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本編
⑫グレイスと恋
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□□□
あの人に初めて会ったとき、
私は恋をしてしまった。
私に言い寄ってくるような男とは、何もかもが違った。
洗練されていた、話し方、手つき、優しげな眼差し、その全てが私の渇いた心を潤した。
だから悲しかった。あの人に嫌われなければいけないことが、何より辛かった。
妹を産んですぐ、母は家を出ていってしまった。私はお父様にいつも、お前のせいで、母は家を出たと言われてきた。
お前に人生を狂わされたから、その責任を取れと言われてきた。
あの人と結婚しろと言われたときも、素直に従った。それ以外、方法を知らなかった。
あの人との、契約。それは婚姻期間は五年で終了するというもの。
契約はあの人の方で、好きにしていいと言った。どうせ、切れることになるのだから。
お互いの恋愛に口を出さない事、そうやって、あの人が近づいて来ないようにした。
当時、傾いた状態で事業を引き継いだあの人が、どこまで出来るか分からなかったので、父は、失敗した時は、土地をたくさんもらうつもりでいた。
お父様からの命令は、あの人に嫌われるように、とにかくたくさんの男性と付き合うこと。
しかし、体は許してはいけないことだった。
男性達は、最初は皆、優しかった。束の間の夢を見させてくれた。見せかけの安物のプレゼントを貰っても嬉しかった。
そのうち、体を求められるようになると、もう、関係は終わりだった。
向こうも、わざわざ人妻と付き合うのに、体の関係になれないなら、付き合う必要がないと、皆、そういう話になった。
男性達に、別れを告げられる度、私の心はボロボロになっていった。
いつになったら、お父様は許してくれるのか。
そして、五年経って、本当に愛する人に別れを告げられたら、私はもう壊れてしまうと思った。
そうして、五年経とうとしていたあの日、付き合っていた男にまた捨てられた。
優しい人だった。体の関係がなくても、構わないと言ってくれた、初めての人だった。
けれど、家族の反対にあって、その人は家族を選んだ。
次は、あの人に別れを告げられる。そしたら今度は別の男と結婚させられるだろう。
もうこれ以上、耐えられなかった。
満月の夜、私は神に願った。どうか、私の全てを終わらせてくださいと。
すると、私の中に光が見えた、私とは全然違う、強くて眩しいくらいの輝きだった。
私はその輝きに全てを託した。
どうか。
私の世界をその輝きで照らしてください。
私が、出来なかったことを、きっと叶えてください。
私もその世界の輝きの中で、一緒に見守っています。
どうか。
どうか。
愛する人たちを、どうか救ってください。
そうして、私は、その輝きの中に、吸い込まれるようにして、溶けていきました。
□□□
あれから何時間経ったのだろう。外はすっかり、暗くなって、部屋の中は完全に闇に包まれた。
風吹かれて木の枝が、窓に当たっているような、微かな音がして目を開けた。
それは、扉の方から聞こえてきて、扉はわずかに、揺れていた。
「誰かいるの?」
扉の揺れは収まって、小さく話す声がしたので、急いで近寄っていった。
「お姉さま、やはり、こちらにいるのですね」
その声はテレシアだった。周りを気にしているのか、声はやっと聞き取れるくらいに、抑えてあった。
「テレシア、あなた、無事なの?酷いことされていない?」
「私も、部屋に閉じ込められていました。でも、いつも逃げ出しているので、今日も首尾よく脱出してきましたわ」
さすが、主人公である。逆境でも図太く生きていけるように出来ている。
「ここに来て大丈夫なの?誰かに見つかったりしない?」
「実は、モンティーヌ伯爵が来ていて、屋敷の中は大混乱なんです」
「え……、アルヴィンが……」
その名を聞いただけで、闇の中に光が見えたように、明るくなった。
(私が帰らないから?離縁状を渡されても、来てくれたのは……なぜ……)
「お姉さま、ちょっと扉から離れていてくださいね。この部屋は特にコツがいるんです」
(もう、なんでもいい……、会いたい)
