてスタンプを送り、シャワーを浴びてから家を出た。
「シロさん、」
「ん?」
「あのぉ...」
「どうしたの。」
セックスの後ベランダでタバコを吸っていると後ろから彼女に抱きしめられた。まだ上を着ていないのか背中に胸が当たっている。
「冷えちゃうから、おいで。」
「うん、」
着ていたパーカーの内側に彼女を迎えると少し体重をかけるようにして寄り添った。
「シロさんあったかい。」
「男の子だからじゃない?」
「そうかなぁ、」
「どうかしたの。」
タバコを消して携帯灰皿に入れると、彼女を覆うようにパーカーの中で抱きしめた。やっぱり柔らかくて壊れてしまいそうだ。
「あのね、言いたくなかったらいいけど。」
「うん。」
「ここにキズの痕、あるでしょ。」
「...っ、」
肋骨のちょうど下の脇腹をするりと撫でられて息を詰めた。
「シロさん色白いから...セックスしてるときここ、ちょっとだけ色づくの。」
「そうなの...?」
それは知らなかった。
それから彼女は抱きつくように背中に手を回した。
「大きなケガだったの?」
「...高校生のとき、りっちゃんが間違えちゃっただけだよ。」
「それって、」
「大事ないから大丈夫。」
こちらを見上げた彼女は泣きそうな顔をして、そしてもぞもぞとパーカーの中に潜り傷痕にキスを落とした。
「...、」
「痛いの痛いの、とんでけ、」
「...ふふ、」
「えへへ、」
「明日、出かける?」
「えっ...うん!!」
眩しい笑顔で元気よく返事をした彼女はかわいらしい。
「じゃあその前にもう1回。」
「シロさんのえっち、」
「男の子だもん、エロいよ。」
きゃははは、と子供のように彼女は笑った。
「シロさんってなんのバイトしてるの?」
「言ってなかったっけ。」
翌日、パンケーキが有名なカフェでコーヒーを飲みながら彼女の身の上話を聞いていた。彼女は肩が見えるオープンショルダーワンピースを着て頬杖をついた。
「あれ、士郎(しろう)?」
「...え、兄さん?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、兄が女性と一緒に立っていた。
「久しぶり。オシャレして...デート?」
「うん、兄さんも?」
「うん。こちらミユさん。」
兄の横に立っていた女性ーミユがにこりと笑って挨拶をしたので、こちらも会釈をした。
「彼女はアキちゃんだよ。」
はじめまして、と少し慌てて立ち上がった彼女は兄とミユに頭を下げた。
「よろしくね。今度はみんなで食事しようね。」
「あっ、はい、」
「うん、またね兄さん。」
嬉しそうに笑った兄はひらひらと手を振って店を出て行った。それを確認するや否や彼女はこちらへ向き直った。
「シロさんってお兄さんいたんですか!」
「うん、言ってなかったっけ。」
「言ってないですよぉ...バイト先も。」
「あはは、そうだったね。」
それからまた少し話をして、ふわっふわのパンケーキを食べて、けやき並木を歩いた。
「シロさんのお兄さん、イケメンでしたね。」
「そう?」
「都会の男って感じ。」
「ふふ、俺は?」
「えへへ、ヤキモチ?」
「うん、そう。」
彼女の細い指に指を絡めると、ぎゅうと握り返された。
「...ずるい。」
「知ってるくせに。」
「うん、」
彼女は唇を尖らせてまっすぐ前を向いていた。
「今度、」
「え?」
「ううん、今日家くる?」
「えっ...、」
家に誘うと彼女はばっ、とこちらの顔を見て、それから元気よく返事をした。
「おじゃましまぁす、」
玄関で靴を脱ぎながら彼女は遠慮がちに言い、きょろきょろと部屋を見回した。緊張しているのかカバンをぎゅっと抱きしめている。
「適当に座ってて。」
「あ、はい。」
キッチンからお茶を持っていくと、彼女はソファの上でまだカバンを抱いていた。
「どうしたの。」
「うち...狭かったですよね?」
「え?そんなことないよ。」
「だってめっちゃベットデカいし...。」
そう言って彼女はダイニングから続く奥の寝室に視線を送った。
「えっち。」
「えっ?!」
「そんなにベット行きたい?」
「ちがっ、違います!」
にやりと笑って彼女をからかえば、顔の前で手をぶんぶんと振った。
「ご飯食べてからね。」
「うぅ、」
「晩ご飯、パスタでもいい?」
「作れるの?」
「上手くないけど、頑張るね。」
彼女は手伝いますよ、と言ってワンピースの袖を捲ったので部屋着を持ってきて渡した。
「ごめんね、結局作ってもらっちゃって。」
なかなか沸騰しない鍋の前で、玉ねぎを切る彼女を見ながら言えば困ったような顔をした。
「だって...包丁使えないなら言ってくださいよ!」
「ごめんね。」
「本当に痛くない?」
「うん。」
絆創膏で巻かれた左の人差し指を曲げ伸ばしして答えた。
「シロさん」
「ん?」
「今日、偶然だったけど家族...お兄さんに紹介してくれて、うれしかったよ。」
照れたように笑う彼女の頭を撫でれるとサラサラの金髪が指の間を抜けていった。
「うん、俺も。」
「それから、シロさんの格好悪いところも見れたし。」
「...そうだね、」
「あはは、かわいい顔!」
上機嫌に笑う彼女のおかげでパスタは完成し、そしていつものように体を重ね、広いベットの上で体を寄せ合った。
「寒い、」
「シロさん?」
「ちょっとだけ、ぎゅってさせて。」
「うん。」
後ろから彼女を抱きしめた。小さくて柔らかくていい匂いで、壊れてしまいそう。金髪のロングヘアーはセックスの名残で少し絡まっている。
「シロさんは...りっちゃんは寂しがり屋だって言ってたけど、シロさんも同じだね。」
「そうかなぁ、」
「うん、あとね、」
「うん、」
「いろいろ全部、あたってるの...。」
「ふふ、ごめんね。」
ごめんね、アキちゃん。
次の週末、バイト終わりのアキちゃんをドライブに誘った。レンタカーで高速を走っていると彼女は助手席でホイップの乗った甘そうな飲み物を飲んでいた。
「突然ごめんね。」
「ううん、でも...バイト終わりで臭うかも。」
「いい匂いするよ。」
「頑張ってケアしたの!」
もう!と頬を膨らませたアキちゃんは、今日も可愛らしかった。
「バイト疲れた?」
「うん、週末だからお客さん多くて。」
「寝てていいよ。」
「でもせっかくのドライブだし、」
そう言ったアキちゃんは数分後、子供のような寝顔で眠ってしまった。彼女のことだからバイトも一生懸命こなすのだろう。
それから2時間ほど車を走らせて海辺でアキちゃんを起こした。
「着いたよ。」
「ん...?」
「疲れてたのに、ごめんね。」
「ううん、いいの、うれしいし...。」
寝ぼけ眼で彼女は答えながらシートベルトを外して車を降りると、うーんと伸びをした。
「海?」
「うん。」
「えっ、ここ、」
「うん、アキちゃんの地元。」
なんで、どうして、と驚く彼女と一緒に浜辺まで降りた。10月の風は少し冷たくてアキちゃんは寒そうにしていた。
「これ使って。」
「ありがと、」
シャツを手渡せばアキちゃんは素直に受け取ってソレを羽織った。
浜辺に座ると静かな波の音が響いた。遠くで誰かが散歩している姿が見える。
「いいところだね、地元。」
「田舎ですよ、なんにもない。」
「俺は好きだよ、ここ。」
しばらく身を寄せあって、お互いの指を絡めながら波を見つめた。深い色の海と澄んだ空はアキちゃんの言う通り都会にはない景色だと思った。
「アキちゃん、」
「ん?」
「キスしよっか。」
「うん、」
静かに唇を重ねると、あたたかくて柔らかいソレが触れた。触れるだけのキスをして唇を離して彼女の頬を両手で包み、目を合わせた。
「アキちゃん、」
「どうしたの、」
「アキちゃんはかわいいね。」
「うん...?」
「アキちゃんは優しくてあったかくて、元気いっぱいで、側にいると楽しいよ。でもそれじゃ俺がダメなの。」
「なんで、」
「俺はここじゃ息ができない。」
「シロさん、」
「アキちゃんは何も悪くないよ。ごめんね、アキちゃん。」
「なんで、シロさんがそんな顔するの、」
アキちゃんの腕が伸びて震える手でこちらの手首を掴んだ。
「アキちゃん、大好きだよ。ごめんね。」
「どうしてそんなこと、言うの、」
アキちゃんは酷いよぉ、と言って泣いた。わんわん泣いている姿は子供のようで、俺は彼女の涙を何度も何度も拭った。
どれくらいそうしていたのか分からなくなるほどアキちゃんが泣いた後、膝の上に彼女を抱えて背中をさすりながら話をした。
「アキちゃん、最後に1こお願い聞いてくれる...?」
「うん、」
「アキちゃんを実家まで送るから、1週間くらい休んで。お母さんのご飯をちゃんと食べて、わんちゃんと散歩をして、お風呂に浸かってゆっくりするの。そしたらまた、大学で会おうね。」
「うん、」
「約束してくれる...?」
「うん...。」
アキちゃんはぎゅぅと抱きついて小さく頷いた。
「ごめんね、アキちゃん。」
「ゆるさない、」
