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序章
悪魔の子
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「お疲れ様です、マザキ先生」
「えぇ……いやぁ、酷いもんですな」
T市記念病院手術室を出た馬崎《マザキ》医師は、扉の前で待っていた二人の警官と目も合わせず、傍にあるベンチに腰を下ろし深いため息をついた。
「どういった状態です?」
「どうもこうも……やれることは限られています。ともかく叩き潰された両手足、陰茎、睾丸は切断し、尿管ステントと人工肛門を取り付けました。皮膚は綺麗に剥がされているので滅菌室に入れましたが、どうでしょうな。もって三日といった所でしょうが、いつ亡くなってもおかしくない。今まで生きていたのが不思議なぐらいです」
二人の刑事は顔を見合わせ、頭をかいた。およそ予想のついた答えだったとは言え、一応は生きている被害者から何一つ手がかりを期待できないのか、と。
若い飯塚《イイヅカ》刑事は年配の柴山《シバヤマ》刑事に目配せしつつ、マザキに質問を投げかけた。
「やはり、何も聞き出せませんかね?」
「まず無理でしょうな。舌も手足もないのではメッセージの伝えようがありませんし、そもそも脳がドロドロに軟化しています……これがまた不可解で……」
手術用キャップを取り、薄い頭を掻きむしりながらマザキは舌打ちした。
「不可解?」
「えぇ……軟化の原因物質が彼の脳内から大量に検出されたのですが、これが外部から投与された形跡が全くないんですね。あれは内側から起こっています」
「内側から……」
「これは仮説ですがね」
二人の刑事は同時に唾を飲み込んだ。
「彼の脳は、犯人から連続的に暴力を振るわれる過程で通常ありえない量の脳内麻薬を自ら分泌し、自壊していったのではないかと」
手術室前に、重い沈黙が流れた。
☆☆☆
二人の刑事は手術室前の沈黙を引きずったまま、黙々と署へとパトカーを走らせていた。
「狂人ですね」
運転席のイイヅカが、助手席で瞑目するシバヤマへに声をかけた。
「ここまでやられると、熊か何かであって欲しいもんだ……同じ人間だと思いたくない」
「ハハ、全くですね……」
生きていながら、身元の特定が不可能なほど原型を破壊された被害者の仮称は『C』。彼は三人目だった。
A~Cは共に今朝、T市の三地点でバラバラに発見され、犯行時刻は全て昨晩。犯人は、一晩で三人に対して生きながらに原型を留めぬほどの凄惨な暴行を加え、一切の痕跡を残さずその姿を消したというわけだ。
不意にシバヤマのガラケーが鳴り、イイヅカとの会話では開けようとしなかった目をカッと見開いて電話を取る。
「私だ」
イイヅカはシバヤマの相槌を聞きつつ、段々とその声に力が漲っていくのを感じた。が、しかし。
「……何ッ!?」
シバヤマが突然大声をあげた。彼がこんなに、あからさまに動揺した姿を見せたのは初めてだった。
「……あぁ、あぁ……分かった。その線で進めよう……」
その後シバヤマは打って変わって脱力し、憔悴しきった表情で通話を切った。イイヅカは暫く迷っていたが、やはり真相に迫りたい気持ちを堪え切れず、訊ねた。
「何か掴めましたか?」
「……あぁ、AとBの身元が、一気にな」
「おぉっ!」
イイヅカは思わず歓喜の声を上げ、すぐにまずい、と口を噤んだ。が、シバヤマは黙ったままだ。
「……すいません、不謹慎でした」
「いや……あぁ、まぁ、気をつけろよ」
只ならぬ事態なのだと察した。いつもなら怒鳴られていたところだが、どうやらさっきの報告は余程の衝撃であったらしい。
「一人目はあの川越充《カワゴエ ミツル》だ」
「えっ」
「二人目は野上正一《ノガミ ショウイチ》」
イイヅカは沈黙した。どちらも警察とは所縁の深い人物であり、イイヅカも仕事の中で何度となく耳にしていた名前だったからだ。
川越充は有名な資産家で、様々な慈善事業にその私財を投じてきた篤志家でもある。中でも少年犯罪者の社会復帰には取り分け力を入れており、出所後の身元引き受け人となったり養父となったりしていたと聞く。
野上正一は、T市記念病院の精神科医。精神鑑定の結果、刑務所でなく病院に入れられることになった無数の犯罪者の治療に当たってきた人物として知られる。
「再犯……ですかね」
「あぁ、その線で進めるらしい」
「被疑者は?」
「ノガミからカワゴエの手に渡った奴は多いからな。特定には少しかかるだろうが……実は、俺にはもう目星が付いてる」
「どいつです」
言いながらイイヅカの頭にも、既に一人の名前、いや異名が浮かび上がっていた。
「『悪魔の子』、だよ」
「……やっぱり」
悪魔の子。
十七年前にここT市で発生した、史上最悪の少年犯罪事件の犯人。入署してすぐに一度だけ見た事件の映像は、時折悪夢となって頭をよぎる。
燃え盛るパラバルーン、近寄った瞬間に引きずり込まれる若い女性、炎を背に鬼の形相で群衆を睨みつける、返り血に塗れた黒髪の少年……
「ガイシャの身元……発表したら、とんでもないことになるでしょうね」
「あぁ」
イイヅカは唇を噛みハンドルを握り直し、署への道を急ぐ。彼の予想通り、この日の午後伝えられたニュースはT市を飛び越え、大混乱と共に日本中を駆け巡ることになる。
