姫の駆け落ちを助けた護衛騎士ですけど、代わりに結婚するとか聞いていないのですが。

朝顔

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第一章

闇から生まれし光

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 変な事件に巻き込まれたが、次の日になれば、それよりも重い現実がやってくる。キリルから聞いた話をアナスタシアに伝えると、彼女は人目も憚らず泣き崩れた。アナスタシアが傷つかないように言葉を選んだつもりだったが、結論は同じだ。
 アナスタシアはしばらく泣いた後、緊張の糸が切れてしまったかのように何も話さなくなり、部屋に閉じこもった。アルフレッドも休みを取っているらしい。
 どうしようもない現実。これが定められた運命。そう納得するしかない。
 ステファンはアナスタシアの部屋の前に立ち、床を見ながら手を強く握った。
 アナスタシアが部屋から出ない時は訓練時間となる。ステファンは気を紛らわせるため、騎士の訓練施設へ向かった。剣を振れば多少は気持ちが軽くなるはず。そう思い素振りを繰り返したが、胸の重さは変わらない。
 近くの椅子に座り休息を取っていると、他の騎士達の話し声が聞こえてきた。宮殿内では、リュシアンとアナスタシアの婚約の話でもちきりだ。騎士達の弾んだ声に耳を傾ける。
「……それが、離宮の方が騒がしいから、もうこっちへ来ているって聞いたよ」
「いくら政略結婚でも、顔合わせくらいする必要があるからなぁ」
「本宮殿でパーティーの準備が……」
 もう来ている、という話から、それがリュシアンのことだと推測できる。顔合わせやパーティーの予定までありそうな話が聞こえてきた。
 ここまで来たら、もう決まりと言っていい。そもそも、アナスタシアに拒否権などない。せめて、どんな人物なのか知りたいが、北部人に知り合いがいない。貴族学校時代も彼らは北部人同士で集まり、他の人間を寄せ付けなかった。
 どうやって情報を得ようかと考えていると、ステファンは上司に呼び出された。そこでリュシアンがすでに首都へ入り、離宮に滞在中だという話を聞く。そして、今夜、急遽二人の顔合わせがあると聞き、緊張が一気に高まった。
 アナスタシアの部屋に行くと、彼女は次々と持ち込まれるドレスを着せられていた。人形のように生気が抜けた顔に、華やかなドレスは合わない。しかし、帝国の権威を示すため、一番豪華なドレスが選ばれた。
 アナスタシアが纏う最高級のジュエリーは、全て姉達のものだ。化粧を施し、着飾ったアナスタシアは、誰が見てもため息が出るほど美しくなった。きっと、リュシアンも一目見ればアナスタシアを気にいるだろう。誰もがそう信じて疑わなかった。
 夜の帳が下り、離宮のパーティー会場では、リュシアン大公の歓迎パーティーが開かれた。もちろん、これはリュシアンとアナスタシアの顔合わせのためだ。
 パーティーが始まる前、別室で初めて顔合わせが行われる。
 リュシアンが待つ部屋へ移動するため歩いていると、廊下の途中でアナスタシアはピタリと足を止めた。
「やっぱり、行きたくない」
「姫様……」
「何度も考えたけど、私には無理よ。リュシアン様がどんな方でもこの気持ちは変わらないわ。とにかく今日は無理。寒気がして頭が痛いの」
 自らの肩を抱いたアナスタシアは、ブルリと身を震わせる。今夜のパーティーに皇帝は参加しないが、大事な席であるから、必ず連れて行くように言われていた。しかし、アナスタシアはもう一歩も進まないという強い意志で、体を硬くし歯を食いしばっている。
 これ以上は無理だと判断したステファンは侍女を呼び、皇女宮に帰らせるよう声をかけた。
「体調不良、ということにしましょう。これから北部の担当者に伝えに行って参ります」
「ステファン……ありがとう。でも大丈夫なの? 貴方が怒られたら……」
「このくらいのことは上手くできます。その代わり、部屋で大人しくお休みください」
 そう言って手を胸に当て、ステファンが頭を下げると、アナスタシアは心配そうに振り返りながら、来た道を戻って行った。そんな風に気にかけてくれただけで、ステファンには十分だった。
 正直なところ、相当ヤバい状況ではあるが、何度も戦場を経験した身、上手く解決して見せると腹を決めるしかない。
 一歩進む毎に体が重くなり、北部側の控え室まで来ると、重圧で床にへばり付きたい気分になった。北部人達に、どう説明をすれば納得をしてもらえるのか。まずは今夜をやり過ごさないといけない。
 緊張が最高潮に達し、ノックをするため手を上に持ち上げた時、バタンと音がして、向こうからドアが開いた。
「わっ!」
「わっっ、ビックリした。すみませんでした。……ええと、皇女殿下の騎士の方ですね」
 ドアから飛び出してきたのは、リュシアン大公の侍従をしているギルバートという名の男だった。直接話はしていないが、警備の関係で事前に顔合わせは済ませている。凄腕の騎士を思わせる筋骨隆々の大きな男で、思わず圧倒されてしまう。次の瞬間、血相を変えたギルバートの口から放たれた言葉に、ステファンは耳を疑ってしまった。
 
