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16 覚悟
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帝が話した内容は、思ってもいないものだった。皇子の母親は何もかも知っていたのだ。皇子が体内に宿り、無事誕生した後、その身は贄となる為に育てられる。他の腹違いの兄弟達と違う育て方をされたのは、全て国の為だったのだ。
帝は別れ際、皇子を見詰め懐かしそうに目を細めた。あれは、皇子を見ていたのではない。皇子に母親の面影を重ねたのだ。帝が歩むのは茨の道だ。大きな勢力を一掃出来たとしても、虎視眈々と狙っている他の勢力が台頭してくる。帝に忠誠を誓う者はいるようだが、それとて絶対ではない。
「大した方だな」
王子はポツリと呟く。獣王國の王を納得させ、まだ、途中とはいえやり切るだけの信念を持っている。遠ざかる帝の一行を見詰め、王子は帝の決心の強さを見た。だからこそ、敵対国とはいえ、獣王國の王は手を貸したのだ。そこに、打算がなかったかといえば嘘になる。獣王國も倭国にはしっかりと国として建っていてもらいたいのだ。
大陸の小国も着実に力を付けている。そんな中で、大国と言われる二国のうち一国が内から腐り、倒れでもしたら大陸の勢力図が崩れる。息を潜めていた王達が動き出し、また、戦いが起これば大変な事態に発展する。
「……私は何も知らずに育ったのですね」
「いや、あえて知られないようにしたんだろう」
身の振り方を母の胎内に宿った時点で決められていた命だ。利用されていると幼い子供が知れば心に傷を負う。
成長した今なら、利用される為に生まれた命だと言われても、納得出来ないまでも受け入れることは可能だろう。
帝は皇子の母親を利用した。だが、そんな状態の中で、皇子の母親に好意を持ったのだ。だからこそ、皇子の母親は命を掛けた。両親すら説得した。
「まあ、俺がこんなことを言うと莫迦にされるが、帝とお前の母親が来世で幸せになれればいいな」
王子は皇子の心情を慮ってそう言葉を紡いだ。皇子は小さく頷く。生まれる時代が悪かったのだ。もし、二人が夫婦として来世で出会うことがあるなら、皇子はそう思い一つの気持ちが生まれる。
「私は二人の子として生まれたい」
今代はどうやっても現実からは逃げられない。皇子は自由ではあるが、隔離される運命だ。母親は亡くなっており、帝はこれからも戦い続けなくてはいけない。倭国がどのような道を歩み、どう進んで行くのか、隔離される運命を受け入れた皇子では知る術は失われた。
帝が言っていたように、これから先、倭国からも獣王國からも、情報は得られないだろう。それが、本来の贄の形だからだ。
「来世など信じてはいないが、まあ、そう考えるのも、良いかもな」
王子は皇子の考えに否定はしなかった。否定したところで、人の心は変えることは出来ない。まだ、未来を考えているだけマシなのだ。その未来が今世ではなく来世だが、この隔離された場所で今世の話をしたところで、何かが変化するわけではない。
「分かっているか? 今回のゴタゴタが発覚してからかなりの年数が経っている。その間、俺はお前に手を出さなかった」
王子の言葉に皇子は息を呑んだ。王子はけじめをつけたかったのだろう。倭国側の内情が安定するまで、贄の婚姻を保留にしていたのだ。それが、今日を最期に報告がなくなる。そうなれば、本来の贄の形に戻るということに他ならないからだ。
「獣人は欲に忠実だ」
王子は隠すことなく言い切った。皇子とてそのことは知っている。贄となりそれなりの知識も神殿で教えられている。
「……分かっている」
今回は本当に異例中の異例だったのだ。それは誰に言われなくても分かっている。前代の贄は亡くなる迄の長い年月、外界と接触することは出来なかった。否、亡くなってなお、隔離されたままだ。
王子は皇子の様子に気付かれない様に小さく息を吐き出す。一度受け入れてはいるが、それは、長い年月の間に、心境も変わっているだろう。体もあの時は出来上がってはいなかったが、今では立派な青年になっている。身長もあの時より幾分伸びた。しかし、王子と比べればまだ小さいことに変わりはない。
「戻るぞ」
