英雄になれなかった子

朝顔

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 ヘルトが大暴れした茶会の翌朝、朝食の席に着いたヘルトの首には、緑色の宝石が輝くネックレスが着けられていた。

「これはファルコン様の亡きお母様、アリサ妃のご実家に伝わるもので、指輪を加工して作られたんだって。十九になった祝いに殿下がくださったんだ」

 意地悪く笑ったヘルトは、ルキオラの前でわざわざネックレスを見せて来た。

「エメラルドだよ。綺麗でしょう。僕の瞳の色に似てるって、殿下が褒めてくれた」

 何とかスープを口に運んでいたが、その一言で心臓が痛くなって、ルキオラは手を止めてスプーンを下ろした。

「あの見窄らしい首飾りがなくなってよかったじゃない。何もない方が、ルキオラにはスッキリしていて、似合っているよ」

 ヘルトの話を聞いていられなくて、ルキオラは途中で席を立って食堂から出た。
 ルキオラが出て行った後、神官達と笑っている声が聞こえて来て、足を止めたルキオラは目を強く閉じた。

 ファルコンは口外しないように言ったが、昨日の騒ぎを遠くから見ていた令嬢達がいた。
 彼女達は、マルゲリッタの頬を叩いたのがルキオラだと勘違いしていた。
 感情的になって暴力を振るってしまい、正気に戻って自分で治療したと思ってしまったらしい。

 おかげで一日で噂は広まって、マルゲリッタに嫉妬して暴れたのはルキオラで、それを殿下に窘められたという話にすり替わっていた。

 もしかしたらそうなったのは、ヘルトの仕業かもしれない、
 渦中のマルゲリッタは、体調不良で寝込んでしまったと聞いた。

 ルキオラが何よりショックだったのは、ファルコンがそれを否定してくれなかったことだ。
 嘘をつかれて自分のせいにされたことなど何度もある。
 それでも、最後はファルコンが自分の味方になってくれると信じていた。

 まるであの石のように、全て粉々に踏み砕かれた気がして、ルキオラは辛くて倒れてしまいそうだった。

「ルキオラ様、大丈夫ですか?」

 下を向いて動かなくなっていたルキオラに、控えていたウルガが声をかけて来た。

「ちょっと気分が悪くて……でも大丈夫」

「先ほど、皇帝との謁見は今日の午後になると連絡が来ました」

「今日か……、分かった」

 ついに今回の訪問の目的である、皇帝との謁見が行われることになった。
 皇帝はこのところ病にかかりやすく、頻繁に体を壊して寝込んでいるらしい。
 これを済ませればようやく宮殿を出ることができる。
 といってもルキオラが本当に安らげる場所などない。
 唯一の心の拠り所だったペンダントがなくなって、空になった胸ばかり撫でていた。





 皇帝の住処である、宮殿の最奥へ向かう通路は、普段は衛兵が立ち固く閉ざされている。
 政は補佐官や上級の役人達に任されていて、重要な決定のみ皇帝が行うことになっている。

 皇太子であるファルコンですら、皇帝と会うためには様々な手続きを取らなければならず、何年も会えないこともあったと聞いた。

 ルキオラが姿を見たのも数える程度、それも国の重要な式典の際で、遠くから眺めただけだった。

 帝国グラディウスでは、過去の皇帝もほとんどが途中で病に倒れて、皇太子に皇位を譲ってきた。
 皇位から退いた者は皇族にあらず、というのが帝国の伝統らしく、離宮で生涯を終えた元皇帝は、国葬すら行われず、ひっそりと墓に入れられるのだそうだ。
 死に顔を晒してはならないという掟に沿って、顔に布を巻かれて棺に入れられるというから、何とも寂しく思えてしまった。

 ルキオラには親子の繋がりなどなかったが、それはファルコンも似ている。
 国の頂点にいるからこそ、親子としての交流もできず、死んだ後も顔すら見れないというのは、理解できない世界だった。

 皇帝との謁見の部屋へ向かう際、ファルコンが先頭を歩いて、その後ろをヘルトとルキオラが続いた。
 誰も口を開くことなく、無言で歩き続けると、やがて謁見の間にたどり着いた。
 一段高くなった場所に、皇帝の座る椅子が用意されていて、皇太子と英雄の子達はその前に膝をついて、皇帝が現れるのを待った。

「皇帝陛下、ご入室でございます」

 ずっと頭を下げていたが声が聞こえてから、もっと緊張してしまった。
 ズルズルと足を引き摺るような音が聞こえて、顔をお上げくださいと声がかかったので、ルキオラはゆっくり顔を上げた。

 そこには顔半分を覆う仮面を着けた皇帝が座っていた。
 髪はファルコンと同じ金髪で、白くなっているようにも見えたが、鮮やかな金色は残っていた。
 口元は長い髭が覆い隠していて表情はさっぱり分からない。
 ただ、首元や手に見える皺が、年月を重ねてきたことを感じさせた。

