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episode 6
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殆どの社員が出払っているオフィス内は、静かなもの。
そんな中でキーボードが乱暴に打ち鳴らされる音だけが響いている。
周辺のデスクは資料だかゴミだかわからない紙束の山で覆いつくされ、まるで空き巣にでも入られたかのような散らかり具合だ。
「う~ん……」
「な~に唸ってんだよ……って、お前! 今、仕事中だぞ!」
人が一生懸命パソコンで調べものをしていると、午後から取材だと言って、準備やら何やらで、バタバタしていた同僚が、勝手に画面を覗き込んできた。
ったく。
皆、取材や出張で外出しているから、絶好のチャンスだと思ってたのに。
なんで口煩いコイツが残ってたんだよ。
大体、今日の私の仕事はデスクワークだけで、その主たるものは、お前が取材してこなきゃ書けない原稿だっつぅーの。
そんな気持ちを抑えながらも、短気な私はつい可愛げのない言葉を言ってしまう。
「そうだよ? だから仕事になるネタ探ししてるんじゃん!」
「そのネタは駄目だ! 駄目に決まってるだろ?」
「何でよ? あんただって怪しいと思わないの?」
「そりゃぁ……多少はなぁ……」
「でしょう? もし、今まで発表や報道されている事以外に何かあれば、一大スクープじゃない?」
「馬鹿! 例え、大スクープを手に入れられたとしても、うちみたいな弱小出版社なんか……」
「悪かったなぁ。弱小で!」
厳つく、人相の悪い。
もし、そこら辺を歩いていてすれ違ったとしたら、間違いなくあっち系に思われる雰囲気を漂わせた強面の屈強な男が私と同僚の間に割って入り机を思いっきり叩いた。
ドスの利いた声。
目は三角になっている。
うん。
これは誰がどう見ても、明らかに怒っている。
こういう時は、触らぬ神に祟り無しなんだけど……
「あ、お、俺。これから、取材なんで! ほ、ほら。午後一時から女優の神無月亜里沙の婚約発表……」
「え? ちょっと待ちなさいよぉ!」
「じゃ、社長! 行って参ります!」
「ちょっ! 松山ぁぁぁぁ!」
手を伸ばして必死に彼を止めようとしたが、間に合わなかった。
バタンッと扉が閉まる音だけが虚しく響き、一足先に、怒らせた張本人が逃げていきやがった。
ちらりと横を見ると、普通にしていても怖いのに、その顔に武骨な笑顔を浮かべて、こちらを見ていた。
「さてと。米澤。お前、また、こんなもんの情報探してたんか?」
パソコンを指差しながら、尋ねてきた。
今、口を開いたら、さっき、同僚……松山に言った事と同じ事を繰り返してしまうだけになりそうなので、ただ、コクリと頷いて、社長の顔をジッと見た。
すると、その顔から笑みが消え、いきなりグシャグシャグシャッと頭を撫でられ、そのまま手を頭に置いたまま社長が話し出した。
「ま。お前の気持ちは分かるぞ。公式ホームページでも、どこの報道でも、いい事しか言わない、胡散臭い計画。そんな計画のせいで、お前の唯一の肉親が、あの施設に連れて行かれたんだもんな……」
その言葉に思わず目の前がボヤける。
これは涙なんかじゃない。
そう思うのに、つい、祖母を思うと涙が出て来てしまう。
小学校の時、不慮の事故で両親を亡くした自分を厭な顔一つせず、すぐに引き取って育ててくれた祖父母。
祖父が病気で亡くなってからは、二人でずっと仲良く過ごしてきた、たった一人の肉親。
誰よりも大切で。
かけがえのない存在だった。
その恩返しという訳ではないけれど、国や政府機関なんかに頼らず、祖母を最後まで自分の手で面倒を見ようと決めていたのに。
政府の執行した計画は、誰一人として例外はなく。
無差別に規定の歳に達すれば、皆、何があろうと収容される。
『楽園』なんて、聞こえはいいけれど、わざわざ、物騒な雰囲気を醸し出した人間が迎えに来て、逃げられないように両脇を抱え車で連れ去っていく様子は、まるで『監獄』にでも収容するかのようで。
なんとも言えない嫌な気分になり、いつか必ず祖母を助け出すと心に誓った事を、今でも思い出す。
こんな所で、泣いている場合じゃないのに。
涙を引っ込めようとなんとか我慢していると、鼻水が垂れてきそうになり、思わずズズズッと啜る。
すると今度はポンポンっと頭を軽く叩き「向うは正攻法では、絶対に尻尾はださねぇぞ」と、低い声で言った。
今までは松山同様、社長もこの件に関して首を突っ込む事を良しとせず、他出版社や、テレビ各局のように、政府指導の元、あの島での取材……取材と言う名の、政府の支持率を上げる為の宣伝ツアーにすら、一切関わろうともしなかった。
しかし、今の一言は、都合のいい解釈をすれば“正攻法でなければ、少しでも真実に繋がる物が見つかる” という事ではないのか?