 
 月明かりの下、パーティー会場から軽快な音楽が流れているが、出席者の誰もが困惑しているに違いない。皇女宮への近道である、離宮の庭園を横切りながら、ステファンは会場の建物を見上げた。
 どうしてこんなことになっているのか。良かったのか、悪かったのか、それすらも頭から抜けてしまい、ただ茫然と歩いている。
 少し前、死地に行くような気持ちで北部側の控室に向かったステファンだったが、部屋から出てきたリュシアンの侍従に頭を下げられた。謝罪するのは自分の方なのに、おかしい展開になり、何度も目を瞬かせた。
 聞けば、リュシアン大公は、パーティーには参加しないと言い、控え室から出て行ってしまったらしい。気まぐれな人なのだろうかと驚いたが、みんな大慌てで大公を探し回っており、こちらとしては、救われる展開であった。
 おかげでただ謝られるばかりで、こちらの非礼を伝えることなく帰された。まさか向こうから不参加を申し出てくれると思わなかった。首の皮一枚は繋がったなと思い、ステファンは頭をかく。
 もしかしたら、リュシアンの方も気が乗らず、政略結婚によけいな根回しは不要だと思っているのかもしれない。
「……とても幸せになれるとは思えないな」
 結婚後に仲良くなる夫婦もいると聞くが、冷え切った関係が想像できて、ますますステファンの胸は痛くなる。
 下を向きながら歩くステファンは、自分の手を見つめた。訓練の繰り返しでマメができたため、皮が硬くなり、指の腹がボコボコと浮き上がっている。人からは気持ち悪がられることも多いが、アナスタシアだけは、いい手だと言ってくれた。
 アナスタシアには幸せになってほしい。
 自分ができることはないのか。
 悔しさに歯を食いしばった時、厚い雲が消えたのか、辺りが急に明るくなる。今夜は満月なのだろうかと顔を上げると、キラキラと輝くものが目に入った。
 満月の光が落ちてきたのかと思い、ステファンは目を擦る。再び目を開けると、輝きはいっそう強く見えて目を細めた。
 ステファンの前方に人の後ろ姿が見える。腰まで伸びた銀色の長い髪が、月明かりを浴びて眩しいくらいに光っていた。あまりの美しさに女性かと思ったが、それにしては背が高い。ゆったりとした服装だが、大きな肩幅と、しっかりした体格が見て取れる。
 繊細な刺繍が施されたガウンのような服だ。特徴的な格好と、長い髪から彼が北部人だということはすぐに分かった。北部人にとって帝都は暑く、滞在中は薄い衣を好んで着ること。そして、男性でも高貴な身分の人間は長い髪をしていると聞いたことがある。
 息を飲むような美しさ。その言葉を聞いたことはあったが、本当にそう感じるのは初めてだった。ステファンがゴクリと唾を飲み込むと、男がこちらに気がついたように振り返るのが分かる。
 高貴な身分の相手なら無礼に当たる。ステファンは急いで頭を下げ、手を胸に当てた。
「失礼しました。私は帝国軍第一隊所属の皇宮騎士です。こちらに人がいるとは思わず、確認せずに入ってしまいました。すぐに戻ります」
「待て」
 ステファンが踵を返そうとすると、男に制止される。気位の高い相手なら面倒なことになる。ステファンは大人しく足を止めた。
「ちょうどよかった。探していたんだ」
「……? 誰かとお間違えでは?」
「いや、君だよ。町の警備隊だと言っていたのに。その制服、第一隊の皇宮騎士なら選り抜きじゃないか」
 何のことを言っているのかと、思わずステファンは顔を上げる。顔を見れば人違いだと言われるだろう。
「あの腕で一般兵のはずがないとは分かっていたが、そちらから来てくれるなら探す手間が省けた」
