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二章 まさかの監禁?! いや、それは違う!
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リラは今、非常に困っている。まず、通された部屋。この部屋は魔法が使えないように術が掛けられている。しかも非常に強力な術だ。そして、更なる問題は、リラを見張っているのが兄なのである。名をシュトラス・レイト=リストル。リラと同じ癖のない黒髪は背を流れ、一つにリボンで縛っている。瞳はリラより薄い水の色。水と言うより氷と言う表現があっているだろうか。そして、本来は白い肌なのだろうが、それなりに日に焼けている。しかし、元来持つ雰囲気が冷たさを感じさせない。王太子の覚えも目出度い二十歳の美青年である。
「兄上。私は何故、監禁に近い扱い受けてるの?」
シュトラスは呆れたように窓際の椅子に座る妹に視線を向けた。男装の麗人の如く、シャツとズボン、ブーツ姿。短く切り揃えられた黒髪が視界に入る。そして、シュトラスはあからさまに息を吐き出しす。彼が選ばれた理由など明らかである。リラは魔法が使えなければただの娘。では決してないのである。あの、王太子と対等以上に渡り合ったのだ。魔法が使えなかろうと、攻撃力が少しばかり男性より劣っていたとしても、間違いなく普通の相手では止める事も叶わない。それを王太子は瞬時に読み取り、シュトラスに厳命したのだ。絶対にリラを部屋の外には出さないようにと。
「あれだけの腕を見せておいて、ただ、部屋に鍵を掛け監禁などするものか。見張りがいなければ地下牢だろうが。腐っても公爵令嬢。そんな扱いなど出来ないとの判断だろう」
「いや、そうではなく。まず、どうして反対勢力である貴族があの場で反対の声を上げないの?!」
「それこそ、お前がお莫迦だからだ!」
その罵声と共に入って来たのはリストル公爵。つまりはリラの父親である。兄妹と同じ癖のない少し長めの黒髪を三つ編みにしている。瞳は灰色に近い水の色。白い肌でデスクワークが多いためか日に焼けてはいない。ただ、髪には少しばかり白いものが混じり始めているようだ。兄もだが父親も細身でかなりの長身である。名をランドル・レイト=リストルと言う。やはりと言うか、かなりの美中年である。
「王太子妃になれば確かに権力を欲しいままに出来る。そう、我が国が普通の王国ならだ!」
リラは父親の物言いに疑問の表情を見せた。リラが生まれた国は周囲を山に囲まれた、比較的温暖な気候である。しかし、山の外側は荒地が続き、他国との境には永遠と砂地が続く。その砂地の先に海があり、交易の要になっているのは流石のリラでも知っていた。
「普通ではないの?」
「本来なら、この国は山の向こう側と同じ気候であったと、歴史で習わなかったのか?!」
「そう言えば、そんな話を聞いたような……」
リラにしてみれば国の事など知ったことではない。まず、第三王子との婚約を如何に解消出来るのか、これに尽きていた。まさか、願ったり叶ったりで婚約が破談となり喜んだのも束の間。まさかの更に上、王太子の婚約者になるなど予定外の何者でもないのである。
「他国ばかりでなく、国の中でも王太子とその妃が狙われるのは、我が国の特異性故だ!」
「どう言う事でしょう?」
リストル公爵は話にならないと緩く首を振る。シュトラスはそんな父親に苦笑いを浮かべた。説明を早々に諦めた父親に視線だけで命令される。リラに説明をしてやれ、と言うのである。
リストル公爵家は代々、近衛騎士を排出する武家である。王家とはかなり親密な関係であり、元々、リストル公爵家は王家に端を発する一族だ。つまり、数代前の王弟が起こした一族なのだ。それ故に、代々、王家を補佐すべく表に裏に補佐をして来たのである。長兄が近衛騎士となり、次代の後継者が近衛騎士を継ぐと父親から公爵位を相続し領地の管理、王の補佐としての務めを果たすのである。
当然、一族の成り立ちをリラも教えられているのだが、如何せん、本人が全くやる気も覚える気もなかったのだ。その結果、リラは墓穴を掘ったのだ。
他国が王族の命を狙うのは間違いなく、この地を手に入れようとしているためだ。しかし、国の中。つまり、王族に連なる血筋で王位を狙う者が王太子とその妃を亡き者にしようとしている。それは逆に考えると、反対勢力であろうとも、国を維持する為なら少々、考えが違う貴族の令嬢でも問題ないのである。
「王家には代々、ある花を育てる義務がある。その花は、この地の気候を温暖な、けれど、雨の恵みをも齎す不思議な効果を持っている」
「花?」
「そうだ。この花だが次代の王太子が誕生する時、その右手に種を持ち生まれてくる」