そう思った瞬間、一気に涙は引っ込み顔を上げると、そこには、酷く真面目は顔をした社長の顔があった。
「いいか。俺ぁな、小っちゃえけど、一応この会社の社長だ。だから、おめぇだけじゃなく、社員全員を守る責任がある。だから今まで危ないネタにゃぁ、一切関わってこなかった」
出版社の社長と言うよりも、話し方からして誰がどう聞いても任侠の世界だ。
目の前の男は、噂によれば裏社会の人間からも一目も二目も置かれているとか。
ふとした時に垣間見る何人たりとも寄せ付けないようなオーラは、数々の修羅場を乗り越えてきた証なのかもしれない。
いや、こんなちっぽけな会社にも関わらず、様々な業界の大物との交友関係があったり、突然、大きなスクープを取ってきたり出来るのも、もしかしたら今現在も、そういった世界との繋がりがあるからこそなのかもしれない。
そんなことをぼんやり思いつつ、社長の話を聞いていると、彼の口から恐ろしい言葉が飛び出してきた。
「特に。おめぇが探ろうとしている獲物は、ヤバいっていう限度を超えている。なんてったって……メディアまでもを操作出来る『政府』なんだからな。俺らみてぇな奴らが、いくら嗅ぎまくろうが、何しようが……もし、不都合な事実を知った瞬間に……コレだ」
そう言いながら、片手で首を切る動作をした。
普段であれば、冗談かと思い笑って済ますけれど、社長の顔は相変わらず真剣そのもの。
思わず喉をゴクリと鳴らす。
「正直、この俺の情報網をもってしてでも、今まで、あの計画は、公にされている事が全てで、悪い噂が一つも出て来ないっていう事の方がおかしかったんだ。ここまで、情報が統制され、管理されている事自体……『異例』であり、自分の感情だけで首を突っ込んだら、とんでもねぇ事になる。」
低く唸るようにそう言うと、社長は険しい顔をして、睨みつけて来た。
これ以上首を突っ込むと、お前の命の保証はないぞ! とでも言うかのように。
しかし、私は決して目を逸らす事はせず、ただ静かに、ジッと歯を食いしばっていた。
互いに動かず、緊迫した空気が少しの間流れていたのだが――――
「だぁぁぁ!」
突然、大きな声を上げて、私の頭から手を離すと、その手でいきなりグシャグシャに自分の頭を掻いた。
「ったくよぉ。俺がこんだけ言っても、おめぇは、真実を探そうとするんだろうよ。それで、自分の命が危なくなろうと、おめぇはそういう奴だ! それは、何回か、お前のケツ拭いてっから分かってんだよなぁ……」
そう。
私は、結構、融通が利かない頑固者。
今までも、ほっときゃいいのに、真実を解き明かさなきゃ気が済まない性格で。
自分が納得するまで、とことん調べ上げる。
そのせいで、何度か危ない目にも遭ったし、その度に、この強面な社長……名前を高瀬 守(たかせ まもる)と言うのだけれど、その名前の通りに守ってくれるんだ。
その安心感もあって、無茶な調査や動きが出来ていたんだが……
流石に、この案件だけはヤバそうだ。
そんなこと分かっていても、結局は動いちゃうのが私なんだけどさ。
「いいかぁ~? 米澤。ここからは、俺の独り言だぞ。なんでもなぁ。最近、あの施設のある島では、少々、病気が流行っているらしい。インフルエンザだの、マイコプラズマ肺炎だの、結核だの、色々噂されているんだがなぁ。で、どうやら、医師団と共に、救助活動という名目で、国防軍もあの島に入ったそうなんだ」
あの島で、伝染病?
