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2話
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今夜と明日の朝のためにスープを作っていると、ベッドからふやりとむずかる声がした。
振り返るとぱっちり目を開けたカイルが泣き出す寸前だった。
「あー、ごめんごめん、ここにいるよ」
火を止めて赤ん坊に駆け寄って抱き上げる。
「おむつかな、替えるついでに風呂入るか」
湯船にお湯は張っておいたから、そのままカイルを裸にして、風呂に入れる。
ついでに汚れたおむつをぬるま湯に漬けておく。
ロアンの身体は痩せ細っていて、体力がもたない。
風呂場で服を脱いで改めて見ると、
その理由がはっきりとわかった。
俺はまだ、気力で動けているからいい。
でもそれがなければ、相当辛かっただろう。
「乳児院の手伝いも人数多くて大変だったけど、少なくとも、ワンオペじゃなかったしなあ」
その上俺は、あくまで子供の手伝いだ。
風呂に入っていない子供の、暇つぶし要員くらいにしかなっていなかった。
それでも、やったことがない訳じゃないから、今はなんとかなっている。
ロアンの身体の記憶様様だ。
「お前の父ちゃん誰なんだろうな」
多分貴族だろうことは察せる。
しかも、位はかなり高そうだ。
現代日本の感覚だとピンとはこないけど、結構身分格差はありそうだ。
「隠し切らないと取られちゃう、かあ」
やわやわと体を洗ってやりながら、改めてカイルを見る。
目の色は間違いなくロアンだ。
だとすると、この髪色は父親譲りかもしれない。
顔立ちもロアンとは違う。
赤ん坊にしては、やけにしっかりしている。
美人よりイケメンに育ちそうっていうか。
「辛い思いをしながら、子どもの存在を隠さなきゃならないほどの身分差かあ」
カイルを湯から出して、体を拭いてやる。
風呂場を出る前に追い焚きしておく。
自分の体や髪もざっと洗わなきゃならない。
赤ん坊用の保湿クリームがあったので、それを塗り、着替えさせる。
ホカホカな赤ん坊の完成だ。
脱水対策と晩のご飯の授乳をして、諸々終える頃には濡れた服が身体を冷やしていた。
くしゃみを連発。
肉が薄いからすぐに冷えるんだな。
カイルをベッドに寝かせて、一応、柵を立てておく。
ご機嫌な内に、さっさと風呂に入ってしまおう。
風呂場で鏡を改めて見ると、肌も髪もパサパサで艶がない。
体力もなにもないのが、嫌でもわかる。
「少しは食べて体重増やさないとだな」
何をするにもまずはそれからだ。
手早く身体中を洗い、汚れたおむつも予洗いしておいて、風呂から上がる。
俺の姿を見て、カイルがにぱっと笑った。
うわあ、可愛いな。
もう親がわかったり笑ったりするんだな。
ロアンも見ていたかったろうにな。
起きてたらいつでも代わってやるのに。
カイルに近づいて、頭を撫でてやる。
ご機嫌な声をあげて、抱っこをせがんでくる。
晩飯食う間抱いててやるか。
ぬるくなったスープを皿に注ぎ、パンと昼の余りの惣菜を並べる。
カイルを抱いて、席に着く。
「いただきます」
怒涛の一日がやっと終わろうとしている。
朝のカイルの世話と自分の飯。
洗濯と掃除を終わらせたら、すっかり日も高くなっていた。
時計を見ると、ギリギリ昼前だった。
今日の飯を買いがてら、カイルを外に連れ出すことにした。
スリングみたいなものがあったから、ロージーさんに聞いて使ってみた。
使い方は難しいけど、カイルの顔が見えるし体力なくても抱いていられそうだから、活用していくことにする。
帽子があったから被せてやって、俺もフード付きの上着を羽織る。
空は真っ青に晴れていて、風も冷たくなくて、散歩日和だ。
病院の横を通り、商店街へと向かう。
今日は鞄ではなく、買い物用のカゴに必要な分のお金を持ってきた。