 視線を男の胸元から顔へ移動し、目元まで移ったところで、ステファンはアッと声を上げる。優美な後ろ姿に似合うような美しい顔立ち。口角が上がり形のいい唇に高い鼻梁、くっきりと強く印象的な目元には、夕焼けの空を思わせる赤い瞳が浮かんでいた。
「あ、あ、貴方はあの時の!? ばっ……」
 バカ息子と言いそうになり、ステファンは慌てて口に手を当てる。帝都をよく知らない北部人なら、危険な夜道に入り込んでしまったのも頷ける。
「きちんと礼が言いたくてね。あの時は助かったよ。ありがとう」
「い……いえ、そんなっ。私も面倒事を避けたくて、ちゃんと所属を明かしていませんでしたし……」
「本当に助かったんだ。ちょうど新しい剣を手に入れたばかりで、どうしても使いたくて疼いていた。ステファンが来てくれなければ、サビ落としに時間を取られるところだった。カルシフは対魔獣に特化しているから、人の血に弱いんだ」
 ステファンが瞬きをした間に、男は音もなく移動して目の前に立っていた。あまりの速さに驚きで息を吸い込む。言っていることも理解できなくて、警戒より混乱が勝って体が動かなくなる。
「……なるほど、よく訓練された体だ。こんなところに置いておくのは惜しいな」
「あの……貴方は……?」
 力量を確認するためか、男はステファンの腕に触れてきた。混乱が増し、振り払うこともできず、ステファンは男の顔を見上げる。近くで見ても、芸術品のように美しい男。赤い瞳は珍しく、気味が悪いと言う人もいるが、ステファンには魅力的に映った。
「ああ、申し遅れた。リュシアン・アドラーだ」
「えっ……!? あど……た、大公殿下! 大変失礼いたしました!」
 目の前の男がリュシアンだと分かり、ステファンは慌てて膝を地面に付けた。考えれば、大公家の一行が滞在するこの離宮で、高貴な人間と言えば一番先に思いつく人だ。バカ息子などと言い、説教してしまった自分が恐ろしく、顔から地面へ落ちそうになる。
「かしこまらないでくれ。今は個人的な時間だ」
 そう言ってリュシアンの手が目の前に下りてきたので、ステファンは緊張と混乱で顔面蒼白になる。
「さぁ掴まって」
「まっ、まさか! 畏れ多いです! 私の汚い手など……」
 手を振って遠慮しようとしたが、リュシアンはその手を掴み、軽々と引き上げた。
「汚くなどない。よく訓練された立派な手じゃないか。もっと誇りに思うべきだ。俺には特別に美しく見える」
「う……美しい、だなんて……」
 それは貴方のための言葉だろうと、ステファンは頭の中で呟く。
 手を褒めてくれたのは二人目だ。アナスタシアと、人とは思えない容姿をしたこの男。
「申し訳ないのですが、皇女殿下の警護任務がありますので……」
「皇女? どの皇女だ?」
「第四皇女のアナスタシア様です」
「ああ、俺の婚約相手だな」
 顔合わせはすっぽかしたが、婚約者が誰かは頭に入っているらしい。なぜ、来なかったのか聞きたかったが、リュシアンの目があまりに鋭くて言葉が出てこない。感情を少しも読み取ることができない。ピリピリと体に走る緊張は、まるで魔獣を相手にしている時のようだ。
「仕事に真面目なんだな。そこも気に入った」
 やっと手を放されたので、ステファンはジリジリと後ろに下がる。警戒しているステファンの様子を見て、リュシアンは面白いという顔で笑う。
「失礼します!」
 とにかくここから離れないといけない。本能的にそう感じたステファンは、頭を下げてから今度こそ踵を返す。
「ああ、またな」
 去り際に声をかけられ、再びその場で頭を下げてから今度こそ足を速める。なんでこんなことになったのか、自問自答しながら、ステファンは夜の闇中を走り続けた。


 
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