「うん、いいよ。」
「ずるい、だいっきらい、バカ、」
「うん、」
「シロさんなんか、きらい、だいっきらい、」
「ごめんね。」
「でも、まだ好き、だいすきなの...っ、」
「うん。」
アキちゃんは優しかった。底抜けにいい子で、どうしようもないくらい自分には不釣り合い。
海を離れて車で海岸沿いを走り山道を少し走るとぽつぽつと一軒家が立ちはじめ、そのうちの大きな家がアキちゃんの実家だった。
「着いたよ、素敵なお家だね。」
「うん、」
アキちゃんは少し腫れた目でこちらを睨んだ。
「シロさん、キスして。」
「...うん。」
車から降りてアキちゃんを抱きしめて、キスをした。柔らかい唇に触れて舌を差し込んで優しく舌同士を擦り合わせて、それを何度も繰り返して離した。
「それじゃあ、ばいばい、アキちゃん。」
「うん、」
車に戻るために彼女のぬくもりから離れた。
「士郎....!」
「...。」
名前を呼ばれた。
「ばいばい、士郎、」
「うん、ばいばい。」
小さく手を振って、車に乗りこんでしばらく走らせてバックミラーで彼女が家に入るのを見届けてから、また車を走らせた。
アキちゃん、ごめんね。
アキちゃんが心配してくれた傷、痛くなんてない。イケメンで優しくて気が利いて高嶺の花な俺なんて始めからいない。
それから。
兄さんがカフェにいたのは偶然じゃない。家に誘ったのも、手を切ったのも、ベットでシたのも、全部全部、アキちゃんのためじゃない。
かわいくて優しくて明るい、アキちゃん。
アキちゃんがくれたシャツ、ダサかったけど一生懸命選んでくれて嬉しかった。
アキちゃんが作ってくれたご飯、あったかくて優しい味がした。
...でも、吐き気がするくらい俺には合わない。
早朝、自宅に帰ると見覚えのある革靴が玄関にきっちりと揃えられていた。
「おかえり。」
「どの面下げて戻ってきたんだよ。」
部屋からにっこりと笑って現れた男は黒髪長身にパジャマ姿だった。
「兄さん。」
「冷たい呼び方するなぁ。いつもみたいに呼んでよ、士郎。」
「うるせぇな侑李(ゆうり)。」
「りっちゃんって、呼べば?」
「子どもの頃の話だろ。」
にやりと笑う兄の顔に苛立って舌打ちをしながらそう言うとパン、という音と共に頬を叩かれた。ピリピリとした痛みがじわりと広がっていく。
「...っ、」
「とりあえず臭ぇから風呂入れよ。」
臭いというのは、アキちゃんの女の子らしいシャンプーの匂いのことだろうか。
シャワーを浴びて出ると外は白んでいて部屋が明るくなっていた。ダイニングのソファで早朝のニュース番組を見ていた侑李はあくびをしながら立ち上がった。
「士郎、ここでヤった?」
「それが何。」
バキ、と音がしたと認識すると同時に頬を殴られていた。口の中が切れて、血の味がする。そのまま乱暴に胸ぐらを掴まれて、ベットに投げられた。
「ははは、」
「...っぁ、あ゛、」
侑李はベットに上がると足でモノを踏んだ。容赦なく体重をかけられて痛みが体に巡っていく。
「こんなんで勃たせてる奴が、どんな顔して女抱いたの。」
「...っ、ぁ、...っ、聴いてた、くせに、」
「だったら何。」
「ぅ、あ゛、あ゛...っ!」
「士郎がクソ長い前戯してた話でもすればいいの。」
痛い、いたい、いたい、
竿だけじゃなくて玉の方まで踏まれて涙がじわりと滲んだ。
「あ゛、ゆぅ、りぃ...っ、」
「ああ、もうイきそう?」
「ゃ、ぁ...っ、パンツ、ぬぎたい...っ」
「だめ、このままイけよ。」
「ぁ゛、ぅ、あ゛、あ゛、も、つぶれ、ぅ」
侑李の足が食い込むほど体重をかけられて、痛くて、痛くて、死ぬほどきもちよくて、泣きたくなる。
「ぁ゛っ、ぁぁ゛っ、」
びくりと背中がしなって、パンツの中に勢いよく精子が漏れた。
「ほら、もう一回。」
「っぁぁぁ゛あ゛!、ーーっ、」
敏感になったソコをもう一度踏まれて、がくがくと腰が動く。侑李に仕込まれた快楽が全身を支配してぼたぼたと涙が溢れた。
「ぁ゛、あ゛っ、」
「うるさい。」
あぁ、やっぱりここじゃないと、だめだ。
「り、ちゃん、ぁ゛あ゛...っ、りっちゃん...っ、」
「うん、りっちゃんだよ。」
「なんで、わかれる、と、かぁぁあ゛...っ、」
「うるさいよ、お前。」
「ぁぁあ゛、つぶ、れ、ゅ、」
お腹まで響く痛みに本能で危機を感じて、思わず侑李の足に爪を立てた。それに舌打ちをした彼は足を退けて俺のこめかみを蹴り飛ばした。
「っ、ぅ、ぐ、」
「士郎、」
「ぁ゛、っ、」
「トんじゃだめだよ。」
ぐらぐらと揺れる視界に侑李の黒髪が映る。するりと優しく頬を撫でられて、冷たいその手に包まれた。お腹の上に侑李がまたがるように座って、頬を撫でていた手が首まで降りてきて、次にされることへの期待にひりひりとした何かが背中を駆け抜けていった。
「ぐ、ぅ...っ、っ、」
「士郎、僕を試したね。」
「...っ、ぁ゛...っ」
侑李の指に力が込められていく。段々と気道を潰されていく感覚に足がゆるくばたついて、シーツを蹴った。
「僕がいたカフェに来て。その後わざわざ家で夕飯を食べて、セックスまでして。」
「ぁ゛...っ、ぐ、...っ、っ、っ!」
完全に気道を潰されて、首を絞めるその手に手を伸ばしても力が入らず添えるだけになる。苦しい、苦しくて、もう、
「ふふ、士郎、」
「...、っ、...、」
もはや、うめき声すら出ない。
「またイくの?」
「...っ、っ、」
「でも、トんだら指折るよ。聞こえてる?」
びくびくと腰が勝手に動いて体が強張る。じわじわと広がる快感と狭まっていく視界と感覚のなくなっていく指先に、意識を手放す直前、激痛が走った。
「っぁぁぁあ゛あ゛あ゛!!」
「トんじゃだめだって言ったでしょ。」
人差し指が、熱い。
激痛に意識は無理矢理引き戻されて、気道を潰された後の酷い叫び声が早朝の寝室に響いた。
「...っは、ぁ゛、ぁ...っ、」
「泣いてるの?かわいいね。」
「ゃ、ぅ、ゆうりぃ...っ、」
「でも、士郎は痛いの大好きでしょ?」
「ん、ぅ...っ、」
上から退いた侑李に膝の上に抱きかかえられて、子どもをあやすようにゆらゆらと揺られながら背中を優しく叩かれる。
「しろう、」
「ん...、」
「ただいま、士郎。」
「うん、おかえり、りっちゃん...、」
体が重たい。
けれど自分で動かせなくなるまでりっちゃんに支配されるのが、たまらない。
俺の肩に頭の載せたりっちゃんが鼻をすする音が聞こえて、りっちゃんも泣いているのだと気づいた。
幼い頃父は離婚して、そして侑李の母と再婚した。連子同士でそれぞれの親に手を引かれて初めて会ったとき、侑李は笑っていたように思う。
「はじめまして、士郎くん。」
「...。」
再婚相手はとてもきれいな侑李によく似た女性だった。俺は年齢的にも人見知りの時期だったし、その頃は滑舌も悪くて話すのが苦手だったから父の足にしがみついていた。
「この子は侑李。よろしくね。」
「...。」
「しろう?」
「ぅぅり、」
「...ふふ、りっちゃんでいいよ。」
「うん、」
小学生くらいの侑李にふわりと笑いかけられて優しくそう言われたとき、きっともう囚われていたのだろうと思う。
再婚前から父は仕事に忙しく家を空けることが多かったが、再婚後はその父に代わってに学校から帰った侑李が面倒を見てくれていた。
「しろう、これはなんて読むの。」
「あぃゅ、」
「そう、あひるだよ。」
お風呂の中に貼ってはるあいうえお順に並ぶパネルを最後まで言えたら、湯船を上がることが侑李と最初にした約束だった。
「これは?」
「いかゃ、」
「うん、いかだ。」
読み書きも、物の名前も、うさぎの形をしたりんごも、全部全部侑李から教わった。
最後の『ゆ』まで読むと、俺は嬉しくなっていつも元気よく答えていた。
「りっちゃん!」
「ふふふ、うん。そうだね。」
そう言うといつも侑李は照れたように笑って、俺の頭を撫でて最後に額にキスを落とした。俺は幸せの象徴みたいなその瞬間が大好きだった。
侑李のおかげで小学校に上がる頃には滑舌は直り、他人とも関われるようになった。
だけど、それは侑李を苦しめて、苦しめて、彼の中でドロドロに煮詰まってどうしようもなくなって、俺が高校に上がる頃についに溢れ出してしまった。
「侑李、文化祭来てくれる?」
「うん、もちろん。」
「喫茶店やるんだよ。」
「...楽しみだね。」
そして文化祭当日、クラスメイトの女の子と楽しそうに話す俺を見て侑李は壊れてしまった。打上げを終えて帰った俺の首を絞めて、初めて目の前で泣いた。
「ゆう、り、」
「ごめん、士郎。ごめん、」
「ゆうり...っ、」
首を絞めながら涙を降らせる侑李は苦しそうなのに、反対に俺は兄の名前を呼びながら何かが満たされていくのを感じた。
幼い頃無条件に与えられたのと同じように、彼の愛情をもう一度独り占めしたかったのかもしれない。
「ごめん、ごめんね、士郎。」