この体力で全財産の持ち歩きは、家に置いておくより危険だし。
昨日行ったパン屋と惣菜屋に向かう。
途中すれ違った婦人達の噂話が耳に届いた。
「ついに、こちらまで来られるそうね」
「ああ、番様探し? 無垢なオメガのいる家庭は大騒ぎでしょうね」
「あら、行方不明の番様を探してるって話じゃなかったかしら」
「そうなの?……まあ、実際来られるかどうかも怪しいものね」
「うちの領主様とは仲がよろしくないのでしょう?どうなるのかしら」
「お姿は、一目拝見してみたいわ」
さざめくように笑い合う婦人達の横を、止まりそうになった足を無理矢理動かして、通り過ぎる。
知らず知らず、カイルの身体をぎゅっと抱きしめていた。
この子を取られたくない。
その思いで、胸の奥がザワザワする。
周りに敵が居そうな気持ちにもなり、辺りをキョロキョロと見回すが、昨日と変わらない、平和そうで活気のある商店街だった。
俺は気持ちが折れないうちに、少し多めに食料を買い出して、足早に家に戻った。
鍵を掛け、一息付く。
ロアンは自分を探しに来てると思ったのだろうか。
この身体は、確かに誰かと番になっていて、そこから逃げ出している。
俺ももしかしたらの気持ちは湧いた。
それ以上の不安感は、間違いなくロアンの感情だ。
抱いたままのカイルの重さが心地いい。
カイルの体温が身体に沁みる。
この子を取られたくない。
親としてこの子の成長を、誰よりも近くで感じていたい。
俺は、カイルを誰からも奪われないようにと、しゃがみ込み、身体に抱き込んで、泣いた。
心に湧いた不安感を押し殺しつつ、いつも通りの毎日を過ごす。
魔石への魔力の注入は、なんとかコツを掴めた。
商店街へ行くついでに病院へ寄り、空の魔石を受け取り、魔力を詰めたものを渡す。
給料は歩合制の完全内職仕事だ。
医者のロバート先生からは、なかなかバカにならない金額を受け取っている。
なんでも病院だけじゃなく、必要な人からの預かり分もあるらしい。
「私が業者に出すついでだと伝えているから、心配はしなくていいよ。それに金額は相場だからね」
俺を安心させるように、ロバート先生は言った。
その言葉と金を、ありがたく受け取ることにする。
親子二人、慎ましく生きていくには十分な額だ。
少しずつなら、貯めることもできそうだった。
受け取った給料を持って買い物をして、家に帰る。
それがここのところの俺の毎日だ。
体力を使わずに体力を付ける。
そのために、料理は基本せずに、惣菜屋で出来合いのものを買うことにした。
汁物くらいは作ることもあるけど、調理中にカイルの様子が気になって仕方ないのも理由だ。
先頃、寝返りが打てるようになった。
ゴロゴロとベッドの上で遊んでいる内はいい。
けど、カイルは成長が少し早いから、その内ずり這いを始めるかもしれない。
俺の顔を見てニコニコ笑うカイルに癒される。
パン屋の奥さんに、この子はアルファかもしれないわね、と言われたのを思い出す。
成長が早いことや、容姿が整っていること。
それに、産んだのがオメガだから、そう思ったらしい。
「アルファと番ったオメガからベータが産まれるのは稀なのよ。世の中ベータが一番多いのにねえ」
奥さんはそう言ってカイルの脚をフニフニと触る。
「こんなにしっかりした身体をしていて、お顔もハンサムだもの。絶対にアルファよねえ」
最後の"ねえ"はどれもカイルに向けられていた。
まだ人見知りを知らないカイルは、奥さんを見てニコッと愛想を振っていた。
「赤ちゃんの成長が早いと、お母さんが追いつかないかもしれないわねえ。
あなたもたくさん食べて、大きくならなきゃね」
奥さんは言いながらパンを包んでくれた。
頼んでいない種類が、いくつか足されている。
「あの……?」
「おまけよ。
これは中にミートソースが入っているの。
こっちはカスタードクリーム。
で、こっちは黒スグリのジャムよ
パンは主人、フィリングは私の自信作なの!