此処は倭国側の禁域地だ。贄はこの場所に本来なら来てはならない。来れるのは贄となり一年経った時、最期の面会をする時だけなのだ。この場所から少し離れた場所に侵入者を防ぐための関所がある。それだけ厳重に監視管理されている。
⌘⌘⌘
何時かは決着が付くことは分かっていた。そして、二人の関係が変わることがないことも分かり切っていた事だ。
皇子は敢えて考えないようにしていたが、それは現実逃避でしかない。王子は今夜、仕切り直しであると夕食時言っていた。つまりは夫婦として、改めて儀式をやり直す事を言っているのだろう。
「分かっていた」
現実は変わらない事など、きちんと頭では分かっていたのだ。妻としての役目は務めなくてはならない。
ゆっくりと夜の帳が降りる。本当の意味で解決はしていないとしても、今後一切、外との関係を持つことは許されない。何時もよりも念入りの体を洗った。どうやっても現実は変わらないのだ。ならば、受け入れるより他ない。
この場所に来た時に腹は括っているのだ。ただ、思いもよらない出来事が起こり、特例的に外の情報を得られただけに過ぎない。それを取り違えてはいけないのだ。
「相変わらず、考えなくても良いことを考えているな」
何時ものように気配なく掛った声に、皇子は緩慢な動作で視線を向ける。この部屋に許可なく入れる者など一人しかいない。認識する必要もない程、その存在に馴染んでいる事に、皇子は笑いたくなった。
「貴方は相変わらず、楽観的ですね」
皇子のその言葉に、王子は喉の奥で笑う。何も楽観的になっている訳ではない。考える必要がないのだ。考えたところで何も変わらないのだから。
「考えて憂い事を増やしてどうなる。精神的にきつくなるだけだ」
王子の言っている事は間違えていない。皇子はただ、足掻きたいだけなのだ。皇子という存在がいたのだと、忘れてほしくないだけなのだ。
「……分かってるつもりです」
「その言い方だと、諦めきれてないと言う事か?」
「すみません」
「謝って欲しい訳じゃない」
この場所に来てから、既に五年の月日が経っている。本来なら外の煩わしい争いなど知らずに、穏やかな生活をしていただろう。しかし、倭国の問題で関わる事になってしまっただけなのだ。
「いいか。今回が異例だったんだ」
「それも理解していますっ」
何より皇子を打ちのめしたのが、兄弟達の皇子を見る目だった。皇子にしてみれば、母親は違えど父親を同じにする兄弟だ。帝からもたらされた情報は国を売ろうとしてた重臣達の事だけではなかった。
「本当に気がついていなかったのか?」
王子の問いに、皇子の体が揺れる。気が付かない振りをしていた。そんなに鈍感ではないのだ。ただ、信じたくなかったのだ。同性にその手の感情を持つ事は理解出来る。しかし、その対象が彼自身であったことが衝撃だったのだ。
「……見て見ぬ振りをしていたのか」
王子の呆れたような声音に、皇子は泣きたくなった。だが、それをグッと堪える。もう、十代の少年ではないのだ。
「自分の容姿を鏡で見たことくらいあるだろう?」
王子は壁に背を預け、皇子に容姿について指摘してきた。
「自分の姿くらい、理解しているっ」
王子は皇子の反論に、苦笑いを浮かべた。身嗜みを整えるのに鏡と向かい合うことはしていただろう。問題は容姿に対する認識だ。
「男にしては綺麗な顔立ちだとは思わなかったのか?」
王子の指摘に皇子はきつく両手を握り締める。女顔である事は理解している。髪を短く切れば、少しはマシであったのかもしれない。しかし、皇族は余程でなくては髪を切らせてはくれない。色々な行事で舞う事も多く、着飾るには長い髪の方が都合が良いからだ。
「……考えが甘かったのだと、主上の言葉で痛感した」
皇子の容姿は母親の容姿を写し取った。帝もまた、男としての美しさを持っており、皇子は二人の良い部分を受け継いだのだろう。美しさは時に人を狂わせる。本人にその自覚がなくとも、一国の王を狂わせた妃もいたのだ。
「帝の話を聞く限り、お前の容姿は美しく生まれる事が決まってたんだろうな」
「どう言う事だ?」
「もし、お前がその辺にいる男と変わらない容姿だったとしよう。見向きもされなかっただろうな。それでは帝の計画にはそぐわない。利用する為には……」
王子はそこで言葉を切ると、皇子を指差す。本来なら、無作法だと言われる行動だ。
「その姿形が必要だ。貴族連中だけではなく、お前と関わる者全てを狂わせる為にな」
