魔法の薬は猫印。

長島 江永

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学院新生活3

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 車輪が石畳の上を走る際の、ガラガラという音と揺れが心地良い。
 いつの間にか辺りからは人の声も聞こえており、美味しそうな匂いも漂ってきた。鼻がひくりと動いて、瞼がゆっくりと開いた。
「……食べ物?」
「ふふ、おはようございます」
 レレはうつ伏せの状態で、猫のように両手を床につけたまま背中を反らして伸びをした。
「あれ、モニカ先輩……?」 
 記憶が途切れる直前のモニカは、ジャンの話題で壊れた操り人形のようになっていたはずだが、何があったのか元の優しそうな雰囲気に戻っている。
「目覚めた第一声が「食べ物」なんだなお前は……」
 ベルは完全に呆れているようで、その視線は冷ややかだ。
「だって朝からほとんど何も食べていないから……」
「そうだったのですか……出発前に何か買えば良かったですね」
「ううう……お腹と背中がくっつきそう……」
「困りましたね。ベル君、どうしましょう」
 演技ではないらしく、レレのお腹がぐうぐうと大きな音を立てている。
 ベルは萎れた表情のレレの方を一瞬だけ振り返り、大きくため息をついた。
「寮はもう少しだから我慢してくれ。荷物を搬入したらどこか店に入ろう」
「はあい」
 まだ寝ぼけている頭を覚ますために、両掌で自分の頬を叩いた。バチンという音に少し遅れて、じんじんとした痛みが広がってくる。
 目じりに浮かんだ涙を指で拭って、改めて辺りを見渡してみる。
 なるほど、確かにベルが言っていた通り、サンヴェロナのような大都会では無いようだ。
 しかし故郷のコギと同じ雰囲気かというと、全くそんな事は無い。異国感というのは勿論あるのだが、サンヴェロナともまた違った表情の町だ。
 建物は統一性が無く、木造、石造り、レンガ造りなど素材だけを見ても多種多様だ。増築に増築を重ねたようなアンバランスな高層建築や、宙に浮いている雑貨屋、水没しているのに平然と人が出入りしている家など、個性豊かな建物がそこら中にある。
「流石は学院のお膝元って感じだ……」
「うちは魔法専科の学院では無いですが、それでもやはり一番規模が大きいのは魔法学関連ですからね。町もその色になってしまうのでしょう」
 モニカの言う通り、バリエストン学院には魔法学以外の学部も存在している。工学、法学や経済学、商学などは勿論、軍の参謀を養成するための軍学部も開設されている。
「色々な学部があるが、わざわざこの学院に入る以上、魔法に関する何らかの目的を持っている場合が多いらしいな。例えば魔法省の経理部門で働くために、経済学を専攻しつつ、魔法に関する知見も高めておきたい、とかな」
 ベル自身も今年から入学なので詳しくは知らないが、人から聞いた話によると、わざわざ魔法学の講義を受けにくる他学部学生も少なく無いようだ。
「他学科、他学部の方にお世話になるのは私達も同じですから、良い交友関係を築く事がとても大事になりますよ。くれぐれもジャンのような男とは関わらないように……!」
「は、はーい!」
 また一瞬だけモニカから黒いオーラが滲み出ていたため、元気よく返事をして次の言葉を阻んだ。
「よし、着いたぞ」
 ベルが馬車を止めたのは、メイン通りから一つ小道へ逸れてすぐにある、三階建てのレンガ造りのアパートメントの前だった。
「ここが寮?」
 レレは馬車から飛び降りて建物を見上げて観察してみる。
 道中にあった特徴的な建物と比べると平凡なデザインで、玄関に掲げられている「バリエストン第五学生寮」の看板が無ければ、普通の集合住宅と区別は付かないだろう。
「入学手続き自体が滑り込みのイレギュラーだったから、寮や部屋を選ぶ余裕は無かったらしい。そこに関して先生に文句を言っても仕方が無いからな」