どれもお勧めなのよ。食べてみて」
美味しかったらまた買ってちょうだいと、奥さんは笑った。
ありがたく買い物カゴに入れ、店を出る。
少し季節が進み、強くなってきた日差しに立ち眩みを覚えた。
倒れたら、カイルも買ったものも巻き込んでしまう。
店の入り口を支えにして、目を閉じ深く深呼吸をする。
最近は少し体力がついてきた、と思っていたのに。
この身体は、なかなか回復しなかった。
ロバート先生曰く、男性オメガの出産は、それだけ身体にダメージがあるらしい。
それに加え、ロアンは子育てに無理をし過ぎていた。
二、三日中に、番様探しの偉いさんがやって来ることが決まり、街は少し、浮き足立ったお祭り気分だった。
折角なら一団を見てみたいと思ったが、やめた方がいいだろう。
青果店で柑橘類を幾つか買い足し、俺はカイルと帰路についた。
それからの数年は、嵐のように過ぎていった。
気がつけば、ベッドの柵は不要になり、
小さな服は次々にサイズアウトしていった。
ロアンの身体は思うようには戻らなかったが、
それでも少しずつ、親子二人の生活は形になっていった。
周りの人達の優しさや協力も不可欠だったし、なにより、カイルの成長速度に助けられていた。
「パパ、はやくいくよー」
玄関からカイルの可愛い声がする。
洗面台で鏡と向き合って、寝癖を直している俺にじれじれしているのが、声色からありありとわかる。
「すぐ行くから、お出掛け用の靴履いて、お帽子も被れよ」
「もうやったよ! パパまちなんだから、はやくして!」
なかなか直らない寝癖を諦めて、俺は後ろで一つに括った。
バスルームから出ると、早くしないとパレードが始まっちゃうと、カイルは焦れて足踏みをしていた。
ふにふにの赤ん坊は、キリッとした顔立ちの幼児になっていた。
あの頃は、泣き声に呼ばれてたのにな。
カイルは先日、三歳の誕生日を迎えていた。
三歳児健診の簡単な血液検査で、アルファの可能性が濃厚だと言われた。
はっきりした結果は、子供が十歳になるまでお預けだ。
アルファの診断はほぼ覆らないらしいが、ベータとオメガは、成長によって結果が変わる場合があるそうだ。
カイルが一歳になる頃、ロバート先生からヒートについての説明を受けた。
今は薬が効けば、問題は少なくて済むらしい。
俺の身体は、番のアルファから離れていたことと、栄養不足や出産のダメージが重なり、
その後一年ほどはヒートが来なかった。
今は三ヶ月毎に、きちんとヒートが来るようになったが、薬も程々に効く体質だった。
最初の二日ほどロージーさんにカイルを預かってもらえれば、あとはほぼいつも通りに生活ができた。
次のヒートはそろそろだから、一応薬を服用する。
その俺を、カイルが急かすように下から睨んでいる。
「ごめんごめん、じゃあ出掛けようか」
カイルの帽子を直してやり、カバンを持って玄関を開けた。
今日は新王様のお披露目があるのだという。
何週間か前から、街は準備に追われていた。
前の王様の突然の死で、王太子筆頭候補だった第一王子が後を継いだようだ。
その話を聞いたとき、何故か胸の奥がざわついた。
けれど直後にカイルがお茶をこぼして、それどころではなくなってしまった。
即位祝いのパーティーと、国民へのお披露目パレードは、王都と、国防の要であり建国の地でもある辺境伯領で行われるのが慣習だそうだ。
道中では顔見せも行っているらしく、王都へ行けない民への配慮もあるのかもしれない。
俺もカイルも、観たことのない王様の姿を楽しみにしていた。
それと同時に、話題に出るたびに胸の奥がざわつくのが、気になっていた。
いつもの商店街も、ロバート先生の病院も、今日はパレードのルート沿いだった。
行き慣れた道を、カイルと手を繋いで歩く。
普段の何倍もの人が、商店街を行き交っていた。
人の多さに、無意識にカイルの手を強く握り直した。
いつも世話になっているパン屋の二階からなら、部屋からでも見渡せるからと、招待を受けた。
小さなカイルを人混みに入れるのが怖かったから、甘えさせてもらった。
ロージーさんとロバート先生も一緒だ。
辻々には騎士達が配置され、物々しくはあるが、人々の新しい王様への期待感が上回り、お祭り気分が勝っている。
「新王様、まだ二十三歳なのでしょう?