シュトラスの説明にリラは目を見開いた。その花の種だが、少しばかり厄介だ。手に握り締めて生まれる為、種にも良し悪しがあるのだ。特に今代の種を持ち生まれてきた王太子の種はかなり強い力を持っているらしい。
「話の腰を折るようですが、王太子殿下が命を落とせば、その種とやらは露の如く消えてしまうのでは?」
「お前の頭はどうしてそう残念なんだ!」
リストル公爵の恫喝にリラは片目を閉じ、両の手で耳を塞いだ。リラは残念なのではなく、やる気がないだけなのだ。リストル公爵にしてみればそれすら残念の範疇なのである。
「種は次の後継者に引き継がれるのだ。つまり、王族の血族全てにだ。種を生み出せるのは王の直系のみだが、種を生み出した王太子が没すれば、種が新たな王太子を選出し、花を咲かせたものが直系となるのだ! そして、種を生み出すのは王族。芽を出す為には妃が必要だ。それが、問題で難題だ」
リストル公爵の話にリラは思案する。つまり、まかり間違えると、兄であるシュトラスが王となる可能性もあると言うことになるのだ。ただ、発芽に必要なのが妃とは……。
「面倒なシステム……」
「そうだ……っ。我がリストル公爵家はそんな面倒に巻き込まれるつもりは全くない」
「兄上は?」
「今の気ままな近衛騎士で十分だ」
だが、リラはここでもう一つの疑問が浮かぶ。王太子を殺すのは理解するとして、その妃を狙うのがよく分からない。
「妃となる令嬢が命を狙われるのは?」
「お前は人の話を聞いてるのか……」
唸り声を上げる父親に、リラは気にした風もなくただ、首を傾げる。確か、発芽には妃が必要だと言っていた。
「妃に必要なのは花を咲かせる事?」
「そうだ」
「ならば、私が婚約者になる必要は……」
「だから、お前は莫迦だと言っているんだ」
リストル公爵は更に唸り声を上げる。王太子が何の勝算もなしにリラを婚約者に望んだのではない。そう、王太子誕生時、沈黙していた種がある時に光り輝いた。それは、妃となる者が誕生した証拠なのである。つまり、その年、その日に生まれた令嬢ないし国民が妃の資格を持つのである。
「種が光ったのはお前が生まれた日だ。当然、殿下は全ての女性を調べ上げた。種は近付けば反応するそうだ」
リラは王太子と対面したことなどない。何時、接触しただろうかと思案する。接触するとするなら、第三王子との目通りの時くらいだ。
「それを知っていたから、第三王子にお前を贄として差し出した」
リストル公爵の物言いに、流石のシュトラスも絶句だ。
「贄?!」
「命を狙われる王太子の婚約者よりもマシだとな」
「いやいや、全然マシじゃないでしょう?!」
リラは立ち上がると力一杯、父親の言葉を否定する。リストル公爵にしてみれば、王太子妃など面倒になるだけなのだ。ただでさえリストル公爵家は微妙な立ち位置。王の補佐ではあるが宰相を務めているわけではない。側近ではあるが、主に王の裏の仕事を命令される場合が多いのだ。表では王の執務に関する補佐。王太子付き筆頭近衛騎士であるシュトラスも少しずつではあるが似たような役回りをしているのである。
「命の方が大切だ」
「父上。つまり、種がリラを選んだと?」
「薄々な。セラがリラにスパルタ的に剣術を教え始めた時点で、それは確信に変わった」
セラとはリラとシュトラスの母親である。セラ・クラリエス・コーラル=リストル。コーラル伯爵家の娘である。美しい冴えた銀の髪と青の瞳を持つ男性顔負けの剣の腕を持つ壮絶な美女だ。本人が女騎士として領地の騎士団を率いていた恐ろしい女性である。しかも、山脈に囲まれた王国で唯一の外との接点。その場所を守護する辺境伯家の生まれだ。その領地の女性は大抵、剣術なりの武術を修める。それは国を護るためだけではなく、自身の身を護るため。延いては家族を守るためでもあった。
「殿下が楽しげにリラの事を訊いてきた時、何事が起こったのかと」
「最終的に妃となるにはその種に触れ、発芽が確認されなくてはならない。更に王太子を身籠もると花を咲かせる。つまり、花を咲かせるという事は次代の王太子となる赤子が種を持ち生まれてくると確定されるのだ」
つまり、今の王が王太子時代。数人の妃候補である婚約者が儚くなったが、種の選定をする前に命を奪われたと言う事だ。王妃に求められるのはどうやって身を護るか、である。蝶よ花よと育てられた令嬢ではとてもでないが務まらない。反対勢力の貴族がリラを婚約者にと王が宣言しても反対しなかったのはそう言う理由があったのだ。しかも、リラは彼等の目の前で実力を遺憾なく発揮したのである。おまけに王太子を魔法で保護しつつ、模擬試合をしてみせたのだ。
そうして、もう一つの疑問。国の中で王族に連なる者が王太子の命を狙うのは理解出来た。では、他国は?
