Parasite

壽帝旻 錦候

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episode 28

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 岡島さんの強い眼差しを受けた祖父が一度だけしっかりと頭を縦に振ると、彼は俺達を押しのけ、警戒しつつ通路から顏を出し、左右を確認した。

「誰もいませんね……。階段は一番危険ですから、お互いに注意しましょう。では、お先に」

 サッと飛び出していった彼の後に続き、俺の口からようやく手を放した祖父が続く。
 置いて行かれてはたまったもんじゃないと、一応念の為に左右を確認してから追い掛ける俺。
 階段部分で、岡島さんは下へ、俺達は上へ向かって急ぐ。
 いくら六十過ぎても鍛錬を忘れなかったとはいえ、基礎体力の部分では、俺のが断然上な筈なのに、階段を駆け上がりながら、祖父は、「大丈夫か?」と、すっ呆けたことを抜かす。

「はぁ? それより、じいちゃんの方がヤベーだろ。年寄りに階段はキツいって」

 年寄りには絶対に負けてられねぇ。
 そんな意地も手伝って、つい憎まれ口をきいてしまう。
 だが、そんな事を言って後悔するのは俺の方だった。

「そうか。わしが大丈夫なら、若いお前も大丈夫に決まっているな。目指すは最上階。五十階だ。頼むぞ」

 五十階と言えば、大昔の東京のシンボル。
 東京タワーの展望台までの高さだ。
 休みなく歩く程度で上るならまだしも、駆け上がるにしてはキツい。

「ちょ、まっ! じいちゃん、それ、早く言ってくれよ」

 上り始めた時の気合いはどこえやら。
 まだ四階部分だというのに、一気に疲れが押し寄せてきた気がした。

「ハッハッハッ。まだまだだな。まぁ、心配せんでもいい。この階段は普段、使われていない分、どうせ、すぐにわしらがここに居ることに気が付く輩がいる。そのうち足止めをくらうだろうから、いい休憩になる」

 冗談なんだか、本気なんだか分からない怖い事を言う祖父に、昔はこんな変な冗談を言うような性格だったか? などと、小首を傾げてみるものの、これも寄生虫による性格の変化なんだと思う事にした。
 流石に七階までくると、息があがり、しんどい。
 ゼェハァと呼吸の乱れが酷くなると、先を行く祖父が、全く息を切らさず振り返った。

「お前はゆっくり歩いてこればいい。歩きでも二十分もかかるまい」

 大好きで大事な祖父なのに、あの涼しい顏をギャフンと言わせてやりたい。
 寄生虫による効果なのだろうが、筋力や肺活量など、体内が劇的に変化しているとは思う。
 だが、見た目が祖父のまんまなのだから、なんだか、老人に負ける自分が情けなく感じてしまう。
 相手は超人になったのだと思えばいいだけの話なのだが、変なところで負けず嫌いのスイッチが入る俺は、流石にペースは落としたものの、それでも歩くというまでにはペースを落とさずに上っていく。
 中々いいペースだと自分でも思う。
 祖父はあの速さなら、俺が今二十階だから、三十から三十五階くらいの間か?
 空手の基礎訓練で、しょっちゅう階段ダッシュというものを日に何十回とやらされるが、休みもなく、下るという動作もなく、ただひたすら上がり続けるというのは、まさに苦行だと思っている時であった。
 上の方から、全身総毛立つ猛獣の雄叫びが響き渡った。

「今のはっ」

 嫌でも鼓膜に残っているおぞましい声。
 思い出したくもないシーンが、コマ送りのように脳裏を横切る。
 先に進んでいる祖父が危ないと分かっていながらも、その場で立ち尽くし、足を動かす事を忘れていた俺は、何かが鉄パイプで作られた手摺りにぶつかる激しい衝撃音で、我に返った。
 弾けたように駆け出す。
 心拍数が上がっているのも、息が苦しいもの、太腿の筋肉がパンパンに張っているのも。
 全部忘れ、頭が真っ白になった状態で、とにかく上に行かなくてはという思いだけで足が動いていた。
 後から思えば、これも火事場の馬鹿力の一種なのだと思うが、その時ばかりは自分の身体能力以上の力が発揮され、瞬く間に現場手前まで駆け付けた。
 そこには、俺が今まで見てきたものが、まだまだ可愛いもんだと思わされるぐらいのモンスターが、祖父のいる踊り場の一つ上の踊り場から睨むように見下ろしていた。

