オーバードライブ ・エロス〜性技カンストの俺が魔王をイカせるまで帰れない世界〜

ぽせいどん

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第58話 ー神をも抱いた王ー

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 カリーネを失った余韻は、まだ胸の奥に深く残っていた。眼鏡だけが静かに残された光景は、まるで彼女の意志が今もそばにあるかのようで、しかし同時に取り返しのつかない喪失を突きつけてくる。レイジもセレーナも影の女王も、誰ひとりとして彼女の最期を言葉にまとめることはできなかった。ただ歩き続けるしかなかったのだ。残された天凶は最後の一体――原初の娼王。その存在が待つという大陸の果てを目指して。

 彼らが進む道は、やがて緑豊かな大地を離れ、荒涼とした土地へと変わっていった。木々は枯れ果て、土は黒ずみ、生命の気配は完全に失われている。風は吹いているはずなのに、耳に届くのはひたすら低い唸り声のような音で、草木がざわめくこともない。自然そのものが息を潜めているのだと理解した瞬間、レイジは背筋に冷たいものが走った。

 「……ここは、まるで世界が拒んでるみたいだな」
 彼は苦笑しながらも、剣を握る手に力を込める。

 セレーナは唇を引き結び、視線を遠くに投げた。その先には、海を切り裂く断崖が果てしなく続いている。黒い波が轟音を立てて岩を叩きつけ、飛沫が空へと散っているはずなのに、不思議とその音は遠くにしか聞こえない。代わりに、耳元で誰かが囁くようなざらついた気配が、途切れることなくまとわりついていた。

 影の女王が足を止める。「……聞こえるか?」
 レイジとセレーナが顔を上げる。
 「何を……?」
 「この大地そのものが呻いている。いや……これは心臓の鼓動に似ている。誰かの、いや、何かの呼吸だ」

 三人が息を潜めて耳を澄ますと、確かに大地の奥から響くような低い振動が伝わってきた。断崖を渡る風の音ではない。潮騒でもない。生き物の鼓動のように規則正しく、しかしあまりに巨大で重い拍動だった。

 「……やっぱりそうだ。あの神殿が……呼吸してるんだ」
 セレーナがかすかに震える声で呟いた。

 霧の向こうに、漆黒の影がぼんやりと姿を現した。石造りの巨大な神殿――いや、神殿と呼ぶにはあまりに異様だ。柱や壁はあるが、それらはすべて絡み合うようにねじれており、まるで人の体を模したかのように見える。無数の腕が天へ伸び、幾千もの顔が壁面に刻まれているようにも見えた。だが近づこうとすればするほど、その姿は霧の中で揺らぎ、何が本物で何が幻影なのか分からなくなる。

 レイジは吐き気を覚え、膝に手を突いた。「……くそ……胸が押し潰されるみたいだ」
 セレーナも息を乱し、胸を押さえる。「この圧……神すら跪かせるような……」
 影の女王が目を細める。「……伝承にあった“神をも抱いた王”。ただの比喩だと思っていたが……。この圧は、確かに神の残滓を孕んでいる」

 歩みを進めるごとに、霧は濃くなり、世界の音が消えていく。波の音も風の音も、鳥の声も消えた。ただ、巨大な存在に“視られている”感覚だけが三人を締め上げていた。

 やがて断崖の道が終わりを告げ、黒い海に突き出すように建てられたその神殿が、三人の前に姿を現した。
 高さは天を衝き、幅は海を覆い隠すほど。近づけば近づくほど空気は重く、呼吸すら困難になっていく。

 レイジは必死に息を整えながら、絞り出すように言った。
 「……これが……“神をも抱いた王”が眠る場所……か」

 セレーナは眼鏡を胸に抱き締め、震える声で答えた。
 「カリーネ……こんな存在を前にして、私たちは……本当に勝てるの……?」

 影の女王の視線は冷たく神殿を射抜いていたが、その手はわずかに震えていた。
 「勝てるかどうかではない……生き残れるかどうかだ」

 霧の中、神殿は確かに呼吸をしていた。
 まるで三人を抱きしめるように、ゆっくりと、重く、圧倒的な力で。

 神殿に近づくたび、空気は濃くなっていった。霧に含まれる水分が肺を満たしているような息苦しさで、吸い込むたびに喉が焼け、心臓の鼓動が乱れる。歩みは確かに前へ進んでいるはずなのに、同じ場所を何度も踏んでいるような錯覚に襲われた。

 「……ここは空間そのものが歪んでいる……」
 セレーナが声を震わせながら言う。額には汗が滲み、符を握る手が小刻みに震えていた。
 「どれだけ進んでも……距離が縮まらない……」

 レイジは歯を食いしばり、共鳴剣を杖代わりにして進んでいた。足は重く、背中には冷たい汗が流れる。
 「幻覚か……いや、それだけじゃねえな。神殿自体が……拒んでる」
 視界の端で壁が揺れ、顔の彫刻が笑ったように見えた。慌てて目を凝らすと、それはただの石のはずなのに、どうしても「見られている」感覚が消えない。

 影の女王が低く呟いた。
 「……これが“神をも抱いた王”の領域か。人の欲望を喰らい尽くした果てに、神すらも抱いたという伝承……。誇張ではなかったのだな」

 その言葉にセレーナが顔を上げる。
 「神を抱く……そんなことが本当にあり得るの……?」
 「可能か不可能かではない。ここに残る圧が答えだ。実際に起こった。だからこそ、この神殿はまだ呼吸している」
 影の女王の声は淡々としていたが、指先は震えていた。

 三人の足取りは次第に鈍り、歩くたびに全身が重力に引きずられるように沈んでいく。霧が肌にまとわりつき、骨の芯にまで冷えが染み込んでくる。レイジは無理やり足を前に出しながら、心の中で叫んでいた。
 (カリーネ……俺たちはここで臆するわけにはいかない。お前が命を懸けて導いてくれたんだ……!)

 霧の合間に、神殿の壁が見え隠れする。その壁には無数の男女の姿が刻まれていた。互いに抱き合い、絡み合い、その中央には王冠を戴いた影があった。影はただの石の彫刻であるはずなのに、目が合った瞬間、心臓が止まりそうなほどの衝撃が走った。

 「見たか?」レイジが息を切らしながら問う。
 セレーナは蒼白な顔で頷いた。「……視線を感じた……彫刻のはずなのに……」
 影の女王も唇を噛む。「あれは壁画ではない。あの王は、未だに我らを抱いている。視線で、心で……魂ごと絡め取ろうとしている」

 大地の奥から低い振動が走り、霧が波のように揺れた。その振動は足裏を通して全身に伝わり、まるで巨大な手が背中を撫でるようだった。心臓の鼓動と重なり合い、自分の体が神殿の呼吸に取り込まれている錯覚に陥る。

 「……もうすぐだ」
 レイジは吐き捨てるように言い、共鳴剣を強く握りしめた。
 「この神殿の奥に、“神をも抱いた王”がいる。最後の天凶……原初の娼王が」

 その言葉を境に、霧はさらに濃くなり、世界から色が失われていった。音も光も奪われ、残ったのはただ圧迫感だけ。三人は互いに顔を見合わせたが、誰も言葉を発することができなかった。

 そして、ついに彼らは神殿の門の前に辿り着いた。
 巨大な扉には、無数の抱擁の姿が彫り込まれている。その中心で微笑む王冠の影は、まるで「ようこそ」と言わんばかりに口角を上げていた。

 扉に刻まれた無数の抱擁の彫刻を押し分けるように、レイジたちは神殿へと足を踏み入れた。重厚な扉は自らの意思で開いたかのように、音もなく左右に滑っていく。その瞬間、冷気が奔流のように吹き出し、全身を切り裂くような悪寒が走った。

 中に入った途端、音が完全に失われた。靴音すら吸い込まれ、息をするたびに自分の鼓動だけがやけに大きく響く。広間は暗く、壁に埋め込まれた無数の像がぼんやりと浮かび上がっている。男女の像は皆、誰かを抱き締める姿で凍りついており、その抱擁の中心には必ず「王冠を戴いた影」が刻まれていた。

 セレーナは立ち止まり、声を震わせる。
 「……これは……壁画じゃない。像のひとつひとつに……人の気配が残ってる……」

 近づいて目を凝らすと、確かに石像の瞳は濁ったガラスのように艶めいており、まるで今も息をしているかのようだった。背筋に冷たいものが走り、レイジは無意識に剣を抜き払った。だが剣を構えた瞬間、その像の瞳が嬉しそうに光ったように見えた。

 「……笑った……?」
 レイジの喉が鳴った。

 影の女王が低く吐き捨てる。
 「この神殿に囚われた者たちだろう。抱かれ、吸われ、最後には石と化した……。娼王に抱かれた者は、肉も魂も逃れられぬ」

 彼女の言葉に、セレーナは思わず眼鏡を抱き締めた。カリーネの遺した形見の冷たい感触が、今だけは唯一の現実を繋ぎ止めてくれる。
 「……ここで神すらも抱かれたの?」
 影の女王は頷く。「ああ。だから“神をも抱いた王”と呼ばれる。伝承では神格を持つ存在がこの神殿に迷い込み、抱擁の中で力を奪われ、王の一部となったと記されている」

 広間の奥へ進むたび、壁に刻まれた像はさらに grotesque に絡み合い、抱擁はもはや愛情ではなく捕食そのものを思わせるものへと変化していった。数え切れぬほどの腕が絡み合い、顔が幾重にも重なり、そこから逃れようと必死に手を伸ばす者の姿まで刻まれている。

 「……ひどい……」
 セレーナは吐き気を堪えるように唇を押さえた。
 レイジも眉をひそめる。
 「こんなもの……愛じゃない。ただの……捕らえて壊すための抱擁だ」

 その言葉に呼応するように、広間全体が低く震えた。地鳴りのような音が響き渡り、三人の体は床に縫いつけられる。呼吸が一斉に奪われ、肺の中の空気が外へ吸い出されていく。

 《……裸ノ誓約ノ者タチヨ……》

 声が響いた。低く、粘つくような声。だが確かに彼らの心に直接囁かれている。

 レイジは喉を押さえ、必死に声を絞り出した。
 「な、なんだ……まだ姿も見せてねぇのに……!」

 セレーナは顔を青ざめさせ、震える唇で呟く。
 「ただの声……なのに……これだけで魂を……掴まれてる……」

 影の女王は膝をつき、床に手をついた。
 「……これが“神をも抱いた王”……原初の娼王か……! 姿を見せずとも、この圧……!」

 三人の背筋に走るのは、冷たい恐怖だった。まだ相手の影すら見ていないというのに、心の奥底まで抱きすくめられ、抗う力を抜き取られていく感覚。

 神殿は確かに呼吸していた。
 そしてその呼吸は、彼らをすでに抱き締めていた。

 その声は、ただの音ではなかった。
 《裸ノ誓約ノ者タチヨ……》と低く囁くだけで、心臓が鷲掴みにされるような衝撃が走る。まるで胸腔の奥に異物が入り込み、鼓動を強制的に操られているかのようだった。

 レイジは共鳴剣を支えに立ち上がろうとしたが、膝が勝手に折れて床に叩きつけられた。筋肉はまだ動くはずなのに、意思と体が噛み合わない。
 「ぐ……くそ……まだ姿を……見てもねぇのに……」
 彼の声は震え、吐き気混じりに濁っていた。

 セレーナもまた、眼鏡を胸に抱きながら必死に呼吸を繰り返していた。
 「ただ……声を聞いただけで……魂が絡め取られる……」
 瞳は恐怖に見開かれていたが、そこにはかすかな光もあった。彼女は気づいていたのだ。これは単なる威圧ではなく、「抱擁」という名の支配だということに。

 影の女王は片膝をつき、額に汗を滲ませながらも冷たい笑みを浮かべた。
 「……なるほど……。これが“神をも抱いた王”の抱擁か。愛でも情でもなく……存在そのものを縛る、絶対の支配……」
 その言葉が終わると同時に、神殿全体が低く唸った。壁の彫像たちの口がわずかに開き、無数の呻き声が重なって広間に充満する。

 《……抱カレヨ……誓約ノ者タチ……》

 声が降り注ぐたびに、天井に刻まれた無数の腕の彫刻が動いたかのように揺れ、三人の背中に冷たい手が触れる。振り返ってもそこには誰もいない。だが確かに、肉体を撫でる感触があった。

 レイジは叫びたくても声が出なかった。セレーナの手が震え、符を握りしめても光を生まない。影の女王でさえも立ち上がれず、闇糸は触れる前から霧に呑まれていた。

 「……抗えない……これが……」
 セレーナが唇を噛みしめ、眼鏡に縋った。
 その瞬間、かすかに胸の奥で光が揺れた。カリーネの遺した誓いが、ほんの僅かだが三人を支えたのだ。

 それでも、圧倒的な存在感は揺るがない。神殿そのものが抱擁となり、三人を絡め取っていた。

 霧の奥から、低く笑う声が響く。
 《ワレハ……原初ノ娼王……神ヲモ抱イタ王……》

 その名乗りだけで、三人の心臓は痛みに跳ねた。
 「神を抱いた」――その言葉は誇張でも譬えでもなく、この神殿に漂う気配がすべて証明していた。

 レイジは歯を食いしばり、床に額が擦れるほど低くなりながらも心で叫んだ。
 (……これが最後の天凶……! だが今の俺たちじゃ……一歩踏み出すことすらできねえ……!)

 セレーナの瞳から涙が零れる。だがそれは恐怖だけではなく、カリーネを失った今もなお戦わなければならないという痛烈な覚悟の涙だった。
 影の女王もまた顔を上げ、震える声で呟く。
 「……まだ姿すら見せぬのに、この圧……。もし本体が現れれば……」

 その言葉は最後まで続かなかった。広間全体が一斉に脈動し、まるで巨大な心臓の鼓動に抱き締められるかのように三人の体が軋んだからだ。

 神殿は生きていた。
 そして、その中心に潜む原初の娼王は、すでに彼らを抱き込んでいた。

 まだ姿を見せぬというのに、勝てる未来は遠い。
 だが退くことも許されない。



――大陸の最果ての神殿にて、最後の戦いの幕は静かに上がろうとしていた。
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