「父上。疑問なのですが。他国がこの国を侵略し、王族に連なる者を亡き者にした場合、どうなります?」
「間違いなく砂に埋もれるだろうな」
緑豊かなこの国は、その花の魔力で緑豊かな美しい土地なのだろう。何故、そのような成り立ちなのかは王家であろうと謎であるらしい。ただ、この国の者は多かれ少なかれ魔力を持っている。そこに理由があるのかもしれない。
「じゃあ、我が家としては王家に嫁ぐに当たって不都合は?」
「あるに決まってるだろう。何故に厄介ごとばかりが目立つ王家に、ただでさえトラブルメーカーのお前を嫁にやらなくてはならないんだ。いいか。反対勢力の貴族までもお前を王太子妃にと動き出した。逆に王家の血筋の者も動き出したぞ」
「早いですね」
リストル公爵の言葉にシュトラスはのんびりと言ってのける。
「つまり、この部屋から感じる殺気はそう言う事か。我等も一応、王族に連なる血筋。リラだけではなく、私も狙われてる、と」
シュトラスは言うなり剣を抜いた。リストル公爵も当然である。リラはと言うと、獲物が何もない。不満を表情に乗せると、リストル公爵は苦笑いを浮かべた。仕方ないと、護身用の短剣をリラに投げてよこす。
「剣の方がいい」
「部屋を出れば魔法でなんとかなるだろう」
「出してくれるの?!」
嬉々としてリラは問い掛けた。
「愛しの娘を失う気は無いからな。ただ、王太子の婚約者である事実は消せない。諦めろ」
「ええ?!」
「その戦闘能力のせいだ」
シュトラスが追い打ちをかけるように言葉を発すると、飛んできた何かを剣で叩き落とした。飛んできたのは矢である。あからさまに鏃に毒が塗られていると分かる毒々しい色だ。
シュトラスは警戒しつつ扉を開き部屋の外へと飛び出した。飛んでくる矢を叩き落としつつ、向かってくる覆面の一団を蹴散らす。外には近衛騎士が二人護衛のために控えていたが、床に転がっていた。よく見ると首筋に吹き矢が刺さっている。リラは眉間に皺を寄せ騎士の一人の側に跪く。吹き矢を首筋から引き抜き、矢先に塗られていた液体を人差し指で拭い一舐めした。舌に痺れたような感覚が広がる。それを確認し、騎士が持っていた剣に手を伸ばした。
「毒か?」
リストル公爵の問いに、リラは軽く首を振る。
「痺れ薬。でも、かなり強力だから、早めに処置しないと危ないかも」
リラの答えにリストル公爵は頷く。リラは大抵の毒に耐性がある。これも母親であるセラの仕業だ。何時如何なる時も、万全の体制を整える。が、リラの母、セラの口癖なのである。
「まずい。このままでは……」
「殿下か?」
シュトラスは眉間に皺を寄せる。王太子に命令されたとはいえ、本来守らなくてはならないのは王太子だ。
「分かった」
リラは言うなり二人の横を走り抜けた。ぎょっ、としたのはリストル公爵とシュトラスだ。リラが軽い調子で言っているので相手が弱いと思われがちだが、かなりの手練れだ。きちんと訓練を受けた軍人だと直ぐに分かる。そのプロをいとも容易く床に沈めるのだから敵わない。
「リラは間違いなく、性別を間違えましたね」
世間話でもする軽い口調でシュトラスはリストル公爵に話を振る。当然その間、襲って来た覆面集団を打ちのめしているのだが。
「いや、セラを見ているからな。違和感がない私にも問題があるのか? あれを見ていると死ぬと言う感覚が生まれないからな。安心といえば安心なのだが」
リストル公爵も簡単に襲撃して来た覆面集団を床に沈めている。リラは一撃か必殺で命を奪っていったが、二人は意識を奪っただけだ。騒ぎを聞きつけて集まって来た近衛騎士達がその者達を捕縛する。
「私は殿下の所へ行きます」
リストル公爵は一つ頷くと息子を見送った。その足で王の執務室に向かう。婚約者を決めた直後に動き出したらしい事を考えて、あの場にいた王族に連なる貴族が手を出したと判断出来る。足早に歩を進める。その後ろを数名の騎士が追随した。
「ランドル」
気安く名前呼びされ、リストル公爵は其方に視線を向けた。そこに居たのは義理の兄であるコーラル伯爵だ。名をロイ・セルム=コーラル。妻であるセラとよく似た銀糸の髪。瞳は菫色。よく日に焼けた肌で本来は白であるとは思えない小麦色になっている。がっしりした体付きで、リストル公爵と並んでも遜色ない見目である。軽く目を見開いたリストル公爵にコーラル伯爵は苦笑いを浮かべる。
「領地にいたのでは?」
「セラに呼び出された。その足で陛下にお会いしたのだが、その後にこの騒動だ」
コーラル伯爵はスッと目を細めた。
「リラが王太子殿下の婚約者になる」
「セラがそう君に伝えて来たのか?」
リストル公爵の問いに、コーラル伯爵はゆっくりと頷いた。セラは女騎士であると同時に、未来を見通せる魔女などと呼ばれている。強い魔力を持っている関係だろうか。時の流れを読むことに長けていた。リストル公爵がセラの行動でリラが王太子妃になると確信し、敢えて第三王子の婚約者に収めたのだ。それを二人は台無しにしたのである。挙句に王太子の婚約者になってしまった。セラに言わせれば、時の流れに逆らったとしても、変えられる未来と変えられない未来がある。そう、笑い飛ばすだろう。
「あれの未来は変えられぬ部類だったようです」
リストル公爵の沈んだ声に、コーラル伯爵は沈痛な面持ちで見詰める。
「時は動き出したか……」
「おそらく」
今代の王太子は強い種をその手に握り締めて誕生した。つまり、それだけの強さがなくてはならない事態になる事が予想された。
「数代前の王弟が公爵家を起こしたのは、未来に起こるこの地の危機を我が伯爵家の魔女が予言したからだ」