確かに、老人ばかりが集まるあの島では、一人が何かの病気にかかれば、免疫力や体力が衰えている高齢者が感染しやすいのは、当たり前だ。
しかし、何故、国防軍まで来る必要が?
そんな、私の考えを察してか、社長は言葉を続ける。
「勿論、例え『伝染病』という、人間では制御出来ないものであっても、島全体に流行しては、せっかくの“楽園”のイメージが悪化する。だからこそ、ちょっとした事であっても、医師団や国防軍を、派遣し、政府は、全力で“楽園”の生活をバックアップするというアピールをする訳だ」
成程。
確かに、島の中の医療施設だけでなく、本土からも、支援を送る事で、孤立させた“島”の施設ではなく、“本土”の一部だと、安心感を与える事が出来る。
賢い選択だ。
「そして。そのアピールに必要不可欠な物と言えば、メディア操作」
ゆっくりと最後に紡がれた言葉に、思わず、ゴクリと喉を鳴らす。
「政府は自分達に不都合な事は隠しつつ、“いい所”だけを、マスコミに流させ、島に収容された人の家族達や、これから、収容される人達を安心させるよう、操作をする。その為に、また、一部の記者達を島へ派遣するそうだ」
その言葉に、思わず飛び付く。
「行かせてください!」
思うよりも先に体と口が勝手に反応し、社長の前で土下座して叫んでいた。
しかし、目の前の大男は、黙ったまま、微動だにしない。
私も、頭を床に付けたまま、その場から動かず、ただ、ひたすら先方の動きを待っていた。
小さな溜息の後、「頭を上げろ」と低い声で言った。
「……」
「黙ってんな。いいから、頭をまずあげろ」
二度目の声は、命令をきかない私に流石に苛立ちを覚えたのか、有無を言わせない、ドスのきいた声であったので、流石に、これ以上、怒らせるのはマズいと思い、顔を上げた。
すると、社長は、私の目の前に一枚の紙を差し出した。
その二つに折り曲げられた紙を受け取ると、再び、ゆっくりと話し出した。
「俺の知り合いに、政府のシステムセキュリティ管理をしている奴がいてな。たまたま、ソイツが、ちょっとした異変に気が付いたんだが、不正アクセスではなく、正規ルートでのアクセスだったものだから、その場では特に誰にも報告はしなかったんだ。ただ、妙にその件が気になって、何か問題はないか、個人的に細かく調べたそうなんだ」
「正規ルートなら、政府の人間がアクセスしたんですよね? それなら何も問題ないんじゃ……」
「確かに。ただ、おかしなことに、色々、仕掛けが施してあって、誰がアクセスしたのかが、分からなくなるような。そんな、変な細工がしてあったそうなんだ」
「え? そんな事する必要なんて……」
「政府の人間なら、必要ない筈なんだがな。ま、その細工が、システムを破壊したり、情報を流出したりする事が目的でも、ウィルスに感染させる事が目的でもなく、特に、サーバーや、システムに関しても、ましてや、機密事項に関わった形跡も皆無であり、全く問題はないものだったから、奴も、大事にして、面倒な事に巻き込まれたくないから、上には何の報告もしていないらしんだがな」
「じゃぁ、何が目的なんですか?」
「そいつも、異変自体はすぐに直したものの、誰が何の為に、そんな誰の得にもならないような事をしたんだろう? いむしろ、政治家で、こんなにもコンピューターに詳しい人間がいるのか? という好奇心から、そいつは犯人捜しをしたんだが……」
