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8、嫉妬
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「警備員って……大袈裟じゃないか? 盗られたものもないし……」
散らばったペンを片付けながら俺がそう言うと、後輩の塩崎はダメダメと言って真剣な顔になった。
「盗られてなくたって、事務室が荒らされてたのは確かじゃないか。本社が置いてくれるって言うんだからこっちに負担はないし。それにあれから来なくなったけど、瀬名とトラブルになってた客もいただろう。自衛も必要だよ」
今朝店に出勤してきたスタッフが、事務室が荒らされていることに気が付いて俺にすぐ連絡が来た。
鍵が壊された形跡はなし、だがトイレの窓が開いていたのを発見した。
前日店を閉めたスタッフは施錠を確認していたので不思議がっていた。
今日一日、警察や本社の人間が来て、対応に追われた。
結局盗まれたものはなく、いたずら目的で誰か忍び込んだのだろうという話になった。
そして、本社からしばらく警備員を巡回させるという連絡が来て、ありがたいが少し驚いていた。
「山さん、いつも早く来て掃除してくれるから。変なのと鉢合わせなくて良かったよ。女性だし、危なかったよな」
今朝連絡をくれたのは、山田さんというバイトの女性だ。
うちの店舗はスタッフ全員にカードキーを渡していて、誰でも解錠できるようになっていた。
塩崎と話して、しばらくは開け閉めは社員で対応しようという話になった。
「帰りも一人で遅くまで残ってたらダメだぞ。瀬名は何か危なかっしいからさ、心配なんだよなぁ」
「ははっ、心配ありがとう。とにかく、ここを片付けちゃうから、ホールの方はよろしくな」
分かったと言って塩崎が忙しそうに事務室から出て行ったのを確認したら、小さく息を吐いた。
散乱しているのは、ファイルに入れていた書類と文具類。
隣の部屋には金庫もあって、釣り銭用に使う紙幣や硬貨をわずかだかいつも置いている。
個人ロッカーには、それぞれ私物を入れているが、そちらにも被害はない。
金目のものに全く気を取られていない感じがよけいに怖く思えた。
何のために?
嫌がらせのようなこんなことを……
まさかと頭によぎった考えに手が震えてしまった。
あの百件近く連絡が来て以来、堀川を着信拒否にして全てブロックした。
いい教師に見えた堀川が、急にあんなに人が変わったようになってしまうなんて信じられなかった。
理玖の話によると堀川は担任から外れただけではなく、校長と揉め事を起こして自宅謹慎になったらしいと聞いた。
どう考えてもまともな状況ではない。
家庭の方は大丈夫なのか、身重の奥さんがいて何をなっているのか、全然、全く理解できなくて、こっちがおかしくなりそうだ。
堀川のことと、この倉庫荒らしと繋がりがあるかは分からないが、もしかして今のひどい状況が俺のせいだと思われて逆恨みされているのではと、頭の中にはそんな考えが浮かんでしまった。
嫌な苦しさがあって、爪でかくようにして胸に手を当てていたら、ブルっとスマホが震えてメッセージが入った。
恐る恐る画面を覗くと理玖からで、心配だから帰りは早めに迎えに行くからと書かれていた。
出掛けに店が荒らされたことを伝えて、そのままだったことを思い出した。
正直、理玖からの連絡でホッとしてしまった。
連絡できなくてごめん、よろしくと返信した。
自分の欲求に負けてしまいそうで、本当は理玖から離れようかと考えていた。
それなのに、どんどん状況が変わって、今では理玖がいないと不安になって、とても離れられるような状態ではなくなってしまった。
周囲はどこか騒がしくて、堀川の行動は理解できない。