扉が上下にガコガコ動いたと思ったら、ドカンと音がして、そのまま、扉が下に豪快に落ちた。
蝋燭のランプが置かれて、ぼんやりと薄明るい廊下に、木の棒を手にしたテレシアが立っていた。
「お姉さま!良かった!」
「テレシア、無事ね。というか、逞しいわね、棒なんて振り回して」
「この扉を開けるのに必要なんです!」
テレシアは、涙目で飛び付いてきた。
「お姉さま、ごめんなさい。私のせいで、巻き込んでしまって」
「違うのよ。テレシアのせいじゃないわ。これは、私の問題でもあるのよ」
テレシアは、ハッと気がついたように、顔を上げた。
「お姉さま、早く一階へ行って下さい。みんな集まっています!」
「テレシアは?一緒に……」
「私は大丈夫です!さっ!早く!」
テレシアに急かされ、背中を押されて、勢いそのままに、一階へと走った。
「だから、グレイスは、ここにはいないと言っているだろう!来てすぐ帰った。いつものように、他の男のところにでも行っているんだろう!」
玄関では、お父様の怒鳴り声が響いていた。
お父様のまわりには、がらの悪い使用人達がいて、対峙しているのは、アルヴィンと、隣に男の人がいて、後ろには王都の兵士まで来ていた。
「兵士まで連れてきて、どういうつもりだ!私は何もしていないぞ!勝手に敷地に入ったのはお前達だ!おい!兵士共、こいつらを連行しろ!」
無茶苦茶なことを、言い出したので、いったん隠れて、様子を窺っていたが、さすがに出ていこうとしたら、アルヴィンが口を開いた。
「ファンデル子爵。あなたは、グレイスの父親なので手荒な事はしたくなかったが、彼女の身に危険が及べば話は別です。グレイスが屋敷に入ってから、出て来ていない事は、確認しています」
「ちっ、ならば、離縁状は届いただろう。あれの意思だ。五年の約束は忘れていないだろう。さっさとサインをして、離縁すれば良いだろう」
アルヴィンは、はははっと怒った顔で笑った。なんだか、いつもの顔とは違う、鋭い目をしていて、あんな顔もするのかと、ちょっとドキッとした。
「婚姻時の取り決めの事ですか?それに関しては、ちゃんと契約書にしてあるんですよ。五年経過した後、私の意思で婚姻の継続か否か判断する、とね」
「な!?どういう……」
「つまり、グレイスが離縁したいと願っても、私がだめだと言えば、だめだという事です。私にその意思はない、と言うことは、この離縁状は無効です。しかも本人の同意なく作られたものなら、偽造したという事になりますね」
「なっ……!!」
「しかも、私の同意なく、勝手に妻を閉じ込めて、屋敷から出さないのであれば、誘拐したと訴えることも出来ますよ!さぁ早く!グレイスを返すんだ!」
お父様は、真っ赤になって怒り、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
ここでアルヴィンの隣にいた男性が、二人の間に入った。
「さて、そろそろ、俺の出番だな。ファンデル子爵、あなたには、収賄と人身売買の容疑がかかっている。大人しく王都まで来てもらおう」
突然の宣告に、お父様は真っ白になって、泡を吹きそうになった。
「なっ…なんの話ですか!?私はなにも……」
「息子の方は認めたぜ。国から仕事を得るために、贔屓している議員に金を積んだり、ずいぶんと後ろ暗い商売にも手を出していたな、それが、バレそうになって、脅されて借金とは……、かつて多大な資産を築いた男が落ちたもんだ」
「………サイモン公爵。貴様も噛んでいたか」
兵士達が一斉に動き出し、お父様と使用人達も一緒に捕まって、連れていかれた。
「サイモン、私はグレイスを!」
「ああ、ここは任せてくれ」
慌ただしさの残る玄関で、アルヴィンが走り出そうとしていた。二階に隠れていたので、駆け付けたかったのだか、安心したからなのか、足に上手く力が入らなかった。
「アルヴィン、アルヴィン、私はここです。すみません、動けなくなってしまって」
何とか絞り出した声が聞こえたようで、一階にいたアルヴィンと目が合った。
「グレイス!」
すぐに走って上がってきたくれたアルヴィンに、強く抱き締められた。
「アルヴィン、約束通り帰れなくて、ごめんなさい」
アルヴィンの腕の力はますます強まるばかり、絶対に離さないというような、しっかりとした強さを感じた。
「部屋に閉じ込められていましたが、テレシアが助けてくれて、ここまで来られました」
先ほどから、アルヴィンは、抱き締めるばかりで、一言も話してくれない。一人で話しているような感じになっている。
アルヴィンは、こんなことになって、大変な思いをして、すごく怒っているのかもしれない。だんだん不安になってきた。
「……アルヴィン、ごめんなさい」
「……どうして、グレイスが謝るの?」
「こんなことに巻き込んでしまって……」
「グレイスのせいではない。詳細はマルクから聞いたよ。私自身、ちゃんと君と向き合ってこなかった。君の言葉を鵜呑みにして、君はずっと子爵の言いなりになっていたのに、気づいてあげる事が出来なかった」
「アルヴィン……」
「君はひとりで戦っていたのに……、私は何も助けてあげられなかった。自分の不甲斐なさに、これほど腹が立つことはない」
「そんなことないです。今こうして来てくれたから、それで私は助けられました。それだけで、もう十分です」
ガチガチに固められていた腕が、緩んできて、やっとアルヴィンの顔を見ることが出来た。
月明かりに金色の髪は光り、緑の瞳は不安と悲しみの色が宿っていた。
心配させないようにと、にっこり笑ってみたら、アルヴィンは何か驚いたように、目を見開いて、今度は怒っているような顔になった。
「グレイス!口が切れているじゃないか!頬も腫れている!」
「あぁ、そうですね。でももう痛みは……」
「アイツ!グレイスを叩いたのか!許せない!死ぬまで殴ってやる!」
アルヴィンから、いきなり物騒な言葉が出たので、ビックリしたが、慌ててとにかく落ち着かせる。
「アルヴィン、怪我は大したことないですよ。それより、そんな事をして、アルヴィンの手を汚して欲しくないです。それに機会があれば、一発殴るのは私の役目ですよ」
「グレイスが?」
怒りに飲み込まれそうだったアルヴィンが、急に熱を奪われたように、ポカンとなった。
「そうです。私は閉じ込められていたとき、燃えていました。一発殴らないと気が収まりません!まっ、捕まってしまったみたいなので、今度会えたらですけど、その時は、私に譲ってくださいね」
ポカンと口を開けて、力が抜けたアルヴィンの後ろで、あはははっと、笑う声が聞こえた。
「なかなか、面白い女性じゃないか。頼もしくて、実に羨ましい。あっ、初めまして、俺は、クロード・サイモン。アルとは腐れ縁というか旧知の仲ってやつかな」
先ほど、お父様と対峙していた、もう一人の男性だ。どうやらアルヴィンの友人のようだ。
赤毛にシオンと同じ、ハシバミ色の瞳をしている。王家に近い方なのかもしれない。
足に力も入るようになったので、慌てて立ち上がり礼をした。
「あ…すみません、ご挨拶が遅れました。初めまして、グレイス・モンティーヌです。あの、私事に、ご協力頂いたみたいで、ありがとうございました」
「いえいえ、そこの、情けない男に、おいおい泣いて頼まれたもんで、馳せ参じたわけですので、お気になさらずに」
「クロード!おまっ…!ふざけるな!」
「本当はもっと、色々コイツの面白い話をしたいところなんだけど、もう遅くなるし、そろそろ、この館から出ないかい?崩壊しそうで怖いんだけど」
「そうだ!テレシア!あの子が…!」
「お姉さま、私はこちらです!」
テレシアを、置いてきたことに、気がついた時、テレシアの声がした。廊下を走って来たテレシアは、知らない男性と一緒だった。
黒髪、細目で地味な印象だが、とんでもなく、人が良さそうな顔の……。
「ああっ!あなた!イーサンでしょ!」
「はっ、はい!そうです!……もうずいぶん前ですが、一度お目にかかりましたね。イーサン・スミスです。覚えて頂いていたみたいで光栄です」
突然名前を呼ばれたイーサンは、ちょっと困惑顔だった。
アルヴィンの物言いたげな、視線を感じて、子供のように、叫んでしまったことに、気がついて、恥ずかしくなった。
とりあえず、屋敷の中は、調べが入る事になったので、テレシアはイーサンの家へ行くことになった。
のんきに手を振っていたら、アルヴィンに後ろから腕を掴まれて、馬車に乗せられた。
お父様とアルヴィンの話を思い出していた。
アルヴィンは、その意思はないと言っていた。あれは、言葉通り受け取っても良いものなのか。
それとも……。
だんだんと深い夜に向かっていく中、これから屋敷に帰れるという事が、闇を照らす希望となって、見えたのであった。
□□□
あの人に初めて会ったとき、
私は恋をしてしまった。
私に言い寄ってくるような男とは、何もかもが違った。
洗練されていた、話し方、手つき、優しげな眼差し、その全てが私の渇いた心を潤した。
だから悲しかった。あの人に嫌われなければいけないことが、何より辛かった。
妹を産んですぐ、母は家を出ていってしまった。私はお父様にいつも、お前のせいで、母は家を出たと言われてきた。
お前に人生を狂わされたから、その責任を取れと言われてきた。
あの人と結婚しろと言われたときも、素直に従った。それ以外、方法を知らなかった。
あの人との、契約。それは婚姻期間は五年で終了するというもの。
契約はあの人の方で、好きにしていいと言った。どうせ、切れることになるのだから。
お互いの恋愛に口を出さない事、そうやって、あの人が近づいて来ないようにした。
当時、傾いた状態で事業を引き継いだあの人が、どこまで出来るか分からなかったので、父は、失敗した時は、土地をたくさんもらうつもりでいた。
お父様からの命令は、あの人に嫌われるように、とにかくたくさんの男性と付き合うこと。
しかし、体は許してはいけないことだった。
男性達は、最初は皆、優しかった。束の間の夢を見させてくれた。見せかけの安物のプレゼントを貰っても嬉しかった。
そのうち、体を求められるようになると、もう、関係は終わりだった。
向こうも、わざわざ人妻と付き合うのに、体の関係になれないなら、付き合う必要がないと、皆、そういう話になった。
男性達に、別れを告げられる度、私の心はボロボロになっていった。
いつになったら、お父様は許してくれるのか。
そして、五年経って、本当に愛する人に別れを告げられたら、私はもう壊れてしまうと思った。
そうして、五年経とうとしていたあの日、付き合っていた男にまた捨てられた。
優しい人だった。体の関係がなくても、構わないと言ってくれた、初めての人だった。
けれど、家族の反対にあって、その人は家族を選んだ。
次は、あの人に別れを告げられる。そしたら今度は別の男と結婚させられるだろう。
もうこれ以上、耐えられなかった。
満月の夜、私は神に願った。どうか、私の全てを終わらせてくださいと。
すると、私の中に光が見えた、私とは全然違う、強くて眩しいくらいの輝きだった。
私はその輝きに全てを託した。
どうか。
私の世界をその輝きで照らしてください。
私が、出来なかったことを、きっと叶えてください。
私もその世界の輝きの中で、一緒に見守っています。
どうか。
どうか。
愛する人たちを、どうか救ってください。
そうして、私は、その輝きの中に、吸い込まれるようにして、溶けていきました。
□□□
あれから何時間経ったのだろう。外はすっかり、暗くなって、部屋の中は完全に闇に包まれた。
風吹かれて木の枝が、窓に当たっているような、微かな音がして目を開けた。
それは、扉の方から聞こえてきて、扉はわずかに、揺れていた。
「誰かいるの?」
扉の揺れは収まって、小さく話す声がしたので、急いで近寄っていった。
「お姉さま、やはり、こちらにいるのですね」
その声はテレシアだった。周りを気にしているのか、声はやっと聞き取れるくらいに、抑えてあった。
「テレシア、あなた、無事なの?酷いことされていない?」
「私も、部屋に閉じ込められていました。でも、いつも逃げ出しているので、今日も首尾よく脱出してきましたわ」
さすが、主人公である。逆境でも図太く生きていけるように出来ている。
「ここに来て大丈夫なの?誰かに見つかったりしない?」
「実は、モンティーヌ伯爵が来ていて、屋敷の中は大混乱なんです」
「え……、アルヴィンが……」
その名を聞いただけで、闇の中に光が見えたように、明るくなった。
(私が帰らないから?離縁状を渡されても、来てくれたのは……なぜ……)
「お姉さま、ちょっと扉から離れていてくださいね。この部屋は特にコツがいるんです」
(もう、なんでもいい……、会いたい)
扉が上下にガコガコ動いたと思ったら、ドカンと音がして、そのまま、扉が下に豪快に落ちた。
蝋燭のランプが置かれて、ぼんやりと薄明るい廊下に、木の棒を手にしたテレシアが立っていた。
「お姉さま!良かった!」
「テレシア、無事ね。というか、逞しいわね、棒なんて振り回して」
「この扉を開けるのに必要なんです!」
テレシアは、涙目で飛び付いてきた。
「お姉さま、ごめんなさい。私のせいで、巻き込んでしまって」
「違うのよ。テレシアのせいじゃないわ。これは、私の問題でもあるのよ」
テレシアは、ハッと気がついたように、顔を上げた。
「お姉さま、早く一階へ行って下さい。みんな集まっています!」
「テレシアは?一緒に……」
「私は大丈夫です!さっ!早く!」
テレシアに急かされ、背中を押されて、勢いそのままに、一階へと走った。
「だから、グレイスは、ここにはいないと言っているだろう!来てすぐ帰った。いつものように、他の男のところにでも行っているんだろう!」
玄関では、お父様の怒鳴り声が響いていた。
お父様のまわりには、がらの悪い使用人達がいて、対峙しているのは、アルヴィンと、隣に男の人がいて、後ろには王都の兵士まで来ていた。
「兵士まで連れてきて、どういうつもりだ!私は何もしていないぞ!勝手に敷地に入ったのはお前達だ!おい!兵士共、こいつらを連行しろ!」
無茶苦茶なことを、言い出したので、いったん隠れて、様子を窺っていたが、さすがに出ていこうとしたら、アルヴィンが口を開いた。
「ファンデル子爵。あなたは、グレイスの父親なので手荒な事はしたくなかったが、彼女の身に危険が及べば話は別です。グレイスが屋敷に入ってから、出て来ていない事は、確認しています」
「ちっ、ならば、離縁状は届いただろう。あれの意思だ。五年の約束は忘れていないだろう。さっさとサインをして、離縁すれば良いだろう」
アルヴィンは、はははっと怒った顔で笑った。なんだか、いつもの顔とは違う、鋭い目をしていて、あんな顔もするのかと、ちょっとドキッとした。
「婚姻時の取り決めの事ですか?それに関しては、ちゃんと契約書にしてあるんですよ。五年経過した後、私の意思で婚姻の継続か否か判断する、とね」
「な!?どういう……」
「つまり、グレイスが離縁したいと願っても、私がだめだと言えば、だめだという事です。私にその意思はない、と言うことは、この離縁状は無効です。しかも本人の同意なく作られたものなら、偽造したという事になりますね」
「なっ……!!」
「しかも、私の同意なく、勝手に妻を閉じ込めて、屋敷から出さないのであれば、誘拐したと訴えることも出来ますよ!さぁ早く!グレイスを返すんだ!」
お父様は、真っ赤になって怒り、今にも飛びかかりそうな勢いだった。
ここでアルヴィンの隣にいた男性が、二人の間に入った。
「さて、そろそろ、俺の出番だな。ファンデル子爵、あなたには、収賄と人身売買の容疑がかかっている。大人しく王都まで来てもらおう」
突然の宣告に、お父様は真っ白になって、泡を吹きそうになった。
「なっ…なんの話ですか!?私はなにも……」
「息子の方は認めたぜ。国から仕事を得るために、贔屓している議員に金を積んだり、ずいぶんと後ろ暗い商売にも手を出していたな、それが、バレそうになって、脅されて借金とは……、かつて多大な資産を築いた男が落ちたもんだ」
「………サイモン公爵。貴様も噛んでいたか」
兵士達が一斉に動き出し、お父様と使用人達も一緒に捕まって、連れていかれた。
「サイモン、私はグレイスを!」
「ああ、ここは任せてくれ」
慌ただしさの残る玄関で、アルヴィンが走り出そうとしていた。二階に隠れていたので、駆け付けたかったのだか、安心したからなのか、足に上手く力が入らなかった。
「アルヴィン、アルヴィン、私はここです。すみません、動けなくなってしまって」
何とか絞り出した声が聞こえたようで、一階にいたアルヴィンと目が合った。
「グレイス!」
すぐに走って上がってきたくれたアルヴィンに、強く抱き締められた。
「アルヴィン、約束通り帰れなくて、ごめんなさい」
アルヴィンの腕の力はますます強まるばかり、絶対に離さないというような、しっかりとした強さを感じた。
「部屋に閉じ込められていましたが、テレシアが助けてくれて、ここまで来られました」