「誰だったんですか?」
思わず、勢いよく聞いてしまうと、「それが、ソコに書いてある」と低い声を出して、私が握っている、先程手渡してくれた紙を指差した。
目を大きく見開いて、手の中にあるソレを見つめていると彼は補足した。
「犯人は、多分、そこに書いてある人物の息子だろう」
その言葉に視線を紙から社長の顔に移す。
「その息子の親友に、これまた、興味深い人間がいる。」
どういう事だろうと、いらぬ相槌や横槍はいれずに、ただ、次の言葉を待つ。
「これは、俺の勘だが……俺よりも……いや。関係者以外で、あの計画の真実に一番近づいているのが、そこに書かれた人間の息子達なんだろうと、俺は睨んでいる」
獲物を狙う、猛禽類かのように鋭い光を放ちながら、ハッキリとした口調で言う時の社長の言葉は“勘”ではなく“確信”がある時。
そうなると、私がする事は……
「島へ行くのは、いつでもチャンスを作ってやる。まずは……」
「その子達と接触する事ですね?」
「あぁ。でも、覚えておけ。これは、あくまでも、俺の“独り言”だ」
「はい」
「今から、お前がする行動は、取材でも何でもない。あくまでも“個人”での行動だ」
「はい」
「よって……“有給”を使え!」
バシンッと勢いよく、肩を叩かれ、その痛みと優しさに涙ぐみながら、「はい!」と答えると、“仕方ねぇ奴だな……”と小さく呟きながら、ゆっくりと、私のデスクから離れていった。
そして、社長室に入ろうとした時、私に背を向けたままどっしりとした声を放った。
「お前は、うちの会社の従業員だ。有給といえど……“ホウレンソウ”だけは忘れるな」
その責任感のある声の中にある、ぶっきらぼうな優しさに、再び、目が潤みそうになるのを堪えた。
そして、まずは、社内の人間に迷惑をかけないよう、自分が抱えている仕事を終わらせる事に専念すると共に、入念な“下調べ”をしなくては……と思い、手に握る、たった一枚の紙切れをゆっくりと広げたのだった。
そんな中でキーボードが乱暴に打ち鳴らされる音だけが響いている。
周辺のデスクは資料だかゴミだかわからない紙束の山で覆いつくされ、まるで空き巣にでも入られたかのような散らかり具合だ。
「う~ん……」
「な~に唸ってんだよ……って、お前! 今、仕事中だぞ!」
人が一生懸命パソコンで調べものをしていると、午後から取材だと言って、準備やら何やらで、バタバタしていた同僚が、勝手に画面を覗き込んできた。
ったく。
皆、取材や出張で外出しているから、絶好のチャンスだと思ってたのに。
なんで口煩いコイツが残ってたんだよ。
大体、今日の私の仕事はデスクワークだけで、その主たるものは、お前が取材してこなきゃ書けない原稿だっつぅーの。
そんな気持ちを抑えながらも、短気な私はつい可愛げのない言葉を言ってしまう。
「そうだよ? だから仕事になるネタ探ししてるんじゃん!」
「そのネタは駄目だ! 駄目に決まってるだろ?」
「何でよ? あんただって怪しいと思わないの?」
「そりゃぁ……多少はなぁ……」
「でしょう? もし、今まで発表や報道されている事以外に何かあれば、一大スクープじゃない?」
「馬鹿! 例え、大スクープを手に入れられたとしても、うちみたいな弱小出版社なんか……」
「悪かったなぁ。弱小で!」
厳つく、人相の悪い。
もし、そこら辺を歩いていてすれ違ったとしたら、間違いなくあっち系に思われる雰囲気を漂わせた強面の屈強な男が私と同僚の間に割って入り机を思いっきり叩いた。
ドスの利いた声。
目は三角になっている。
うん。
これは誰がどう見ても、明らかに怒っている。
こういう時は、触らぬ神に祟り無しなんだけど……
「あ、お、俺。これから、取材なんで! ほ、ほら。午後一時から女優の神無月亜里沙の婚約発表……」
「え? ちょっと待ちなさいよぉ!」
「じゃ、社長! 行って参ります!」
「ちょっ! 松山ぁぁぁぁ!」
手を伸ばして必死に彼を止めようとしたが、間に合わなかった。
バタンッと扉が閉まる音だけが虚しく響き、一足先に、怒らせた張本人が逃げていきやがった。
ちらりと横を見ると、普通にしていても怖いのに、その顔に武骨な笑顔を浮かべて、こちらを見ていた。
「さてと。米澤。お前、また、こんなもんの情報探してたんか?」
パソコンを指差しながら、尋ねてきた。
今、口を開いたら、さっき、同僚……松山に言った事と同じ事を繰り返してしまうだけになりそうなので、ただ、コクリと頷いて、社長の顔をジッと見た。
すると、その顔から笑みが消え、いきなりグシャグシャグシャッと頭を撫でられ、そのまま手を頭に置いたまま社長が話し出した。
「ま。お前の気持ちは分かるぞ。公式ホームページでも、どこの報道でも、いい事しか言わない、胡散臭い計画。そんな計画のせいで、お前の唯一の肉親が、あの施設に連れて行かれたんだもんな……」
その言葉に思わず目の前がボヤける。
これは涙なんかじゃない。
そう思うのに、つい、祖母を思うと涙が出て来てしまう。
小学校の時、不慮の事故で両親を亡くした自分を厭な顔一つせず、すぐに引き取って育ててくれた祖父母。
祖父が病気で亡くなってからは、二人でずっと仲良く過ごしてきた、たった一人の肉親。
誰よりも大切で。
かけがえのない存在だった。
その恩返しという訳ではないけれど、国や政府機関なんかに頼らず、祖母を最後まで自分の手で面倒を見ようと決めていたのに。
政府の執行した計画は、誰一人として例外はなく。
無差別に規定の歳に達すれば、皆、何があろうと収容される。
『楽園』なんて、聞こえはいいけれど、わざわざ、物騒な雰囲気を醸し出した人間が迎えに来て、逃げられないように両脇を抱え車で連れ去っていく様子は、まるで『監獄』にでも収容するかのようで。
なんとも言えない嫌な気分になり、いつか必ず祖母を助け出すと心に誓った事を、今でも思い出す。
こんな所で、泣いている場合じゃないのに。
涙を引っ込めようとなんとか我慢していると、鼻水が垂れてきそうになり、思わずズズズッと啜る。
すると今度はポンポンっと頭を軽く叩き「向うは正攻法では、絶対に尻尾はださねぇぞ」と、低い声で言った。
今までは松山同様、社長もこの件に関して首を突っ込む事を良しとせず、他出版社や、テレビ各局のように、政府指導の元、あの島での取材……取材と言う名の、政府の支持率を上げる為の宣伝ツアーにすら、一切関わろうともしなかった。
しかし、今の一言は、都合のいい解釈をすれば“正攻法でなければ、少しでも真実に繋がる物が見つかる” という事ではないのか?