コーラル伯爵が低く唸るように呟く。その声はリストル公爵の耳に入る程度の声音だ。
「……それは承知している。内と外からの攻撃。殿下が誕生した時、父は握られた種の強さに表情を変えた。そして、私とセラを見て溜め息を吐かれた」
前リストル公爵はおそらく、事前に何かを知っていたのだ。息子夫婦の娘が王太子妃になる。
「此処で何かを言ったところで、起こってしまったことはどうしようもないない。陛下の元に向かう」
リストル公爵の言葉にコーラル伯爵は力強く頷く。そして、二人の後を騎士達が追随する。このままでは終わらない。暗殺を視野に誰かが動いたのなら、直ぐ対策を取らなくては王太子だけではなく、リラの命すら危ういのだ。
リラは向かってくる刺客に対して容赦がなかった。躊躇いは即、命を失うことになる。刺客達が手に持つ剣には毒が塗布されている。少しでも掠れば命はない。駆け抜けつつ斬りつけ、時には蹴り付けながら王太子の部屋へと向かう。場所を知らなくとも、黒い覆面団体御一行様を探しつつ向かえばいいだけなのだ。
階段を駆け上がり、ある一室の前で近衛騎士達と揉めている一団を見付ける。間違えなくリラが居た部屋を襲撃した一団と同じだろう。リラが勢いのまま、敵の一人に体当たりをした。いきなりの奇襲に驚いた刺客達はリラの登場に動揺する。まさか、仲間が仕損じたなど、考えられなかったようだ。
「殿下は?!」
「室内です!」
近衛騎士達はリラの戦力を目の当たりにしている。その為か躊躇いもなく反射的に答えた。リラは数名の刺客を伸した後、室内に侵入する。近衛騎士達が扉を守っていたので安全かと思いきや、室内で王太子が刺客達と戦っていた。つまり、近衛騎士達はこれ以上、敵を増やさないようにしていただけのようだ。
リラは素早く魔法を展開すると、王太子に結界魔法を発動する。その瞬間、王太子を狙っていた刺客達の剣が結界に弾かれた。王太子は驚いたように侵入してきたリラに目を見開く。おそらく、兄であるシュトラスは生かして刺客達を捕獲しているだろう。ならば、リラが取る行動は一つだ。
刺客達が完全に戦闘不能になる行動をとれば良いのだ。素早く動くと躊躇いなく首を狙った。首を掻き切り、大量の血飛沫が上がる。それに頓着せず、リラは奇襲のような形で、刺客の全てを殲滅したのだ。
「……壮絶だな……」
血の滴る剣を片手に、その身を真紅に染めたリラを王太子は見詰める。
「何故、近衛騎士を部屋の外へ?」
リラの問いに王太子は我に返ったように目を見開く。
「ああ……。我が国ではこれが近衛騎士の行動だ。私が刺客に襲われる度に守っていては近衛の数が足りなくなる」
「……」
「窓から飛び込んでくる刺客も居るが、それは完全に不測の事態だ。部屋に押入られた場合、私が対応する。近衛は唯一の入り口である扉を閉ざしそれ以上の侵入を防ぐ」
リラの気配が冷たくなっていく。王太子はそれを肌で感じていた。
「もう一つ。もし、殿下が命を落とした場合は?」
「そうなった場合は、私にその能力が無かったという事だろう。王になったところで、国のためにはなるまい」
王太子の言葉に、リラは項垂れる。確かに、国の成り立ちなどの勉学を怠った自覚はある。そして、おそらくだが、その中には王族の立ち位置や振る舞い。王太子に求められる資質や、王には何が必要であるのか。それらの事柄についても学んだ筈である。何せ、リストル公爵家は元王弟が起こした一族だ。いくら無知であろうとも、それくらいは知っていた。そして、リラのこの考えは王太子に肯定されてしまう。
「まさか、これ程、学ぶのを拒絶していたとはな」
「……何が言いたいのかは分かるけど、無知なのは分かってるので、それ以上は言わない方向でお願いします……」
リラは過去の自分を罵倒してやりたい気分だ。結婚する意思などさらさらなく、出来れば騎士となり独り立ちしたかったのだ。それにしても、この国の一般常識くらい学んでおくべきだった。それをしなかった事が、今回の事件に繋がっているような気がしてならない。
「……もしかして、私と婚約した事が更に暗殺者が差し向けられる結果に繋がってます?」
「そうだろうな。まあ、遅いか早いかの違いしかない。陛下は王位を継がれる前に妃候補が儚くなったくらいだ。どうやっても、王位に就きたい者がいるのだろうが。それはこの国の特異性を理解してはいないだろうな」
王太子はさも面白い、と言いた気に喉の奥で笑う。
「特異性?」
「そうだ。王は枷を嵌められている」
王太子は目を細める。王となるのはその手に種を握り締めた者のみだ。例外はその王となる資格がある者が亡くなった場合のみ。その理由を深く考え、リラは背筋が冷たくなった。王はこの国から逃れられない。どんな事があろうと、逃げることは叶わない。
「問題はアレが動き出した可能性だ」
「アレ?」
「そうだ」
リラは首を傾げる。
「ある意味第三王子は安全だった」
王太子殿下は苦々し気にポツリと呟く。その視線の先に何が映っているのか、リラでは知りようがない。これは学習云々ではないだろう。完全に王位継承に関わる問題だからだ。
「穏やかな仮面を被っていたが、私に婚約者が現れたとあっては、心中穏やかではないだろう」
リラはそこで嫌な予感がした。リラが婚約者となったのは今日である。確かに多数の騎士達と重臣達がいたにはいたが、一握りである事は確かだ。つまり、王太子がアレと言った人物はその場にいたのだ。
「質問なのですが」
リラは剣を持っていない方の手を挙げた。王太子はリラに視線を向け、少し眉間に皺を寄せる。
「まず、その血糊を洗い流すのが先決だろう」
「問題ないけど」
「いや、そう言う訳には……」