凛々しくて男前だって噂だけど、実物はどうなのかしらねえ」
「そりゃあ、アルファの中のアルファだもの、
立ってるだけで空気が違うんじゃない?」
「パレード、楽しみねえ」
パン屋の奥さんとロージーさんの会話にも花が咲く。
わかっているのかいないのか、カイルも2人に合わせて、キラキラした顔で「うんうん」と、大きく相槌を打っている。
まるで自分も会話に参加しているような素振りに、俺の頬は緩み切っていた。
パン屋の奥さんとロージーさんが朝から用意してくれていたパンや菓子を食べつつ、和やかにお茶をして、その時を待つ。
商店街の向こうから、徐々に人々の歓声が近くなってくる。
やがて行列の先触れが現れ、警備に立っている騎士たちが、剣を掲げて礼をとる。
期待感にキラキラを増していくカイルとは逆に、俺は不安感が増していた。
この子が見つかってしまったらどうしよう。
俺の中のロアンが焦り出す。
それと同時に、この部屋を飛び出して、パレードの列に駆け寄りたい衝動も生まれる。
ヒートの度に思い出す、甘さを含んだ柑橘と乾いた木の匂いが混じる、爽やかなのに、香水ではない匂い。
人々の歓声と共にその香りも近づいてくる気がした。
自分の中の相反する感情を抑えるため、膝に乗せているカイルを、強く抱きしめた。
振り返るとぱっちり目を開けたカイルが泣き出す寸前だった。
「あー、ごめんごめん、ここにいるよ」
火を止めて赤ん坊に駆け寄って抱き上げる。
「おむつかな、替えるついでに風呂入るか」
湯船にお湯は張っておいたから、そのままカイルを裸にして、風呂に入れる。
ついでに汚れたおむつをぬるま湯に漬けておく。
ロアンの身体は痩せ細っていて、体力がもたない。
風呂場で服を脱いで改めて見ると、
その理由がはっきりとわかった。
俺はまだ、気力で動けているからいい。
でもそれがなければ、相当辛かっただろう。
「乳児院の手伝いも人数多くて大変だったけど、少なくとも、ワンオペじゃなかったしなあ」
その上俺は、あくまで子供の手伝いだ。
風呂に入っていない子供の、暇つぶし要員くらいにしかなっていなかった。
それでも、やったことがない訳じゃないから、今はなんとかなっている。
ロアンの身体の記憶様様だ。
「お前の父ちゃん誰なんだろうな」
多分貴族だろうことは察せる。
しかも、位はかなり高そうだ。
現代日本の感覚だとピンとはこないけど、結構身分格差はありそうだ。
「隠し切らないと取られちゃう、かあ」
やわやわと体を洗ってやりながら、改めてカイルを見る。
目の色は間違いなくロアンだ。
だとすると、この髪色は父親譲りかもしれない。
顔立ちもロアンとは違う。
赤ん坊にしては、やけにしっかりしている。
美人よりイケメンに育ちそうっていうか。
「辛い思いをしながら、子どもの存在を隠さなきゃならないほどの身分差かあ」
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風呂場を出る前に追い焚きしておく。
自分の体や髪もざっと洗わなきゃならない。
赤ん坊用の保湿クリームがあったので、それを塗り、着替えさせる。
ホカホカな赤ん坊の完成だ。
脱水対策と晩のご飯の授乳をして、諸々終える頃には濡れた服が身体を冷やしていた。
くしゃみを連発。
肉が薄いからすぐに冷えるんだな。
カイルをベッドに寝かせて、一応、柵を立てておく。
ご機嫌な内に、さっさと風呂に入ってしまおう。
風呂場で鏡を改めて見ると、肌も髪もパサパサで艶がない。
体力もなにもないのが、嫌でもわかる。
「少しは食べて体重増やさないとだな」
何をするにもまずはそれからだ。
手早く身体中を洗い、汚れたおむつも予洗いしておいて、風呂から上がる。
俺の姿を見て、カイルがにぱっと笑った。
うわあ、可愛いな。
もう親がわかったり笑ったりするんだな。
ロアンも見ていたかったろうにな。
起きてたらいつでも代わってやるのに。
カイルに近づいて、頭を撫でてやる。
ご機嫌な声をあげて、抱っこをせがんでくる。
晩飯食う間抱いててやるか。
ぬるくなったスープを皿に注ぎ、パンと昼の余りの惣菜を並べる。
カイルを抱いて、席に着く。
「いただきます」
怒涛の一日がやっと終わろうとしている。
朝のカイルの世話と自分の飯。
洗濯と掃除を終わらせたら、すっかり日も高くなっていた。
時計を見ると、ギリギリ昼前だった。
今日の飯を買いがてら、カイルを外に連れ出すことにした。