そう思った瞬間、一気に涙は引っ込み顔を上げると、そこには、酷く真面目は顔をした社長の顔があった。
「いいか。俺ぁな、小っちゃえけど、一応この会社の社長だ。だから、おめぇだけじゃなく、社員全員を守る責任がある。だから今まで危ないネタにゃぁ、一切関わってこなかった」
出版社の社長と言うよりも、話し方からして誰がどう聞いても任侠の世界だ。
目の前の男は、噂によれば裏社会の人間からも一目も二目も置かれているとか。
ふとした時に垣間見る何人たりとも寄せ付けないようなオーラは、数々の修羅場を乗り越えてきた証なのかもしれない。
いや、こんなちっぽけな会社にも関わらず、様々な業界の大物との交友関係があったり、突然、大きなスクープを取ってきたり出来るのも、もしかしたら今現在も、そういった世界との繋がりがあるからこそなのかもしれない。
そんなことをぼんやり思いつつ、社長の話を聞いていると、彼の口から恐ろしい言葉が飛び出してきた。
「特に。おめぇが探ろうとしている獲物は、ヤバいっていう限度を超えている。なんてったって……メディアまでもを操作出来る『政府』なんだからな。俺らみてぇな奴らが、いくら嗅ぎまくろうが、何しようが……もし、不都合な事実を知った瞬間に……コレだ」
そう言いながら、片手で首を切る動作をした。
普段であれば、冗談かと思い笑って済ますけれど、社長の顔は相変わらず真剣そのもの。
思わず喉をゴクリと鳴らす。
「正直、この俺の情報網をもってしてでも、今まで、あの計画は、公にされている事が全てで、悪い噂が一つも出て来ないっていう事の方がおかしかったんだ。ここまで、情報が統制され、管理されている事自体……『異例』であり、自分の感情だけで首を突っ込んだら、とんでもねぇ事になる。」
低く唸るようにそう言うと、社長は険しい顔をして、睨みつけて来た。
これ以上首を突っ込むと、お前の命の保証はないぞ! とでも言うかのように。
しかし、私は決して目を逸らす事はせず、ただ静かに、ジッと歯を食いしばっていた。
互いに動かず、緊迫した空気が少しの間流れていたのだが――――
「だぁぁぁ!」
突然、大きな声を上げて、私の頭から手を離すと、その手でいきなりグシャグシャに自分の頭を掻いた。
「ったくよぉ。俺がこんだけ言っても、おめぇは、真実を探そうとするんだろうよ。それで、自分の命が危なくなろうと、おめぇはそういう奴だ! それは、何回か、お前のケツ拭いてっから分かってんだよなぁ……」
そう。
私は、結構、融通が利かない頑固者。
今までも、ほっときゃいいのに、真実を解き明かさなきゃ気が済まない性格で。
自分が納得するまで、とことん調べ上げる。
そのせいで、何度か危ない目にも遭ったし、その度に、この強面な社長……名前を高瀬 守(たかせ まもる)と言うのだけれど、その名前の通りに守ってくれるんだ。
その安心感もあって、無茶な調査や動きが出来ていたんだが……
流石に、この案件だけはヤバそうだ。
そんなこと分かっていても、結局は動いちゃうのが私なんだけどさ。
「いいかぁ~? 米澤。ここからは、俺の独り言だぞ。なんでもなぁ。最近、あの施設のある島では、少々、病気が流行っているらしい。インフルエンザだの、マイコプラズマ肺炎だの、結核だの、色々噂されているんだがなぁ。で、どうやら、医師団と共に、救助活動という名目で、国防軍もあの島に入ったそうなんだ」
あの島で、伝染病?
確かに、老人ばかりが集まるあの島では、一人が何かの病気にかかれば、免疫力や体力が衰えている高齢者が感染しやすいのは、当たり前だ。
しかし、何故、国防軍まで来る必要が?
そんな、私の考えを察してか、社長は言葉を続ける。
「勿論、例え『伝染病』という、人間では制御出来ないものであっても、島全体に流行しては、せっかくの“楽園”のイメージが悪化する。だからこそ、ちょっとした事であっても、医師団や国防軍を、派遣し、政府は、全力で“楽園”の生活をバックアップするというアピールをする訳だ」
成程。
確かに、島の中の医療施設だけでなく、本土からも、支援を送る事で、孤立させた“島”の施設ではなく、“本土”の一部だと、安心感を与える事が出来る。
賢い選択だ。
「そして。そのアピールに必要不可欠な物と言えば、メディア操作」
ゆっくりと最後に紡がれた言葉に、思わず、ゴクリと喉を鳴らす。