王太子は微妙な表情でリラの姿を上から下まで眺める。おそらく、一撃必殺。つまり、最初から首を狙い斬りつけた為に、もろに血を浴びる結果になったのだろう姿。しかも、王太子も似たような姿なのだ。つまり……。
「殿下! ご無事ですか?!」
部屋の外で応戦していた近衛騎士達が部屋に入ってくる。そして、二人の姿を視界に収めた騎士達は目を見開く。
「あ……、怪我は全くない。公爵令嬢もおそらく無傷だ」
王太子の言葉に騎士達はあからさまに息を吐き出す。
「ほら、この姿では他の者に迷惑が掛かる」
「確かに……」
リラがその言葉を吐き出して直ぐ、部屋に入って来たのは兄であるシュトラスだ。近衛騎士の制服は所々、血糊がついているが、リラと王太子程ではない。シュトラスは呆れたように苦笑いを浮かべた。
「まずは殿下もリラも身を清めて下さい。おそらく、陛下から召喚が掛かるかと思いますので」
リラと王太子は互いに視線を交わす。そして、リラは直ぐにシュトラスに視線を戻した。
「婚約解消していただけるの?」
「そんな訳があるか。逆だろう」
「ええ?!」
リラはガクリと肩を落とした。そのリラの姿に苦笑いを浮かべているのは王太子ばかりではない。周りにいる近衛騎士達もまた、苦笑いを浮かべていた。
「兄上。私は何故、監禁に近い扱い受けてるの?」
シュトラスは呆れたように窓際の椅子に座る妹に視線を向けた。男装の麗人の如く、シャツとズボン、ブーツ姿。短く切り揃えられた黒髪が視界に入る。そして、シュトラスはあからさまに息を吐き出しす。彼が選ばれた理由など明らかである。リラは魔法が使えなければただの娘。では決してないのである。あの、王太子と対等以上に渡り合ったのだ。魔法が使えなかろうと、攻撃力が少しばかり男性より劣っていたとしても、間違いなく普通の相手では止める事も叶わない。それを王太子は瞬時に読み取り、シュトラスに厳命したのだ。絶対にリラを部屋の外には出さないようにと。
「あれだけの腕を見せておいて、ただ、部屋に鍵を掛け監禁などするものか。見張りがいなければ地下牢だろうが。腐っても公爵令嬢。そんな扱いなど出来ないとの判断だろう」
「いや、そうではなく。まず、どうして反対勢力である貴族があの場で反対の声を上げないの?!」
「それこそ、お前がお莫迦だからだ!」
その罵声と共に入って来たのはリストル公爵。つまりはリラの父親である。兄妹と同じ癖のない少し長めの黒髪を三つ編みにしている。瞳は灰色に近い水の色。白い肌でデスクワークが多いためか日に焼けてはいない。ただ、髪には少しばかり白いものが混じり始めているようだ。兄もだが父親も細身でかなりの長身である。名をランドル・レイト=リストルと言う。やはりと言うか、かなりの美中年である。
「王太子妃になれば確かに権力を欲しいままに出来る。そう、我が国が普通の王国ならだ!」
リラは父親の物言いに疑問の表情を見せた。リラが生まれた国は周囲を山に囲まれた、比較的温暖な気候である。しかし、山の外側は荒地が続き、他国との境には永遠と砂地が続く。その砂地の先に海があり、交易の要になっているのは流石のリラでも知っていた。
「普通ではないの?」
「本来なら、この国は山の向こう側と同じ気候であったと、歴史で習わなかったのか?!」
「そう言えば、そんな話を聞いたような……」
リラにしてみれば国の事など知ったことではない。まず、第三王子との婚約を如何に解消出来るのか、これに尽きていた。まさか、願ったり叶ったりで婚約が破談となり喜んだのも束の間。まさかの更に上、王太子の婚約者になるなど予定外の何者でもないのである。
「他国ばかりでなく、国の中でも王太子とその妃が狙われるのは、我が国の特異性故だ!」
「どう言う事でしょう?」
リストル公爵は話にならないと緩く首を振る。シュトラスはそんな父親に苦笑いを浮かべた。説明を早々に諦めた父親に視線だけで命令される。リラに説明をしてやれ、と言うのである。
リストル公爵家は代々、近衛騎士を排出する武家である。王家とはかなり親密な関係であり、元々、リストル公爵家は王家に端を発する一族だ。つまり、数代前の王弟が起こした一族なのだ。それ故に、代々、王家を補佐すべく表に裏に補佐をして来たのである。長兄が近衛騎士となり、次代の後継者が近衛騎士を継ぐと父親から公爵位を相続し領地の管理、王の補佐としての務めを果たすのである。
当然、一族の成り立ちをリラも教えられているのだが、如何せん、本人が全くやる気も覚える気もなかったのだ。その結果、リラは墓穴を掘ったのだ。
他国が王族の命を狙うのは間違いなく、この地を手に入れようとしているためだ。しかし、国の中。つまり、王族に連なる血筋で王位を狙う者が王太子とその妃を亡き者にしようとしている。それは逆に考えると、反対勢力であろうとも、国を維持する為なら少々、考えが違う貴族の令嬢でも問題ないのである。
「王家には代々、ある花を育てる義務がある。その花は、この地の気候を温暖な、けれど、雨の恵みをも齎す不思議な効果を持っている」
「花?」
「そうだ。この花だが次代の王太子が誕生する時、その右手に種を持ち生まれてくる」
シュトラスの説明にリラは目を見開いた。その花の種だが、少しばかり厄介だ。手に握り締めて生まれる為、種にも良し悪しがあるのだ。特に今代の種を持ち生まれてきた王太子の種はかなり強い力を持っているらしい。
「話の腰を折るようですが、王太子殿下が命を落とせば、その種とやらは露の如く消えてしまうのでは?」
「お前の頭はどうしてそう残念なんだ!」