「っひゅ、げほ、」
泣きながら謝り続ける侑李の濡れた頬を撫でてそれを舐めると、甘かった。それをしたら侑李の一部が流れ込んできてもっと彼を感じられるような気がした。
「ゅ、ぅ、」
狭まる視界の端で侑李が文化祭の準備で使っていたカッターを掴んだ。そしてそれがカチカチと音を立てて、あぁやばいかも、とぼんやり思った。
「...っぁ゛、」
熱い。
脇腹に熱さを感じた後、強烈な痛みが襲ってそして指先が冷えていく。
「僕以外と話さないで、僕以外を知らないで、僕以外とご飯を食べないで、服も髪も全部全部、僕の知らない士郎を作らないで、士郎の全部を僕で埋めて。」
侑李の見たことのないような鋭い視線と子供に言い聞かせるような優しい声と温かい涙を浴びながら、彼の全てをぶつけられるどうしようもない多幸感を感じた。
「...ぅ、ん、...ぅん、」
意識を失う直前、多幸感の中で必死に返事をしながらパンツが濡れていく不快感を覚えた。
「ぅ゛、」
次に気がつくと病院だった。
救急車に乗ってからのことが、断片的に記憶に残っている。
「士郎!」
父と侑李の母がこちらを心配そうに覗き込んで、涙ぐんでいた。スーツ姿の父は家には帰っていないのだろうか。
「士郎、分かるか。」
「お父さん、ごめんね。」
「心配した。だからあれほど部屋を片付けなさいと言ったんだ...。」
目頭を押さえながら父はそう言って、医者を呼びに部屋から出て行った。母が机から飛び出ていたカッターが刺さったのだと説明する奥で侑李がにこりと笑っていた。おぼろげな幼い頃の記憶の、初めて会ったときと同じ笑顔に見える。
その瞬間、俺たちはお互いの異常性と深い愛情と兄弟を超えた何かに気づいてしまった。絆なんて綺麗なものではない、こんなのは因縁と呼ぶべきだ。
全てを間違えた俺達には他人からは理解されない愛を体現する場所が必要で、侑李は特別な地獄を用意した。地獄に入れば痛みは快楽になって、暴力は愛情になる。どうしようもないその地獄は、侑李の感情をどろどろに煮つめて凝縮した愛そのものだ。
そして侑李は地獄を作ったことを今でも、きっと悔やんでいる。
目を覚ますと侑李は隣にいなかった。代わりに部屋中にいい匂いが漂っていて、テレビからは音が漏れている。
「ゆうり、」
重たい体を起こして名前を呼ぶと自分でも驚くほど掠れて頼りない声だった。
「士郎、おはよ。」
それなのにソファにいた彼は立ち上がると、側に寄った。布団を捲ればサテンのパジャマを着て、左手の人差し指には添え木と包帯が巻かれていた。
「いま、なんじ、」
「16時だよ、たくさん寝たね。」
侑李のひんやりとした手が頬に触れる。昨夜殴られた箇所がびりりと痛んだけれど、寝起きでほてった体にはその冷たさが気持ちよくて擦り寄った。
「ご飯にしよっか。」
「ん、」
彼は機嫌よさそうにキッチンへ向かい、小さな皿を持って戻ってきた。そしてベットへ腰掛けるとスプーンで何かを差し出した。
「はい、」
「これ、なに...?」
「いいから。」
「ぁ、ん...、」
口に入れると冷たくて甘い、恐らくは擦りおろしたりんご。口の中が切れて腫れていて、あまり味がしないからよく分からない。
「りっちゃんだから、りんごなの、」
「ふふ、何それ。」
侑李は昨夜と打って変わって優しくふわりと笑った。
「もう少し食べよっか。」
「うん、」
そう言って彼が持ってきたのはミルク粥で、漂っていたいい匂いの正体はこれだった。
「士郎、口開けて。」
「...ぁ、」
「どう?」
久しぶりに食べる侑李の料理は口中に滲みて、味などしないし痛かった。それなのに泣きたくなるくらい安心する。
「...もう少し、たべたい、」
「いいよ。」
「...ん、」
口に運ばれてくるお粥を飲み込んでは、また口を開けてひな鳥のようにそれを繰り返した。
「士郎、」
「...、」
「士郎、泣かないで。ごめんね、」
ぽたぽたと落ちる涙を侑李の手が優しく拭う。細くて長い少し筋張った指は、昨夜首を絞めた指と本当に同じものなのだろうか。
「侑李、」
「ん、」
「愛してる、」
「僕も愛してるよ。」
触れるだけのキスをした。侑李の薄い唇はひんやりと冷たくて心地いい。
それから優しくお風呂に入れられて、ベットの上で映画を見た。
「士郎、起きてる?」
「うん、」
寝転んだ後ろから抱きしめられて頸に頭を埋められると、少し硬い黒髪が当たってくすぐったい。それから、ふわりと侑李の匂いに包まれる。
「...セックスしたい、」
「ん、」
ダイニングのテレビにはクライマックスになった映画がまだ流れている。
「士郎、いい匂いする。」
「うん、そうだよ。」
「キスして、」
「ん、」
侑李の腕の中でくるりと体勢を変えて、彼の少し冷たい頬に手を添えてキスをした。
「ん...っ、」
「ふふ、」
何度か啄むように唇に触れるだけのキスを落として、それからゆっくりと舌を差し込んだ。侑李の柔らかくてぬるりとした舌が絡んで、それだけで恥ずかしくなるようなくちゅくちゅという音が響いた。
「んぅ...っ、ん、...っ、」
「ふ、」
伏せていた目を開けると、侑李はくすくすと笑いながらまた舌を絡ませた。横長の垂れ目がちな二重が優しく細められていく。すっと通る高い鼻梁が触れて、薄い唇がお互いの唾液で濡れてどこからが境界なのかわからなくなりそう。
「ん、ぅ...っ、」
「...、」
どのくらいかわからないくらい長い間キスをして、その唇が離れていくと今度は首筋に優しく触れられた。
そのまま手形の残る首筋に優しくキスを落とされて、ゆっくりとパジャマの前を開かれると冷たい空気が肌を撫でた。
「乳首勃ってるね、」
「寒いから、勝手に、」
「そういうことにしよっか。」
「...っ、ぁ、」
侑李の黒髪が肌をくすぐって、舌がゆっくりと乳首に這わされる。それだけでぞわぞわと何かが体を巡って、彼のパジャマを握りしめた。
「...。」
「...っあ゛、ん、ぁぁ...っ、そこ、」
「うん、士郎はここすごく弱いね。」
脇腹にある傷痕を慰められるようにキスを落とされながら優しく舐められると、びくりと体が揺れた。
「ん...ぁっ、ぁ、あっ、」
「ちょっと触るだけで勃たせて、かわいいね。」
ソコに触れられると条件反射のように体が勝手に熱をもってしまう。ここを刺したときの彼の視線を思い出すからだろうか。
「ここだけでイけそう。」
「...っ、ゃ、」
「そう?」
侑李の長い指がズボンの上から痛いほど勃ち上がるソレを撫でて、またくすくすと笑った。
「もぅ、くるし、い、」
「じゃあ、それはまた今度にしようね。」
「ん...っ、」
次を仄めかす言葉がうれしくて目の前の黒髪を撫でた。
「どうしたの。」
「別に、」
侑李はまた笑ってズボンとパンツを脱がせた。お腹につきそうなソレの先端をくるくると遊ぶように触れてからひやりとした唇が触れた。
「...っ、まっ、っ、」
「だめ。」
「...っぁ、んん...っ、」
ぬるりとした口内に迎え入れられて、弱い裏筋を舌で刺激される。そのまま全体を優しくフェラされてじわりと涙が浮かんだ。
「ぁ、あ...っ、ぅ、ぁ、ぁぁ...っ、」
「気持ちよくて泣いてるの?」
「ん、ぁ、ぁ...っ、ゅう、り、」
「ん、」
「い、く、...っぁ、も、いっ、っ、からぁぁ...っ」
そのまま優しく口内で扱かれて呆気なく射精した。侑李は当然のようにそれを飲んで、それからローションを指に垂らした。
「すこし、薄かったね。」
「ぁ...っ、きのう、」
「そっか3回もイったんだもんね。」
「...っ、ん、ぅ...っ、」
「パンツ、だめになっちゃってた。」
「も、その話、いぃ...っ、」
ゆっくりと2本の指が入ってくる感覚に侑李のパジャマを握りしめた。最初のこのなんとも言えない感覚は何年経っても慣れなくて、息を詰めた。
「士郎。」
「ん、ぅ...っ、」
「かわいいね、士郎。」
ナカで指を広げて傷つけないようにゆっくりと動かして、どうしようもなくなるその場所をゆっくりと押しつぶした。
「ぁぁあ...っ、」
「気持ちいいね。」
「ん、ん...っ、ぁぁ...っ、」
侑李は困ったように笑った。ぞわぞわと競り上がってくる快楽を押し殺して、彼の襟首を掴んで引き寄せた。
「ゆうり、」
「ん?」
「もう、いい...っ、」
「うん、」
侑李はゆっくりと指を引き抜いて、ナカに入ってきた。それだけなのにざわざわと何かが押し寄せてどうしようもなくなる。
侑李の首に手をかけて、力を込めると優しく手首を掴まれて剥がされた。
「こら、だめだよ。」
「ぁ...っ、ぅ、ぁぁあ...っ、」
繋がってどろどろに溶けて、ひとつになってしまえばいいのに。なのに、ナカでりっちゃんのソレがずるりと動くたび、快楽が押し寄せるたびにひとつになんてなれないと思い知らされる。
それが寂しくて、切ない。
「士郎、もう泣かないで、」
「んぅ...っ、」
何かを感じ取った侑李に優しくキスをされて、快楽に身を任せることにした。
