40 / 70
第40話 ー蝶の夜を断つ者たちー
しおりを挟む
夜空はもはや星を映す場ではなくなっていた。紫黒の翅が空を覆い、脈動するたびに空間そのものが震えている。鱗粉は雪にも似た吹雪となり、岩棚に絶え間なく降り注ぐ。だがそれは冷たくも乾いてもいない。触れた瞬間に肌を舐め、神経を震わせ、甘さを残して消える。
肺に吸い込むたびに胸が熱を帯び、思考がほどけていく。耳の奥では花弁が開くような音が鳴り、骨の髄にまで囁きが染み渡った。
「抗わなくていい……疲れを手放して」
女の声が血管の内側から響くように聞こえる。
セレーナは膝を抱き寄せられる幻を見た。妹、リリィナ。声、笑顔、温度、すべてが生きていた頃のまま。幻だと知っていても、心は求めてしまう。杖を握る手が震え、涙が頬を熱く伝った。
「……リリィナ……お願い、もう一度だけ……」
足首に影の糸が触れた。冷たい感触。影の王女の冷徹な声が耳元に落ちる。
「立っていろ。目を逸らせば、溺れる」
セレーナは唇を噛み、己の鼓動を数えた。一、二、三。数えるたびに幻の妹の輪郭が揺らぐ。影が落ちていない。そこに気づいた瞬間、抱擁は冷気にほどけて消えた。
カリーネの前には玉座の間が現れていた。諸国の旗が整然と並び、宿敵の将すら笑顔で平和を讃える。外交官として夢見た理想が、眼前に差し出されている。だが、その場に熱気がない。拍手は大きいのに、炎の揺らぎがどこにも見えない。彼女は香袋を裂き、辛香を吸い込んだ。喉が焼け、涙が滲む。その痛みと共に幻の壁紙が裂け、蝶の紋がにじみ出る。
「……私は、偽りに署名しない」
短剣を卓に突き立て、夢の祝宴を打ち砕いた。
影の王女は、己に寄り添うもう一人の影を見た。孤独を埋める幻。けれどその足首に脈動がない。踵を打ちつけ、裾から伸ばした糸で自らの心臓に錨を打つ。鼓動と影が重なり、偽物の影が剥がれ落ちる。
「哀れな幻」
冷徹に呟き、幻を切り捨てた。
レイジには、血のない朝が差し出された。食卓に並ぶ仲間たち。扉の向こうから笑顔で呼ぶリリィナ。すべてを取り戻した理想の時間。指先が湯呑みに触れた瞬間――その器に影がなかった。彼は頬の内側を噛み切り、血の味を舌に広げる。金属の味が幻を裂き、器は静かに揺らいで消えた。
「……これ以上、惑わされてたまるか」
四人はそれぞれの糸を手繰り寄せ、互いの目を見た。
幻淫の嵐はなお吹き荒れている。だがその中心に立つ蝶姫の姿が、確かに揺らめいた。
吹雪のように舞う鱗粉は、未だ四人を甘美な牢に閉じ込めようとしていた。だが彼らは各々の方法で現実に爪を立て、踏み止まっている。その小さな抵抗の連続が、やがて繋がり合い、一筋の流れとなって彼らを結んだ。
レイジは剣を掲げ、仲間たちを見渡す。視界は揺らいでいるが、その輪郭は確かだった。
「ここで折れたら、リリィナの死は何のためだったんだ! 俺たちはまだ進める――進むしかない!」
怒声が嵐を裂き、胸の奥に響く。
セレーナは涙で濡れた瞳を拭い、杖を握り直した。妹の幻影を振り払った痛みは消えない。だがその痛みこそが、現実を繋ぎ止める楔になっている。
「……リリィナ、見ていて。私は倒れない。兄様を支えるのは、この手だから!」
杖の先に集まる魔力は、炎と氷が交錯する異質の光。感情の奔流を抑え込むのではなく、力へと転化した証だった。
カリーネは胸の鼓動を数えながら短剣を構え直した。平和を夢見た外交官の心は揺れる。それでも、彼女は戦場に立つことを選んだ。
「私は弱い……でも弱いからこそ、ここで退けない!」
毒刃に光が走り、冷気と混ざり合って淡い霧を生み出す。それは敵を惑わすためではなく、仲間に現実の気配を示す合図だった。