スリングみたいなものがあったから、ロージーさんに聞いて使ってみた。
使い方は難しいけど、カイルの顔が見えるし体力なくても抱いていられそうだから、活用していくことにする。
帽子があったから被せてやって、俺もフード付きの上着を羽織る。
空は真っ青に晴れていて、風も冷たくなくて、散歩日和だ。
病院の横を通り、商店街へと向かう。
今日は鞄ではなく、買い物用のカゴに必要な分のお金を持ってきた。
この体力で全財産の持ち歩きは、家に置いておくより危険だし。
昨日行ったパン屋と惣菜屋に向かう。
途中すれ違った婦人達の噂話が耳に届いた。
「ついに、こちらまで来られるそうね」
「ああ、番様探し? 無垢なオメガのいる家庭は大騒ぎでしょうね」
「あら、行方不明の番様を探してるって話じゃなかったかしら」
「そうなの?……まあ、実際来られるかどうかも怪しいものね」
「うちの領主様とは仲がよろしくないのでしょう?どうなるのかしら」
「お姿は、一目拝見してみたいわ」
さざめくように笑い合う婦人達の横を、止まりそうになった足を無理矢理動かして、通り過ぎる。
知らず知らず、カイルの身体をぎゅっと抱きしめていた。
この子を取られたくない。
その思いで、胸の奥がザワザワする。
周りに敵が居そうな気持ちにもなり、辺りをキョロキョロと見回すが、昨日と変わらない、平和そうで活気のある商店街だった。
俺は気持ちが折れないうちに、少し多めに食料を買い出して、足早に家に戻った。
鍵を掛け、一息付く。
ロアンは自分を探しに来てると思ったのだろうか。
この身体は、確かに誰かと番になっていて、そこから逃げ出している。
俺ももしかしたらの気持ちは湧いた。
それ以上の不安感は、間違いなくロアンの感情だ。
抱いたままのカイルの重さが心地いい。
カイルの体温が身体に沁みる。
この子を取られたくない。
親としてこの子の成長を、誰よりも近くで感じていたい。
俺は、カイルを誰からも奪われないようにと、しゃがみ込み、身体に抱き込んで、泣いた。
心に湧いた不安感を押し殺しつつ、いつも通りの毎日を過ごす。
魔石への魔力の注入は、なんとかコツを掴めた。
商店街へ行くついでに病院へ寄り、空の魔石を受け取り、魔力を詰めたものを渡す。
給料は歩合制の完全内職仕事だ。
医者のロバート先生からは、なかなかバカにならない金額を受け取っている。
なんでも病院だけじゃなく、必要な人からの預かり分もあるらしい。
「私が業者に出すついでだと伝えているから、心配はしなくていいよ。それに金額は相場だからね」
俺を安心させるように、ロバート先生は言った。
その言葉と金を、ありがたく受け取ることにする。
親子二人、慎ましく生きていくには十分な額だ。
少しずつなら、貯めることもできそうだった。
受け取った給料を持って買い物をして、家に帰る。
それがここのところの俺の毎日だ。
体力を使わずに体力を付ける。
そのために、料理は基本せずに、惣菜屋で出来合いのものを買うことにした。
汁物くらいは作ることもあるけど、調理中にカイルの様子が気になって仕方ないのも理由だ。
先頃、寝返りが打てるようになった。
ゴロゴロとベッドの上で遊んでいる内はいい。
けど、カイルは成長が少し早いから、その内ずり這いを始めるかもしれない。
俺の顔を見てニコニコ笑うカイルに癒される。
パン屋の奥さんに、この子はアルファかもしれないわね、と言われたのを思い出す。
成長が早いことや、容姿が整っていること。
それに、産んだのがオメガだから、そう思ったらしい。
「アルファと番ったオメガからベータが産まれるのは稀なのよ。世の中ベータが一番多いのにねえ」
奥さんはそう言ってカイルの脚をフニフニと触る。
「こんなにしっかりした身体をしていて、お顔もハンサムだもの。絶対にアルファよねえ」
最後の"ねえ"はどれもカイルに向けられていた。
まだ人見知りを知らないカイルは、奥さんを見てニコッと愛想を振っていた。
「赤ちゃんの成長が早いと、お母さんが追いつかないかもしれないわねえ。
あなたもたくさん食べて、大きくならなきゃね」
奥さんは言いながらパンを包んでくれた。
頼んでいない種類が、いくつか足されている。
「あの……?」
「おまけよ。
これは中にミートソースが入っているの。
こっちはカスタードクリーム。
で、こっちは黒スグリのジャムよ
パンは主人、フィリングは私の自信作なの!