その後も侑李は壊れ物でも扱うように優しく抱いた。そんなことしなくたって壊れることなんてないのに、その低い体温で優しく触れて大事に大事に俺を包んだ。
だけど、知ってる。
りっちゃんは本当は泣きたくなるくらい優しい。
十数年前、はじめて会ったときから変わらずずっと優しい。
次の日、侑李に連れられて上野動物園に行った。大きな檻の中でサルが飛び移る様を侑李は眉間に皺を寄せて見ていた。
確か、幼い頃両親に連れられて来たときも同じような顔をしていたような気がする。
「なんで苦手なのに連れて来てくれんの。」
「士郎の卒業製作が近いから。」
「ふふ、あははは、」
進路選択のとき動物が好きだという高校生の戯言に、侑李は動物の絵を描けばいいと答えた。そういえばその時も動物園に連れて行ってくれた。
「優しいね、侑李は。」
動物園に行きたくないのに連れてきてくれる。大学やサークルに行って欲しくないくせにやれという。
俺を地獄に閉じ込めておきたいくせして、地獄から追い出そうとする。
「どうかしたの。」
「卒業製作、もう描き始めちゃった。」
「なんで先に言ってくれなかったの。」
「その顔が見たくて。」
俺だけのために、眉間を寄せるほど嫌な動物園に連れて行ってくれる侑李を見たかった。
ダメだった?と彼の顔を覗き込めば、困ったように笑ってため息をついた。
「お前はずるいね。」
「そうだよ。」
けれどそうさせるのは、侑李のせい。
「せっかく来たからパンダ見に行く?」
「うん、」
広い動物園の中をゆっくりと歩き親子パンダを見に行った。コロコロと転がりながら遊ぶその姿は愛らしく、平日でも展示スペースは混み合っている。
長身で人だかりから頭ひとつ抜けている侑李は老若男女からパンダの次に視線を集めた。しかし本人はコートのポケットに手を入れて子パンダをなんとも言えない表情で見ている。
「ん、満足。」
「そう?」
「うん、もう少し見たい?」
「士郎、あんまり意地悪言わないで。」
眉を下げて情けない顔をする彼に口元が緩んだ。
動物園からの帰り道、やっぱり動物は苦手だ、と情けない顔で笑う侑李に心臓を鷲掴みにされた気がした。だって侑李が動物が苦手な理由は他ならない俺だからだ。
動物園にいくと自分には庇護欲が無いと自覚させられるからだと言っていた。どんなに可愛らしい見た目をしていても愛せないと一度だけ話してくれた。
俺には士郎以外、全部同じに見える。
猿も人間も犬もパンダもハエも、みんな等しく同じなのだと彼は苦しそうに話していた。
それでも必死に取り繕うのは、彼の優しさが故だ。いまでも兄として弟に普通を教えようとしているのだ。兄と恋人と因縁の間で常に揺れる侑李は不安定で、優しさがゆえに矛盾している。
「侑李。キスしたい。」
「家帰ってからね。」
「だめ、今ここでしたい。」
日が傾いた夕方の街を歩く彼はため息をついて、俺の手首を優しく引いた。
そして彼の口元へ俺の指を運び、そこに触れるだけのキスをするとそのまま俺の口元へとソレを触れさせた。
1週間後には指の骨折以外はキレイに治った。大学の喫煙所でタバコを吸っていると遠くから金髪にデニムのパンツを履いたアキちゃんを見つけた。
彼女も気がつくと、少し気まずそうに小さく手を降って小走りでこちらへ向かってきた。
「ゆっくりした?」
「うん、しました。」
「足、寒そうだね。」
これあげる、と持っていたシャツを渡せば彼女は困ったように笑った。
「ううん、大丈夫。今日...タイツ持ってきてるから。」
「そっか。」
「シロさんは、どうしてたの、」
「動物園に行ってきたよ。」
にっこり笑ってタバコを灰皿に押しつけて捨てれば、彼女は視線を移した。
「その指、」
「うん、そうだよ。」
それだけで何かを感じ取ったのか、彼女はハッとしたような表情を見せたかと思えば泣きそうな、なんとも言えない顔をした。
「その...卒業製作は間に合うの。」
「多分、間に合うよ。」
「...。」
「...。」
「シロさん。」
「ん?」
「本当に寂しがりなのは、シロさんだったんだね。」
「...ふふ、内緒だよ。」
包帯の巻かれた左手の人差し指を唇の前に立ててポーズを取ると、彼女は一瞬口元を引き攣らせ、それから笑った。
「卒業展示、楽しみにしてます。シロさんのだけじゃなくて先輩皆の!」
「うん、ぜひ見にきて。きっと兄さんも来るよ。」
「えへへ、ちょっと気まずいなぁ。」
アキちゃん、やっぱり俺は普通の幸せな恋愛ごっこじゃ満足できないよ。
「大丈夫だよ。」
サークル棟に行くという彼女と笑顔で分かれて、駅前にある侑李との家まで歩くことにした。
すっかり冬に入った街は乾燥して肌寒い。
ねぇ、りっちゃん。
りっちゃんは俺を地獄に無理矢理閉じ込めちゃったと思っているけど、本当は違うよ。
俺が、りっちゃんに地獄を用意させた。
俺だけのために用意された地獄で、逃げ出さないようにりっちゃんの足に枷をつけてる。
でも、何も知らない優しいりっちゃんは地獄を作った罪悪感にたまに耐えられなくなって、地獄を閉じようとしちゃう。
でもね、りっちゃん。
俺はここでしか、息ができない。
りっちゃんがいないと生きていけない。
だからね、りっちゃん、
勝手に地獄を終わらせようとするなんて、許さない。
君と僕だけ(の地獄)
終わり
「別れて。」
「は?なに?」
「別れたい。」
「...。」
目の前で表情も変えずに言う黒髪長身の男は、何と聞いても別れを告げた。理由や言い訳などなにも言わずに壊れたようにその言葉だけを繰り返す。
「あっそ。」
「うん。」
何を言っても意味をなさないから最大限態度の悪い返事をすれば、奴は頷いてそこから立ち去った。それが数日前の昼、突然振られた顛末である。
「この時間までシロがいるのめずらしーな。」
サークルの飲み会の二次会で、右隣に座る同期はレモンサワーを傾けながら壁にもたれかかった。
「愛しのりっちゃんは?」
「振られた。」
目の前にあった誰かが飲みかけたハイボールを飲みながら答えれば、同期は声を上げた。
「まじか、シロ。」
「なになにどーしたんですか?」
あまりに驚くから左隣に座る後輩の女の子が身を乗り出した。金髪ロングの後輩は酔っているのか目がとろんとしている。
「シロ振られたらしーよ。」
「言いふらすなよ。」
「えー!!高校生の時から付き合ってるっていうメンヘラりっちゃん?なんで?!」
「詳しいね。」
驚いた彼女は酔った勢いか、ぺらぺらと話し始めた。
「だって有名ですよ、シロさんは彼女が厳しいから
飲み会すぐ帰るって。」
「なんで振られたん?」
「うーん...一方的に?」
「シロお前...まじか。」
今日は飲むぞ!と同期に慰められ、そしてその同期は30分後にはつぶれた。
「寝ちゃいましたね。」
「うん...君は?大丈夫?」
「実はちょっと気持ち悪いです。」
「えっ、」
「でも外の空気吸えば大丈夫なんで。」
そう言って立ち上がった彼女は少しふらついて、外に向かっていったので後を追いかけた。
「1人で大丈夫だったのにぃ...、」
「もう夜遅いから。」
がやがやとうるさい居酒屋から出てガードレールにもたれかかると、そよそよと涼しい風が吹いていた。
「大丈夫?」
「うん、だいぶいいですよ、」
「そう。」
しばらく無言が続いたので遠くに見えるバイパスに車が通っていく様子を眺めた。深夜1時を回っているせいか走るのはトラックばかりだ。
「なーんで振られちゃったんですかねぇ、」
「んー。」
「イケメンで優しくて気が利いて、高嶺の花ですよ?」
「めちゃくちゃ褒めるじゃん。」
歩道にしゃがんだ彼女は上目遣いにこちらを見上げた。ゆるんだ胸元から谷間が見えている。
「やっぱまだりっちゃんが好きですか?」
「うーん...。」
「ねぇ先輩、こっちきて。」
「どうしたの。」
彼女に手招きをされたので同じように歩道にしゃがんで、目線を合わせた。
「えへへ、」
照れたように笑った彼女はすん、と鼻をすすった。短いデニムのパンツからは生足が出ている。
「ごめん、気がつかなくて。」
「えっ、いいですよ、」
羽織っていたシャツを脱いで彼女に渡せば、顔の前で手を振った。
「嫌じゃなかったら、使って。」
「...。」
そう言えば彼女は唇を尖らせてシャツを受け取り、
後ろから手を通して背側が膝にかかるように着た。
「こんなんされたら、好きになっちゃいますよ。」
「はは、そんな大げさな。」
「本当に。」
「...。」
「ねぇ、私じゃだめですか?りっちゃんのこと好きなままでいいから。」
とろんとしているくせに奥底では真剣な眼差しで言うものだから、思わず言葉に詰まってしまう。
「まずはライトなお付き合いからでいいんで!」
「...ライトって?」
「セフレからってことです。」
「それってライトなの?」
「だめ?」
久しぶりに女の子と付き合うのも、いいか。
「いいよ。」
