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第一章 忍冬

十三 束の間のひと時

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 昨日、銀白龍殿に泊まった兄の仲間達は、懐妊している虎春を気遣い黄怜殿に泊まる予定だった。黄怜殿は客室が六つに大部屋が一つと、庭園も広々として快適で過ごし易い。しかし、彼が亀酒を呑むことになり、黄虎殿は既に取り壊されているため、黄龍殿の客室に泊まる事になった。
 蒼亞達四人はというと、壱黄殿の小殿は客室が一つしかなく黄龍殿の宿舎へと戻った。本来、小殿は各宮内全て同じ造りだが、黄羊が建てた黄怜殿や黄虎殿は中殿並に特別だった。それほど黄羊は傲慢だったのだ。黄理は、いずれ取り壊される殿に無駄な贅沢はしない。だが嬉しいことに、講習会で使用した大部屋は窮屈さもなく、やっと気が抜けると四人はにんまりとする。行儀正く振舞う必要などない。蒼亞、壱黄、玄史は靴を脱ぎ捨て荷物を放り投げるも、海虎は靴を丁寧に揃え荷物を端にまとめた…。「ん、どうしたのだお前達?」不思議そうに見る海虎に、三人は「何でもない」顔を横に振る。気を取り直して「ドタバタ」と畳にかけ上がり、押入れを開け敷布団を引っ張り出し、笑いながら枕を投げ突け合った。三十畳もある部屋で四人は中央に集まり、寝床で胡座を組み輪になって話しだす。
 海虎が興奮ぎみに目を丸くして言う。
「流石宗主様達だな、神獣が揃った時は鳥肌が立ったよ」
「四神家の大殿ならまだしも、黄龍家の大殿だからな」
 玄史が言い、三人は「うんうん」と頷く。
 蒼亞は早速尋ねる。
「玄史、お前好きな女いないのか?」
「な、何だよ…」
 玄史は目を泳がせる。
 海虎が食いつく。
「もしやいるのか?」
 玄史は三人に凝視され、恥ずかしそうに言う。
「まっまぁなハハハ 玄咊のことを思って父上が分家の侍女を殿に入れたのだ、しかし玄咊がなかなか話さなくてな、それでも一生懸命な姿を見ていたら私の方がなハハハ」
「良かったー、てっきり志ぃ兄ちゃんに惚れたのかと思ったよハハハ」
 蒼亞と壱黄は安堵の笑みを溢す。
「ちっ違うぞっ、ただ玄荏はるえにも『背が高いですね』て同じことを言われたのだ、だから嬉しくなってな、玄荏にされるならこんな感じかなってさ…」
 玄史は想像しながら鼻の下を伸ばす。
 海虎はにやけながら玄史の肩を組む。
「そうかハハハ 玄荏は幾つなのだ?」
「今年十八だ」
「なっなら早く想いは伝えないと、他の男と婚約してしまうぞっ」
「ふっ、私がそんなへまをする男に見えるか?」
 玄史は片膝を立て腕を置き、怪しく鼻で笑う。
「既に父上には伝えてあるから、父上から玄荏の父上に話を出しているはずさ、後は帰ったら私から玄荏に直接伝えるだけだ、それに玄咊のことで良く相談を受けていてな、遠回しだがそれなりに私の想いは伝えている」
「玄史っ…お前男らしいなハハハ」
 海虎は玄史の二の腕を肘で小突き、玄史は両眉を上げ満更でもない顔をする。やはり、こいつは危ない。勝ち誇った顔がどことなく、あの男に似ている気がする。
 二人が小突き合っている隙に、壱黄がぼそっと言う。
「蒼亞、良かったな」
「一先ずな…」
 壱黄と蒼亞は目で頷き合う。
 玄史が海虎の肩を組んでにやつき、悪戯に胸板を触って言う。
「お前はどうなのだ? この身体だ、実際女は寄って来るのだろ?」
「わっ私は今は女はよいのだっ きっ興味はあるが姉上達見ていると、こっ怖くてな…大人しくて優しい女が良いのだっ」
 海虎は玄史を振り払って横に逃げ、顔を真っ赤にして頬を触った。
 ……。
「伯父上みたいな?」
「そ、そう…はっ、ちっ違うぞ壱黄っ!」
 実に海虎は素直で分かり易い。壱黄と蒼亞は目を据わらせ、玄史は怪しく笑みを浮かべる。
「海虎、早い内に諦めろ」
「蒼亞っ、本当に違うのだっ…何と言うか、兄弟のように甘えたいだけなのだ」
 蒼亞は腕を組んで片眉を上げる。
「甘えたい? どういう意味だ?」
「あっあんな優しい兄上がいたら嬉しいだろ? 何があっても〝兄上は私の味方だ〟て思えたら、それだけで無敵になれる気がしないか?ハハハ」
 海虎は少年の様に純粋な眼差しで、胸の高さで拳を翳し三人を見た。余程、女子に囲まれ辛い思いをしてきたのか、兄弟への憧れは年頃の女子への興味よりも勝っていた。
「優しい志瑞也さんに強い蒼万様、二人も兄がいて蒼亞はよいな、羨ましいよ」
 そう言って、海虎は寂しげに微笑む。
「はぁー、わかった。もう疑わないよ、兄上がお前を疑った時は私からも誤解だって伝えるよ」
「本当か蒼亞?」
「うん、それに私が誤解を解かなくても、志ぃ兄ちゃんがお前を庇うから安心しろハハハ」
「しっ志瑞也さんが私を? 嬉しいなへへへ」
 壱黄が海虎の肩に手を置き微笑む。
「良かったな海虎」