リストル公爵の恫喝にリラは片目を閉じ、両の手で耳を塞いだ。リラは残念なのではなく、やる気がないだけなのだ。リストル公爵にしてみればそれすら残念の範疇なのである。
「種は次の後継者に引き継がれるのだ。つまり、王族の血族全てにだ。種を生み出せるのは王の直系のみだが、種を生み出した王太子が没すれば、種が新たな王太子を選出し、花を咲かせたものが直系となるのだ! そして、種を生み出すのは王族。芽を出す為には妃が必要だ。それが、問題で難題だ」
リストル公爵の話にリラは思案する。つまり、まかり間違えると、兄であるシュトラスが王となる可能性もあると言うことになるのだ。ただ、発芽に必要なのが妃とは……。
「面倒なシステム……」
「そうだ……っ。我がリストル公爵家はそんな面倒に巻き込まれるつもりは全くない」
「兄上は?」
「今の気ままな近衛騎士で十分だ」
だが、リラはここでもう一つの疑問が浮かぶ。王太子を殺すのは理解するとして、その妃を狙うのがよく分からない。
「妃となる令嬢が命を狙われるのは?」
「お前は人の話を聞いてるのか……」
唸り声を上げる父親に、リラは気にした風もなくただ、首を傾げる。確か、発芽には妃が必要だと言っていた。
「妃に必要なのは花を咲かせる事?」
「そうだ」
「ならば、私が婚約者になる必要は……」
「だから、お前は莫迦だと言っているんだ」
リストル公爵は更に唸り声を上げる。王太子が何の勝算もなしにリラを婚約者に望んだのではない。そう、王太子誕生時、沈黙していた種がある時に光り輝いた。それは、妃となる者が誕生した証拠なのである。つまり、その年、その日に生まれた令嬢ないし国民が妃の資格を持つのである。
「種が光ったのはお前が生まれた日だ。当然、殿下は全ての女性を調べ上げた。種は近付けば反応するそうだ」
リラは王太子と対面したことなどない。何時、接触しただろうかと思案する。接触するとするなら、第三王子との目通りの時くらいだ。
「それを知っていたから、第三王子にお前を贄として差し出した」
リストル公爵の物言いに、流石のシュトラスも絶句だ。
「贄?!」
「命を狙われる王太子の婚約者よりもマシだとな」
「いやいや、全然マシじゃないでしょう?!」
リラは立ち上がると力一杯、父親の言葉を否定する。リストル公爵にしてみれば、王太子妃など面倒になるだけなのだ。ただでさえリストル公爵家は微妙な立ち位置。王の補佐ではあるが宰相を務めているわけではない。側近ではあるが、主に王の裏の仕事を命令される場合が多いのだ。表では王の執務に関する補佐。王太子付き筆頭近衛騎士であるシュトラスも少しずつではあるが似たような役回りをしているのである。
「命の方が大切だ」
「父上。つまり、種がリラを選んだと?」
「薄々な。セラがリラにスパルタ的に剣術を教え始めた時点で、それは確信に変わった」
セラとはリラとシュトラスの母親である。セラ・クラリエス・コーラル=リストル。コーラル伯爵家の娘である。美しい冴えた銀の髪と青の瞳を持つ男性顔負けの剣の腕を持つ壮絶な美女だ。本人が女騎士として領地の騎士団を率いていた恐ろしい女性である。しかも、山脈に囲まれた王国で唯一の外との接点。その場所を守護する辺境伯家の生まれだ。その領地の女性は大抵、剣術なりの武術を修める。それは国を護るためだけではなく、自身の身を護るため。延いては家族を守るためでもあった。
「殿下が楽しげにリラの事を訊いてきた時、何事が起こったのかと」
「最終的に妃となるにはその種に触れ、発芽が確認されなくてはならない。更に王太子を身籠もると花を咲かせる。つまり、花を咲かせるという事は次代の王太子となる赤子が種を持ち生まれてくると確定されるのだ」
つまり、今の王が王太子時代。数人の妃候補である婚約者が儚くなったが、種の選定をする前に命を奪われたと言う事だ。王妃に求められるのはどうやって身を護るか、である。蝶よ花よと育てられた令嬢ではとてもでないが務まらない。反対勢力の貴族がリラを婚約者にと王が宣言しても反対しなかったのはそう言う理由があったのだ。しかも、リラは彼等の目の前で実力を遺憾なく発揮したのである。おまけに王太子を魔法で保護しつつ、模擬試合をしてみせたのだ。
そうして、もう一つの疑問。国の中で王族に連なる者が王太子の命を狙うのは理解出来た。では、他国は?
「父上。疑問なのですが。他国がこの国を侵略し、王族に連なる者を亡き者にした場合、どうなります?」
「間違いなく砂に埋もれるだろうな」
緑豊かなこの国は、その花の魔力で緑豊かな美しい土地なのだろう。何故、そのような成り立ちなのかは王家であろうと謎であるらしい。ただ、この国の者は多かれ少なかれ魔力を持っている。そこに理由があるのかもしれない。
「じゃあ、我が家としては王家に嫁ぐに当たって不都合は?」
「あるに決まってるだろう。何故に厄介ごとばかりが目立つ王家に、ただでさえトラブルメーカーのお前を嫁にやらなくてはならないんだ。いいか。反対勢力の貴族までもお前を王太子妃にと動き出した。逆に王家の血筋の者も動き出したぞ」
「早いですね」
リストル公爵の言葉にシュトラスはのんびりと言ってのける。
「つまり、この部屋から感じる殺気はそう言う事か。我等も一応、王族に連なる血筋。リラだけではなく、私も狙われてる、と」
シュトラスは言うなり剣を抜いた。リストル公爵も当然である。リラはと言うと、獲物が何もない。不満を表情に乗せると、リストル公爵は苦笑いを浮かべた。仕方ないと、護身用の短剣をリラに投げてよこす。
「剣の方がいい」
「部屋を出れば魔法でなんとかなるだろう」
「出してくれるの?!」
嬉々としてリラは問い掛けた。
