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序章
ケントさん
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「お疲れ様です……」
「あ、お疲れアヤちゃん」
「紀子《ノリコ》さん」
ホテルリーガンT(地名)の清掃管理室に、若い女性清掃員・文香《アヤカ》が現れ、清掃主任のノリコが親しげに声をかける。
いつもは暗く寂しげな表情を浮かべているアヤカだが、この気風の良いおばさんに会うと少し明るくなる。
「もう終わったの? 早くなったねぇ」
「はい、頑張りました」
「ウフフ、頑張ったね。まぁ、もっと早い奴がいるけど」
「え?」
「もう来てるよ。急いで着替えといで」
「は、はいっ、急ぎますっ」
一層明るくなった表情でいそいそと更衣室に飛び込むアヤカの背を、ノリコは優しく微笑みながら見送った。
♦︎
私服に着替えたアヤカは、艶やかな黒髪を靡かせて清掃管理室から飛び出し、従業員用出口から通りへと出た。
時刻は15時。閑散としたT市の通りに、穏やかな秋風が吹き抜ける。
普通なら大人は会社に、子供なら学校にいる時間だ。アヤカは、通り過ぎる誰かに引け目を感じずに済む今の通りが一番落ち着いた。
が、今は違う。終業時間に必ず迎えに来てくれる彼のことで頭が一杯だったから。
どこ、どこ……?
アヤカは頬を赤らめ、落ち着かない様子で通りをキョロキョロと見回すが、待ち人は中々見つからない。
すると、途方にくれる彼女の肩を誰かが叩いた。
「お姉ちゃん、何してんの?」
「誰待ち~?」
振り向いたアヤカの表情が凍りつく。そこにいたのは、如何にもチンピラ風の三人の男。当然、待ち人ではなかった。
アヤカの脳裏を掠めたのは、『関東梁山泊《かんとうりょうざんぱく》』という名前。近頃公安よりマスコミを経由して、頻繁に注意喚起が為されている暴走族だ。
行動範囲はまさに神出鬼没で、時折夜の繁華街を出て、色気のない街のアルコールの出ない喫茶店にまで現れると言う。
その悪行の一つとして、『執拗なナンパ』があると聞いたことがある。一人の女性を相手に複数人で声を掛け、最初から下品な言葉を連発して強引に距離を詰め、なし崩し的に性交を迫る……といったもの。
中にはそこから薬漬けにされたり、住所や連絡先を特定されて関係を切れなくした挙句、精神と肉体も悉く金に換えられる者もいる、と。
アヤカは恐怖によって、鼓動が異常に高まるのを感じた。
「あれあれあれ~……なんかスッゲー怖がられてない?」
「そんなビビんないでよ、お姉ちゃん。俺たち、別に悪気があって声掛けたわけじゃないぜ」
「あっ、そぉ~か! お姉ちゃん、俺たちのこと誤解してない? 『関東梁山泊』とか言う……」
「……あぁ~、アレな? アッハッハッハッハ! ンなわけ無いっての!」
二人組は終始下品な大声で聞こえよがしな会話を交わすが、アヤカは最後の言葉に少しだけ安堵を覚えた。『関東梁山泊』ではない。それなら……
しかし、男たちは突然沈黙しこの上なく気色の悪い笑みを交わすと、不快感に歪むアヤカの顔にグイッと詰め寄り言った。
「ンフフフフ……ウッソ~~~~♪」
「俺らと遊ぼうよ、お姉さぁ~~ん……」
これまでに感じたこともない恐怖と絶望に打ち震え、悲鳴ひとつ上げることができない。
その耳に、聞き慣れた無機質な声が聞こえた。