王子はゆっくりと皇子に近付く。そして、顎を無造作に右手で掴むと上向かせる。
「そして、贄となるお前は隔離され、貴族達の餌食にならない。帝はお前を贄とする事で守る選択をした。おそらく、母親にもそう告げていただろうな」
皇子は軽く目を見開いた。
陰陽師達はおそらく、そこまで読んでいたのだろう。新しく生まれる命は、貴族達の浅ましさを浮き彫りにする。だが、贄の婚姻の代替わりが起きる。それを読み切った上での計画だったのだ。
「おそらくだが、帝もお前の母親も悩んだだろう。全てを狂わせると分かる存在が生まれてくる。それが、自分達の血の中から生まれてくる。一歩間違えれば、国を混乱に陥れるんだ」
帝は悩んだだろう。陰陽師の言葉であったとしても、絶対とは言い切れない。しかし、倭国の腐敗は国そのものの存在を危険に晒しているのだ。大きな賭けであっただろう。もしかしたら、本当に倭国はこの大陸から消え失せていたかもしれないのだ。
結果的に良い流れとなったが、それはあくまで上手くいっただけに過ぎないのだ。
「それでも、帝は賭けた。お前という存在が、国を巻き込み帝が望む流れを生む事を」
生まれてくる命に自覚はない。だが、その命が持つ運命が国を巻き込む。どちらに転ぶのかはおそらく、皇子の行動一つで刻々と色を変えていただろう。しかし、皇子は母親の祖父母に厳しく育てられた。清廉で曲がった事を何より嫌った。その結果、貴族達は直ぐには行動に移せなかった。皇子を手中に収め帝を操ることも、何より皇子を手篭めにすることも出来なかったのだ。
「お前はおそらく、祖父母に助けられたんだろうな。皇族として当たり前に育っていれば、簡単に貴族の手に落ちただろう」
王子の言葉は真実を映し出していた。
王子は皇子の顎から手を離す。王子は皇子を見下ろし、その顔を見詰めた。倭国は珠玉と謳われる皇子を贄とした。その姿形だけではないだろう。清廉であるよう、皇子を育てた祖父母は注意に注意を払ったのだ。
「お前の祖父母も詳しく知っていただろうな。当然、反対もしただろう。下手をすると、火の粉は一族全てに及ぶ」
母親が帝の手つきとなった事で、一族の者達は取り立ててもらおうと考えただろう。しかし、皇子の祖父母は娘が帝の手付きになった正確な理由を知っていた。だからこそ、一族の者と疎遠になる道を選んだのだ。
「帝だけではなく、お前の母親も祖父母も茨の道を選んだ。倭国という国の為にな」
皇子の母親は体が丈夫ではなかった。本来なら宮仕えなど出来る身分ではなく、何より体の問題で誰かに仕えるだけの体力的余裕もなかった。それを受け入れたのは逆に言えば、体が弱かったからだろう。子供を宿し出産する道を選べば、確実に命を縮める。
「考えられる事は、お前の母親は命を落とす事で帝とお前を守ったんだ。生き続ける事は逆に利用される懸念があっただろう」
皇子はその王子の言葉に否定する事が出来なかった。それは間違いのない真実に近い事だと分かっていたからだ。
「分かっていた。知らないふりをしていた……」
皇子は絞り出すように言葉を吐き出し、俯くと王子の胸に額を押し当てた。知らない振りをし、見ない振りを決め込んだ。それは、見えているものに蓋をしていたのだ。そうしなくては生きていくのも大変だった。
皇子は何もかも飲み込む事でやり過ごしていたのだ。他の者から向けられる視線も陰口にも、反応を示す事をしなかった。それは最大限の防衛だったのだ。勿論、何一つ知らないわけではない。知っていて尚、何も知らない振りをしたのだ。
「関心のない振りをしていた。結局、帝とならない皇子は幽閉される。知り過ぎれば命を奪われる」
他の兄弟達はどうであったのか。皇子に知る由はない。だが、皇子は未来は決して良い事はないと知っていたし、諦めてもいた。帝に贄となる事を告げられた日。それは、幽閉される事と同等であると覚悟した。
まさか、国だけではなく、他国まで巻き込む事になるなど考え及ばなかったのだ。倭国はこれからどうなるのか。贄となった皇子には知る事は出来ない。何より、外の情報を得る事は禁止事項だ。
「……これからは二人だけだ」
「はい……」
「俺がこの部屋に来た意味を理解しているな?」
皇子は降って来た声に一瞬肩を揺らした。分かっていた事だ。皇子はこの場所に封じられた瞬間から王子の妻だ。夫婦として居る事が両国が取り決めた事なのだ。
「……受け入れます」
皇子は俯いたまま、覚悟を決めた。本当の意味で夫婦となる。そんな二人を夜の帳が包んでいった。
帝は別れ際、皇子を見詰め懐かしそうに目を細めた。あれは、皇子を見ていたのではない。皇子に母親の面影を重ねたのだ。帝が歩むのは茨の道だ。大きな勢力を一掃出来たとしても、虎視眈々と狙っている他の勢力が台頭してくる。帝に忠誠を誓う者はいるようだが、それとて絶対ではない。
「大した方だな」
王子はポツリと呟く。獣王國の王を納得させ、まだ、途中とはいえやり切るだけの信念を持っている。遠ざかる帝の一行を見詰め、王子は帝の決心の強さを見た。だからこそ、敵対国とはいえ、獣王國の王は手を貸したのだ。そこに、打算がなかったかといえば嘘になる。獣王國も倭国にはしっかりと国として建っていてもらいたいのだ。
大陸の小国も着実に力を付けている。そんな中で、大国と言われる二国のうち一国が内から腐り、倒れでもしたら大陸の勢力図が崩れる。息を潜めていた王達が動き出し、また、戦いが起これば大変な事態に発展する。
「……私は何も知らずに育ったのですね」
「いや、あえて知られないようにしたんだろう」
身の振り方を母の胎内に宿った時点で決められていた命だ。利用されていると幼い子供が知れば心に傷を負う。
成長した今なら、利用される為に生まれた命だと言われても、納得出来ないまでも受け入れることは可能だろう。
帝は皇子の母親を利用した。だが、そんな状態の中で、皇子の母親に好意を持ったのだ。だからこそ、皇子の母親は命を掛けた。両親すら説得した。
「まあ、俺がこんなことを言うと莫迦にされるが、帝とお前の母親が来世で幸せになれればいいな」
王子は皇子の心情を慮ってそう言葉を紡いだ。皇子は小さく頷く。生まれる時代が悪かったのだ。もし、二人が夫婦として来世で出会うことがあるなら、皇子はそう思い一つの気持ちが生まれる。
「私は二人の子として生まれたい」
今代はどうやっても現実からは逃げられない。皇子は自由ではあるが、隔離される運命だ。母親は亡くなっており、帝はこれからも戦い続けなくてはいけない。倭国がどのような道を歩み、どう進んで行くのか、隔離される運命を受け入れた皇子では知る術は失われた。
帝が言っていたように、これから先、倭国からも獣王國からも、情報は得られないだろう。それが、本来の贄の形だからだ。
「来世など信じてはいないが、まあ、そう考えるのも、良いかもな」
王子は皇子の考えに否定はしなかった。否定したところで、人の心は変えることは出来ない。まだ、未来を考えているだけマシなのだ。その未来が今世ではなく来世だが、この隔離された場所で今世の話をしたところで、何かが変化するわけではない。
「分かっているか? 今回のゴタゴタが発覚してからかなりの年数が経っている。その間、俺はお前に手を出さなかった」
王子の言葉に皇子は息を呑んだ。王子はけじめをつけたかったのだろう。倭国側の内情が安定するまで、贄の婚姻を保留にしていたのだ。それが、今日を最期に報告がなくなる。そうなれば、本来の贄の形に戻るということに他ならないからだ。
「獣人は欲に忠実だ」
王子は隠すことなく言い切った。皇子とてそのことは知っている。贄となりそれなりの知識も神殿で教えられている。
「……分かっている」
今回は本当に異例中の異例だったのだ。それは誰に言われなくても分かっている。前代の贄は亡くなる迄の長い年月、外界と接触することは出来なかった。否、亡くなってなお、隔離されたままだ。
王子は皇子の様子に気付かれない様に小さく息を吐き出す。一度受け入れてはいるが、それは、長い年月の間に、心境も変わっているだろう。体もあの時は出来上がってはいなかったが、今では立派な青年になっている。身長もあの時より幾分伸びた。しかし、王子と比べればまだ小さいことに変わりはない。
「戻るぞ」
此処は倭国側の禁域地だ。贄はこの場所に本来なら来てはならない。来れるのは贄となり一年経った時、最期の面会をする時だけなのだ。この場所から少し離れた場所に侵入者を防ぐための関所がある。それだけ厳重に監視管理されている。
⌘⌘⌘
何時かは決着が付くことは分かっていた。そして、二人の関係が変わることがないことも分かり切っていた事だ。