どれもお勧めなのよ。食べてみて」
美味しかったらまた買ってちょうだいと、奥さんは笑った。
ありがたく買い物カゴに入れ、店を出る。
少し季節が進み、強くなってきた日差しに立ち眩みを覚えた。
倒れたら、カイルも買ったものも巻き込んでしまう。
店の入り口を支えにして、目を閉じ深く深呼吸をする。
最近は少し体力がついてきた、と思っていたのに。
この身体は、なかなか回復しなかった。
ロバート先生曰く、男性オメガの出産は、それだけ身体にダメージがあるらしい。
それに加え、ロアンは子育てに無理をし過ぎていた。
二、三日中に、番様探しの偉いさんがやって来ることが決まり、街は少し、浮き足立ったお祭り気分だった。
折角なら一団を見てみたいと思ったが、やめた方がいいだろう。
青果店で柑橘類を幾つか買い足し、俺はカイルと帰路についた。
それからの数年は、嵐のように過ぎていった。
気がつけば、ベッドの柵は不要になり、
小さな服は次々にサイズアウトしていった。
ロアンの身体は思うようには戻らなかったが、
それでも少しずつ、親子二人の生活は形になっていった。
周りの人達の優しさや協力も不可欠だったし、なにより、カイルの成長速度に助けられていた。
「パパ、はやくいくよー」
玄関からカイルの可愛い声がする。
洗面台で鏡と向き合って、寝癖を直している俺にじれじれしているのが、声色からありありとわかる。
「すぐ行くから、お出掛け用の靴履いて、お帽子も被れよ」
「もうやったよ! パパまちなんだから、はやくして!」
なかなか直らない寝癖を諦めて、俺は後ろで一つに括った。
バスルームから出ると、早くしないとパレードが始まっちゃうと、カイルは焦れて足踏みをしていた。
ふにふにの赤ん坊は、キリッとした顔立ちの幼児になっていた。
あの頃は、泣き声に呼ばれてたのにな。
カイルは先日、三歳の誕生日を迎えていた。
三歳児健診の簡単な血液検査で、アルファの可能性が濃厚だと言われた。
はっきりした結果は、子供が十歳になるまでお預けだ。
アルファの診断はほぼ覆らないらしいが、ベータとオメガは、成長によって結果が変わる場合があるそうだ。
カイルが一歳になる頃、ロバート先生からヒートについての説明を受けた。
今は薬が効けば、問題は少なくて済むらしい。
俺の身体は、番のアルファから離れていたことと、栄養不足や出産のダメージが重なり、
その後一年ほどはヒートが来なかった。
今は三ヶ月毎に、きちんとヒートが来るようになったが、薬も程々に効く体質だった。
最初の二日ほどロージーさんにカイルを預かってもらえれば、あとはほぼいつも通りに生活ができた。
次のヒートはそろそろだから、一応薬を服用する。
その俺を、カイルが急かすように下から睨んでいる。
「ごめんごめん、じゃあ出掛けようか」
カイルの帽子を直してやり、カバンを持って玄関を開けた。
今日は新王様のお披露目があるのだという。
何週間か前から、街は準備に追われていた。
前の王様の突然の死で、王太子筆頭候補だった第一王子が後を継いだようだ。
その話を聞いたとき、何故か胸の奥がざわついた。
けれど直後にカイルがお茶をこぼして、それどころではなくなってしまった。
即位祝いのパーティーと、国民へのお披露目パレードは、王都と、国防の要であり建国の地でもある辺境伯領で行われるのが慣習だそうだ。
道中では顔見せも行っているらしく、王都へ行けない民への配慮もあるのかもしれない。
俺もカイルも、観たことのない王様の姿を楽しみにしていた。
それと同時に、話題に出るたびに胸の奥がざわつくのが、気になっていた。
いつもの商店街も、ロバート先生の病院も、今日はパレードのルート沿いだった。
行き慣れた道を、カイルと手を繋いで歩く。
普段の何倍もの人が、商店街を行き交っていた。
人の多さに、無意識にカイルの手を強く握り直した。
いつも世話になっているパン屋の二階からなら、部屋からでも見渡せるからと、招待を受けた。
小さなカイルを人混みに入れるのが怖かったから、甘えさせてもらった。
ロージーさんとロバート先生も一緒だ。
辻々には騎士達が配置され、物々しくはあるが、人々の新しい王様への期待感が上回り、お祭り気分が勝っている。
「新王様、まだ二十三歳なのでしょう?
凛々しくて男前だって噂だけど、実物はどうなのかしらねえ」
「そりゃあ、アルファの中のアルファだもの、
立ってるだけで空気が違うんじゃない?」
「パレード、楽しみねえ」
パン屋の奥さんとロージーさんの会話にも花が咲く。
わかっているのかいないのか、カイルも2人に合わせて、キラキラした顔で「うんうん」と、大きく相槌を打っている。
まるで自分も会話に参加しているような素振りに、俺の頬は緩み切っていた。
パン屋の奥さんとロージーさんが朝から用意してくれていたパンや菓子を食べつつ、和やかにお茶をして、その時を待つ。
商店街の向こうから、徐々に人々の歓声が近くなってくる。
やがて行列の先触れが現れ、警備に立っている騎士たちが、剣を掲げて礼をとる。
期待感にキラキラを増していくカイルとは逆に、俺は不安感が増していた。
この子が見つかってしまったらどうしよう。
俺の中のロアンが焦り出す。
それと同時に、この部屋を飛び出して、パレードの列に駆け寄りたい衝動も生まれる。
ヒートの度に思い出す、甘さを含んだ柑橘と乾いた木の匂いが混じる、爽やかなのに、香水ではない匂い。
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高校生の頃、片想いの親友に告白した。
彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。
もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。
彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。
そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。
同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。
あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。
そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。
「俺もそろそろ恋愛したい」
親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。
不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。
運命よりも先に、愛してしまった
AzureHaru
BL
幼馴染で番同士の受けと攻め。2人は運命の番ではなかったが、相思相愛だった。そんな時、攻めに運命の番が現れる。それを知った受けは身籠もっていたが、運命の番同士の子供の方が優秀な者が生まれることも知っており、身を引く事を決め姿を消す。
しかし、攻めと運命の番の相手にはそれぞれに別の愛する人がいる事をしり、
2人は運命の番としてではなく、友人として付き合っていけたらと話し合ってわかれた。
その後、攻めは受けが勘違いしていなくなってしまったことを両親達から聞かされるのであった。
【完結】王宮勤めの騎士でしたが、オメガになったので退職させていただきます
大河
BL
第三王子直属の近衛騎士団に所属していたセリル・グランツは、とある戦いで毒を受け、その影響で第二性がベータからオメガに変質してしまった。
オメガは騎士団に所属してはならないという法に基づき、騎士団を辞めることを決意するセリル。上司である第三王子・レオンハルトにそのことを告げて騎士団を去るが、特に引き留められるようなことはなかった。
地方貴族である実家に戻ったセリルは、オメガになったことで見合い話を受けざるを得ない立場に。見合いに全く乗り気でないセリルの元に、意外な人物から婚約の申し入れが届く。それはかつての上司、レオンハルトからの婚約の申し入れだった──
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