「どちらが英雄様だ?」

 皇帝の第一声はそれだった。
 ヘルトとルキオラ、二人を見比べてきた。
 仮面の下からも、射抜くような強い視線を感じて、ルキオラはビクッと肩を揺らした。

「まだ、力は分かれております」

 謁見の場に先に来ていて、壁際に立っていたのは、神殿長だった。
 ヘルトの方にほとんどの力が流れているので、時間の問題だというと、皇帝の視線はヘルトに注がれた。

「力は強いのか?」

「ええ、歴代の英雄様の中でも上の方かと。戦闘能力も治癒能力も優れております」

 神殿長が説明すると、皇帝は静かに頷いたが、まだ視線はヘルトに注がれたままだった。

「よく、ここまで育った。成人まで後わずか、民のために力を尽くすのだぞ」

「はい」

 ヘルトが返事をして頷いたので、ルキオラも遅れて頷いた。
 皇帝は自分の方など見ないし、まったく気にしてすらいないように見えた。
 そしてもう一人、自分の唯一の息子であるファルコンには一言も声をかけずに立ち上がって、謁見の間を後にした。

 ルキオラは下を向いて唇を噛んでいるファルコンの姿を見てしまった。

 皇帝が退出した後、ヘルトだけが呼ばれた。
 皇帝はティータイムの相手にヘルトを指名したらしい。
 ヘルトは目を輝かせて部屋を出て行った。

 残されたファルコンとルキオラは、ヘルトが戻ってくるまで別室で待つことになった。



 カチャカチャと、カップがソーサーに当たる音だけが部屋に響いていた。
 ファルコンと二人きり、別室でお茶を飲みながら、静かで気まずい時間が流れていた。
 ヘルトが起こした騒動がルキオラのせいになり、それをファルコンが否定してくれないので、どうしてか聞きたいと思っていたのに、ファルコンが気落ちしている様子に何も言えなくなってしまった。

「ずいぶんと時間が経っているな。まだ終わらないのか」

「陛下との会話が弾んでいるのでしょう。ヘルトは話し上手ですし」

「フッ、私とはろくな会話もしたことがないのに……、あの人が本当に人間なのか時々疑いたくなる」

 皇帝とその息子の関係など、ルキオラには想像もできない。
 そう考えてみたら、普通の親子の関係すらルキオラには想像できなかった。

 覚えているのは、ファルコンが昔はお父様お父様とよく言っていたことだ。
 今度は会えると言って、ダメになったと落ち込んで、その繰り返しを見てきた。
 そしていつしか、父親の話をすることはなくなった。

「……私も父というものはよく分かりません。参拝に来る親子の姿を見て、あれが父親かと思うくらいです。寂しいと思ったことはたくさんあります。あんな風に手を繋いだら、父の手というのはどれくらい温かいのか、何度も想像しました」

「ルキオラ……そうだな、君は……」

 顔を上げたファルコンは、ルキオラに視線を向けた。詰まってしまった言葉の続きが分かったので、ルキオラは微笑んで小さく頷いた。

「それでも知りたいと願うなら、自分が父親になって、自分がこうして欲しかったことをやってみれば、何か分かるかもしれません」

「私は……なれるだろうか」

「ええ、きっと」

 本当のところはルキオラにも分からない。
 だけど元気付けるために、できると言って笑って見せた。
 落ち込んでいる様子だったファルコンは、嬉しそうに笑ってからルキオラの隣に移動した。

「やはり、ルキオラ。君が側にいてくれないと私はダメだ……」

「殿下……」

 ルキオラの腕を掴んで引き寄せたファルコンは、両手を回してしっかりと抱きしめてきた。

「ヘルトが暴れた件だが、お前のせいになってしまい申し訳ない。皇帝との謁見を前にこれ以上ことを荒立てたくなかった」

「少し……悲しいですけど、殿下のためなら大丈夫です」

「十九の祝いにヘルトには母の形見を贈った。お前は何が欲しい。何でもいい、言ってみろ」

「え……」

 今朝の食堂で見たヘルトのネックレスを思い出した。羨ましいと思ったが、物であるとまた壊れてしまったら今度は立ち直れそうになかった。

「殿下と二人で出かけたいです」

「出かける? 外へか?」

「ええ、子供の頃はよく抜け出して遊びに行きましたよね。あんな風に、町をまた一緒に歩きたいです……」

「そうか……それくらいなら、神殿長に頼んで変装すればできるだろう」

 ルキオラは嬉しくて口に手を当てて微笑んだ。まさか、もう叶うことがないと思っていたのに、信じられないと泣きそうになった。

「そんなことでいいのか?」

「そんなことって、私にはすごく、すごく嬉しいことなんです」

 自分には大事なことなんだとルキオラが訴えると、上にあったはずのファルコンの顔が近付いてきて、ルキオラの唇に柔らかいものが触れた。

 一瞬何が起きたのか分からずに、ルキオラが目を瞬かせると、すぐ目の前でファルコンが目を閉じてと言ってきた。

 ファルコンの言葉に、魔法にかけられたようにルキオラは目を閉じた。

 すると今度は、確かに生温かくて柔らかいものがルキオラの唇を包んだのが分かった。

 これがキスなんだと分かった時は、心臓は壊れそうに揺れていた。
 いつ開けていいのか分からなかったルキオラは、ファルコンがもういいぞと笑うまで、力を入れて目を開けることができなかった。






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