影の王女は黙したまま、裾を広げた。黒い糸が四人の足元に絡み、揺らぐ大地に縫い付ける。彼女の瞳は淡々としている。だがその視線の奥には、孤独を切り裂いた確かな意志があった。
「……影は、共にあれば強い」
短い言葉に、彼女なりの誓いが滲んでいた。
四人の決意が交錯した瞬間、嵐の色が変わった。紫黒の鱗粉が押し寄せても、彼らの輪郭は以前ほど容易くは崩れない。小さな裂け目から夜気が吹き込み、岩棚の匂いと風の感触が確かに戻ってきた。
蝶姫の唇が艶やかに歪む。
「いいわ……ようやく遊べる相手になった」
その声は甘くも鋭い。次の瞬間、翅が大きく羽ばたき、光の奔流が矢のように降り注いだ。
だが四人は揺るがない。互いの意志を結んだ今、幻淫の嵐に抗う術を手にしたのだ。
嵐の渦中で、四人の意志が一本の線に結ばれた。鱗粉はなお吹雪のように舞い、視界は紫黒に染まっている。だが、もはやそれは絶対の牢獄ではない。互いの声と鼓動、汗の匂い、影の重みが確かに“現実”を繋ぎ止めていた。
レイジが剣を振り上げた。刃は光を呑み込み、揺らめく夜に縦の裂け目を描く。その裂け目にセレーナが魔術を流し込む。炎と氷の双流が剣閃に沿って走り、空気を灼き凍らせた。
「行けっ!」
彼の声と同時に、轟音が夜を裂き、蝶姫の翅の一部が灼ける。紫の鱗粉が火花のように散り、実体を露わにした。
「……あら、やっと触れられたのね」
蝶姫は苦しむでもなく、快楽に酔ったように息を吐いた。血に似た紫の液を滴らせながら、その目はむしろ潤んで輝いている。痛みすら彼女の悦びに変わる――戦いそのものが甘美な舞踏なのだ。
カリーネが短剣を閃かせた。彼女の刃は辛香で研ぎ澄まされ、毒の気配を纏っている。レイジとセレーナが生んだ隙を狙い、蝶姫の脇腹に刃を突き立てた。紫の液が飛び散り、甘い芳香が濃くなる。
「ふふ……もっと、もっと……」
甘やかな声に鳥肌が立つ。だがカリーネは怯まず、毒を押し込んだ。
その背後を守るように影の王女の裾が広がる。黒い糸が無数に走り、舞う鱗粉を絡め取って地に縫い付ける。幻と現実の境目が露わになり、蝶姫の本体の輪郭がさらに鮮明になった。
「影は嘘を許さない」
冷徹な声とともに、鎖が蝶姫の片腕を拘束する。
「今だ!」
レイジは吠え、剣を振り下ろした。炎と氷、毒と影、そのすべてが重なった一撃が蝶姫を直撃する。
夜空に、紫黒の光が爆ぜた。嵐の中心で、蝶姫の身体が仰け反る。だが苦悶ではない。恍惚に震え、唇から甘美な呻きが漏れる。
「……そう、それでいい……もっと私を満たして……!」
四人は互いに息を合わせ、再び攻撃の構えを取った。幻淫の牢獄はまだ終わらない。だが確かに、蝶姫の本体に傷を刻んだのだ。
勝負の決着は、次の一撃に託される。
紫黒の光が嵐となり、四人を呑み込もうとしていた。蝶姫は傷を負ってなお恍惚に笑み、背の翅を広げて甘美な毒を世界に撒き散らす。鱗粉は雪崩のように降り注ぎ、視界を蕩かす。耳を塞いでも心の奥に声が響く。
「さあ、もっと私を抱きしめて……壊して、快楽の奥で一緒に溺れましょう……」
セレーナは歯を食いしばり、涙に濡れた頬を拭い取った。視界に浮かぶ妹の幻影が再び彼女を抱きしめようとする。だが今度は揺らがない。杖を突き出し、幻の中の妹を自らの手で打ち払う。
「リリィナはあなたの玩具じゃない! その魂を汚すな!」
その叫びに、杖から奔流のような炎が迸った。
炎はレイジの剣に重なり、刃が紅蓮に輝く。カリーネの毒刃が鋭く閃き、影の王女の黒糸が蝶姫の両腕を絡め取る。四人の力が一つに束ねられた瞬間、夜空を支配していた翅紋が大きく軋んだ。
「――終わりだ!」
レイジは全身の力を込め、剣を振り下ろした。
剣閃は炎と氷と毒と影をまとい、嵐の只中を一直線に貫いた。蝶姫の胸元に食い込み、紫黒の液が夜空に散る。彼女の身体が仰け反り、甘美な吐息が絶頂の呻きとなって迸った。