「克也っ! お前はそれ以上、上がってくるなっ!」

 祖父の元に駆け寄ろうとする俺を制止され、階段の途中で立ち止まる。
 モンスターと祖父との間の手摺に大きなヘコミがあるところをみると、どの階からは分からないが、上から降りて来た怪物と遭遇した祖父が、勢いよく体当たりされて階段から落ちたといったところだろう。
 体がデカいだけの化け物であれば、拳銃やナイフといった武器が使えるが、コイツにはそんなもの効かないというのが、見ただけでも分かる。

 顏の作りや形だけを見れば、一見、普通の人間に見えなくもない。
 けれど、牙を剥き出しにし、目を真っ赤に染めたその形相は異様であり、また、頭部に不釣り合いな体の大きさが、不気味さを増す。
 真っ黒に黒光りした体は、その光沢から遠目で見ても、鋼のように硬いだろうことが用意に想像出来る。

 体はタカシさんよりもデカく、階段もアイツ一匹通るのがギリギリ。
 あんなのが突進してきたら、避けようがない。
 かといって、階段を下りるのも、次の階で通路に出て、別のルートを探すにも、目の前の巨漢が必ず追い掛けて来る。
 あれだけ大きいんだ。
 どちらを選んでもすぐに追いつかれる。
 絶体絶命のピンチだ。

 タカシさんを相手にしていた時以上に、危機感が半端ない。
 ピンと張り詰めた空気が流れ、誰一人としてその場からピクリとも動けない。
 いつの間にか手摺りを握りしめていた手の平が、汗でぐっしょり濡れているのを感じる。
 息切れと運動によって上がった心拍数が、今度は息は整いつつあるが、別の意味で早鐘を打ち始めた。

 キュィ――――

「うぅっ!」

 今まで以上に激しい高周波音。
 脳に直接響くだけでなく、内側から頭蓋骨を震わせ、反響させるようなほど高くて大きい音に、頭を抱え、その場で崩れ落ち膝をつく。
 それでも、祖父と化け物の様子が気になり、頭を抱えたままウエストを捻り、腕と肩の隙間から斜め上を覗いた。
 俺がここに来てから一歩も動かず、充血した目で祖父を獲物だと認識したように鋭く睨みつけていた化け物の瞼が、ピクリと動いたような気がした。

 やはり、俺達人間に聞かれたくないものや特別な話は、寄生虫本体が直接鳴き声を出して行っているのだ。

 祖父の脳内にいる寄生虫が何を話しかけているのか分からないが、化け物の表情から感じ取れるのは、彼にとってかなり重要なものだというのが伺える。
 睨んでいた目を大きく見開き、上を向く。
 上といえば、俺達が目指している場所だ。
 宿主の体内を劇的に変化させた寄生虫は、宿主の脳を破壊し、寄生虫本体の自我や本能のままに餌であり、寄生先である人間を襲っていたのかもしれないが、この寄生虫は本来、女王を中心としたコロニーを形成しているのだから、女王を救出するという話しをすれば、優先順位が変わる。
 しかも、今、この鳴き声を発する事で化け物に、見た目は人間そのものであっても、中身は同じ仲間だというのを知らせることが出来たのだから、相手もきっと、闘う意志が無くなるだろうと思った時だった。

 俺だけじゃなく、祖父や化け物までもが頭を抱えるほどの大音量の超音波のような高音が鳴り響いた。
 耐えきれないというように、苦痛に満ちた悲鳴が轟く。
 上から下まで遮るものなく繋がった場所での大きな叫び声は、壁に反響し、建物全体に響き渡るんじゃないかと思うくらい凄まじく、頭に鳴り響く不快な高音との相乗効果で、脳ミソが爆発するかと思ったほど。
 壁に片手をつき、倒れないよう必死で堪える祖父の額には脂汗が滲み、こめかみがピクピク動いていたが、俺達以上に苦しんでいたのは、彼にとっては狭い踊り場で、左右の壁に身体を打ち付け、のたうち回っている化け物。

 もしかして、反逆軍が自分を助けにきたのを知った女王が、俺達を助ける為に、化け物となったモノたちを制御する鳴き声を発しているのか?

 痛みと騒音で回らなくなっている頭でそんな都合のいいことを思いながらも、早くこの音を止めてくれと、心の中で絶叫していた。

 いきなり鳴りやむ音。
 頭を抱え、音が止まるのをひたすら待っていただけなのに、激しいビートを刻む胸。
 真剣勝負で挑んだ試合の後よりも、全身を襲う倦怠感。

 だからといって、ここで気を抜くわけにはいかない。
 この先が、俺達にとっての本番だ。
 息をゆっくり吸い込み、大きく吐き出し顔を上げた。
 眉間に大きな皺を刻み、斜め上を咎めるような目で見つめる祖父の姿がそこにあった。

 え?
 和解したんじゃないのか?
 後から聞こえた音は、女王の鳴き声じゃないのか?