皇子は敢えて考えないようにしていたが、それは現実逃避でしかない。王子は今夜、仕切り直しであると夕食時言っていた。つまりは夫婦として、改めて儀式をやり直す事を言っているのだろう。
「分かっていた」
現実は変わらない事など、きちんと頭では分かっていたのだ。妻としての役目は務めなくてはならない。
ゆっくりと夜の帳が降りる。本当の意味で解決はしていないとしても、今後一切、外との関係を持つことは許されない。何時もよりも念入りの体を洗った。どうやっても現実は変わらないのだ。ならば、受け入れるより他ない。
この場所に来た時に腹は括っているのだ。ただ、思いもよらない出来事が起こり、特例的に外の情報を得られただけに過ぎない。それを取り違えてはいけないのだ。
「相変わらず、考えなくても良いことを考えているな」
何時ものように気配なく掛った声に、皇子は緩慢な動作で視線を向ける。この部屋に許可なく入れる者など一人しかいない。認識する必要もない程、その存在に馴染んでいる事に、皇子は笑いたくなった。
「貴方は相変わらず、楽観的ですね」
皇子のその言葉に、王子は喉の奥で笑う。何も楽観的になっている訳ではない。考える必要がないのだ。考えたところで何も変わらないのだから。
「考えて憂い事を増やしてどうなる。精神的にきつくなるだけだ」
王子の言っている事は間違えていない。皇子はただ、足掻きたいだけなのだ。皇子という存在がいたのだと、忘れてほしくないだけなのだ。
「……分かってるつもりです」
「その言い方だと、諦めきれてないと言う事か?」
「すみません」
「謝って欲しい訳じゃない」
この場所に来てから、既に五年の月日が経っている。本来なら外の煩わしい争いなど知らずに、穏やかな生活をしていただろう。しかし、倭国の問題で関わる事になってしまっただけなのだ。
「いいか。今回が異例だったんだ」
「それも理解していますっ」
何より皇子を打ちのめしたのが、兄弟達の皇子を見る目だった。皇子にしてみれば、母親は違えど父親を同じにする兄弟だ。帝からもたらされた情報は国を売ろうとしてた重臣達の事だけではなかった。
「本当に気がついていなかったのか?」
王子の問いに、皇子の体が揺れる。気が付かない振りをしていた。そんなに鈍感ではないのだ。ただ、信じたくなかったのだ。同性にその手の感情を持つ事は理解出来る。しかし、その対象が彼自身であったことが衝撃だったのだ。
「……見て見ぬ振りをしていたのか」
王子の呆れたような声音に、皇子は泣きたくなった。だが、それをグッと堪える。もう、十代の少年ではないのだ。
「自分の容姿を鏡で見たことくらいあるだろう?」
王子は壁に背を預け、皇子に容姿について指摘してきた。
「自分の姿くらい、理解しているっ」
王子は皇子の反論に、苦笑いを浮かべた。身嗜みを整えるのに鏡と向かい合うことはしていただろう。問題は容姿に対する認識だ。
「男にしては綺麗な顔立ちだとは思わなかったのか?」
王子の指摘に皇子はきつく両手を握り締める。女顔である事は理解している。髪を短く切れば、少しはマシであったのかもしれない。しかし、皇族は余程でなくては髪を切らせてはくれない。色々な行事で舞う事も多く、着飾るには長い髪の方が都合が良いからだ。
「……考えが甘かったのだと、主上の言葉で痛感した」
皇子の容姿は母親の容姿を写し取った。帝もまた、男としての美しさを持っており、皇子は二人の良い部分を受け継いだのだろう。美しさは時に人を狂わせる。本人にその自覚がなくとも、一国の王を狂わせた妃もいたのだ。
「帝の話を聞く限り、お前の容姿は美しく生まれる事が決まってたんだろうな」
「どう言う事だ?」
「もし、お前がその辺にいる男と変わらない容姿だったとしよう。見向きもされなかっただろうな。それでは帝の計画にはそぐわない。利用する為には……」
王子はそこで言葉を切ると、皇子を指差す。本来なら、無作法だと言われる行動だ。
「その姿形が必要だ。貴族連中だけではなく、お前と関わる者全てを狂わせる為にな」
王子はゆっくりと皇子に近付く。そして、顎を無造作に右手で掴むと上向かせる。
「そして、贄となるお前は隔離され、貴族達の餌食にならない。帝はお前を贄とする事で守る選択をした。おそらく、母親にもそう告げていただろうな」
皇子は軽く目を見開いた。
