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第46話 ー母胎、真の姿へー
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洞窟を満たしていた鼓動が止み、淫蠱母が崩れ落ちたその瞬間、四人は勝利を確信しかけていた。剣を杖にして膝を支えるレイジの耳に響くのは、自分たちの荒い呼吸音と、遠く滴る液体の水音だけ。静寂は束の間の休息を与えるようで、皆の胸を安堵で震わせた。
だが次の瞬間、大地が地鳴りを上げた。
「……まだ、終わってない!」
影の王女が鋭く叫ぶと同時に、崩れた肉塊の奥から巨大な影が蠢いた。繭の残骸が弾け飛び、そこから現れたのは、さきほどまでの姿とは比べものにならない異形だった。
淫蠱母の本体――それはもはや個体の枠を超え、巣全体と同化した「胎内の支配者」そのものだった。半透明の皮膚はすでに剥がれ落ち、現れた第二形態は赤黒く脈打つ肉塊と無数の眼球に覆われ、中心からは巨大な胴体がせり上がっている。そこから伸びる触手は一本ごとに別の生物のような意志を持ち、先端には吸盤や棘、さらには女の顔すら浮かんでいた。
「……あれが……本当の姿……」
カリーネが後ずさりし、声を震わせた。
淫蠱母の体から滴り落ちる液体は、先ほどの甘い乳白色ではなく、黒ずんだ透明な酸液に変わっていた。滴が床に落ちるたび、ぬめる皮膚のような地面が泡立ち、煙を上げて崩れていく。
『まだ抱かれていない……母の胎内で裸に還り、無垢に溶けるまで……あなたたちは逃がさない』
声は先ほどよりも重く、深く、空気そのものを震わせる。母性の仮面を脱ぎ捨て、純然たる「捕食者」としての姿が顕わになっていた。
酸の飛沫が飛び散り、セレーナのマントに一滴かかる。じゅっと音を立て、布地は瞬く間に穴を穿たれた。慌てて払い落としたが、焦げた匂いが鼻を突き、全員の心に戦慄を走らせる。
「……武器も衣も、あの酸に触れれば……」
影の王女が低く呟く。
レイジは剣を握り直し、顔を歪めた。
「なるほど……今までのは前座か。なら……本気で来い!」
淫蠱母の巨大な触手が一斉にしなり、酸の雨を撒き散らしながら襲い掛かる。空気は焦げ、床は崩れ、四人の立つ足場すら危うくなっていく。
第二形態との本当の戦いが、今始まったのだった。
淫蠱母の第二形態が大地を震わせるたび、洞窟の天井から酸の雫が雨のように落ちてきた。透明な液体は一見ただの水に見えるが、床に触れればたちまち泡立ち、肉を抉るような音を立てて地形を溶かす。あたりには焦げた鉄と血を混ぜ合わせたような刺す匂いが漂い、呼吸をするだけで喉の奥が焼ける感覚に襲われた。
レイジは咄嗟に剣を掲げ、降りかかる酸を弾いた。だが刃に飛び散った数滴がじゅうっと煙を上げ、鋼が白く濁る。まるで金属そのものが腐っていくように刃がざらつき、頼りない音を立てた。
「……やばい、こいつは武器まで……!」
剣を握る手に嫌な震えが走り、ただでさえ薄くなった装備への信頼がさらに削られていく。
セレーナの肩を覆っていたマントにも酸の飛沫がかかり、瞬く間に布地は穴だらけになった。焦げた匂いと共に繊維が解け落ち、彼女の白い肩が露わになる。
「ひっ……! これ以上……服まで奪われたら……!」