彼女はへにゃりと笑ってやったー、と言い、そして膝にかかった俺のシャツに盛大に吐いた。
「本当にすみませんでした...。」
「全然いいのに。」
飲み会から数日後、喫煙所でタバコを吸っていると、彼女がやってきて深々と頭を下げて新品のシャツを差し出した。
「それより、大丈夫だった?」
「それはもう全然大丈夫です。」
なおも申し訳なさそうにする彼女とは、件の飲み会以降初めて会う。
「あと、同じシャツ売ってなくて...というかシャツの柄覚えてなくて...先輩に似合いそうなのを選びました。」
「ありがとう。」
こんなふうに誰かから純粋な好意でプレゼントを貰うのは久しぶりで素直に嬉しかった。
「あの、お詫びにご飯作るんで今日家来ません?」
「いいの。」
「もちろん!」
そう言って眩しい笑顔でこちらを見た彼女は夕日に照らされてきらきらしている。
「家、こっちの方なんですよ、」
大学の最寄り駅側とは逆方面の門へ向かう彼女は指を差し、田舎から出てきて土地勘がないまま契約したせいなのだと唇を尖らせた。
「かわいいね、それ。」
「え?」
「唇。クセ?」
「えっうそ、やだ!親にも注意されてたのに!」
飲み会の時もやっていたその仕草は派手な見た目とは逆に子供っぽくて可愛らしい。
「かわいいのに。」
もう一度そう言うと、彼女はなんとも言えない顔をした。
「ずるい。」
「そうだよ。」
少し前を歩く彼女の華奢な手を握って軽く指を絡めれば、彼女は何も言わずにゆるく握り返した。
手を繋いだまま5分ほど歩いて、よくある2階建てのアパートの角部屋に入ると女の子の家の匂いがした。
「狭いんですけど、どうぞ。」
「お邪魔します。」
ピンクで統一されたベットとピンクのラグ、グレーのカーテンに白いテーブル。存外、乙女趣味のようだ。
「適当に座っててくださーい。」
「はい、」
しばらくぼんやりと部屋を眺めていると廊下から規則正しいトントンという音が響いた。本当に夕飯をご馳走してくれるらしい。
その音を聞きながらスマホを見れば、なにも連絡はなかった。付き合っていた頃は嫌というほど連絡してきたのに、別れたら全く音沙汰がない。部屋にはまだ荷物が残っているからせめて取りに来る日を返信してほしいのに。
「先輩?」
「...ん?」
「お酒飲みます?」
「じゃあ、少しだけ。」
「えへへ、」
秋味とかかれた期間限定の缶を両手に下げた彼女は今日も短いデニムのパンツから生足を出している。
「ねぇシロさん、」
「ん?」
「りっちゃんのこと教えて。」
「うーん...何が知りたいの。」
お手製の鍋を食べ終えた頃、ほろ酔いになった彼女は俺の肩に頭を載せていた。
「どんな子?」
「寂しがり屋さんで、泣き虫。」
「かわいい?」
「かわいい時もあるよ。」
「ふふ、愛されてたんですねぇ、りっちゃんは。」
彼女は頭を上げてゆっくりとした動作で膝の上に乗った。さらさらの金髪から女の子らしいシャンプーのいい匂いがする。
「ねぇ先輩、」
「うん、」
「この前の話、覚えてます?」
「...セックスする?」
「ん、」
柔らかいピンクの唇が触れてゆっくりとキスをしながら彼女を抱きしめると、ふにふにと柔らかくて力を入れたら壊れてしまいそうだった。
ブブー。
スマホが机の上で震える音で、作業していた手を止めてパソコンから離れた。
「あ。」
画面を確認すると彼女から家に来ないかというメッセージが届いていた。先日セックスしてからも何度かそういった行為をして、飲み会で彼女が言っていた通りライトな付き合いは続いている。
『お邪魔します』
簡易に返信をしてスタンプを送り、シャワーを浴びてから家を出た。
「シロさん、」
「ん?」
「あのぉ...」
「どうしたの。」
セックスの後ベランダでタバコを吸っていると後ろから彼女に抱きしめられた。まだ上を着ていないのか背中に胸が当たっている。
「冷えちゃうから、おいで。」
「うん、」
着ていたパーカーの内側に彼女を迎えると少し体重をかけるようにして寄り添った。
「シロさんあったかい。」
「男の子だからじゃない?」
「そうかなぁ、」
「どうかしたの。」
タバコを消して携帯灰皿に入れると、彼女を覆うようにパーカーの中で抱きしめた。やっぱり柔らかくて壊れてしまいそうだ。
「あのね、言いたくなかったらいいけど。」
「うん。」
「ここにキズの痕、あるでしょ。」
「...っ、」
肋骨のちょうど下の脇腹をするりと撫でられて息を詰めた。
「シロさん色白いから...セックスしてるときここ、ちょっとだけ色づくの。」
「そうなの...?」
それは知らなかった。
それから彼女は抱きつくように背中に手を回した。
「大きなケガだったの?」
「...高校生のとき、りっちゃんが間違えちゃっただけだよ。」
「それって、」
「大事ないから大丈夫。」
こちらを見上げた彼女は泣きそうな顔をして、そしてもぞもぞとパーカーの中に潜り傷痕にキスを落とした。
「...、」
「痛いの痛いの、とんでけ、」
「...ふふ、」
「えへへ、」
「明日、出かける?」
「えっ...うん!!」
眩しい笑顔で元気よく返事をした彼女はかわいらしい。
「じゃあその前にもう1回。」
「シロさんのえっち、」
「男の子だもん、エロいよ。」
きゃははは、と子供のように彼女は笑った。
「シロさんってなんのバイトしてるの?」
「言ってなかったっけ。」
翌日、パンケーキが有名なカフェでコーヒーを飲みながら彼女の身の上話を聞いていた。彼女は肩が見えるオープンショルダーワンピースを着て頬杖をついた。
「あれ、士郎(しろう)?」
「...え、兄さん?」
名前を呼ばれて顔を上げれば、兄が女性と一緒に立っていた。
「久しぶり。オシャレして...デート?」
「うん、兄さんも?」
「うん。こちらミユさん。」
兄の横に立っていた女性ーミユがにこりと笑って挨拶をしたので、こちらも会釈をした。
「彼女はアキちゃんだよ。」
はじめまして、と少し慌てて立ち上がった彼女は兄とミユに頭を下げた。
「よろしくね。今度はみんなで食事しようね。」
「あっ、はい、」
「うん、またね兄さん。」
嬉しそうに笑った兄はひらひらと手を振って店を出て行った。それを確認するや否や彼女はこちらへ向き直った。
「シロさんってお兄さんいたんですか!」
「うん、言ってなかったっけ。」
「言ってないですよぉ...バイト先も。」
「あはは、そうだったね。」
それからまた少し話をして、ふわっふわのパンケーキを食べて、けやき並木を歩いた。
「シロさんのお兄さん、イケメンでしたね。」
「そう?」
「都会の男って感じ。」
「ふふ、俺は?」
「えへへ、ヤキモチ?」
「うん、そう。」
彼女の細い指に指を絡めると、ぎゅうと握り返された。
「...ずるい。」
「知ってるくせに。」
「うん、」
彼女は唇を尖らせてまっすぐ前を向いていた。
「今度、」
「え?」
「ううん、今日家くる?」
「えっ...、」
家に誘うと彼女はばっ、とこちらの顔を見て、それから元気よく返事をした。
「おじゃましまぁす、」
玄関で靴を脱ぎながら彼女は遠慮がちに言い、きょろきょろと部屋を見回した。緊張しているのかカバンをぎゅっと抱きしめている。
「適当に座ってて。」
「あ、はい。」
キッチンからお茶を持っていくと、彼女はソファの上でまだカバンを抱いていた。
「どうしたの。」
「うち...狭かったですよね?」
「え?そんなことないよ。」
「だってめっちゃベットデカいし...。」
そう言って彼女はダイニングから続く奥の寝室に視線を送った。
「えっち。」
「えっ?!」
「そんなにベット行きたい?」
「ちがっ、違います!」
にやりと笑って彼女をからかえば、顔の前で手をぶんぶんと振った。
「ご飯食べてからね。」
「うぅ、」
「晩ご飯、パスタでもいい?」
「作れるの?」
「上手くないけど、頑張るね。」
彼女は手伝いますよ、と言ってワンピースの袖を捲ったので部屋着を持ってきて渡した。
「ごめんね、結局作ってもらっちゃって。」
なかなか沸騰しない鍋の前で、玉ねぎを切る彼女を見ながら言えば困ったような顔をした。
「だって...包丁使えないなら言ってくださいよ!」
「ごめんね。」
「本当に痛くない?」
「うん。」
絆創膏で巻かれた左の人差し指を曲げ伸ばしして答えた。
「シロさん」
「ん?」
「今日、偶然だったけど家族...お兄さんに紹介してくれて、うれしかったよ。」
照れたように笑う彼女の頭を撫でれるとサラサラの金髪が指の間を抜けていった。
「うん、俺も。」
「それから、シロさんの格好悪いところも見れたし。」
「...そうだね、」
「あはは、かわいい顔!」
上機嫌に笑う彼女のおかげでパスタは完成し、そしていつものように体を重ね、広いベットの上で体を寄せ合った。
「寒い、」
「シロさん?」
「ちょっとだけ、ぎゅってさせて。」
「うん。」
後ろから彼女を抱きしめた。小さくて柔らかくていい匂いで、壊れてしまいそう。金髪のロングヘアーはセックスの名残で少し絡まっている。