「お待たせ」
声の出所は、男たちの肩越し。ギョロリと移した男たちの凶暴な目線の先にいるのは、紫がかった黒髪を首筋まで伸ばした細身の青年。
身に付けているのは、深緑の、古びた、オーバーサイズ気味のモッズコート。
「健人《ケント》さん……」
「ごめんごめん、遅刻しちゃった。予定長引いちゃってさ」
そう言いながら彼・ケントは、三人組の間に分け入りつつアヤカに歩み寄った。
アヤカは少し安心した。こいつらだって、気が弱そうな自分一人だから声を掛けてきたに違いない。待ち合わせしていた男と合流したとなれば、きっと引き下がって行くだろう……と。
しかし、甘かった。
「今いいトコなんだよ、お兄ちゃん。邪魔しないで貰えっかなぁ~?」
関東梁山泊とは、そんな常識的な連中ではない。一人が、薄笑いを浮かべながら言うと、残り二人もまた薄笑いを浮かべつつ、ピッタリとケントの傍に立つ。
アヤカは、小柄で痩せたケントが、如何にもチンピラ風の大男三人に囲まれている様を間近に見上げながら、恐れの余り何の助け舟も出せないでいた。
「おい……」
一人が、ケントの耳元に顔を近づけた。
「いい加減どっか行けよ。殺されてーのか?」
……アヤカは恐怖した。男の言葉にではない。
それを聞いて豹変したケントの目に、である。
ケントはいつも眠たげに薄く開いている猫目をギョロリと剥いて、脅し文句を口にした男の目を真っ直ぐに睨んだ。
「あ?」
「うっ……?」
男は小さく呻いて、思わず後ろに引いた。
思い切り見開いたケントの目は、狂気に満ち満ちた四白眼。その目を、残り二人にも向ける。
「ひっ……」
彼らもまた、小さく悲鳴を上げて後ずさった。
敵対組織や暴力団と散々に睨み合ってきただろう彼らが見たこともない、殺気の充満した目。その視線が三人の目をめがけて揺れた。
静寂が流れる。時間にして一分程度だが、三人には永遠のように感じられただろう、
三人はとにかくその視線から逃れたい一心からか、捨て台詞すら吐かずにそそくさと立ち去った。
ケントはそんな彼らの背を見送ると、アヤカの方へ振り返った。
「大丈夫?」
「は、ハイ……あ、ありがとうございます」
蚊の鳴くような声で返事をするアヤカの目にあったのは、恐怖。どうやらその対象は完全に、三人組からケントに移ってしまったらしい。
「あ、お疲れアヤちゃん」
「紀子《ノリコ》さん」
ホテルリーガンT(地名)の清掃管理室に、若い女性清掃員・文香《アヤカ》が現れ、清掃主任のノリコが親しげに声をかける。
いつもは暗く寂しげな表情を浮かべているアヤカだが、この気風の良いおばさんに会うと少し明るくなる。
「もう終わったの? 早くなったねぇ」
「はい、頑張りました」
「ウフフ、頑張ったね。まぁ、もっと早い奴がいるけど」
「え?」
「もう来てるよ。急いで着替えといで」
「は、はいっ、急ぎますっ」
一層明るくなった表情でいそいそと更衣室に飛び込むアヤカの背を、ノリコは優しく微笑みながら見送った。
♦︎
私服に着替えたアヤカは、艶やかな黒髪を靡かせて清掃管理室から飛び出し、従業員用出口から通りへと出た。
時刻は15時。閑散としたT市の通りに、穏やかな秋風が吹き抜ける。
普通なら大人は会社に、子供なら学校にいる時間だ。アヤカは、通り過ぎる誰かに引け目を感じずに済む今の通りが一番落ち着いた。
が、今は違う。終業時間に必ず迎えに来てくれる彼のことで頭が一杯だったから。
どこ、どこ……?