今日こんなことがなくても、最近は理玖に迎えに来てもらい一緒に帰っていた。
いい歳した大人の俺が高校生の理玖に頼って情けないのはもう痛いほど分かっている。
だけど今の俺は、理玖の胸に帰れるから、何とか頑張って日々仕事に行けているような状態だった。
「理玖……早く帰りたい」
片付けが終わると疲れとともにどっと恐怖が押し寄せてきて、膝を抱えた俺は自然と理玖の名前を呼んでいた。
気味の悪い空気が続く中、日々は過ぎていき、ようやく事務所荒らしの騒動も落ち着いた頃。
この日は理玖の学校で音楽祭が行われて、片付けとその後に軽い親睦会が行われるというので、理玖にはそちらを優先するように言って迎えは断っていた。
理玖は行かなくてもいいと言っていたが、友人同士の交流の機会を俺のせいで奪ってしまうのは申し訳ない。
とっくに卒業した俺から見れば、学校生活なんてあっという間に終わってしまう。
一生のわずかしかない貴重な時間を楽しんで欲しかった。
「だーー、全く、今日の客はなかなか帰ってくれなくて参ったよ」
ホールから頭をかきながら戻ってきた塩崎が、やっと終わったと椅子にどかっと腰掛けて、タバコに火をつけて一息つき始めた。
「お疲れさん。ラストオーダーギリギリの客か。まぁ仕方ないな。他のみんなは帰った?」
「ああ、片付けと明日の仕込みも終わったし、みんな帰ったよ。今日は王子様は来ないのか?」
飲んでいたペットボトルのお茶を噴きそうになって、空気と一緒に何とか飲み込んだ。
理玖がいつも俺を迎えに来る姿を見かけたバイトさん達の間で、そう呼ばれていることは知っていた。
「今日は来ない」
「じゃあ、早く帰らないと。それにしても、あの子、かなり背も高くてガッシリしていて、顔もイケメンだし、ありゃモテるだろうなぁ」
あーそうみたいだと適当な返事をしながら、俺は洗濯物を置きに理玖の部屋に入った時の光景を思い出した。
床に置かれた理玖の鞄が少し開いていて、その中に明らかに女の子からもらったような花柄のピンクの封筒が見えた。
つい気になって近づいてみると、可愛らしい丸文字で理玖くんへと書かれていた。
それは一つではなく、何通もあって、違う書体で別の子からだと思われる手紙がごそっと入っていた。
口の中に苦い味が広がって、胸がズキンと痛くなった。
どくどくと心臓の鼓動が早くなって、ぎゅっと絞られた心から、ぽたぽたと黒い滴が落ちてきて視界を暗く染めた。
かつて俺を捨てた男に会いに行った時、味わったのは絶望という感情だった。
今俺の胸を占めているのはそれではない。
ぐるぐると渦巻く感情、それが嫉妬なのだということを初めて知った。
これから理玖の人生はどんどん広がっていく、その傍に微笑みながら立つ人を想像したら、全て壊してしまいたくなった。
自分の中からこんな凶暴な感情が生まれるなんて思わなかった。
しかも最近あの卑猥な夢を見なくなってしまった。
なかなか寝付けずに、いつのまにか朝を迎えているような状態だ。
卑猥な夢を見ていた時は悩んでいたのに、見なくなったらそれはそれでまた悩み出した。
寂しくてたまらないのだ。
現実の理玖に性的に触れることなどできない。
前に風呂に入った時に、度を超える行為をしてしまった。
もう、あんなことをしてはいけない。
だから夢の中で自分の気持ちをぶつけて欲求を満たしていたのに、その夢すら見れなくなってしまった。
昨日なんて気持ち良さそうな眠る理玖の頬にキスをしてしまった。
ハッとしてすぐに唇を離したが、なんてことをしてしまったのかと顔を覆ってすぐに後悔で苦しくなった。
周囲の慌ただしさもそうだが、理玖へのぶつけることのできない気持ちを抱えて、俺は眠ることのできない日々を送っていた。
「施錠確認したから、先出るぞー」
「おー、ありがとう。俺もゴミをまとめてからすぐ出る」
仕事の残りをやりながら、声をかけてきてくれた塩崎に先に帰ってもらった。
裏口の辺りを軽く箒で掃いて綺麗にして、ふぅと一息ついて汗を拭ったところで肌にピリッとする感覚があった。
まただ。
裏口から出て右手にある自転車置き場。
夜はほとんど利用する人がいないので、真っ暗になっていてシンと静まりかえっている。
視線を感じる。
やっぱり、絶対気のせいじゃない。
塩崎は出たばかりだし、バイクだから前の小道を押して通るはずだ。
俺はぐっと唾を飲み込んで、自転車置き場に近づいた。
「だっ……だれか、いるのか?」
気のせいだったらいい。
そう思いながら足を進めたが、俺の願いも虚しく暗がりからヌッと人影が伸びて出てきた。
「ひっ……、えっ……も、もしかして……」
薄汚い格好に伸びた髭で、一瞬誰だか分からなかったが、特徴的な眼鏡と背格好からおそらくそうだろうと、遅れてやっと頭に浮かんできた。
「堀川……先生?」
俺が名前を呼ぶと、すっかり目元が暗くなって荒んだ顔つきになった堀川が近づいてきた。
あまりの変わりようと勢いに、俺は逃げることもできずに立ち尽くしたまま動けなかった。
「ようやく……一人になりましたね」
「なっ……どっ、どうされたんですか?」
俺のすぐ隣に立った堀川は前のように俺の腕を掴んできた。
「どうしても、お話ししたいことがあって待っていたんです」
戸惑いしかなかった。
話したいことがあって百件近くも連絡し続けるなんてどう考えても異常だ。
背筋がゾクリと冷えて寒気がした。
「なんですか? この前、迷惑だと言いましたよね?」
「……告白のことは、もういいです。それより前原のことです。それだけ、どうしても貴方に伝えないといけないと思ったんです」
「理玖の……?」
俺に文句があるのかと思っていたら、理玖の名前が出てきたので驚いて堀川の目を見た。
理玖は今までのことに何も関わりはないはずだ。
何を言い出すのか警戒しながら堀川の言葉を待った。
「人当たりが良くて礼儀正しい良い子に見えるんです。ただの教師や同級生なんて簡単に騙せる。でもね、私は教師の前に人を見る仕事をしていたから分かってしまった。本当は全問正解できるのに、目立ちすぎないように、わざと間違えている。大人しいフリをして、ここぞという時に発言して、自分の意のままに周囲を操っている。蛇のような目をして全てを見ているんです」
「何を……仰っているのか……」
「ハメられたんです。貴方に近づいたから、嘘の情報を流されて、偽の証拠まで……。ついには他の教師や校長まで味方につけて……、悔しい……弱みを握られて、身動きが取れないように……」
「だから、なんの話なんですか!?」
「前原理玖、ですよ。ああいう目をした人間を私は怪物と呼んでいます」
俺の耳元で囁かれた言葉に、一気に心臓が冷えて体がぶるりと震えた。
慌てて腕を振って堀川の手を離そうとしたが、強い力で掴まれていて、そのまま後ろの壁に押し付けられた。
「り……理玖のことをそんな風に!」
「私は瀬名さんが不憫に思えて警告しに来たのです。一緒にいておかしいと思ったことはありませんか? 子供のくせにやけに物分かりが良くて、時々何でも知っているみたいな目で見てくることは?」
「そ、そんなっ、理玖は辛い思いをしたから、他の子より大人びて見えるのはおかしくないです! 変な言いがかりをつけないでくださ…」
「夜、寝付きはいいですか? 前原は寝ている貴方を襲っているんですよ。何度も、何度も……。私はその動画を前原から見せられましたから。俺たちはこういう関係だからってね」
「なっ……!!」
そんなはずはない。
それは俺の夢のはずだ。
何度も何度も、夢の中で理玖を汚していたのは俺だ。
何よりもこんな男の言うことは信用できない。
もうやめてくれと怒鳴ろうとしたら、急に店の警報機が鳴り出した。
オンラインで施錠を管理できる最新のものだったはずだが、誤作動を起こしたのだろうか。
よく分からないが、これは俺にとって逃げるチャンスだろう。
もがいて逃げ出そうとしたら、堀川は音にパニックになったのか強く体を押してきて、俺は頭を壁に強く打ちつけた。
「おい! そこ! 何してんだ!?」
「瀬名? おい! 大丈夫か!?」
バタバタと足音が聞こえてきて、警備員と塩崎が走ってきた。
堀川はあっという間に屈強な警備員に取り押さえられて床に腹這いにされた。
「怪我は? 頭を打ったのか? しっかりしろ、瀬名!」
「塩崎……?」
「バイクに乗る前に瀬名から着信があって、嫌な予感がして探していたら裏口の警報機が鳴ったから急いで来たんだ」
着信と言われて、何のことだか分からなかった。
ポケットに入れていたスマホに無意識に触れて発信してしまったのだろうか。
もう警察に連絡をしたという塩崎の声を聞いて、堀川が声を上げて笑い出した。
「ヒッヒッヒ……そうか……これも全部……、あいつの仕組んだことか……」
みんな唖然とした顔で堀川のことを見ていた。
俺も朦朧とする意識の中で、堀川が何を言おうとしているのか、何とか読み取ろうと堀川の目を見つめた。
しばらくずっとゲラゲラと笑っていたが、堀川は俺と目が合うと今度はスッと笑いが消えて驚いた表情になった。
「そうか……、違うんだ。怪物は……」
訳の分からない事を言い出した堀川に誰もが注目していた時、サイレンの音が聞こえてきてたくさんの警察官が走ってきた。
堀川はそのまま連れて行かれて、俺は意識が朦朧としたまま救急車に乗せられた。
覚えているのはそこまでで、救急車に乗ったらすぐに意識を失ってしまった。
結局、堀川が何を言いたかったのか、分からないままだった。
□□□
散らばったペンを片付けながら俺がそう言うと、後輩の塩崎はダメダメと言って真剣な顔になった。
「盗られてなくたって、事務室が荒らされてたのは確かじゃないか。本社が置いてくれるって言うんだからこっちに負担はないし。それにあれから来なくなったけど、瀬名とトラブルになってた客もいただろう。自衛も必要だよ」
今朝店に出勤してきたスタッフが、事務室が荒らされていることに気が付いて俺にすぐ連絡が来た。
鍵が壊された形跡はなし、だがトイレの窓が開いていたのを発見した。
前日店を閉めたスタッフは施錠を確認していたので不思議がっていた。
今日一日、警察や本社の人間が来て、対応に追われた。
結局盗まれたものはなく、いたずら目的で誰か忍び込んだのだろうという話になった。
そして、本社からしばらく警備員を巡回させるという連絡が来て、ありがたいが少し驚いていた。
「山さん、いつも早く来て掃除してくれるから。変なのと鉢合わせなくて良かったよ。女性だし、危なかったよな」
今朝連絡をくれたのは、山田さんというバイトの女性だ。
うちの店舗はスタッフ全員にカードキーを渡していて、誰でも解錠できるようになっていた。
塩崎と話して、しばらくは開け閉めは社員で対応しようという話になった。
「帰りも一人で遅くまで残ってたらダメだぞ。瀬名は何か危なかっしいからさ、心配なんだよなぁ」
「ははっ、心配ありがとう。とにかく、ここを片付けちゃうから、ホールの方はよろしくな」
分かったと言って塩崎が忙しそうに事務室から出て行ったのを確認したら、小さく息を吐いた。
散乱しているのは、ファイルに入れていた書類と文具類。
隣の部屋には金庫もあって、釣り銭用に使う紙幣や硬貨をわずかだかいつも置いている。
個人ロッカーには、それぞれ私物を入れているが、そちらにも被害はない。
金目のものに全く気を取られていない感じがよけいに怖く思えた。
何のために?
嫌がらせのようなこんなことを……
まさかと頭によぎった考えに手が震えてしまった。
あの百件近く連絡が来て以来、堀川を着信拒否にして全てブロックした。
いい教師に見えた堀川が、急にあんなに人が変わったようになってしまうなんて信じられなかった。
理玖の話によると堀川は担任から外れただけではなく、校長と揉め事を起こして自宅謹慎になったらしいと聞いた。
どう考えてもまともな状況ではない。
家庭の方は大丈夫なのか、身重の奥さんがいて何をなっているのか、全然、全く理解できなくて、こっちがおかしくなりそうだ。
堀川のことと、この倉庫荒らしと繋がりがあるかは分からないが、もしかして今のひどい状況が俺のせいだと思われて逆恨みされているのではと、頭の中にはそんな考えが浮かんでしまった。
嫌な苦しさがあって、爪でかくようにして胸に手を当てていたら、ブルっとスマホが震えてメッセージが入った。
恐る恐る画面を覗くと理玖からで、心配だから帰りは早めに迎えに行くからと書かれていた。
出掛けに店が荒らされたことを伝えて、そのままだったことを思い出した。
正直、理玖からの連絡でホッとしてしまった。
連絡できなくてごめん、よろしくと返信した。
自分の欲求に負けてしまいそうで、本当は理玖から離れようかと考えていた。
それなのに、どんどん状況が変わって、今では理玖がいないと不安になって、とても離れられるような状態ではなくなってしまった。
周囲はどこか騒がしくて、堀川の行動は理解できない。
今日こんなことがなくても、最近は理玖に迎えに来てもらい一緒に帰っていた。
いい歳した大人の俺が高校生の理玖に頼って情けないのはもう痛いほど分かっている。
だけど今の俺は、理玖の胸に帰れるから、何とか頑張って日々仕事に行けているような状態だった。
「理玖……早く帰りたい」
片付けが終わると疲れとともにどっと恐怖が押し寄せてきて、膝を抱えた俺は自然と理玖の名前を呼んでいた。
気味の悪い空気が続く中、日々は過ぎていき、ようやく事務所荒らしの騒動も落ち着いた頃。
この日は理玖の学校で音楽祭が行われて、片付けとその後に軽い親睦会が行われるというので、理玖にはそちらを優先するように言って迎えは断っていた。
理玖は行かなくてもいいと言っていたが、友人同士の交流の機会を俺のせいで奪ってしまうのは申し訳ない。
とっくに卒業した俺から見れば、学校生活なんてあっという間に終わってしまう。
一生のわずかしかない貴重な時間を楽しんで欲しかった。
「だーー、全く、今日の客はなかなか帰ってくれなくて参ったよ」
ホールから頭をかきながら戻ってきた塩崎が、やっと終わったと椅子にどかっと腰掛けて、タバコに火をつけて一息つき始めた。
「お疲れさん。ラストオーダーギリギリの客か。まぁ仕方ないな。他のみんなは帰った?」
「ああ、片付けと明日の仕込みも終わったし、みんな帰ったよ。今日は王子様は来ないのか?」
飲んでいたペットボトルのお茶を噴きそうになって、空気と一緒に何とか飲み込んだ。
理玖がいつも俺を迎えに来る姿を見かけたバイトさん達の間で、そう呼ばれていることは知っていた。
「今日は来ない」
「じゃあ、早く帰らないと。それにしても、あの子、かなり背も高くてガッシリしていて、顔もイケメンだし、ありゃモテるだろうなぁ」
あーそうみたいだと適当な返事をしながら、俺は洗濯物を置きに理玖の部屋に入った時の光景を思い出した。
床に置かれた理玖の鞄が少し開いていて、その中に明らかに女の子からもらったような花柄のピンクの封筒が見えた。
つい気になって近づいてみると、可愛らしい丸文字で理玖くんへと書かれていた。