「シロさんは...りっちゃんは寂しがり屋だって言ってたけど、シロさんも同じだね。」
「そうかなぁ、」
「うん、あとね、」
「うん、」
「いろいろ全部、あたってるの...。」
「ふふ、ごめんね。」
ごめんね、アキちゃん。
次の週末、バイト終わりのアキちゃんをドライブに誘った。レンタカーで高速を走っていると彼女は助手席でホイップの乗った甘そうな飲み物を飲んでいた。
「突然ごめんね。」
「ううん、でも...バイト終わりで臭うかも。」
「いい匂いするよ。」
「頑張ってケアしたの!」
もう!と頬を膨らませたアキちゃんは、今日も可愛らしかった。
「バイト疲れた?」
「うん、週末だからお客さん多くて。」
「寝てていいよ。」
「でもせっかくのドライブだし、」
そう言ったアキちゃんは数分後、子供のような寝顔で眠ってしまった。彼女のことだからバイトも一生懸命こなすのだろう。
それから2時間ほど車を走らせて海辺でアキちゃんを起こした。
「着いたよ。」
「ん...?」
「疲れてたのに、ごめんね。」
「ううん、いいの、うれしいし...。」
寝ぼけ眼で彼女は答えながらシートベルトを外して車を降りると、うーんと伸びをした。
「海?」
「うん。」
「えっ、ここ、」
「うん、アキちゃんの地元。」
なんで、どうして、と驚く彼女と一緒に浜辺まで降りた。10月の風は少し冷たくてアキちゃんは寒そうにしていた。
「これ使って。」
「ありがと、」
シャツを手渡せばアキちゃんは素直に受け取ってソレを羽織った。
浜辺に座ると静かな波の音が響いた。遠くで誰かが散歩している姿が見える。
「いいところだね、地元。」
「田舎ですよ、なんにもない。」
「俺は好きだよ、ここ。」
しばらく身を寄せあって、お互いの指を絡めながら波を見つめた。深い色の海と澄んだ空はアキちゃんの言う通り都会にはない景色だと思った。
「アキちゃん、」
「ん?」
「キスしよっか。」
「うん、」
静かに唇を重ねると、あたたかくて柔らかいソレが触れた。触れるだけのキスをして唇を離して彼女の頬を両手で包み、目を合わせた。
「アキちゃん、」
「どうしたの、」
「アキちゃんはかわいいね。」
「うん...?」
「アキちゃんは優しくてあったかくて、元気いっぱいで、側にいると楽しいよ。でもそれじゃ俺がダメなの。」
「なんで、」
「俺はここじゃ息ができない。」
「シロさん、」
「アキちゃんは何も悪くないよ。ごめんね、アキちゃん。」
「なんで、シロさんがそんな顔するの、」
アキちゃんの腕が伸びて震える手でこちらの手首を掴んだ。
「アキちゃん、大好きだよ。ごめんね。」
「どうしてそんなこと、言うの、」
アキちゃんは酷いよぉ、と言って泣いた。わんわん泣いている姿は子供のようで、俺は彼女の涙を何度も何度も拭った。
どれくらいそうしていたのか分からなくなるほどアキちゃんが泣いた後、膝の上に彼女を抱えて背中をさすりながら話をした。
「アキちゃん、最後に1こお願い聞いてくれる...?」
「うん、」
「アキちゃんを実家まで送るから、1週間くらい休んで。お母さんのご飯をちゃんと食べて、わんちゃんと散歩をして、お風呂に浸かってゆっくりするの。そしたらまた、大学で会おうね。」
「うん、」
「約束してくれる...?」
「うん...。」
アキちゃんはぎゅぅと抱きついて小さく頷いた。
「ごめんね、アキちゃん。」
「ゆるさない、」
「うん、いいよ。」
「ずるい、だいっきらい、バカ、」
「うん、」
「シロさんなんか、きらい、だいっきらい、」
「ごめんね。」
「でも、まだ好き、だいすきなの...っ、」
「うん。」
アキちゃんは優しかった。底抜けにいい子で、どうしようもないくらい自分には不釣り合い。
海を離れて車で海岸沿いを走り山道を少し走るとぽつぽつと一軒家が立ちはじめ、そのうちの大きな家がアキちゃんの実家だった。
「着いたよ、素敵なお家だね。」
「うん、」
アキちゃんは少し腫れた目でこちらを睨んだ。
「シロさん、キスして。」
「...うん。」
車から降りてアキちゃんを抱きしめて、キスをした。柔らかい唇に触れて舌を差し込んで優しく舌同士を擦り合わせて、それを何度も繰り返して離した。
「それじゃあ、ばいばい、アキちゃん。」
「うん、」
車に戻るために彼女のぬくもりから離れた。
「士郎....!」
「...。」
名前を呼ばれた。
「ばいばい、士郎、」
「うん、ばいばい。」
小さく手を振って、車に乗りこんでしばらく走らせてバックミラーで彼女が家に入るのを見届けてから、また車を走らせた。
アキちゃん、ごめんね。
アキちゃんが心配してくれた傷、痛くなんてない。イケメンで優しくて気が利いて高嶺の花な俺なんて始めからいない。
それから。
兄さんがカフェにいたのは偶然じゃない。家に誘ったのも、手を切ったのも、ベットでシたのも、全部全部、アキちゃんのためじゃない。
かわいくて優しくて明るい、アキちゃん。
アキちゃんがくれたシャツ、ダサかったけど一生懸命選んでくれて嬉しかった。
アキちゃんが作ってくれたご飯、あったかくて優しい味がした。
...でも、吐き気がするくらい俺には合わない。
早朝、自宅に帰ると見覚えのある革靴が玄関にきっちりと揃えられていた。
「おかえり。」
「どの面下げて戻ってきたんだよ。」
部屋からにっこりと笑って現れた男は黒髪長身にパジャマ姿だった。
「兄さん。」
「冷たい呼び方するなぁ。いつもみたいに呼んでよ、士郎。」
「うるせぇな侑李(ゆうり)。」
「りっちゃんって、呼べば?」
「子どもの頃の話だろ。」
にやりと笑う兄の顔に苛立って舌打ちをしながらそう言うとパン、という音と共に頬を叩かれた。ピリピリとした痛みがじわりと広がっていく。
「...っ、」
「とりあえず臭ぇから風呂入れよ。」
臭いというのは、アキちゃんの女の子らしいシャンプーの匂いのことだろうか。
シャワーを浴びて出ると外は白んでいて部屋が明るくなっていた。ダイニングのソファで早朝のニュース番組を見ていた侑李はあくびをしながら立ち上がった。
「士郎、ここでヤった?」
「それが何。」
バキ、と音がしたと認識すると同時に頬を殴られていた。口の中が切れて、血の味がする。そのまま乱暴に胸ぐらを掴まれて、ベットに投げられた。
「ははは、」
「...っぁ、あ゛、」
侑李はベットに上がると足でモノを踏んだ。容赦なく体重をかけられて痛みが体に巡っていく。
「こんなんで勃たせてる奴が、どんな顔して女抱いたの。」
「...っ、ぁ、...っ、聴いてた、くせに、」
「だったら何。」
「ぅ、あ゛、あ゛...っ!」
「士郎がクソ長い前戯してた話でもすればいいの。」
痛い、いたい、いたい、
竿だけじゃなくて玉の方まで踏まれて涙がじわりと滲んだ。
「あ゛、ゆぅ、りぃ...っ、」
「ああ、もうイきそう?」
「ゃ、ぁ...っ、パンツ、ぬぎたい...っ」
「だめ、このままイけよ。」
「ぁ゛、ぅ、あ゛、あ゛、も、つぶれ、ぅ」
侑李の足が食い込むほど体重をかけられて、痛くて、痛くて、死ぬほどきもちよくて、泣きたくなる。
「ぁ゛っ、ぁぁ゛っ、」
びくりと背中がしなって、パンツの中に勢いよく精子が漏れた。
「ほら、もう一回。」
「っぁぁぁ゛あ゛!、ーーっ、」
敏感になったソコをもう一度踏まれて、がくがくと腰が動く。侑李に仕込まれた快楽が全身を支配してぼたぼたと涙が溢れた。
「ぁ゛、あ゛っ、」
「うるさい。」
あぁ、やっぱりここじゃないと、だめだ。
「り、ちゃん、ぁ゛あ゛...っ、りっちゃん...っ、」
「うん、りっちゃんだよ。」
「なんで、わかれる、と、かぁぁあ゛...っ、」
「うるさいよ、お前。」
「ぁぁあ゛、つぶ、れ、ゅ、」
お腹まで響く痛みに本能で危機を感じて、思わず侑李の足に爪を立てた。それに舌打ちをした彼は足を退けて俺のこめかみを蹴り飛ばした。
「っ、ぅ、ぐ、」
「士郎、」
「ぁ゛、っ、」
「トんじゃだめだよ。」
ぐらぐらと揺れる視界に侑李の黒髪が映る。するりと優しく頬を撫でられて、冷たいその手に包まれた。お腹の上に侑李がまたがるように座って、頬を撫でていた手が首まで降りてきて、次にされることへの期待にひりひりとした何かが背中を駆け抜けていった。
「ぐ、ぅ...っ、っ、」
「士郎、僕を試したね。」
「...っ、ぁ゛...っ」
侑李の指に力が込められていく。段々と気道を潰されていく感覚に足がゆるくばたついて、シーツを蹴った。
「僕がいたカフェに来て。その後わざわざ家で夕飯を食べて、セックスまでして。」
「ぁ゛...っ、ぐ、...っ、っ、っ!」
完全に気道を潰されて、首を絞めるその手に手を伸ばしても力が入らず添えるだけになる。苦しい、苦しくて、もう、
「ふふ、士郎、」
「...、っ、...、」
もはや、うめき声すら出ない。
「またイくの?」
「...っ、っ、」