「ああ……これが……欲しかったの……!」
その瞬間、翅が大きく広がり、次いで粉々に砕け散った。甘い香りが逆流するように吹き飛び、空気が冷たく澄んでいく。夜空の紋章は破れ、星々が再び姿を現した。
蝶姫の瞳は恍惚に濡れながらも、確かな敗北を示していた。
「痛みも……快楽も……同じ……全部……欲しかった……」
その言葉を最後に、彼女の身体は光の粒となり、闇へと還っていった。
沈黙が訪れる。吹雪のような鱗粉も、甘い声も消え去り、ただ岩棚に吹き抜ける冷たい夜風だけが残った。
セレーナはその場に膝をつき、杖を抱きしめた。涙が頬を伝い、岩肌に落ちる。
「リリィナ……あなたの仇を……討ったわ」
声は震えていたが、その奥には確かな決意が宿っていた。妹の命を奪った敵は、ついに滅びた。だが失ったものが戻るわけではない。
レイジは剣を地に突き立て、深く息を吐いた。胸の奥に渦巻く怒りと悔恨が、ようやく形を変える。妹を奪われた姉の痛みを、自分は知っていたはずなのに守れなかった。だが今、共に戦い抜き、仇を討ったことでようやく前に進める気がした。
「リリィナ……安らかに眠ってくれ。俺たちは……まだ終われない」
カリーネは剣を握る二人の背を見つめ、静かに頷いた。外交官としての夢よりも、この仲間と共に歩む現実を選んだ。影の王女もまた、冷徹な瞳を揺らさずに立ち尽くしていたが、裾の糸がかすかに震え、仲間を守るように四人を結んでいた。
蝶姫を討ち果たした安堵と、妹の仇を討った痛切な涙。そのどちらも抱えながら、四人は立ち尽くす。
しかし夜風の奥、大陸のさらに深い森の闇から、圧倒的な気配が忍び寄ってくるのを彼らは感じていた。天凶の一つ、蝶姫は終わった。だが――これはまだ序章にすぎない。
肺に吸い込むたびに胸が熱を帯び、思考がほどけていく。耳の奥では花弁が開くような音が鳴り、骨の髄にまで囁きが染み渡った。
「抗わなくていい……疲れを手放して」
女の声が血管の内側から響くように聞こえる。
セレーナは膝を抱き寄せられる幻を見た。妹、リリィナ。声、笑顔、温度、すべてが生きていた頃のまま。幻だと知っていても、心は求めてしまう。杖を握る手が震え、涙が頬を熱く伝った。
「……リリィナ……お願い、もう一度だけ……」
足首に影の糸が触れた。冷たい感触。影の王女の冷徹な声が耳元に落ちる。
「立っていろ。目を逸らせば、溺れる」
セレーナは唇を噛み、己の鼓動を数えた。一、二、三。数えるたびに幻の妹の輪郭が揺らぐ。影が落ちていない。そこに気づいた瞬間、抱擁は冷気にほどけて消えた。
カリーネの前には玉座の間が現れていた。諸国の旗が整然と並び、宿敵の将すら笑顔で平和を讃える。外交官として夢見た理想が、眼前に差し出されている。だが、その場に熱気がない。拍手は大きいのに、炎の揺らぎがどこにも見えない。彼女は香袋を裂き、辛香を吸い込んだ。喉が焼け、涙が滲む。その痛みと共に幻の壁紙が裂け、蝶の紋がにじみ出る。
「……私は、偽りに署名しない」
短剣を卓に突き立て、夢の祝宴を打ち砕いた。
影の王女は、己に寄り添うもう一人の影を見た。孤独を埋める幻。けれどその足首に脈動がない。踵を打ちつけ、裾から伸ばした糸で自らの心臓に錨を打つ。鼓動と影が重なり、偽物の影が剥がれ落ちる。
「哀れな幻」
冷徹に呟き、幻を切り捨てた。
レイジには、血のない朝が差し出された。食卓に並ぶ仲間たち。扉の向こうから笑顔で呼ぶリリィナ。すべてを取り戻した理想の時間。指先が湯呑みに触れた瞬間――その器に影がなかった。彼は頬の内側を噛み切り、血の味を舌に広げる。金属の味が幻を裂き、器は静かに揺らいで消えた。
「……これ以上、惑わされてたまるか」
四人はそれぞれの糸を手繰り寄せ、互いの目を見た。