陰陽師達はおそらく、そこまで読んでいたのだろう。新しく生まれる命は、貴族達の浅ましさを浮き彫りにする。だが、贄の婚姻の代替わりが起きる。それを読み切った上での計画だったのだ。
「おそらくだが、帝もお前の母親も悩んだだろう。全てを狂わせると分かる存在が生まれてくる。それが、自分達の血の中から生まれてくる。一歩間違えれば、国を混乱に陥れるんだ」
帝は悩んだだろう。陰陽師の言葉であったとしても、絶対とは言い切れない。しかし、倭国の腐敗は国そのものの存在を危険に晒しているのだ。大きな賭けであっただろう。もしかしたら、本当に倭国はこの大陸から消え失せていたかもしれないのだ。
結果的に良い流れとなったが、それはあくまで上手くいっただけに過ぎないのだ。
「それでも、帝は賭けた。お前という存在が、国を巻き込み帝が望む流れを生む事を」
生まれてくる命に自覚はない。だが、その命が持つ運命が国を巻き込む。どちらに転ぶのかはおそらく、皇子の行動一つで刻々と色を変えていただろう。しかし、皇子は母親の祖父母に厳しく育てられた。清廉で曲がった事を何より嫌った。その結果、貴族達は直ぐには行動に移せなかった。皇子を手中に収め帝を操ることも、何より皇子を手篭めにすることも出来なかったのだ。
「お前はおそらく、祖父母に助けられたんだろうな。皇族として当たり前に育っていれば、簡単に貴族の手に落ちただろう」
王子の言葉は真実を映し出していた。
王子は皇子の顎から手を離す。王子は皇子を見下ろし、その顔を見詰めた。倭国は珠玉と謳われる皇子を贄とした。その姿形だけではないだろう。清廉であるよう、皇子を育てた祖父母は注意に注意を払ったのだ。
「お前の祖父母も詳しく知っていただろうな。当然、反対もしただろう。下手をすると、火の粉は一族全てに及ぶ」
母親が帝の手つきとなった事で、一族の者達は取り立ててもらおうと考えただろう。しかし、皇子の祖父母は娘が帝の手付きになった正確な理由を知っていた。だからこそ、一族の者と疎遠になる道を選んだのだ。
「帝だけではなく、お前の母親も祖父母も茨の道を選んだ。倭国という国の為にな」
皇子の母親は体が丈夫ではなかった。本来なら宮仕えなど出来る身分ではなく、何より体の問題で誰かに仕えるだけの体力的余裕もなかった。それを受け入れたのは逆に言えば、体が弱かったからだろう。子供を宿し出産する道を選べば、確実に命を縮める。
「考えられる事は、お前の母親は命を落とす事で帝とお前を守ったんだ。生き続ける事は逆に利用される懸念があっただろう」
皇子はその王子の言葉に否定する事が出来なかった。それは間違いのない真実に近い事だと分かっていたからだ。
「分かっていた。知らないふりをしていた……」
皇子は絞り出すように言葉を吐き出し、俯くと王子の胸に額を押し当てた。知らない振りをし、見ない振りを決め込んだ。それは、見えているものに蓋をしていたのだ。そうしなくては生きていくのも大変だった。
皇子は何もかも飲み込む事でやり過ごしていたのだ。他の者から向けられる視線も陰口にも、反応を示す事をしなかった。それは最大限の防衛だったのだ。勿論、何一つ知らないわけではない。知っていて尚、何も知らない振りをしたのだ。
「関心のない振りをしていた。結局、帝とならない皇子は幽閉される。知り過ぎれば命を奪われる」
他の兄弟達はどうであったのか。皇子に知る由はない。だが、皇子は未来は決して良い事はないと知っていたし、諦めてもいた。帝に贄となる事を告げられた日。それは、幽閉される事と同等であると覚悟した。
まさか、国だけではなく、他国まで巻き込む事になるなど考え及ばなかったのだ。倭国はこれからどうなるのか。贄となった皇子には知る事は出来ない。何より、外の情報を得る事は禁止事項だ。
「……これからは二人だけだ」
「はい……」
「俺がこの部屋に来た意味を理解しているな?」
皇子は降って来た声に一瞬肩を揺らした。分かっていた事だ。皇子はこの場所に封じられた瞬間から王子の妻だ。夫婦として居る事が両国が取り決めた事なのだ。
「……受け入れます」
皇子は俯いたまま、覚悟を決めた。本当の意味で夫婦となる。そんな二人を夜の帳が包んでいった。
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