「でも、トんだら指折るよ。聞こえてる?」
びくびくと腰が勝手に動いて体が強張る。じわじわと広がる快感と狭まっていく視界と感覚のなくなっていく指先に、意識を手放す直前、激痛が走った。
「っぁぁぁあ゛あ゛あ゛!!」
「トんじゃだめだって言ったでしょ。」
人差し指が、熱い。
激痛に意識は無理矢理引き戻されて、気道を潰された後の酷い叫び声が早朝の寝室に響いた。
「...っは、ぁ゛、ぁ...っ、」
「泣いてるの?かわいいね。」
「ゃ、ぅ、ゆうりぃ...っ、」
「でも、士郎は痛いの大好きでしょ?」
「ん、ぅ...っ、」
上から退いた侑李に膝の上に抱きかかえられて、子どもをあやすようにゆらゆらと揺られながら背中を優しく叩かれる。
「しろう、」
「ん...、」
「ただいま、士郎。」
「うん、おかえり、りっちゃん...、」
体が重たい。
けれど自分で動かせなくなるまでりっちゃんに支配されるのが、たまらない。
俺の肩に頭の載せたりっちゃんが鼻をすする音が聞こえて、りっちゃんも泣いているのだと気づいた。
幼い頃父は離婚して、そして侑李の母と再婚した。連子同士でそれぞれの親に手を引かれて初めて会ったとき、侑李は笑っていたように思う。
「はじめまして、士郎くん。」
「...。」
再婚相手はとてもきれいな侑李によく似た女性だった。俺は年齢的にも人見知りの時期だったし、その頃は滑舌も悪くて話すのが苦手だったから父の足にしがみついていた。
「この子は侑李。よろしくね。」
「...。」
「しろう?」
「ぅぅり、」
「...ふふ、りっちゃんでいいよ。」
「うん、」
小学生くらいの侑李にふわりと笑いかけられて優しくそう言われたとき、きっともう囚われていたのだろうと思う。
再婚前から父は仕事に忙しく家を空けることが多かったが、再婚後はその父に代わってに学校から帰った侑李が面倒を見てくれていた。
「しろう、これはなんて読むの。」
「あぃゅ、」
「そう、あひるだよ。」
お風呂の中に貼ってはるあいうえお順に並ぶパネルを最後まで言えたら、湯船を上がることが侑李と最初にした約束だった。
「これは?」
「いかゃ、」
「うん、いかだ。」
読み書きも、物の名前も、うさぎの形をしたりんごも、全部全部侑李から教わった。
最後の『ゆ』まで読むと、俺は嬉しくなっていつも元気よく答えていた。
「りっちゃん!」
「ふふふ、うん。そうだね。」
そう言うといつも侑李は照れたように笑って、俺の頭を撫でて最後に額にキスを落とした。俺は幸せの象徴みたいなその瞬間が大好きだった。
侑李のおかげで小学校に上がる頃には滑舌は直り、他人とも関われるようになった。
だけど、それは侑李を苦しめて、苦しめて、彼の中でドロドロに煮詰まってどうしようもなくなって、俺が高校に上がる頃についに溢れ出してしまった。
「侑李、文化祭来てくれる?」
「うん、もちろん。」
「喫茶店やるんだよ。」
「...楽しみだね。」
そして文化祭当日、クラスメイトの女の子と楽しそうに話す俺を見て侑李は壊れてしまった。打上げを終えて帰った俺の首を絞めて、初めて目の前で泣いた。
「ゆう、り、」
「ごめん、士郎。ごめん、」
「ゆうり...っ、」
首を絞めながら涙を降らせる侑李は苦しそうなのに、反対に俺は兄の名前を呼びながら何かが満たされていくのを感じた。
幼い頃無条件に与えられたのと同じように、彼の愛情をもう一度独り占めしたかったのかもしれない。
「ごめん、ごめんね、士郎。」
「っひゅ、げほ、」
泣きながら謝り続ける侑李の濡れた頬を撫でてそれを舐めると、甘かった。それをしたら侑李の一部が流れ込んできてもっと彼を感じられるような気がした。
「ゅ、ぅ、」
狭まる視界の端で侑李が文化祭の準備で使っていたカッターを掴んだ。そしてそれがカチカチと音を立てて、あぁやばいかも、とぼんやり思った。
「...っぁ゛、」
熱い。
脇腹に熱さを感じた後、強烈な痛みが襲ってそして指先が冷えていく。
「僕以外と話さないで、僕以外を知らないで、僕以外とご飯を食べないで、服も髪も全部全部、僕の知らない士郎を作らないで、士郎の全部を僕で埋めて。」
侑李の見たことのないような鋭い視線と子供に言い聞かせるような優しい声と温かい涙を浴びながら、彼の全てをぶつけられるどうしようもない多幸感を感じた。
「...ぅ、ん、...ぅん、」
意識を失う直前、多幸感の中で必死に返事をしながらパンツが濡れていく不快感を覚えた。
「ぅ゛、」
次に気がつくと病院だった。
救急車に乗ってからのことが、断片的に記憶に残っている。
「士郎!」
父と侑李の母がこちらを心配そうに覗き込んで、涙ぐんでいた。スーツ姿の父は家には帰っていないのだろうか。
「士郎、分かるか。」
「お父さん、ごめんね。」
「心配した。だからあれほど部屋を片付けなさいと言ったんだ...。」
目頭を押さえながら父はそう言って、医者を呼びに部屋から出て行った。母が机から飛び出ていたカッターが刺さったのだと説明する奥で侑李がにこりと笑っていた。おぼろげな幼い頃の記憶の、初めて会ったときと同じ笑顔に見える。
その瞬間、俺たちはお互いの異常性と深い愛情と兄弟を超えた何かに気づいてしまった。絆なんて綺麗なものではない、こんなのは因縁と呼ぶべきだ。
全てを間違えた俺達には他人からは理解されない愛を体現する場所が必要で、侑李は特別な地獄を用意した。地獄に入れば痛みは快楽になって、暴力は愛情になる。どうしようもないその地獄は、侑李の感情をどろどろに煮つめて凝縮した愛そのものだ。
そして侑李は地獄を作ったことを今でも、きっと悔やんでいる。
目を覚ますと侑李は隣にいなかった。代わりに部屋中にいい匂いが漂っていて、テレビからは音が漏れている。
「ゆうり、」
重たい体を起こして名前を呼ぶと自分でも驚くほど掠れて頼りない声だった。
「士郎、おはよ。」
それなのにソファにいた彼は立ち上がると、側に寄った。布団を捲ればサテンのパジャマを着て、左手の人差し指には添え木と包帯が巻かれていた。
「いま、なんじ、」
「16時だよ、たくさん寝たね。」
侑李のひんやりとした手が頬に触れる。昨夜殴られた箇所がびりりと痛んだけれど、寝起きでほてった体にはその冷たさが気持ちよくて擦り寄った。
「ご飯にしよっか。」
「ん、」
彼は機嫌よさそうにキッチンへ向かい、小さな皿を持って戻ってきた。そしてベットへ腰掛けるとスプーンで何かを差し出した。
「はい、」
「これ、なに...?」
「いいから。」
「ぁ、ん...、」
口に入れると冷たくて甘い、恐らくは擦りおろしたりんご。口の中が切れて腫れていて、あまり味がしないからよく分からない。
「りっちゃんだから、りんごなの、」
「ふふ、何それ。」
侑李は昨夜と打って変わって優しくふわりと笑った。
「もう少し食べよっか。」
「うん、」
そう言って彼が持ってきたのはミルク粥で、漂っていたいい匂いの正体はこれだった。
「士郎、口開けて。」
「...ぁ、」
「どう?」
久しぶりに食べる侑李の料理は口中に滲みて、味などしないし痛かった。それなのに泣きたくなるくらい安心する。
「...もう少し、たべたい、」
「いいよ。」
「...ん、」
口に運ばれてくるお粥を飲み込んでは、また口を開けてひな鳥のようにそれを繰り返した。
「士郎、」
「...、」
「士郎、泣かないで。ごめんね、」
ぽたぽたと落ちる涙を侑李の手が優しく拭う。細くて長い少し筋張った指は、昨夜首を絞めた指と本当に同じものなのだろうか。
「侑李、」
「ん、」
「愛してる、」
「僕も愛してるよ。」
触れるだけのキスをした。侑李の薄い唇はひんやりと冷たくて心地いい。
それから優しくお風呂に入れられて、ベットの上で映画を見た。
「士郎、起きてる?」
「うん、」
寝転んだ後ろから抱きしめられて頸に頭を埋められると、少し硬い黒髪が当たってくすぐったい。それから、ふわりと侑李の匂いに包まれる。
「...セックスしたい、」
「ん、」
ダイニングのテレビにはクライマックスになった映画がまだ流れている。
「士郎、いい匂いする。」
「うん、そうだよ。」
「キスして、」
「ん、」
侑李の腕の中でくるりと体勢を変えて、彼の少し冷たい頬に手を添えてキスをした。
「ん...っ、」
「ふふ、」
何度か啄むように唇に触れるだけのキスを落として、それからゆっくりと舌を差し込んだ。侑李の柔らかくてぬるりとした舌が絡んで、それだけで恥ずかしくなるようなくちゅくちゅという音が響いた。
「んぅ...っ、ん、...っ、」
「ふ、」
伏せていた目を開けると、侑李はくすくすと笑いながらまた舌を絡ませた。横長の垂れ目がちな二重が優しく細められていく。すっと通る高い鼻梁が触れて、薄い唇がお互いの唾液で濡れてどこからが境界なのかわからなくなりそう。
「ん、ぅ...っ、」
「...、」
どのくらいかわからないくらい長い間キスをして、その唇が離れていくと今度は首筋に優しく触れられた。