 彼の厳しく堅い表情からは、今の状況が決していいものではないということ。

「克也、正直に言おう。アレはもう駄目だ。わしが応戦している間にお前は隙を見つけて、上に駆け上がれ」

 覚悟を決めたような強張った声。
 こんな気持ち、この島に来てから何度も味わっていた。
 不安になり、声が震える。

「俺一人行ったって、何も出来ねぇよ」

 弱気な言葉を吐けば、祖父も一緒にこの場から逃げ、別ルートで上へと一緒に向かってくれるのではないかという微かな願いも虚しく、「所長は『普通』の人間だ。セキュリティが働いていない今なら簡単に所長室に入れる。今しかチャンスは無いんだ」と、あくまでも俺一人で向かえと告げられる。
 自分の力を誇示し、こちらに向かって脅すように吠えた化け物。
 その声は殺る気に満ち、その目は完全に俺達を敵とみなしていた。

「お前なら出来る」

 静かに放たれた言葉が俺の胸に刻まれた。
 一際大きな雄叫びが上がる。
 それが決闘の合図。
 体格差のありすぎる二体の個体が上からと下から、互いに間合いを詰める。
 本能のままに突進してくる巨体の脇に空いた小さな隙間を、祖父がスルリとすり抜ける。
 上から勢いよく下りて来た化け物は加速度が上がり、足を踏ん張る事が出来ずに真っ直ぐ壁に激突する。

 激しい衝突音と揺れ。

 鋼のように硬い体を持つ化け物に体当たりされたコンクリートは、巨大な鉄球がぶつかったかのように、大きなヘコミとひび割れを作る。
 ガラガラと崩れ落ちるコンクリートの破片。
 それらが床に届く前に、超人と化した祖父は先程まで化け物がいた場所まで駆け上がり、腰ベルトから黒い棒状のものを抜いた。

 持ち手の部分にあるスイッチを押すと、その棒は三倍に伸びる。

 警棒のような形状のソレを片手に、祖父は踊り場の端を蹴り、化け物に向かって飛び降りた。
 俺のことなど雑魚だと思っているであろう化け物は、こちらの方など見向きもせずに、背後を振り返るが、既に遅し。
 棒を振り上げ、唯一人間らしさの残る頭部に向かって、一気に振り下ろした。

 バチバチバチッという激しく高圧の電流が流れる音。

 祖父の全体重に落下速度や重力が加わり、ただでさえ頭に打ち付けられた棒の威力は増している上に、電流が流れる仕組みまで施されているとあっては、たまったものではない。
 電流は血液をつかって体中を流れる。
 体の中に生息している寄生虫に直接攻撃出来ている可能性もある。

 肉体は大丈夫でも、寄生虫本体にはダメージが与えられたのではないか?

 その考えを肯定しているかのように、ビリビリと小刻みに震えたまま、その場から動かなくなった化け物。

 これはもしや、祖父の勝利確定ではないのか?

 湧き上がる興奮が抑えきれず、格好良く、化け物の横に着地した祖父に駆け寄ろうとするも、「来るなっ! 早く上へっ!」と大声で怒鳴られる。

「え?」
「この化け物には、人間の言葉は理解できん。いいか、今から言う数字だけを覚えて駆け上がれ」

 あまりの剣幕に思わず体がビクリと震えた。
 動きを止めたままの化け物の体に棒を接触させたまま、祖父は俺の方を横目で見た。

「よんまるいちろくにぃさんさんきゅうだ。いいか、40162339。頭に叩き込めっ」
「よん、まる、いち、ろく、にい、さん、さん、きゅう」

 何度も何度も繰り返し口の中で唱える。

「行くんだっ!」

 突き刺すような鋭い声に反応し、弾けるようにして足が動く。
 祖父に棒一つで押さえ付けられている化け物の横を通り過ぎ、上へ上へと向かう。
 聞こえるのは自分の足音と呼吸だけ。
 視界に入るのは、自分の進行方向に向かって続く階段のみ。
 自分のすべき役目に集中した俺は、ただひたすらがむしゃらに腕を振り、太腿を振り上げ続けた。
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