「政府は自分達に不都合な事は隠しつつ、“いい所”だけを、マスコミに流させ、島に収容された人の家族達や、これから、収容される人達を安心させるよう、操作をする。その為に、また、一部の記者達を島へ派遣するそうだ」
その言葉に、思わず飛び付く。
「行かせてください!」
思うよりも先に体と口が勝手に反応し、社長の前で土下座して叫んでいた。
しかし、目の前の大男は、黙ったまま、微動だにしない。
私も、頭を床に付けたまま、その場から動かず、ただ、ひたすら先方の動きを待っていた。
小さな溜息の後、「頭を上げろ」と低い声で言った。
「……」
「黙ってんな。いいから、頭をまずあげろ」
二度目の声は、命令をきかない私に流石に苛立ちを覚えたのか、有無を言わせない、ドスのきいた声であったので、流石に、これ以上、怒らせるのはマズいと思い、顔を上げた。
すると、社長は、私の目の前に一枚の紙を差し出した。
その二つに折り曲げられた紙を受け取ると、再び、ゆっくりと話し出した。
「俺の知り合いに、政府のシステムセキュリティ管理をしている奴がいてな。たまたま、ソイツが、ちょっとした異変に気が付いたんだが、不正アクセスではなく、正規ルートでのアクセスだったものだから、その場では特に誰にも報告はしなかったんだ。ただ、妙にその件が気になって、何か問題はないか、個人的に細かく調べたそうなんだ」
「正規ルートなら、政府の人間がアクセスしたんですよね? それなら何も問題ないんじゃ……」
「確かに。ただ、おかしなことに、色々、仕掛けが施してあって、誰がアクセスしたのかが、分からなくなるような。そんな、変な細工がしてあったそうなんだ」
「え? そんな事する必要なんて……」
「政府の人間なら、必要ない筈なんだがな。ま、その細工が、システムを破壊したり、情報を流出したりする事が目的でも、ウィルスに感染させる事が目的でもなく、特に、サーバーや、システムに関しても、ましてや、機密事項に関わった形跡も皆無であり、全く問題はないものだったから、奴も、大事にして、面倒な事に巻き込まれたくないから、上には何の報告もしていないらしんだがな」
「じゃぁ、何が目的なんですか?」
「そいつも、異変自体はすぐに直したものの、誰が何の為に、そんな誰の得にもならないような事をしたんだろう? いむしろ、政治家で、こんなにもコンピューターに詳しい人間がいるのか? という好奇心から、そいつは犯人捜しをしたんだが……」
「誰だったんですか?」
思わず、勢いよく聞いてしまうと、「それが、ソコに書いてある」と低い声を出して、私が握っている、先程手渡してくれた紙を指差した。
目を大きく見開いて、手の中にあるソレを見つめていると彼は補足した。
「犯人は、多分、そこに書いてある人物の息子だろう」
その言葉に視線を紙から社長の顔に移す。
「その息子の親友に、これまた、興味深い人間がいる。」
どういう事だろうと、いらぬ相槌や横槍はいれずに、ただ、次の言葉を待つ。
「これは、俺の勘だが……俺よりも……いや。関係者以外で、あの計画の真実に一番近づいているのが、そこに書かれた人間の息子達なんだろうと、俺は睨んでいる」
獲物を狙う、猛禽類かのように鋭い光を放ちながら、ハッキリとした口調で言う時の社長の言葉は“勘”ではなく“確信”がある時。
そうなると、私がする事は……
「島へ行くのは、いつでもチャンスを作ってやる。まずは……」
「その子達と接触する事ですね?」
「あぁ。でも、覚えておけ。これは、あくまでも、俺の“独り言”だ」
「はい」
「今から、お前がする行動は、取材でも何でもない。あくまでも“個人”での行動だ」
「はい」
「よって……“有給”を使え!」
バシンッと勢いよく、肩を叩かれ、その痛みと優しさに涙ぐみながら、「はい!」と答えると、“仕方ねぇ奴だな……”と小さく呟きながら、ゆっくりと、私のデスクから離れていった。
そして、社長室に入ろうとした時、私に背を向けたままどっしりとした声を放った。
「お前は、うちの会社の従業員だ。有給といえど……“ホウレンソウ”だけは忘れるな」
その責任感のある声の中にある、ぶっきらぼうな優しさに、再び、目が潤みそうになるのを堪えた。
そして、まずは、社内の人間に迷惑をかけないよう、自分が抱えている仕事を終わらせる事に専念すると共に、入念な“下調べ”をしなくては……と思い、手に握る、たった一枚の紙切れをゆっくりと広げたのだった。
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