彼女は杖を抱きかかえ、必死に胸元を隠そうとした。だが杖の表面にも酸がじわじわと染み込んでいく。木の香りとともに焦げる匂いが立ち上り、かつて頼れる象徴だったそれが崩れ始めているのを、彼女自身が誰よりも感じ取っていた。
カリーネもまた、腰に巻いた薄布がしゅるりと煙を立て、裾が透けていくのに気づいた。外交官として誇りを守るために纏ってきた衣が、今や羞恥を煽る鎖へと変わる。
「……くっ……これじゃ、戦うどころか……!」
彼女は必死に布を押さえたが、酸は布の端からじわじわと侵食し、染み込むように溶かしていった。
影の王女も例外ではなかった。影糸を操り触手を縛ろうとした瞬間、飛沫が彼女の外衣に触れ、音を立てて焼け焦げた。黒い布地は裂け、白い肌が覗き、甘い蒸気が立ち上る。
「……なるほど……私たちの防御を削ぎ落とし、裸で抱き込むつもりか」
冷徹な声で分析したが、その頬は熱に赤く染まっていた。羞恥と怒りが入り混じり、彼女の呼吸を荒くする。
淫蠱母は楽しげに声を響かせた。
『そう……裸で生まれ、裸で帰る……それが自然。それが愛……』
触手の一本がセレーナの腰を狙い、酸の滴を撒き散らしながら絡みつこうとする。レイジは咄嗟に剣を振るい、それを弾き飛ばした。しかし飛沫が頬にかかり、鋭い痛みが走る。皮膚が焼け、赤く爛れるのを感じながらも、彼は歯を食いしばって踏みとどまった。
「俺たちを赤子に還すだと……? 冗談じゃねえ!」
だが状況は刻一刻と悪化していく。剣の刃は鈍り、杖は軋み、衣は裂けていく。仲間たちの頬は羞恥で赤く染まり、呼吸は荒い。守るものを剥がされていくたび、まるで心そのものを奪われるような屈辱がのしかかる。
酸の飛沫が再び天井から降り注ぐ。四人はそれを避けきれず、布も武器もさらに蝕まれ、足元は泡立つ粘液に覆われた。
「まずい……このままじゃ、全部……!」
カリーネが悲鳴をあげ、セレーナは涙を浮かべ、影の王女でさえ歯を噛み締めていた。
淫蠱母の笑声は洞窟全体に響き渡り、まるで勝利を確信したかのように甘美で残酷だった。
酸の飛沫に晒され、四人の姿は無残だった。衣はほとんど焼き溶かされ、隠すための布切れすら心許ない。武器もまた蝕まれ、剣は刃こぼれを重ね、杖は軋んで悲鳴を上げている。誇りを支えてきた象徴が次々と失われることは、心を剥がされるような屈辱であり、羞恥であった。
セレーナは胸を抱くように杖を支え、涙を滲ませながら声を上げた。
「……全部、奪われる……裸にされて、何も守れない……そうやって、私たちを壊そうとしてる!」
頬は赤く、羞恥に震えながらも、その言葉には怒りの熱が宿っていた。
カリーネも布切れ同然の衣を押さえ、唇を噛んだ。外交官としてどれだけの言葉を尽くしても、この敵は恥と恐怖で心を縛り、戦意を根こそぎ奪おうとしてくる。
「……それでも、私たちは立たなきゃならない! 羞恥で死ぬくらいなら、戦って死んだ方がまし!」
影の王女は裸に近い姿を見られることを何よりも忌み嫌ってきた。だが今、その羞恥すら戦いの糧に変えようとしていた。
「……母の胎内に還る? 冗談。私を縛るのは、この男の選んだ糸だけでいい」
その冷徹な宣言に、淫蠱母の声が一瞬だけ揺らいだ。
レイジは剣を握り直し、仲間の姿を見渡した。酸で溶けかけ、肌を晒しながらも必死に立ち続ける彼女たち。その姿は羞恥と恐怖の象徴であると同時に、戦う意志の証でもあった。
「……そうだ、これでいい。誇りも衣も武器も奪われても……心まで奪われない限り、俺たちは負けじゃない!」