アヤカは頬を赤らめ、落ち着かない様子で通りをキョロキョロと見回すが、待ち人は中々見つからない。
すると、途方にくれる彼女の肩を誰かが叩いた。
「お姉ちゃん、何してんの?」
「誰待ち~?」
振り向いたアヤカの表情が凍りつく。そこにいたのは、如何にもチンピラ風の三人の男。当然、待ち人ではなかった。
アヤカの脳裏を掠めたのは、『関東梁山泊《かんとうりょうざんぱく》』という名前。近頃公安よりマスコミを経由して、頻繁に注意喚起が為されている暴走族だ。
行動範囲はまさに神出鬼没で、時折夜の繁華街を出て、色気のない街のアルコールの出ない喫茶店にまで現れると言う。
その悪行の一つとして、『執拗なナンパ』があると聞いたことがある。一人の女性を相手に複数人で声を掛け、最初から下品な言葉を連発して強引に距離を詰め、なし崩し的に性交を迫る……といったもの。
中にはそこから薬漬けにされたり、住所や連絡先を特定されて関係を切れなくした挙句、精神と肉体も悉く金に換えられる者もいる、と。
アヤカは恐怖によって、鼓動が異常に高まるのを感じた。
「あれあれあれ~……なんかスッゲー怖がられてない?」
「そんなビビんないでよ、お姉ちゃん。俺たち、別に悪気があって声掛けたわけじゃないぜ」
「あっ、そぉ~か! お姉ちゃん、俺たちのこと誤解してない? 『関東梁山泊』とか言う……」
「……あぁ~、アレな? アッハッハッハッハ! ンなわけ無いっての!」
二人組は終始下品な大声で聞こえよがしな会話を交わすが、アヤカは最後の言葉に少しだけ安堵を覚えた。『関東梁山泊』ではない。それなら……
しかし、男たちは突然沈黙しこの上なく気色の悪い笑みを交わすと、不快感に歪むアヤカの顔にグイッと詰め寄り言った。
「ンフフフフ……ウッソ~~~~♪」
「俺らと遊ぼうよ、お姉さぁ~~ん……」
これまでに感じたこともない恐怖と絶望に打ち震え、悲鳴ひとつ上げることができない。
その耳に、聞き慣れた無機質な声が聞こえた。
「お待たせ」
声の出所は、男たちの肩越し。ギョロリと移した男たちの凶暴な目線の先にいるのは、紫がかった黒髪を首筋まで伸ばした細身の青年。
身に付けているのは、深緑の、古びた、オーバーサイズ気味のモッズコート。
「健人《ケント》さん……」
「ごめんごめん、遅刻しちゃった。予定長引いちゃってさ」
そう言いながら彼・ケントは、三人組の間に分け入りつつアヤカに歩み寄った。
アヤカは少し安心した。こいつらだって、気が弱そうな自分一人だから声を掛けてきたに違いない。待ち合わせしていた男と合流したとなれば、きっと引き下がって行くだろう……と。
しかし、甘かった。
「今いいトコなんだよ、お兄ちゃん。邪魔しないで貰えっかなぁ~?」
関東梁山泊とは、そんな常識的な連中ではない。一人が、薄笑いを浮かべながら言うと、残り二人もまた薄笑いを浮かべつつ、ピッタリとケントの傍に立つ。
アヤカは、小柄で痩せたケントが、如何にもチンピラ風の大男三人に囲まれている様を間近に見上げながら、恐れの余り何の助け舟も出せないでいた。
「おい……」
一人が、ケントの耳元に顔を近づけた。
「いい加減どっか行けよ。殺されてーのか?」
……アヤカは恐怖した。男の言葉にではない。
それを聞いて豹変したケントの目に、である。
ケントはいつも眠たげに薄く開いている猫目をギョロリと剥いて、脅し文句を口にした男の目を真っ直ぐに睨んだ。
「あ?」
「うっ……?」
男は小さく呻いて、思わず後ろに引いた。
思い切り見開いたケントの目は、狂気に満ち満ちた四白眼。その目を、残り二人にも向ける。
「ひっ……」
彼らもまた、小さく悲鳴を上げて後ずさった。
敵対組織や暴力団と散々に睨み合ってきただろう彼らが見たこともない、殺気の充満した目。その視線が三人の目をめがけて揺れた。
静寂が流れる。時間にして一分程度だが、三人には永遠のように感じられただろう、
三人はとにかくその視線から逃れたい一心からか、捨て台詞すら吐かずにそそくさと立ち去った。
ケントはそんな彼らの背を見送ると、アヤカの方へ振り返った。
「大丈夫?」
「は、ハイ……あ、ありがとうございます」
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