幻淫の嵐はなお吹き荒れている。だがその中心に立つ蝶姫の姿が、確かに揺らめいた。
吹雪のように舞う鱗粉は、未だ四人を甘美な牢に閉じ込めようとしていた。だが彼らは各々の方法で現実に爪を立て、踏み止まっている。その小さな抵抗の連続が、やがて繋がり合い、一筋の流れとなって彼らを結んだ。
レイジは剣を掲げ、仲間たちを見渡す。視界は揺らいでいるが、その輪郭は確かだった。
「ここで折れたら、リリィナの死は何のためだったんだ! 俺たちはまだ進める――進むしかない!」
怒声が嵐を裂き、胸の奥に響く。
セレーナは涙で濡れた瞳を拭い、杖を握り直した。妹の幻影を振り払った痛みは消えない。だがその痛みこそが、現実を繋ぎ止める楔になっている。
「……リリィナ、見ていて。私は倒れない。兄様を支えるのは、この手だから!」
杖の先に集まる魔力は、炎と氷が交錯する異質の光。感情の奔流を抑え込むのではなく、力へと転化した証だった。
カリーネは胸の鼓動を数えながら短剣を構え直した。平和を夢見た外交官の心は揺れる。それでも、彼女は戦場に立つことを選んだ。
「私は弱い……でも弱いからこそ、ここで退けない!」
毒刃に光が走り、冷気と混ざり合って淡い霧を生み出す。それは敵を惑わすためではなく、仲間に現実の気配を示す合図だった。
影の王女は黙したまま、裾を広げた。黒い糸が四人の足元に絡み、揺らぐ大地に縫い付ける。彼女の瞳は淡々としている。だがその視線の奥には、孤独を切り裂いた確かな意志があった。
「……影は、共にあれば強い」
短い言葉に、彼女なりの誓いが滲んでいた。
四人の決意が交錯した瞬間、嵐の色が変わった。紫黒の鱗粉が押し寄せても、彼らの輪郭は以前ほど容易くは崩れない。小さな裂け目から夜気が吹き込み、岩棚の匂いと風の感触が確かに戻ってきた。
蝶姫の唇が艶やかに歪む。
「いいわ……ようやく遊べる相手になった」
その声は甘くも鋭い。次の瞬間、翅が大きく羽ばたき、光の奔流が矢のように降り注いだ。
だが四人は揺るがない。互いの意志を結んだ今、幻淫の嵐に抗う術を手にしたのだ。
嵐の渦中で、四人の意志が一本の線に結ばれた。鱗粉はなお吹雪のように舞い、視界は紫黒に染まっている。だが、もはやそれは絶対の牢獄ではない。互いの声と鼓動、汗の匂い、影の重みが確かに“現実”を繋ぎ止めていた。
レイジが剣を振り上げた。刃は光を呑み込み、揺らめく夜に縦の裂け目を描く。その裂け目にセレーナが魔術を流し込む。炎と氷の双流が剣閃に沿って走り、空気を灼き凍らせた。
「行けっ!」
彼の声と同時に、轟音が夜を裂き、蝶姫の翅の一部が灼ける。紫の鱗粉が火花のように散り、実体を露わにした。
「……あら、やっと触れられたのね」
蝶姫は苦しむでもなく、快楽に酔ったように息を吐いた。血に似た紫の液を滴らせながら、その目はむしろ潤んで輝いている。痛みすら彼女の悦びに変わる――戦いそのものが甘美な舞踏なのだ。
カリーネが短剣を閃かせた。彼女の刃は辛香で研ぎ澄まされ、毒の気配を纏っている。レイジとセレーナが生んだ隙を狙い、蝶姫の脇腹に刃を突き立てた。紫の液が飛び散り、甘い芳香が濃くなる。
「ふふ……もっと、もっと……」
甘やかな声に鳥肌が立つ。だがカリーネは怯まず、毒を押し込んだ。
その背後を守るように影の王女の裾が広がる。黒い糸が無数に走り、舞う鱗粉を絡め取って地に縫い付ける。幻と現実の境目が露わになり、蝶姫の本体の輪郭がさらに鮮明になった。
「影は嘘を許さない」
冷徹な声とともに、鎖が蝶姫の片腕を拘束する。
「今だ!」
レイジは吠え、剣を振り下ろした。炎と氷、毒と影、そのすべてが重なった一撃が蝶姫を直撃する。