淫蠱母が洞窟を震わせるように嘲笑した。
『哀れな子らよ。丸裸で何が守れるというの……? 母の酸が、最後の矜持すら溶かしてあげる』
だが、もはや彼らの眼差しは怯えていなかった。羞恥に赤らみ、涙を浮かべながらも、その視線は真っ直ぐに淫蠱母を射抜いていた。
セレーナは杖を掲げ、凍てつく風を呼び起こした。氷の粒は酸の飛沫とぶつかり合い、じゅっと音を立てて中和される。
「酸が怖いなら、凍らせればいい!」
カリーネは炎を編み、熱で酸を気化させる。蒸気が立ちこめ、視界を覆うが、その中で声を張り上げた。
「私の言葉は無意味じゃない!あなたの声に屈しない証を、ここで示す!」
影の王女は影糸を幾重にも重ね、触手を縫い止める。粘液に触れ、糸は溶けながらも、その度に新たな糸を紡ぎ続ける。
「裸にされてもいい。だが、縫い止めるのは私の意志だ!」
レイジは全身の羞恥を力へ変換し、剣に渾身の力を込めた。酸で刃は軋み、もう長くは持たない。それでも最後の輝きを灯すように、刃は光を帯びて震えている。
「……決めるぞ。全部晒してでも、ここで終わらせる!」
羞恥も恐怖も、全てを逆手に取った彼らの叫びが、洞窟の脈動を塗り替えた。
洞窟全体がうねり、酸の雨が激しさを増して降り注いだ。酸に濡れた床は泡を吹き、足を踏みしめるたびにぬるりと沈む。衣はすでに穴だらけで、布切れ同然。剣も杖も影糸も、いまにも限界に達しようとしていた。淫蠱母は狂気じみた笑声をあげ、無数の触手を一斉に広げた。
『裸に還りなさい……母の中で、無垢に戻りなさい……!』
その声とともに、四人は一斉に体勢を低くし、最後の反撃に出た。
セレーナが杖を両手で握りしめ、残る魔力をすべて注ぎ込む。杖の表面は酸に侵され、裂け目から蒸気が上がっていた。だが彼女は涙を浮かべ、声を張り上げた。
「たとえ壊れても、この一撃で道を開く!」
杖から吹き出した氷の奔流が酸の飛沫を中和し、触手を凍りつかせる。
カリーネはその隙を逃さず、炎を放った。火球が凍りついた触手を貫き、氷と酸と炎が爆ぜ合って衝撃波を生んだ。
「外交官の言葉は、真実を繋ぐためにある! 私たちは母の幻には屈しない!」
影の王女は影糸を自らの身体ごと縫い付けるように操り、巨大な触手を拘束した。酸で糸は溶け、腕にも火傷のような痛みが広がる。それでも彼女は笑みを浮かべて言った。
「私の誇りは、私の選んだ絆にしか縛られない!」
そして、レイジが前へ躍り出た。剣はすでに酸で溶け、刃こぼれだらけ。だが最後に残った刃先に仲間の力が重なり、光が宿った。羞恥も恐怖も、裸にされかけた屈辱も、すべてを燃料に変えて叫んだ。
「これが……俺たちの最後の一閃だぁぁッ!」
剣が振り下ろされ、淫蠱母の巨大な胸部を裂いた。酸と血が混ざり合い、轟音を立てて爆ぜる。触手がのたうち、壁も天井も震えた。最後に母の声が甘い悲鳴を上げ、空気そのものを震わせる。
『あぁ……なぜ……子は母を拒むの……』
その声が消えた瞬間、淫蠱母の巨体は崩れ落ち、酸の海に沈んでいった。
だが勝利の代償は重かった。レイジの剣は根元から砕け散り、セレーナの杖も折れて散乱した。影の王女の影糸は消え、カリーネの炎は魔力切れで消滅した。彼らの衣は酸に焼かれ、もはや羞恥を覆い隠すものはほとんど残されていない。
荒い呼吸の中、レイジは膝をつき、剣の残骸を見下ろした。
「……やった……けど……全部失ったな」
セレーナは胸元を押さえ、赤らんだ顔でうなずく。
「……でも……生き残った。それが一番大事」
影の王女は冷徹に言い放った。
「装備を失ったままでは、次に進めない。必ず新たな衣と武器を探さねば」
酸に焼かれた洞窟には、まだ蒸気が立ちこめていた。戦いは終わった。しかしこの勝利は、次の苦難への入口でしかなかった。
だが次の瞬間、大地が地鳴りを上げた。
「……まだ、終わってない!」
影の王女が鋭く叫ぶと同時に、崩れた肉塊の奥から巨大な影が蠢いた。繭の残骸が弾け飛び、そこから現れたのは、さきほどまでの姿とは比べものにならない異形だった。
淫蠱母の本体――それはもはや個体の枠を超え、巣全体と同化した「胎内の支配者」そのものだった。半透明の皮膚はすでに剥がれ落ち、現れた第二形態は赤黒く脈打つ肉塊と無数の眼球に覆われ、中心からは巨大な胴体がせり上がっている。そこから伸びる触手は一本ごとに別の生物のような意志を持ち、先端には吸盤や棘、さらには女の顔すら浮かんでいた。
「……あれが……本当の姿……」
カリーネが後ずさりし、声を震わせた。
淫蠱母の体から滴り落ちる液体は、先ほどの甘い乳白色ではなく、黒ずんだ透明な酸液に変わっていた。滴が床に落ちるたび、ぬめる皮膚のような地面が泡立ち、煙を上げて崩れていく。
『まだ抱かれていない……母の胎内で裸に還り、無垢に溶けるまで……あなたたちは逃がさない』
声は先ほどよりも重く、深く、空気そのものを震わせる。母性の仮面を脱ぎ捨て、純然たる「捕食者」としての姿が顕わになっていた。
酸の飛沫が飛び散り、セレーナのマントに一滴かかる。じゅっと音を立て、布地は瞬く間に穴を穿たれた。慌てて払い落としたが、焦げた匂いが鼻を突き、全員の心に戦慄を走らせる。
「……武器も衣も、あの酸に触れれば……」
影の王女が低く呟く。
レイジは剣を握り直し、顔を歪めた。
「なるほど……今までのは前座か。なら……本気で来い!」
淫蠱母の巨大な触手が一斉にしなり、酸の雨を撒き散らしながら襲い掛かる。空気は焦げ、床は崩れ、四人の立つ足場すら危うくなっていく。
第二形態との本当の戦いが、今始まったのだった。
淫蠱母の第二形態が大地を震わせるたび、洞窟の天井から酸の雫が雨のように落ちてきた。透明な液体は一見ただの水に見えるが、床に触れればたちまち泡立ち、肉を抉るような音を立てて地形を溶かす。あたりには焦げた鉄と血を混ぜ合わせたような刺す匂いが漂い、呼吸をするだけで喉の奥が焼ける感覚に襲われた。
レイジは咄嗟に剣を掲げ、降りかかる酸を弾いた。だが刃に飛び散った数滴がじゅうっと煙を上げ、鋼が白く濁る。まるで金属そのものが腐っていくように刃がざらつき、頼りない音を立てた。
「……やばい、こいつは武器まで……!」
剣を握る手に嫌な震えが走り、ただでさえ薄くなった装備への信頼がさらに削られていく。
セレーナの肩を覆っていたマントにも酸の飛沫がかかり、瞬く間に布地は穴だらけになった。焦げた匂いと共に繊維が解け落ち、彼女の白い肩が露わになる。
「ひっ……! これ以上……服まで奪われたら……!」
彼女は杖を抱きかかえ、必死に胸元を隠そうとした。だが杖の表面にも酸がじわじわと染み込んでいく。木の香りとともに焦げる匂いが立ち上り、かつて頼れる象徴だったそれが崩れ始めているのを、彼女自身が誰よりも感じ取っていた。
カリーネもまた、腰に巻いた薄布がしゅるりと煙を立て、裾が透けていくのに気づいた。外交官として誇りを守るために纏ってきた衣が、今や羞恥を煽る鎖へと変わる。
「……くっ……これじゃ、戦うどころか……!」
彼女は必死に布を押さえたが、酸は布の端からじわじわと侵食し、染み込むように溶かしていった。
影の王女も例外ではなかった。影糸を操り触手を縛ろうとした瞬間、飛沫が彼女の外衣に触れ、音を立てて焼け焦げた。黒い布地は裂け、白い肌が覗き、甘い蒸気が立ち上る。
「……なるほど……私たちの防御を削ぎ落とし、裸で抱き込むつもりか」
冷徹な声で分析したが、その頬は熱に赤く染まっていた。羞恥と怒りが入り混じり、彼女の呼吸を荒くする。
淫蠱母は楽しげに声を響かせた。
『そう……裸で生まれ、裸で帰る……それが自然。それが愛……』
触手の一本がセレーナの腰を狙い、酸の滴を撒き散らしながら絡みつこうとする。レイジは咄嗟に剣を振るい、それを弾き飛ばした。しかし飛沫が頬にかかり、鋭い痛みが走る。皮膚が焼け、赤く爛れるのを感じながらも、彼は歯を食いしばって踏みとどまった。
「俺たちを赤子に還すだと……? 冗談じゃねえ!」
だが状況は刻一刻と悪化していく。剣の刃は鈍り、杖は軋み、衣は裂けていく。仲間たちの頬は羞恥で赤く染まり、呼吸は荒い。守るものを剥がされていくたび、まるで心そのものを奪われるような屈辱がのしかかる。
酸の飛沫が再び天井から降り注ぐ。四人はそれを避けきれず、布も武器もさらに蝕まれ、足元は泡立つ粘液に覆われた。
「まずい……このままじゃ、全部……!」
カリーネが悲鳴をあげ、セレーナは涙を浮かべ、影の王女でさえ歯を噛み締めていた。
淫蠱母の笑声は洞窟全体に響き渡り、まるで勝利を確信したかのように甘美で残酷だった。
酸の飛沫に晒され、四人の姿は無残だった。衣はほとんど焼き溶かされ、隠すための布切れすら心許ない。武器もまた蝕まれ、剣は刃こぼれを重ね、杖は軋んで悲鳴を上げている。誇りを支えてきた象徴が次々と失われることは、心を剥がされるような屈辱であり、羞恥であった。
セレーナは胸を抱くように杖を支え、涙を滲ませながら声を上げた。
「……全部、奪われる……裸にされて、何も守れない……そうやって、私たちを壊そうとしてる!」
頬は赤く、羞恥に震えながらも、その言葉には怒りの熱が宿っていた。
カリーネも布切れ同然の衣を押さえ、唇を噛んだ。外交官としてどれだけの言葉を尽くしても、この敵は恥と恐怖で心を縛り、戦意を根こそぎ奪おうとしてくる。
「……それでも、私たちは立たなきゃならない! 羞恥で死ぬくらいなら、戦って死んだ方がまし!」
影の王女は裸に近い姿を見られることを何よりも忌み嫌ってきた。だが今、その羞恥すら戦いの糧に変えようとしていた。
「……母の胎内に還る? 冗談。私を縛るのは、この男の選んだ糸だけでいい」
その冷徹な宣言に、淫蠱母の声が一瞬だけ揺らいだ。
レイジは剣を握り直し、仲間の姿を見渡した。酸で溶けかけ、肌を晒しながらも必死に立ち続ける彼女たち。その姿は羞恥と恐怖の象徴であると同時に、戦う意志の証でもあった。
「……そうだ、これでいい。誇りも衣も武器も奪われても……心まで奪われない限り、俺たちは負けじゃない!」
淫蠱母が洞窟を震わせるように嘲笑した。
『哀れな子らよ。丸裸で何が守れるというの……? 母の酸が、最後の矜持すら溶かしてあげる』
だが、もはや彼らの眼差しは怯えていなかった。羞恥に赤らみ、涙を浮かべながらも、その視線は真っ直ぐに淫蠱母を射抜いていた。
セレーナは杖を掲げ、凍てつく風を呼び起こした。氷の粒は酸の飛沫とぶつかり合い、じゅっと音を立てて中和される。
「酸が怖いなら、凍らせればいい!」
カリーネは炎を編み、熱で酸を気化させる。蒸気が立ちこめ、視界を覆うが、その中で声を張り上げた。
「私の言葉は無意味じゃない!あなたの声に屈しない証を、ここで示す!」
影の王女は影糸を幾重にも重ね、触手を縫い止める。粘液に触れ、糸は溶けながらも、その度に新たな糸を紡ぎ続ける。
「裸にされてもいい。だが、縫い止めるのは私の意志だ!」
レイジは全身の羞恥を力へ変換し、剣に渾身の力を込めた。酸で刃は軋み、もう長くは持たない。それでも最後の輝きを灯すように、刃は光を帯びて震えている。
「……決めるぞ。全部晒してでも、ここで終わらせる!」
羞恥も恐怖も、全てを逆手に取った彼らの叫びが、洞窟の脈動を塗り替えた。
洞窟全体がうねり、酸の雨が激しさを増して降り注いだ。酸に濡れた床は泡を吹き、足を踏みしめるたびにぬるりと沈む。衣はすでに穴だらけで、布切れ同然。剣も杖も影糸も、いまにも限界に達しようとしていた。淫蠱母は狂気じみた笑声をあげ、無数の触手を一斉に広げた。
『裸に還りなさい……母の中で、無垢に戻りなさい……!』
その声とともに、四人は一斉に体勢を低くし、最後の反撃に出た。
セレーナが杖を両手で握りしめ、残る魔力をすべて注ぎ込む。杖の表面は酸に侵され、裂け目から蒸気が上がっていた。だが彼女は涙を浮かべ、声を張り上げた。
「たとえ壊れても、この一撃で道を開く!」
杖から吹き出した氷の奔流が酸の飛沫を中和し、触手を凍りつかせる。
カリーネはその隙を逃さず、炎を放った。火球が凍りついた触手を貫き、氷と酸と炎が爆ぜ合って衝撃波を生んだ。
「外交官の言葉は、真実を繋ぐためにある! 私たちは母の幻には屈しない!」
影の王女は影糸を自らの身体ごと縫い付けるように操り、巨大な触手を拘束した。酸で糸は溶け、腕にも火傷のような痛みが広がる。それでも彼女は笑みを浮かべて言った。
「私の誇りは、私の選んだ絆にしか縛られない!」
そして、レイジが前へ躍り出た。剣はすでに酸で溶け、刃こぼれだらけ。だが最後に残った刃先に仲間の力が重なり、光が宿った。羞恥も恐怖も、裸にされかけた屈辱も、すべてを燃料に変えて叫んだ。
「これが……俺たちの最後の一閃だぁぁッ!」
剣が振り下ろされ、淫蠱母の巨大な胸部を裂いた。酸と血が混ざり合い、轟音を立てて爆ぜる。触手がのたうち、壁も天井も震えた。最後に母の声が甘い悲鳴を上げ、空気そのものを震わせる。
『あぁ……なぜ……子は母を拒むの……』
その声が消えた瞬間、淫蠱母の巨体は崩れ落ち、酸の海に沈んでいった。
だが勝利の代償は重かった。レイジの剣は根元から砕け散り、セレーナの杖も折れて散乱した。影の王女の影糸は消え、カリーネの炎は魔力切れで消滅した。彼らの衣は酸に焼かれ、もはや羞恥を覆い隠すものはほとんど残されていない。
荒い呼吸の中、レイジは膝をつき、剣の残骸を見下ろした。
「……やった……けど……全部失ったな」
セレーナは胸元を押さえ、赤らんだ顔でうなずく。
「……でも……生き残った。それが一番大事」
影の王女は冷徹に言い放った。
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