そのまま手形の残る首筋に優しくキスを落とされて、ゆっくりとパジャマの前を開かれると冷たい空気が肌を撫でた。
「乳首勃ってるね、」
「寒いから、勝手に、」
「そういうことにしよっか。」
「...っ、ぁ、」
侑李の黒髪が肌をくすぐって、舌がゆっくりと乳首に這わされる。それだけでぞわぞわと何かが体を巡って、彼のパジャマを握りしめた。
「...。」
「...っあ゛、ん、ぁぁ...っ、そこ、」
「うん、士郎はここすごく弱いね。」
脇腹にある傷痕を慰められるようにキスを落とされながら優しく舐められると、びくりと体が揺れた。
「ん...ぁっ、ぁ、あっ、」
「ちょっと触るだけで勃たせて、かわいいね。」
ソコに触れられると条件反射のように体が勝手に熱をもってしまう。ここを刺したときの彼の視線を思い出すからだろうか。
「ここだけでイけそう。」
「...っ、ゃ、」
「そう?」
侑李の長い指がズボンの上から痛いほど勃ち上がるソレを撫でて、またくすくすと笑った。
「もぅ、くるし、い、」
「じゃあ、それはまた今度にしようね。」
「ん...っ、」
次を仄めかす言葉がうれしくて目の前の黒髪を撫でた。
「どうしたの。」
「別に、」
侑李はまた笑ってズボンとパンツを脱がせた。お腹につきそうなソレの先端をくるくると遊ぶように触れてからひやりとした唇が触れた。
「...っ、まっ、っ、」
「だめ。」
「...っぁ、んん...っ、」
ぬるりとした口内に迎え入れられて、弱い裏筋を舌で刺激される。そのまま全体を優しくフェラされてじわりと涙が浮かんだ。
「ぁ、あ...っ、ぅ、ぁ、ぁぁ...っ、」
「気持ちよくて泣いてるの?」
「ん、ぁ、ぁ...っ、ゅう、り、」
「ん、」
「い、く、...っぁ、も、いっ、っ、からぁぁ...っ」
そのまま優しく口内で扱かれて呆気なく射精した。侑李は当然のようにそれを飲んで、それからローションを指に垂らした。
「すこし、薄かったね。」
「ぁ...っ、きのう、」
「そっか3回もイったんだもんね。」
「...っ、ん、ぅ...っ、」
「パンツ、だめになっちゃってた。」
「も、その話、いぃ...っ、」
ゆっくりと2本の指が入ってくる感覚に侑李のパジャマを握りしめた。最初のこのなんとも言えない感覚は何年経っても慣れなくて、息を詰めた。
「士郎。」
「ん、ぅ...っ、」
「かわいいね、士郎。」
ナカで指を広げて傷つけないようにゆっくりと動かして、どうしようもなくなるその場所をゆっくりと押しつぶした。
「ぁぁあ...っ、」
「気持ちいいね。」
「ん、ん...っ、ぁぁ...っ、」
侑李は困ったように笑った。ぞわぞわと競り上がってくる快楽を押し殺して、彼の襟首を掴んで引き寄せた。
「ゆうり、」
「ん?」
「もう、いい...っ、」
「うん、」
侑李はゆっくりと指を引き抜いて、ナカに入ってきた。それだけなのにざわざわと何かが押し寄せてどうしようもなくなる。
侑李の首に手をかけて、力を込めると優しく手首を掴まれて剥がされた。
「こら、だめだよ。」
「ぁ...っ、ぅ、ぁぁあ...っ、」
繋がってどろどろに溶けて、ひとつになってしまえばいいのに。なのに、ナカでりっちゃんのソレがずるりと動くたび、快楽が押し寄せるたびにひとつになんてなれないと思い知らされる。
それが寂しくて、切ない。
「士郎、もう泣かないで、」
「んぅ...っ、」
何かを感じ取った侑李に優しくキスをされて、快楽に身を任せることにした。
その後も侑李は壊れ物でも扱うように優しく抱いた。そんなことしなくたって壊れることなんてないのに、その低い体温で優しく触れて大事に大事に俺を包んだ。
だけど、知ってる。
りっちゃんは本当は泣きたくなるくらい優しい。
十数年前、はじめて会ったときから変わらずずっと優しい。
次の日、侑李に連れられて上野動物園に行った。大きな檻の中でサルが飛び移る様を侑李は眉間に皺を寄せて見ていた。
確か、幼い頃両親に連れられて来たときも同じような顔をしていたような気がする。
「なんで苦手なのに連れて来てくれんの。」
「士郎の卒業製作が近いから。」
「ふふ、あははは、」
進路選択のとき動物が好きだという高校生の戯言に、侑李は動物の絵を描けばいいと答えた。そういえばその時も動物園に連れて行ってくれた。
「優しいね、侑李は。」
動物園に行きたくないのに連れてきてくれる。大学やサークルに行って欲しくないくせにやれという。
俺を地獄に閉じ込めておきたいくせして、地獄から追い出そうとする。
「どうかしたの。」
「卒業製作、もう描き始めちゃった。」
「なんで先に言ってくれなかったの。」
「その顔が見たくて。」
俺だけのために、眉間を寄せるほど嫌な動物園に連れて行ってくれる侑李を見たかった。
ダメだった?と彼の顔を覗き込めば、困ったように笑ってため息をついた。
「お前はずるいね。」
「そうだよ。」
けれどそうさせるのは、侑李のせい。
「せっかく来たからパンダ見に行く?」
「うん、」
広い動物園の中をゆっくりと歩き親子パンダを見に行った。コロコロと転がりながら遊ぶその姿は愛らしく、平日でも展示スペースは混み合っている。
長身で人だかりから頭ひとつ抜けている侑李は老若男女からパンダの次に視線を集めた。しかし本人はコートのポケットに手を入れて子パンダをなんとも言えない表情で見ている。
「ん、満足。」
「そう?」
「うん、もう少し見たい?」
「士郎、あんまり意地悪言わないで。」
眉を下げて情けない顔をする彼に口元が緩んだ。
動物園からの帰り道、やっぱり動物は苦手だ、と情けない顔で笑う侑李に心臓を鷲掴みにされた気がした。だって侑李が動物が苦手な理由は他ならない俺だからだ。
動物園にいくと自分には庇護欲が無いと自覚させられるからだと言っていた。どんなに可愛らしい見た目をしていても愛せないと一度だけ話してくれた。
俺には士郎以外、全部同じに見える。
猿も人間も犬もパンダもハエも、みんな等しく同じなのだと彼は苦しそうに話していた。
それでも必死に取り繕うのは、彼の優しさが故だ。いまでも兄として弟に普通を教えようとしているのだ。兄と恋人と因縁の間で常に揺れる侑李は不安定で、優しさがゆえに矛盾している。
「侑李。キスしたい。」
「家帰ってからね。」
「だめ、今ここでしたい。」
日が傾いた夕方の街を歩く彼はため息をついて、俺の手首を優しく引いた。
そして彼の口元へ俺の指を運び、そこに触れるだけのキスをするとそのまま俺の口元へとソレを触れさせた。
1週間後には指の骨折以外はキレイに治った。大学の喫煙所でタバコを吸っていると遠くから金髪にデニムのパンツを履いたアキちゃんを見つけた。
彼女も気がつくと、少し気まずそうに小さく手を降って小走りでこちらへ向かってきた。
「ゆっくりした?」
「うん、しました。」
「足、寒そうだね。」
これあげる、と持っていたシャツを渡せば彼女は困ったように笑った。
「ううん、大丈夫。今日...タイツ持ってきてるから。」
「そっか。」
「シロさんは、どうしてたの、」
「動物園に行ってきたよ。」
にっこり笑ってタバコを灰皿に押しつけて捨てれば、彼女は視線を移した。
「その指、」
「うん、そうだよ。」
それだけで何かを感じ取ったのか、彼女はハッとしたような表情を見せたかと思えば泣きそうな、なんとも言えない顔をした。
「その...卒業製作は間に合うの。」
「多分、間に合うよ。」
「...。」
「...。」
「シロさん。」
「ん?」
「本当に寂しがりなのは、シロさんだったんだね。」
「...ふふ、内緒だよ。」
包帯の巻かれた左手の人差し指を唇の前に立ててポーズを取ると、彼女は一瞬口元を引き攣らせ、それから笑った。
「卒業展示、楽しみにしてます。シロさんのだけじゃなくて先輩皆の!」
「うん、ぜひ見にきて。きっと兄さんも来るよ。」
「えへへ、ちょっと気まずいなぁ。」
アキちゃん、やっぱり俺は普通の幸せな恋愛ごっこじゃ満足できないよ。
「大丈夫だよ。」
サークル棟に行くという彼女と笑顔で分かれて、駅前にある侑李との家まで歩くことにした。
すっかり冬に入った街は乾燥して肌寒い。
ねぇ、りっちゃん。
りっちゃんは俺を地獄に無理矢理閉じ込めちゃったと思っているけど、本当は違うよ。
俺が、りっちゃんに地獄を用意させた。
俺だけのために用意された地獄で、逃げ出さないようにりっちゃんの足に枷をつけてる。
でも、何も知らない優しいりっちゃんは地獄を作った罪悪感にたまに耐えられなくなって、地獄を閉じようとしちゃう。
でもね、りっちゃん。
俺はここでしか、息ができない。
りっちゃんがいないと生きていけない。
だからね、りっちゃん、
勝手に地獄を終わらせようとするなんて、許さない。
君と僕だけ(の地獄)
終わり
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