「壱黄ありがとうっ、友ができると兄もできるのだなハハハ」
 壱黄は指を差して言う。
「伯父上は既に、海虎も玄史も弟だと思っているよハハハ」
 玄史が真面目な顔で言う。
「蒼亞、お前が練習に声をかけてくれなかったら今私はここにいない、お前達三人とこうして話すこともなかった、玄咊のことも含め改めて礼をいうよ、ありがとう」
 姿勢を正し頭を下げようとする玄史に、蒼亞は眉を寄せ、玄史の胸に手掌を押しあて阻む。
「やめろよ玄史、友ならそこまでするな」
「蒼亞…」
「玄武家らしく礼儀正しいのもお前らしいが、結構抜け目ないし遠慮もない、私はそっちの方がお前らしいと思っているよ、ふっしかもかなりの変態だハハハハ」
 玄史はがしっと蒼亞の肩を組む。
「ふっ、気づいていたかハハハハ」
 四人で笑い合う。
 壱黄が尋ねる。
「そうだ海虎、今度お前が繕った刺繍見せてくれよ」
「ふっ、目の前にあるではないか」
 海虎は得意げに胸を張り、袖を摘んで「パン」と皺を伸ばして、帯を外し上衣を脱ぎだす。
 …まさか。
 衣の背には一匹の白虎が前足の爪を立て、鋭い双眸で牙を剥き出し、絹糸の光沢を放ち睨みつけていた。
 三人は職人並の腕前に驚嘆する。
「ハハハこれはまだ無理だよ」
 海虎は上衣を四角に畳んで側に置き「こっちだ」と目の前に広げた。
「帯か?」
 三人は同時に言う。
「そうだ、十二の時に私が繕ったのだ、どうだ?」
 白と黒の白虎模様の刺繍に、銀色の桜の花弁が舞っていた。恐らく、海虎は花が好きなのだろう。花弁の一片、一片が丁寧に縫われ、白虎の力強さを優しく包んでいるようだ。
 三人は手に取り触れる。
「綺麗、だな…」
「うん…しかも、見事だ…」
「す、凄い…」
 玄史、蒼亞、壱黄は圧倒され、今後は揶揄うのはやめようと思った。
 海虎は友の反応に喜び誇らしげに言う。
「上衣の背の白虎は成人の儀に着けたくてな、今練習中なのだ」
「今度他にも見せてくれよ」
「わかったよ壱黄ハハハハ」
 精神が幼い事を忘れていた。当分、海虎は糸に夢中だ。下手な心配は無用だと分かり、蒼亞と壱黄は安堵した。
 玄史が思い出したかのように言う。
「ふっ蒼亞、お前何故『小僧』て呼ばれているのだ?」
「はぁ…お前か海虎に突っ込まれると思っていたよ、あいつらは私を赤子の頃から見ているんだ、悪戯好きで何度もやられているよ、志ぃ兄ちゃんが怒っても全く聞かないし、壱黄と黄花もやられているんだ、な? 壱黄」
「うん、それに反応したら面白がるのだ」
 蒼亞と壱黄は呆れたように不快な顔をする。
「でもな、あいつらは兄上が怖いんだハハハ」
「それで最初行った時、志瑞也さんに『蒼万の声が聞こえたがお前だけか?』て聞いたのだなハハハ」
 海虎も思い出し肩を震わせて言う。
「しかし玄華様達は、強烈だな…玄武家の女子は皆口が堅く物静かだと思っていたが…」
「他神家の者とあまり話さないだけさ、だが玄華様達は同家でも驚くほど明るいよハハハ」
 玄史は感心するように笑う。
 今後、玄咊が玄華達と接することで影響され似てしまうのではないか、果たしてそれが良い事なのか、蒼亞は疑問を抱いてしまった。
 壱黄が不思議そうに言う。
「それなら朱翔様と玄葉様はどう結ばれたのだ?」
 どう考えても、あの男と玄葉は繋がらない。やはりあれだけ直ぐ手が出る男の事、知りたくなるのも無理はない。蒼亞はここぞとばかりに話のねたを披露する。
「前に志ぃ兄ちゃんが玄葉様の神獣『鍾甲しょうこうが教えてくれた』て言ったら、朱翔様が青褪めて『絶対言うなよっ』て慌てていたんだハハハ」
「なら伯父上は知っているのか?」
「うん、あまりにも笑い過ぎて朱翔様に首絞められてた」
 ……。
 話に食いつく三人の顔から、さっと笑みが消える。その姿は容易に想像できる。知りたいが、とても危険な領域だ。蒼亞は目で「この話はここだけだぞ」と言い、三人は静か頷く。
「南宮に行ったら玄葉様は志ぃ兄ちゃんと良く話すんだ、だけど朱翔様が嫌がってさ、玄葉様が黙ってじっと朱翔様を見ると、朱翔様は頭掻いて『蒼亞は朱濂と朱囉見てろっ』てどっか行くんだハハハ」
 壱黄が驚きながらも楽しそうに言う。
「朱翔様がっ嫉妬しているのか?」
「恐らくな、玄葉様は『駄々っ子・・・・はほっときましょう、クスッ』て笑うんだ」
 四人はにんまりとする。
「ぷっ…ハハハハハハハ!」
 その後も気の抜けた話を笑い交わし、寝転がりながら友とのひと時を過ごした。


「…亞、…黄、海虎、玄史、皆起きるのだ!」
「…ん 義兄上…?」
 いつの間にか寝てしまい、四人は寝ぼけ眼で上半身を起こし、しょぼしょぼと目を擦る。辺りは敷布団も掛布団も散らかり、四人の髪は鳥の巣状態だった。
「ハハハ少しは休めたかい? 酉の刻だよ、ぷっ身なりを整えてから夕餉を食べにおいで」
 兄の仲間達の宴会へと呼ばれた。
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