それは一つではなく、何通もあって、違う書体で別の子からだと思われる手紙がごそっと入っていた。
口の中に苦い味が広がって、胸がズキンと痛くなった。
どくどくと心臓の鼓動が早くなって、ぎゅっと絞られた心から、ぽたぽたと黒い滴が落ちてきて視界を暗く染めた。
かつて俺を捨てた男に会いに行った時、味わったのは絶望という感情だった。
今俺の胸を占めているのはそれではない。
ぐるぐると渦巻く感情、それが嫉妬なのだということを初めて知った。
これから理玖の人生はどんどん広がっていく、その傍に微笑みながら立つ人を想像したら、全て壊してしまいたくなった。
自分の中からこんな凶暴な感情が生まれるなんて思わなかった。
しかも最近あの卑猥な夢を見なくなってしまった。
なかなか寝付けずに、いつのまにか朝を迎えているような状態だ。
卑猥な夢を見ていた時は悩んでいたのに、見なくなったらそれはそれでまた悩み出した。
寂しくてたまらないのだ。
現実の理玖に性的に触れることなどできない。
前に風呂に入った時に、度を超える行為をしてしまった。
もう、あんなことをしてはいけない。
だから夢の中で自分の気持ちをぶつけて欲求を満たしていたのに、その夢すら見れなくなってしまった。
昨日なんて気持ち良さそうな眠る理玖の頬にキスをしてしまった。
ハッとしてすぐに唇を離したが、なんてことをしてしまったのかと顔を覆ってすぐに後悔で苦しくなった。
周囲の慌ただしさもそうだが、理玖へのぶつけることのできない気持ちを抱えて、俺は眠ることのできない日々を送っていた。
「施錠確認したから、先出るぞー」
「おー、ありがとう。俺もゴミをまとめてからすぐ出る」
仕事の残りをやりながら、声をかけてきてくれた塩崎に先に帰ってもらった。
裏口の辺りを軽く箒で掃いて綺麗にして、ふぅと一息ついて汗を拭ったところで肌にピリッとする感覚があった。
まただ。
裏口から出て右手にある自転車置き場。
夜はほとんど利用する人がいないので、真っ暗になっていてシンと静まりかえっている。
視線を感じる。
やっぱり、絶対気のせいじゃない。
塩崎は出たばかりだし、バイクだから前の小道を押して通るはずだ。
俺はぐっと唾を飲み込んで、自転車置き場に近づいた。
「だっ……だれか、いるのか?」
気のせいだったらいい。
そう思いながら足を進めたが、俺の願いも虚しく暗がりからヌッと人影が伸びて出てきた。
「ひっ……、えっ……も、もしかして……」
薄汚い格好に伸びた髭で、一瞬誰だか分からなかったが、特徴的な眼鏡と背格好からおそらくそうだろうと、遅れてやっと頭に浮かんできた。
「堀川……先生?」
俺が名前を呼ぶと、すっかり目元が暗くなって荒んだ顔つきになった堀川が近づいてきた。
あまりの変わりようと勢いに、俺は逃げることもできずに立ち尽くしたまま動けなかった。
「ようやく……一人になりましたね」
「なっ……どっ、どうされたんですか?」
俺のすぐ隣に立った堀川は前のように俺の腕を掴んできた。
「どうしても、お話ししたいことがあって待っていたんです」
戸惑いしかなかった。
話したいことがあって百件近くも連絡し続けるなんてどう考えても異常だ。
背筋がゾクリと冷えて寒気がした。
「なんですか? この前、迷惑だと言いましたよね?」
「……告白のことは、もういいです。それより前原のことです。それだけ、どうしても貴方に伝えないといけないと思ったんです」
「理玖の……?」
俺に文句があるのかと思っていたら、理玖の名前が出てきたので驚いて堀川の目を見た。
理玖は今までのことに何も関わりはないはずだ。
何を言い出すのか警戒しながら堀川の言葉を待った。
「人当たりが良くて礼儀正しい良い子に見えるんです。ただの教師や同級生なんて簡単に騙せる。でもね、私は教師の前に人を見る仕事をしていたから分かってしまった。本当は全問正解できるのに、目立ちすぎないように、わざと間違えている。大人しいフリをして、ここぞという時に発言して、自分の意のままに周囲を操っている。蛇のような目をして全てを見ているんです」
「何を……仰っているのか……」
「ハメられたんです。貴方に近づいたから、嘘の情報を流されて、偽の証拠まで……。ついには他の教師や校長まで味方につけて……、悔しい……弱みを握られて、身動きが取れないように……」
「だから、なんの話なんですか!?」
「前原理玖、ですよ。ああいう目をした人間を私は怪物と呼んでいます」
俺の耳元で囁かれた言葉に、一気に心臓が冷えて体がぶるりと震えた。
慌てて腕を振って堀川の手を離そうとしたが、強い力で掴まれていて、そのまま後ろの壁に押し付けられた。
「り……理玖のことをそんな風に!」
「私は瀬名さんが不憫に思えて警告しに来たのです。一緒にいておかしいと思ったことはありませんか? 子供のくせにやけに物分かりが良くて、時々何でも知っているみたいな目で見てくることは?」
「そ、そんなっ、理玖は辛い思いをしたから、他の子より大人びて見えるのはおかしくないです! 変な言いがかりをつけないでくださ…」
「夜、寝付きはいいですか? 前原は寝ている貴方を襲っているんですよ。何度も、何度も……。私はその動画を前原から見せられましたから。俺たちはこういう関係だからってね」
「なっ……!!」
そんなはずはない。
それは俺の夢のはずだ。
何度も何度も、夢の中で理玖を汚していたのは俺だ。
何よりもこんな男の言うことは信用できない。
もうやめてくれと怒鳴ろうとしたら、急に店の警報機が鳴り出した。
オンラインで施錠を管理できる最新のものだったはずだが、誤作動を起こしたのだろうか。
よく分からないが、これは俺にとって逃げるチャンスだろう。
もがいて逃げ出そうとしたら、堀川は音にパニックになったのか強く体を押してきて、俺は頭を壁に強く打ちつけた。
「おい! そこ! 何してんだ!?」
「瀬名? おい! 大丈夫か!?」
バタバタと足音が聞こえてきて、警備員と塩崎が走ってきた。
堀川はあっという間に屈強な警備員に取り押さえられて床に腹這いにされた。
「怪我は? 頭を打ったのか? しっかりしろ、瀬名!」
「塩崎……?」
「バイクに乗る前に瀬名から着信があって、嫌な予感がして探していたら裏口の警報機が鳴ったから急いで来たんだ」
着信と言われて、何のことだか分からなかった。
ポケットに入れていたスマホに無意識に触れて発信してしまったのだろうか。
もう警察に連絡をしたという塩崎の声を聞いて、堀川が声を上げて笑い出した。
「ヒッヒッヒ……そうか……これも全部……、あいつの仕組んだことか……」
みんな唖然とした顔で堀川のことを見ていた。
俺も朦朧とする意識の中で、堀川が何を言おうとしているのか、何とか読み取ろうと堀川の目を見つめた。
しばらくずっとゲラゲラと笑っていたが、堀川は俺と目が合うと今度はスッと笑いが消えて驚いた表情になった。
「そうか……、違うんだ。怪物は……」
訳の分からない事を言い出した堀川に誰もが注目していた時、サイレンの音が聞こえてきてたくさんの警察官が走ってきた。
堀川はそのまま連れて行かれて、俺は意識が朦朧としたまま救急車に乗せられた。
覚えているのはそこまでで、救急車に乗ったらすぐに意識を失ってしまった。
結局、堀川が何を言いたかったのか、分からないままだった。
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