「愛しの娘を失う気は無いからな。ただ、王太子の婚約者である事実は消せない。諦めろ」
「ええ?!」
「その戦闘能力のせいだ」
シュトラスが追い打ちをかけるように言葉を発すると、飛んできた何かを剣で叩き落とした。飛んできたのは矢である。あからさまに鏃に毒が塗られていると分かる毒々しい色だ。
シュトラスは警戒しつつ扉を開き部屋の外へと飛び出した。飛んでくる矢を叩き落としつつ、向かってくる覆面の一団を蹴散らす。外には近衛騎士が二人護衛のために控えていたが、床に転がっていた。よく見ると首筋に吹き矢が刺さっている。リラは眉間に皺を寄せ騎士の一人の側に跪く。吹き矢を首筋から引き抜き、矢先に塗られていた液体を人差し指で拭い一舐めした。舌に痺れたような感覚が広がる。それを確認し、騎士が持っていた剣に手を伸ばした。
「毒か?」
リストル公爵の問いに、リラは軽く首を振る。
「痺れ薬。でも、かなり強力だから、早めに処置しないと危ないかも」
リラの答えにリストル公爵は頷く。リラは大抵の毒に耐性がある。これも母親であるセラの仕業だ。何時如何なる時も、万全の体制を整える。が、リラの母、セラの口癖なのである。
「まずい。このままでは……」
「殿下か?」
シュトラスは眉間に皺を寄せる。王太子に命令されたとはいえ、本来守らなくてはならないのは王太子だ。
「分かった」
リラは言うなり二人の横を走り抜けた。ぎょっ、としたのはリストル公爵とシュトラスだ。リラが軽い調子で言っているので相手が弱いと思われがちだが、かなりの手練れだ。きちんと訓練を受けた軍人だと直ぐに分かる。そのプロをいとも容易く床に沈めるのだから敵わない。
「リラは間違いなく、性別を間違えましたね」
世間話でもする軽い口調でシュトラスはリストル公爵に話を振る。当然その間、襲って来た覆面集団を打ちのめしているのだが。
「いや、セラを見ているからな。違和感がない私にも問題があるのか? あれを見ていると死ぬと言う感覚が生まれないからな。安心といえば安心なのだが」
リストル公爵も簡単に襲撃して来た覆面集団を床に沈めている。リラは一撃か必殺で命を奪っていったが、二人は意識を奪っただけだ。騒ぎを聞きつけて集まって来た近衛騎士達がその者達を捕縛する。
「私は殿下の所へ行きます」
リストル公爵は一つ頷くと息子を見送った。その足で王の執務室に向かう。婚約者を決めた直後に動き出したらしい事を考えて、あの場にいた王族に連なる貴族が手を出したと判断出来る。足早に歩を進める。その後ろを数名の騎士が追随した。
「ランドル」
気安く名前呼びされ、リストル公爵は其方に視線を向けた。そこに居たのは義理の兄であるコーラル伯爵だ。名をロイ・セルム=コーラル。妻であるセラとよく似た銀糸の髪。瞳は菫色。よく日に焼けた肌で本来は白であるとは思えない小麦色になっている。がっしりした体付きで、リストル公爵と並んでも遜色ない見目である。軽く目を見開いたリストル公爵にコーラル伯爵は苦笑いを浮かべる。
「領地にいたのでは?」
「セラに呼び出された。その足で陛下にお会いしたのだが、その後にこの騒動だ」
コーラル伯爵はスッと目を細めた。
「リラが王太子殿下の婚約者になる」
「セラがそう君に伝えて来たのか?」
リストル公爵の問いに、コーラル伯爵はゆっくりと頷いた。セラは女騎士であると同時に、未来を見通せる魔女などと呼ばれている。強い魔力を持っている関係だろうか。時の流れを読むことに長けていた。リストル公爵がセラの行動でリラが王太子妃になると確信し、敢えて第三王子の婚約者に収めたのだ。それを二人は台無しにしたのである。挙句に王太子の婚約者になってしまった。セラに言わせれば、時の流れに逆らったとしても、変えられる未来と変えられない未来がある。そう、笑い飛ばすだろう。
「あれの未来は変えられぬ部類だったようです」
リストル公爵の沈んだ声に、コーラル伯爵は沈痛な面持ちで見詰める。
「時は動き出したか……」
「おそらく」
今代の王太子は強い種をその手に握り締めて誕生した。つまり、それだけの強さがなくてはならない事態になる事が予想された。
「数代前の王弟が公爵家を起こしたのは、未来に起こるこの地の危機を我が伯爵家の魔女が予言したからだ」
コーラル伯爵が低く唸るように呟く。その声はリストル公爵の耳に入る程度の声音だ。
「……それは承知している。内と外からの攻撃。殿下が誕生した時、父は握られた種の強さに表情を変えた。そして、私とセラを見て溜め息を吐かれた」
前リストル公爵はおそらく、事前に何かを知っていたのだ。息子夫婦の娘が王太子妃になる。
「此処で何かを言ったところで、起こってしまったことはどうしようもないない。陛下の元に向かう」
リストル公爵の言葉にコーラル伯爵は力強く頷く。そして、二人の後を騎士達が追随する。このままでは終わらない。暗殺を視野に誰かが動いたのなら、直ぐ対策を取らなくては王太子だけではなく、リラの命すら危ういのだ。
リラは向かってくる刺客に対して容赦がなかった。躊躇いは即、命を失うことになる。刺客達が手に持つ剣には毒が塗布されている。少しでも掠れば命はない。駆け抜けつつ斬りつけ、時には蹴り付けながら王太子の部屋へと向かう。場所を知らなくとも、黒い覆面団体御一行様を探しつつ向かえばいいだけなのだ。
階段を駆け上がり、ある一室の前で近衛騎士達と揉めている一団を見付ける。間違えなくリラが居た部屋を襲撃した一団と同じだろう。リラが勢いのまま、敵の一人に体当たりをした。いきなりの奇襲に驚いた刺客達はリラの登場に動揺する。まさか、仲間が仕損じたなど、考えられなかったようだ。
「殿下は?!」
「室内です!」