先ほどから、アルヴィンは、抱き締めるばかりで、一言も話してくれない。一人で話しているような感じになっている。
アルヴィンは、こんなことになって、大変な思いをして、すごく怒っているのかもしれない。だんだん不安になってきた。
「……アルヴィン、ごめんなさい」
「……どうして、グレイスが謝るの?」
「こんなことに巻き込んでしまって……」
「グレイスのせいではない。詳細はマルクから聞いたよ。私自身、ちゃんと君と向き合ってこなかった。君の言葉を鵜呑みにして、君はずっと子爵の言いなりになっていたのに、気づいてあげる事が出来なかった」
「アルヴィン……」
「君はひとりで戦っていたのに……、私は何も助けてあげられなかった。自分の不甲斐なさに、これほど腹が立つことはない」
「そんなことないです。今こうして来てくれたから、それで私は助けられました。それだけで、もう十分です」
ガチガチに固められていた腕が、緩んできて、やっとアルヴィンの顔を見ることが出来た。
月明かりに金色の髪は光り、緑の瞳は不安と悲しみの色が宿っていた。
心配させないようにと、にっこり笑ってみたら、アルヴィンは何か驚いたように、目を見開いて、今度は怒っているような顔になった。
「グレイス!口が切れているじゃないか!頬も腫れている!」
「あぁ、そうですね。でももう痛みは……」
「アイツ!グレイスを叩いたのか!許せない!死ぬまで殴ってやる!」
アルヴィンから、いきなり物騒な言葉が出たので、ビックリしたが、慌ててとにかく落ち着かせる。
「アルヴィン、怪我は大したことないですよ。それより、そんな事をして、アルヴィンの手を汚して欲しくないです。それに機会があれば、一発殴るのは私の役目ですよ」
「グレイスが?」
怒りに飲み込まれそうだったアルヴィンが、急に熱を奪われたように、ポカンとなった。
「そうです。私は閉じ込められていたとき、燃えていました。一発殴らないと気が収まりません!まっ、捕まってしまったみたいなので、今度会えたらですけど、その時は、私に譲ってくださいね」
ポカンと口を開けて、力が抜けたアルヴィンの後ろで、あはははっと、笑う声が聞こえた。
「なかなか、面白い女性じゃないか。頼もしくて、実に羨ましい。あっ、初めまして、俺は、クロード・サイモン。アルとは腐れ縁というか旧知の仲ってやつかな」
先ほど、お父様と対峙していた、もう一人の男性だ。どうやらアルヴィンの友人のようだ。
赤毛にシオンと同じ、ハシバミ色の瞳をしている。王家に近い方なのかもしれない。
足に力も入るようになったので、慌てて立ち上がり礼をした。
「あ…すみません、ご挨拶が遅れました。初めまして、グレイス・モンティーヌです。あの、私事に、ご協力頂いたみたいで、ありがとうございました」
「いえいえ、そこの、情けない男に、おいおい泣いて頼まれたもんで、馳せ参じたわけですので、お気になさらずに」
「クロード!おまっ…!ふざけるな!」
「本当はもっと、色々コイツの面白い話をしたいところなんだけど、もう遅くなるし、そろそろ、この館から出ないかい?崩壊しそうで怖いんだけど」
「そうだ!テレシア!あの子が…!」
「お姉さま、私はこちらです!」
テレシアを、置いてきたことに、気がついた時、テレシアの声がした。廊下を走って来たテレシアは、知らない男性と一緒だった。
黒髪、細目で地味な印象だが、とんでもなく、人が良さそうな顔の……。
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突然名前を呼ばれたイーサンは、ちょっと困惑顔だった。
アルヴィンの物言いたげな、視線を感じて、子供のように、叫んでしまったことに、気がついて、恥ずかしくなった。
とりあえず、屋敷の中は、調べが入る事になったので、テレシアはイーサンの家へ行くことになった。
のんきに手を振っていたら、アルヴィンに後ろから腕を掴まれて、馬車に乗せられた。
お父様とアルヴィンの話を思い出していた。
アルヴィンは、その意思はないと言っていた。あれは、言葉通り受け取っても良いものなのか。
それとも……。
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