「そんな事言わないよ! 私ってそんなすぐ文句を言う人ってイメージなの!?」
「いや、そういう訳では無いが……」
 本当はそう思っているベルだが、うるさく反論されても嫌なので黙る事にした。レレに出会った事で、発言の前に一度自分の中で咀嚼する習慣が身に付いてきた気がする。
 育った環境のせいか、直情的に言い返してくる人間があまり居なかったため、今のベルにとっては良い薬になっている。
「ふうん……まあ良いや! 部屋の鍵はどこで貰えば良いのかな」
「ん……ああ、そうか」
 荷物を降ろす手を止めて、ベルは懐から鍵が二つぶら下がっているリングを取り出し、レレの方に投げた。
「うわっと! 急に投げないでよー!」
「号室は三〇三だ」
「三階かあ……荷物運びが少し面倒臭いね」
「三人でやればすぐですよ」
 三階の窓を見上げて、若干げんなりとしているレレをモニカが励ます。
「そうですね……早くご飯にしたいから、ささっと終わらせてしまいましょうか……! 」
 再び自分の両頬を叩いて気合を入れ直した。二の腕の入れ墨に魔力を集中させて、ウェアキャットの力を少しだけ呼び覚ます。
 耳先から腕にかけて小さな稲妻が走ったと思うと、先程二人がかりで積み下ろしをしていた木箱を、レレはまとめて二つ持ち上げてしまった。
「身体強化……いえ、覚醒系の魔法ですか……」
 レレの力を初めて見たモニカは、興味深そうに腕に刻まれた陣などを観察し始めた。
「あ、あんまりじっくり見ないでください……! 腕に刺青を入れているの、可愛くないので実は嫌で……」
「そう、でしょうか?」
「うーん、私は白くて綺麗な肌に憧れてしまいますね」
 レレはモニカの玉のような肌を、羨ましそうに眺める。自分の褐色で傷だらけの肌とは全然違う。 
「私はレレさんみたいな健康的な身体に憧れますよ。入れ墨だって魔法効率を考えたら十分に検討に値すると思うのですが、私は肌が弱くて難しいのと、実家が許さないので……」
「お互い無いものねだりって事ですか?」
「そうですね」
 まだ少し納得出来ていない様子のレレは、思案顔のまま荷物を持って第五寮の中へと入って行った。
 モニカとベルも荷物を持ち、後ろに続いて行く。
 ホールの内装は特に豪華という事は無いが、よく手入れが行き届いているようで、古臭さや安っぽさなどは一切感じ無い。
 そのまま正面の階段を三回まで上り、右の突き当りまで進むと三〇三と書かれた扉がある。
 レレは荷物を一旦床に置き、解錠してから扉を開いた。
「わあっ……」
 部屋も共用部と同様に綺麗にされており、デスクとベッドは備え付けのものが用意されていた。手洗いなどは共同部にあるようで、窓が一つあるだけのシンプルなワンルームだが、狭すぎるという事も無く使い勝手は良さそうだ。
「陽当たりはあまり良く無さそうだけど、カビ臭さはほとんど無いから大丈夫そうかな」
 レレは荷物を端に置いてベッドに飛び込む。
「やった! フカフカだ!」
「お前、旅装束のまま……」
「少しだけ少しだけ」
 レレは「少しだけ」と言いながら布団の上で丸まって目を閉じる。そのまま本当に眠ってしまわないように、換気の意味も込めてベルは窓を全開にした。
「さむ……」
「布団に潜るなよ。ちなみにそのシーツ類は貸与品だが、洗濯等は自分でやる必要があるそうだ」
「なるほどー」
「荷解きは後で良いだろ? さっさと昼食にするぞ」
 そうだった、とレレはベッドから跳ね起きて靴を履き直す。
「量が多い方が良いか?」
「勿論!」
 即答だった。
「量が多い所か……確か三番街の方に「鉄の胃袋亭」の支店が出来ていたような」
「良さそうですね。私は行った事がありませんが、サンヴェロナに行った際は男性陣が必ずと言って良い程立ち寄っているイメージなので」
 モニカの賛同も得られたので、早速三番街へと移動する事になった。
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