近衛騎士達はリラの戦力を目の当たりにしている。その為か躊躇いもなく反射的に答えた。リラは数名の刺客を伸した後、室内に侵入する。近衛騎士達が扉を守っていたので安全かと思いきや、室内で王太子が刺客達と戦っていた。つまり、近衛騎士達はこれ以上、敵を増やさないようにしていただけのようだ。
リラは素早く魔法を展開すると、王太子に結界魔法を発動する。その瞬間、王太子を狙っていた刺客達の剣が結界に弾かれた。王太子は驚いたように侵入してきたリラに目を見開く。おそらく、兄であるシュトラスは生かして刺客達を捕獲しているだろう。ならば、リラが取る行動は一つだ。
刺客達が完全に戦闘不能になる行動をとれば良いのだ。素早く動くと躊躇いなく首を狙った。首を掻き切り、大量の血飛沫が上がる。それに頓着せず、リラは奇襲のような形で、刺客の全てを殲滅したのだ。
「……壮絶だな……」
血の滴る剣を片手に、その身を真紅に染めたリラを王太子は見詰める。
「何故、近衛騎士を部屋の外へ?」
リラの問いに王太子は我に返ったように目を見開く。
「ああ……。我が国ではこれが近衛騎士の行動だ。私が刺客に襲われる度に守っていては近衛の数が足りなくなる」
「……」
「窓から飛び込んでくる刺客も居るが、それは完全に不測の事態だ。部屋に押入られた場合、私が対応する。近衛は唯一の入り口である扉を閉ざしそれ以上の侵入を防ぐ」
リラの気配が冷たくなっていく。王太子はそれを肌で感じていた。
「もう一つ。もし、殿下が命を落とした場合は?」
「そうなった場合は、私にその能力が無かったという事だろう。王になったところで、国のためにはなるまい」
王太子の言葉に、リラは項垂れる。確かに、国の成り立ちなどの勉学を怠った自覚はある。そして、おそらくだが、その中には王族の立ち位置や振る舞い。王太子に求められる資質や、王には何が必要であるのか。それらの事柄についても学んだ筈である。何せ、リストル公爵家は元王弟が起こした一族だ。いくら無知であろうとも、それくらいは知っていた。そして、リラのこの考えは王太子に肯定されてしまう。
「まさか、これ程、学ぶのを拒絶していたとはな」
「……何が言いたいのかは分かるけど、無知なのは分かってるので、それ以上は言わない方向でお願いします……」
リラは過去の自分を罵倒してやりたい気分だ。結婚する意思などさらさらなく、出来れば騎士となり独り立ちしたかったのだ。それにしても、この国の一般常識くらい学んでおくべきだった。それをしなかった事が、今回の事件に繋がっているような気がしてならない。
「……もしかして、私と婚約した事が更に暗殺者が差し向けられる結果に繋がってます?」
「そうだろうな。まあ、遅いか早いかの違いしかない。陛下は王位を継がれる前に妃候補が儚くなったくらいだ。どうやっても、王位に就きたい者がいるのだろうが。それはこの国の特異性を理解してはいないだろうな」
王太子はさも面白い、と言いた気に喉の奥で笑う。
「特異性?」
「そうだ。王は枷を嵌められている」
王太子は目を細める。王となるのはその手に種を握り締めた者のみだ。例外はその王となる資格がある者が亡くなった場合のみ。その理由を深く考え、リラは背筋が冷たくなった。王はこの国から逃れられない。どんな事があろうと、逃げることは叶わない。
「問題はアレが動き出した可能性だ」
「アレ?」
「そうだ」
リラは首を傾げる。
「ある意味第三王子は安全だった」
王太子殿下は苦々し気にポツリと呟く。その視線の先に何が映っているのか、リラでは知りようがない。これは学習云々ではないだろう。完全に王位継承に関わる問題だからだ。
「穏やかな仮面を被っていたが、私に婚約者が現れたとあっては、心中穏やかではないだろう」
リラはそこで嫌な予感がした。リラが婚約者となったのは今日である。確かに多数の騎士達と重臣達がいたにはいたが、一握りである事は確かだ。つまり、王太子がアレと言った人物はその場にいたのだ。
「質問なのですが」
リラは剣を持っていない方の手を挙げた。王太子はリラに視線を向け、少し眉間に皺を寄せる。
「まず、その血糊を洗い流すのが先決だろう」
「問題ないけど」
「いや、そう言う訳には……」
王太子は微妙な表情でリラの姿を上から下まで眺める。おそらく、一撃必殺。つまり、最初から首を狙い斬りつけた為に、もろに血を浴びる結果になったのだろう姿。しかも、王太子も似たような姿なのだ。つまり……。
「殿下! ご無事ですか?!」
部屋の外で応戦していた近衛騎士達が部屋に入ってくる。そして、二人の姿を視界に収めた騎士達は目を見開く。
「あ……、怪我は全くない。公爵令嬢もおそらく無傷だ」
王太子の言葉に騎士達はあからさまに息を吐き出す。
「ほら、この姿では他の者に迷惑が掛かる」
「確かに……」
リラがその言葉を吐き出して直ぐ、部屋に入って来たのは兄であるシュトラスだ。近衛騎士の制服は所々、血糊がついているが、リラと王太子程ではない。シュトラスは呆れたように苦笑いを浮かべた。
「まずは殿下もリラも身を清めて下さい。おそらく、陛下から召喚が掛かるかと思いますので」
リラと王太子は互いに視線を交わす。そして、リラは直ぐにシュトラスに視線を戻した。
「婚約解消していただけるの?」
「そんな訳があるか。逆だろう」
「ええ?!」
リラはガクリと肩を落とした。そのリラの姿に苦笑いを浮かべているのは王太子ばかりではない。周りにいる近衛騎士達もまた、苦笑いを浮かべていた。
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