魔法の薬は猫印。

長島 江永

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学院新生活2

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 モニカが語るには、シモン研にはジャンという名のとんでもない男が所属しており、彼の悪行数々を知らない者は学院に居ないという。
 昨年は特に大暴れをしたらしく、シモン研に学生が少ない理由の八割はジャンにあるとまで言われている。
「そんな所にレレさんが入ったら、どんな事件に巻き込まれるか分からないし、無実の貴女にあらぬ噂まで立ってしまうかもしれない。シモン先生には申し訳無いのですが、少なくともあの男がいる限りは、可愛い新入生に在籍なんてさせません」
 美しいモニカの顔をここまで鬼気迫るものに変貌させるとは、ジャンという男は本当に凄まじい人物なのだろう。
「あれ、でもベルは今年から入るんだよね」
「ええ、彼にも散々言ったのですが……」
 モニカは半分諦めたような、困り顔で首を横に振った。
「俺には研究室を選り好みするような余裕は無いからな」
「それは私も同じな気がするけど……」
 シモン先生の特別推薦という形で入学が決まったレレもまた、この研究室以外の選択肢は無い立場にある。
「で、ですが……本当に考え直した方が良いですよ……! 異動制度というものがあるので、そちらを利用すれば早ければ数か月で別の研究室に移ることも可能なので……」
 モニカは本当に二人を心配して言ってくれているのだろう。彼女の必死さが切実に物語っている。
 しかし一点だけ気になる事がある。
「モニカ先輩はそのジャンという方と何かあったんですか? その人が学院トップクラスの問題児である事は分かったのですが、他の研究室所属の先輩が、わざわざこうして警告に来てくれたのは少し不思議で……」
「確かにそこは自分も気になっていましたね。ジャンという名は確かに有名ですが、先輩がその人物に向ける敵意は他の人とは一線を画すような……」
 レレの質問にはベルも同意であり、モニカの異常なまでの敵対心の原因を知りたいと、ここ最近思っていたところだった。
「何かあったのか、ですって……?」
 モニカの表情は笑顔であるはずなのに、瞳の奥には背筋が凍るような黒い気迫がある。
 聞いてはいけない質問だったか、と二人が後悔した時には既に遅かった。
 握り拳が床板を叩き、鈍い音が響く。
「ふ……ふふ……私はただ、他人に迷惑をかけるような方が許せないだけです。それなのに、あの男はですね……いつもいつもっ……!!」
「はーい! ごめんなさい! 変な事を聞きました! 別の話をしましょ!」
 血が出るのではないかと思うほど拳を強く握っているモニカが恐ろしく、レレは強制的に話題を打ち切った。
 まだぶつぶつと何かを呟いている彼女の背中を、ゆっくりとさすって落ち着かせようとしていると、レレはとある事に気が付いた。
「あれ……? 随分と人通りが無いね」
 今馬車が進んでいる道は、集合場所の噴水広場と違って人の気配は無く、振り返ると遠くに街の建物が小さく見えている。
「学院って街の中にあるんじゃないの!?」
「魔法の研究には危険なものも多い。由緒正しい街の中に大規模な研究施設なんて作れる訳がないだろう」
 驚愕するレレに対して、何を今更といった表情でベルが淡々と答える。
 馬車はこれから深い森に入ろうとしており、少なくともここから学院らしき建物は見当たらない。
「……ちなみに学院はあとどれ位で着くの?」
「二時間はかかるな」
「にっ……!?」
 バリエストン学院はサンヴェロナにあるのでは無く、街から馬車で二時間少しかかるフィアノという町にある。
 正確には、バリエストン学院の周囲に徐々に町が発展していき、それがいつしかフィアノと呼ばれるようになった。
「えーっと、学院の周りの町の規模はどれ位なのかな……?」
「フィアノの町の大きさ……? そうだな……」
 ベルは顎に手を当ててしばらく考えた後、「ああ、そうだ」とレレの方を指さした。
「──お前の故郷と同じ程度だ」
 レレはモニカを支えていた手を静かに離した。
 モニカは鈍い音を立てて床に倒れこんだが、無反応のままなので気味が悪い。
「わた……私の故郷と同じ規模……?」
「あ、ああ……」
 先程までうるさい位に元気だったはずのレレが凍り付いている。
「大都会での華やかな学院生活は……?」
「いや、それは知らん……」
 未だに横たわっているモニカの傍に、レレも糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。
 仰向けのレレは、最後の力を振り絞って手を空へと向かって伸ばした。
「……アイス、食べておけば良かった……」
 ぱたり、と手が落ちて、馬車の上に静寂が訪れた。
 御者台で手綱を握るベルまで寝る訳にはいかず、荷台の方から聞こえる寝息──と言うよりは呻き声をバックミュージックに、学院に向けて引き続き馬車を進めて行くのだった。
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