「えぇ……いやぁ、酷いもんですな」
T市記念病院手術室を出た馬崎《マザキ》医師は、扉の前で待っていた二人の警官と目も合わせず、傍にあるベンチに腰を下ろし深いため息をついた。
「どういった状態です?」
「どうもこうも……やれることは限られています。ともかく叩き潰された両手足、陰茎、睾丸は切断し、尿管ステントと人工肛門を取り付けました。皮膚は綺麗に剥がされているので滅菌室に入れましたが、どうでしょうな。もって三日といった所でしょうが、いつ亡くなってもおかしくない。今まで生きていたのが不思議なぐらいです」
二人の刑事は顔を見合わせ、頭をかいた。およそ予想のついた答えだったとは言え、一応は生きている被害者から何一つ手がかりを期待できないのか、と。
若い飯塚《イイヅカ》刑事は年配の柴山《シバヤマ》刑事に目配せしつつ、マザキに質問を投げかけた。
「やはり、何も聞き出せませんかね?」
「まず無理でしょうな。舌も手足もないのではメッセージの伝えようがありませんし、そもそも脳がドロドロに軟化しています……これがまた不可解で……」
手術用キャップを取り、薄い頭を掻きむしりながらマザキは舌打ちした。
「不可解?」
「えぇ……軟化の原因物質が彼の脳内から大量に検出されたのですが、これが外部から投与された形跡が全くないんですね。あれは内側から起こっています」
「内側から……」
「これは仮説ですがね」
二人の刑事は同時に唾を飲み込んだ。
「彼の脳は、犯人から連続的に暴力を振るわれる過程で通常ありえない量の脳内麻薬を自ら分泌し、自壊していったのではないかと」
手術室前に、重い沈黙が流れた。
☆☆☆
二人の刑事は手術室前の沈黙を引きずったまま、黙々と署へとパトカーを走らせていた。
「狂人ですね」
運転席のイイヅカが、助手席で瞑目するシバヤマへに声をかけた。
「ここまでやられると、熊か何かであって欲しいもんだ……同じ人間だと思いたくない」
「ハハ、全くですね……」
生きていながら、身元の特定が不可能なほど原型を破壊された被害者の仮称は『C』。彼は三人目だった。
A~Cは共に今朝、T市の三地点でバラバラに発見され、犯行時刻は全て昨晩。犯人は、一晩で三人に対して生きながらに原型を留めぬほどの凄惨な暴行を加え、一切の痕跡を残さずその姿を消したというわけだ。
不意にシバヤマのガラケーが鳴り、イイヅカとの会話では開けようとしなかった目をカッと見開いて電話を取る。
「私だ」
イイヅカはシバヤマの相槌を聞きつつ、段々とその声に力が漲っていくのを感じた。が、しかし。
「……何ッ!?」
シバヤマが突然大声をあげた。彼がこんなに、あからさまに動揺した姿を見せたのは初めてだった。
「……あぁ、あぁ……分かった。その線で進めよう……」
その後シバヤマは打って変わって脱力し、憔悴しきった表情で通話を切った。イイヅカは暫く迷っていたが、やはり真相に迫りたい気持ちを堪え切れず、訊ねた。
「何か掴めましたか?」
「……あぁ、AとBの身元が、一気にな」
「おぉっ!」
イイヅカは思わず歓喜の声を上げ、すぐにまずい、と口を噤んだ。が、シバヤマは黙ったままだ。
「……すいません、不謹慎でした」
「いや……あぁ、まぁ、気をつけろよ」
只ならぬ事態なのだと察した。いつもなら怒鳴られていたところだが、どうやらさっきの報告は余程の衝撃であったらしい。
「一人目はあの川越充《カワゴエ ミツル》だ」
「えっ」
「二人目は野上正一《ノガミ ショウイチ》」
イイヅカは沈黙した。どちらも警察とは所縁の深い人物であり、イイヅカも仕事の中で何度となく耳にしていた名前だったからだ。
川越充は有名な資産家で、様々な慈善事業にその私財を投じてきた篤志家でもある。中でも少年犯罪者の社会復帰には取り分け力を入れており、出所後の身元引き受け人となったり養父となったりしていたと聞く。
野上正一は、T市記念病院の精神科医。精神鑑定の結果、刑務所でなく病院に入れられることになった無数の犯罪者の治療に当たってきた人物として知られる。
「再犯……ですかね」
「あぁ、その線で進めるらしい」
「被疑者は?」
「ノガミからカワゴエの手に渡った奴は多いからな。特定には少しかかるだろうが……実は、俺にはもう目星が付いてる」
「どいつです」
言いながらイイヅカの頭にも、既に一人の名前、いや異名が浮かび上がっていた。
「『悪魔の子』、だよ」
「……やっぱり」
悪魔の子。
十七年前にここT市で発生した、史上最悪の少年犯罪事件の犯人。入署してすぐに一度だけ見た事件の映像は、時折悪夢となって頭をよぎる。
燃え盛るパラバルーン、近寄った瞬間に引きずり込まれる若い女性、炎を背に鬼の形相で群衆を睨みつける、返り血に塗れた黒髪の少年……
「ガイシャの身元……発表したら、とんでもないことになるでしょうね」
「あぁ」
イイヅカは唇を噛みハンドルを握り直し、署への道を急ぐ。彼の予想通り、この日の午後伝えられたニュースはT市を飛び越え、大混乱と共に日本中を駆け巡ることになる。
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