夜空に、紫黒の光が爆ぜた。嵐の中心で、蝶姫の身体が仰け反る。だが苦悶ではない。恍惚に震え、唇から甘美な呻きが漏れる。
「……そう、それでいい……もっと私を満たして……!」
四人は互いに息を合わせ、再び攻撃の構えを取った。幻淫の牢獄はまだ終わらない。だが確かに、蝶姫の本体に傷を刻んだのだ。
勝負の決着は、次の一撃に託される。
紫黒の光が嵐となり、四人を呑み込もうとしていた。蝶姫は傷を負ってなお恍惚に笑み、背の翅を広げて甘美な毒を世界に撒き散らす。鱗粉は雪崩のように降り注ぎ、視界を蕩かす。耳を塞いでも心の奥に声が響く。
「さあ、もっと私を抱きしめて……壊して、快楽の奥で一緒に溺れましょう……」
セレーナは歯を食いしばり、涙に濡れた頬を拭い取った。視界に浮かぶ妹の幻影が再び彼女を抱きしめようとする。だが今度は揺らがない。杖を突き出し、幻の中の妹を自らの手で打ち払う。
「リリィナはあなたの玩具じゃない! その魂を汚すな!」
その叫びに、杖から奔流のような炎が迸った。
炎はレイジの剣に重なり、刃が紅蓮に輝く。カリーネの毒刃が鋭く閃き、影の王女の黒糸が蝶姫の両腕を絡め取る。四人の力が一つに束ねられた瞬間、夜空を支配していた翅紋が大きく軋んだ。
「――終わりだ!」
レイジは全身の力を込め、剣を振り下ろした。
剣閃は炎と氷と毒と影をまとい、嵐の只中を一直線に貫いた。蝶姫の胸元に食い込み、紫黒の液が夜空に散る。彼女の身体が仰け反り、甘美な吐息が絶頂の呻きとなって迸った。
「ああ……これが……欲しかったの……!」
その瞬間、翅が大きく広がり、次いで粉々に砕け散った。甘い香りが逆流するように吹き飛び、空気が冷たく澄んでいく。夜空の紋章は破れ、星々が再び姿を現した。
蝶姫の瞳は恍惚に濡れながらも、確かな敗北を示していた。
「痛みも……快楽も……同じ……全部……欲しかった……」
その言葉を最後に、彼女の身体は光の粒となり、闇へと還っていった。
沈黙が訪れる。吹雪のような鱗粉も、甘い声も消え去り、ただ岩棚に吹き抜ける冷たい夜風だけが残った。
セレーナはその場に膝をつき、杖を抱きしめた。涙が頬を伝い、岩肌に落ちる。
「リリィナ……あなたの仇を……討ったわ」
声は震えていたが、その奥には確かな決意が宿っていた。妹の命を奪った敵は、ついに滅びた。だが失ったものが戻るわけではない。
レイジは剣を地に突き立て、深く息を吐いた。胸の奥に渦巻く怒りと悔恨が、ようやく形を変える。妹を奪われた姉の痛みを、自分は知っていたはずなのに守れなかった。だが今、共に戦い抜き、仇を討ったことでようやく前に進める気がした。
「リリィナ……安らかに眠ってくれ。俺たちは……まだ終われない」
カリーネは剣を握る二人の背を見つめ、静かに頷いた。外交官としての夢よりも、この仲間と共に歩む現実を選んだ。影の王女もまた、冷徹な瞳を揺らさずに立ち尽くしていたが、裾の糸がかすかに震え、仲間を守るように四人を結んでいた。
蝶姫を討ち果たした安堵と、妹の仇を討った痛切な涙。そのどちらも抱えながら、四人は立ち尽くす。
しかし夜風の奥、大陸のさらに深い森の闇から、圧倒的な気配が忍び寄ってくるのを彼らは感じていた。天凶の一つ、蝶姫は終わった。だが――これはまだ序章にすぎない。
1
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
男女比1対5000世界で俺はどうすれバインダー…
アルファカッター
ファンタジー
ひょんな事から男女比1対5000の世界に移動した学生の忠野タケル。
そこで生活していく内に色々なトラブルや問題に巻き込まれながら生活していくものがたりである!
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる