22 / 22
第22章
しおりを挟む
春になり寒さが緩んで水仙の蕾も綻ぶ頃、フラヴィオの帰る家はセシリオの住まいになった。
騎士団への推薦は丁重に断り、今はセシリオの弟子という形で仕事を手伝っている。
フラヴィオは夜明けとともに目を覚ますと、そろりと寝台から抜け出した。セシリオは隣に寝ていない。最近は地下の工房に篭りきりだ。とある令嬢の快気祝い兼婚約祝いだという。フラヴィオは見合いが破談になって正解だったと思った。
窓を開けると森の天辺が金色に照らされ、どこまでも伸びる光の帯が家の中にも入ってくる。その光を迎え入れ、ベッドの下に隠していたキャンバスをイーゼルに乗せた。顔料を油で溶いて必要な色を作っていく。
フラヴィオはまだ絵を描くことを続けている。厚かましく実家に戻り、私物はすべて引き取ってきたが生活は決して楽ではない。しかし自分のものをすべて売り払っても、パンを毎日食べられなくなっても、絵を描く道具だけは手放せなかった。
筆を取りキャンバスにつけようとした瞬間、
「何を描いているのですか?」
背後からセシリオに話しかけられ肩が跳ねた。セシリオの鼻は油と絵の具の匂いを嗅ぎ取り、キャンバスに顔を向ける。見えるはずなどないとわかっていても、フラヴィオはキャンバスを背中に隠してしまう。
「お前仕事は」
「ひと段落したので貴方に会いたくなって」
石膏の粉で白くなった指がフラヴィオの顎を持ち上げた。するとセシリオは少し眉を顰め、フラヴィオの頬を両手で軽く挟み輪郭の形を確かめる。
「少しやつれましたか?必要な物はご用意しますと言ったでしょう」
自分が食べる分の費用を、絵を描く道具に変えていることをあっさり見抜かれた。
「絵は、ただの遊びだ。お前が金を払うほどの価値はない」
「それは私が決めます。ほら、見せてください」
「見えるはずがないじゃあないか」
「わかりますよ。触れば見えます」
フラヴィオの頭に疑問符が浮かぶ。どうせ分かるはずがないと身体をキャンバスからずらした。
セシリオは布で手を拭き、キャンバスに指先を乗せた。爪で乾いた絵の具を剥がさぬよう、指の腹だけでなぞっていく。繊細な指は絵筆の跡や凹凸、塗られた絵の具の厚みをとらえ、描かれたものの像を頭に浮かび上がらせた。
「これは・・・肖像画、ですか?」
フラヴィオは驚きに言葉が出てこなかった。その通りであったからだ。
「誰かまではわかりませんが・・・。ふっ、ここは随分描き直したようだ」
「なぜわかるんだ」
「絵の具を削って均した跡があります。目の辺りでしょうか」
「お前、本当に見えていないのか?」
フラヴィオがセシリオの顔を覗き込む。ところがセシリオは、手に感覚を集中させるためか目を閉じていたのだから舌を巻く。
「いい絵です。貴方の真っ直ぐな性格が筆運びによく現れていて清々しい」
そう言い切ったセシリオに、フラヴィオは観念して溜息を吐いた。
「・・・目の色を出すのに苦労したんだ。あの鮮烈な金と緑を・・・」
セシリオは目を丸くする。そして破顔した。
「どこの色男かと思えば」
「お前は僕の彫刻を作っただろう。だから・・・」
描かれていたのはセシリオの顔であった。前髪を後頭部で結った頭から鎖骨あたりまで描かれている。もちろん傷跡が顔の大部分を覆っているが、目の色の美しさと微笑みの優しさを引き立てていた。
ささやかな返礼のつもりであったが、作品を作れば、セシリオが彫刻を作る間何を考えているのかわかるような気がしたのだ。
フラヴィオは描いている間、ずっとセシリオのことを考えていた。
肌の凹凸はどんなふうに印影を作っていたのか、どうやって口の端をあげ微笑みを作っていたのか、今は何をしてどんな表情でいるのかーーーー
セシリオも自分のことを考えながら作品を作っていたのだろうかと想いを馳せる。だが気恥ずかしくて確かめるなどできなかった。
「あの作品は、貴方への礼ですよ」
「借りを一つでも返さねば僕の気がすまないんだ」
「借りだなんて・・・では、そうですね。一つおねだりしてもよろしいでしょうか」
セシリオは、フラヴィオの肩を抱き耳元で囁く。
「私を愛していると、おっしゃっていただけますか」
何を馬鹿な、と言いかけて、フラヴィオは唐突に気づいた。フラヴィオは、セシリオに愛の言葉を一度も贈ったことがない。
言わないと何故だかセシリオが離れて行ってしまう気がして口を開く。何度も口を開いては閉じることを繰り返すが、喉が張り付いたようになって肝心の言葉が出てこなかった。焦るフラヴィオの様子が肩を抱く手から伝わって、セシリオは微笑ましさに吹き出した。
「ふふっ、少し先の楽しみに取っておきましょうか」
「いや、いい」
フラヴィオはセシリオの手を掴んで、自分の両の頬に当てた。そしてぼそりと呟く。その音はセシリオの耳に微かにしか届かなかったが、繊細な手はフラヴィオの口の動きを正確に読み取った。
身体の形も、そこからあふれる喜怒哀楽を乗せた躍動も、お互いへの愛の表し方も、その手は誰より識っている。
セシリオは満面の笑みを浮かべて、フラヴィオと同じ言葉を返した。
"全てを識る指先" end
騎士団への推薦は丁重に断り、今はセシリオの弟子という形で仕事を手伝っている。
フラヴィオは夜明けとともに目を覚ますと、そろりと寝台から抜け出した。セシリオは隣に寝ていない。最近は地下の工房に篭りきりだ。とある令嬢の快気祝い兼婚約祝いだという。フラヴィオは見合いが破談になって正解だったと思った。
窓を開けると森の天辺が金色に照らされ、どこまでも伸びる光の帯が家の中にも入ってくる。その光を迎え入れ、ベッドの下に隠していたキャンバスをイーゼルに乗せた。顔料を油で溶いて必要な色を作っていく。
フラヴィオはまだ絵を描くことを続けている。厚かましく実家に戻り、私物はすべて引き取ってきたが生活は決して楽ではない。しかし自分のものをすべて売り払っても、パンを毎日食べられなくなっても、絵を描く道具だけは手放せなかった。
筆を取りキャンバスにつけようとした瞬間、
「何を描いているのですか?」
背後からセシリオに話しかけられ肩が跳ねた。セシリオの鼻は油と絵の具の匂いを嗅ぎ取り、キャンバスに顔を向ける。見えるはずなどないとわかっていても、フラヴィオはキャンバスを背中に隠してしまう。
「お前仕事は」
「ひと段落したので貴方に会いたくなって」
石膏の粉で白くなった指がフラヴィオの顎を持ち上げた。するとセシリオは少し眉を顰め、フラヴィオの頬を両手で軽く挟み輪郭の形を確かめる。
「少しやつれましたか?必要な物はご用意しますと言ったでしょう」
自分が食べる分の費用を、絵を描く道具に変えていることをあっさり見抜かれた。
「絵は、ただの遊びだ。お前が金を払うほどの価値はない」
「それは私が決めます。ほら、見せてください」
「見えるはずがないじゃあないか」
「わかりますよ。触れば見えます」
フラヴィオの頭に疑問符が浮かぶ。どうせ分かるはずがないと身体をキャンバスからずらした。
セシリオは布で手を拭き、キャンバスに指先を乗せた。爪で乾いた絵の具を剥がさぬよう、指の腹だけでなぞっていく。繊細な指は絵筆の跡や凹凸、塗られた絵の具の厚みをとらえ、描かれたものの像を頭に浮かび上がらせた。
「これは・・・肖像画、ですか?」
フラヴィオは驚きに言葉が出てこなかった。その通りであったからだ。
「誰かまではわかりませんが・・・。ふっ、ここは随分描き直したようだ」
「なぜわかるんだ」
「絵の具を削って均した跡があります。目の辺りでしょうか」
「お前、本当に見えていないのか?」
フラヴィオがセシリオの顔を覗き込む。ところがセシリオは、手に感覚を集中させるためか目を閉じていたのだから舌を巻く。
「いい絵です。貴方の真っ直ぐな性格が筆運びによく現れていて清々しい」
そう言い切ったセシリオに、フラヴィオは観念して溜息を吐いた。
「・・・目の色を出すのに苦労したんだ。あの鮮烈な金と緑を・・・」
セシリオは目を丸くする。そして破顔した。
「どこの色男かと思えば」
「お前は僕の彫刻を作っただろう。だから・・・」
描かれていたのはセシリオの顔であった。前髪を後頭部で結った頭から鎖骨あたりまで描かれている。もちろん傷跡が顔の大部分を覆っているが、目の色の美しさと微笑みの優しさを引き立てていた。
ささやかな返礼のつもりであったが、作品を作れば、セシリオが彫刻を作る間何を考えているのかわかるような気がしたのだ。
フラヴィオは描いている間、ずっとセシリオのことを考えていた。
肌の凹凸はどんなふうに印影を作っていたのか、どうやって口の端をあげ微笑みを作っていたのか、今は何をしてどんな表情でいるのかーーーー
セシリオも自分のことを考えながら作品を作っていたのだろうかと想いを馳せる。だが気恥ずかしくて確かめるなどできなかった。
「あの作品は、貴方への礼ですよ」
「借りを一つでも返さねば僕の気がすまないんだ」
「借りだなんて・・・では、そうですね。一つおねだりしてもよろしいでしょうか」
セシリオは、フラヴィオの肩を抱き耳元で囁く。
「私を愛していると、おっしゃっていただけますか」
何を馬鹿な、と言いかけて、フラヴィオは唐突に気づいた。フラヴィオは、セシリオに愛の言葉を一度も贈ったことがない。
言わないと何故だかセシリオが離れて行ってしまう気がして口を開く。何度も口を開いては閉じることを繰り返すが、喉が張り付いたようになって肝心の言葉が出てこなかった。焦るフラヴィオの様子が肩を抱く手から伝わって、セシリオは微笑ましさに吹き出した。
「ふふっ、少し先の楽しみに取っておきましょうか」
「いや、いい」
フラヴィオはセシリオの手を掴んで、自分の両の頬に当てた。そしてぼそりと呟く。その音はセシリオの耳に微かにしか届かなかったが、繊細な手はフラヴィオの口の動きを正確に読み取った。
身体の形も、そこからあふれる喜怒哀楽を乗せた躍動も、お互いへの愛の表し方も、その手は誰より識っている。
セシリオは満面の笑みを浮かべて、フラヴィオと同じ言葉を返した。
"全てを識る指先" end
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
夫と息子に邪険にされたので王太子妃の座を譲ります~死に戻ってから溺愛されても今更遅い
青の雀
恋愛
夫婦喧嘩の末に置き去りにされた妻は、旦那が若い愛人とイチャついている間に盗賊に襲われ、命を落とした。
神様の温情により、10日間だけこの世に戻った妻と護衛の騎士は、その10日間の間に心残りを処分する。それは、娘の行く末と……もし、来世があるならば、今度は政略といえども夫以外の人の妻になるということ。
もう二度と夫と出会いたくない彼女は、彼女を蔑ろにしてきた息子とも縁を切ることを決意する。
生まれかわった妻は、新しい人生を強く生きることを決意。
過去世と同じ轍を踏みたくない……
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる