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第五章 闇血呪
5-1c. 闇血呪
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降り立った皇都の雰囲気に、ゼルダは驚いた。
冥影円環を張っていると、ピリピリとした緊張感と冷たさが、慣れるまで痛い程だった。
こうまで張り詰めた場所だったのか。ヴァン・ガーディナの庇護下がどれほど優しかったか、思い知る。
「これは、見違えましたな」
皇子二人を出迎えた侍従長が、ゼルダを見て感嘆の声を上げた。
「陛下のお若い頃に、ゼルダ殿下が一番よく似ておいでになる」
亡き母アーシャに似ているとは、よく言われたけれど、父皇帝ハーケンベルクに似ているとは、あまり言われたことがなかったゼルダは途惑った。
「父上はゼルダにお目通りに?」
ヴァン・ガーディナが構わず侍従長に尋ねた。
「ええ、謁見の間でお待ちかねです」
「謁見の間か、随分、他人行儀だな」
ゼルダはその一言で、父皇帝は兄皇子には私的に目通るのかなと思ったけれど、何も言わなかった。
「兄上、行きましょう」
ヴァン・ガーディナは間もなく十八歳に、ゼルダはあと半年ほどで十六歳になる。
ゼルダにもようやく、凛とした風格が備わってきて、その類まれな美貌ともあいまって、すれ違う者がいちいち振り向くことに、ヴァン・ガーディナの方は気付いていた。
冥夜に調教したせいか、挙動がしなやかになって、優雅さと艶が増しているのはナイショだ。
それでも、そのしなやかさが儚さになることはなく、豹のような魔のある威風となって、見る者の目を奪うあたり、ゼルダだなと思う。
「ゼルダ、覚悟はいいんだな?」
「はい。そのために来たんです」
皇子二人のやり取りに、侍従長が満足げに目を細めた。
「ゼルダ殿下」
「……?」
「ヴァン・ガーディナ殿下はお優しいでしょう」
「えぇ! そ、そうですね……?」
何でと、うろたえるゼルダを、ヴァン・ガーディナがくすくす笑った。
「おまえ、私への態度が春先とあまりに違うだろう。そんな態度だと、皇都でもあらぬ噂が立つぞ?」
――おごっ!
「アーシャ様も、天でお喜びでしょう。ゼルダ殿下、陛下の御心も、なにとぞ、おわかり下さいますよう――」
**――*――**
豪奢で広い謁見の間には、数名の歩哨が立つだけで、謁見とは言っても略式だった。
ゼルダはひたと、精悍で威風堂々とした壮年の皇帝を見据え、皇帝の意向の端緒なりと、見極めようとした。皇帝はなぜか微笑んでいて、ゼルダに用向きを奏上するよう促した。
皇帝の傲慢な笑みと促し方は、どこか、兄皇子ヴァン・ガーディナによく似ているかもしれない。血は争えない。
「父上、先のクレール戦役で、私は方術師に命を救われました。神殿と懇意にしていた亡き母上も、方術師の無実を証さんとしていた亡き兄上も、悲しまれます。聖アンナ神殿の粛清など、包囲して女子供まで虐殺する真似など、どうか、おやめ下さい」
「くどい、駄目だと言った。そのアーシャとアルディナンを何者が手に掛けたのか、忘れたか、ゼルダ」
皇帝はゼルダを叱責したけれど、強い口調は感情的ではなく、怒声とは呼べないものだった。
皇妃、皇太子暗殺の黒幕はゼルシア様ですと言いかけ、ゼルダは控えるヴァン・ガーディナをはばかった。
「それでも、願いを聞き届けて頂くまでは、まかりなりません! どうしてもと仰るのなら、彼らへの償いに、私はこの命を絶ちます!」
「ほう?」
絶対零度の笑みを浮かべた皇帝ハーケンベルクが、謁見の間の隅に控えていたヴァン・ガーディナを呼びつけた。
「ヴァン・ガーディナ、兄皇子でありながら、ゼルダ一人御せぬのか! この数ヶ月、何をしていた!」
跪いたヴァン・ガーディナが、何か答える前に、ゼルダが言い募った。
「父上、兄上は関係ないでしょう! この願いは私の一存、兄上は私の肩など持たれていません!」
「それは私が見定める。ヴァン・ガーディナ、闇血呪を使えたはずだな? ゼルダを撃て、我が愚息は命がいらぬと吐いた、死に伴う苦痛を叩き込め!」
ヴァン・ガーディナは蒼白な顔で黙ったまま、一向に、呪文の詠唱に入らなかった。
「――父上、ゼルダは私の責任で黙らせます。闇血呪は拷問です。ゼルダの素直さを可愛がって、放っておいた私が至りませんでした。どうか、お許し下さい」
「ならば、おまえがゼルダを庇い、私の闇血呪を受けるか」
ヴァン・ガーディナはわずかな戦慄を見せた後、悲壮な目をして、胸に手を当てた。皇帝への敬意を示し、目を伏せた。
「――受けます。それで、今度だけ、ゼルダをお許し下さい。二度と、甘やかしません」
「兄上!」
皇帝が左眼を緋に輝かせ、呪文の詠唱に入っても、ヴァン・ガーディナは姿勢を崩さなかった。
冥影円環を張っていると、ピリピリとした緊張感と冷たさが、慣れるまで痛い程だった。
こうまで張り詰めた場所だったのか。ヴァン・ガーディナの庇護下がどれほど優しかったか、思い知る。
「これは、見違えましたな」
皇子二人を出迎えた侍従長が、ゼルダを見て感嘆の声を上げた。
「陛下のお若い頃に、ゼルダ殿下が一番よく似ておいでになる」
亡き母アーシャに似ているとは、よく言われたけれど、父皇帝ハーケンベルクに似ているとは、あまり言われたことがなかったゼルダは途惑った。
「父上はゼルダにお目通りに?」
ヴァン・ガーディナが構わず侍従長に尋ねた。
「ええ、謁見の間でお待ちかねです」
「謁見の間か、随分、他人行儀だな」
ゼルダはその一言で、父皇帝は兄皇子には私的に目通るのかなと思ったけれど、何も言わなかった。
「兄上、行きましょう」
ヴァン・ガーディナは間もなく十八歳に、ゼルダはあと半年ほどで十六歳になる。
ゼルダにもようやく、凛とした風格が備わってきて、その類まれな美貌ともあいまって、すれ違う者がいちいち振り向くことに、ヴァン・ガーディナの方は気付いていた。
冥夜に調教したせいか、挙動がしなやかになって、優雅さと艶が増しているのはナイショだ。
それでも、そのしなやかさが儚さになることはなく、豹のような魔のある威風となって、見る者の目を奪うあたり、ゼルダだなと思う。
「ゼルダ、覚悟はいいんだな?」
「はい。そのために来たんです」
皇子二人のやり取りに、侍従長が満足げに目を細めた。
「ゼルダ殿下」
「……?」
「ヴァン・ガーディナ殿下はお優しいでしょう」
「えぇ! そ、そうですね……?」
何でと、うろたえるゼルダを、ヴァン・ガーディナがくすくす笑った。
「おまえ、私への態度が春先とあまりに違うだろう。そんな態度だと、皇都でもあらぬ噂が立つぞ?」
――おごっ!
「アーシャ様も、天でお喜びでしょう。ゼルダ殿下、陛下の御心も、なにとぞ、おわかり下さいますよう――」
**――*――**
豪奢で広い謁見の間には、数名の歩哨が立つだけで、謁見とは言っても略式だった。
ゼルダはひたと、精悍で威風堂々とした壮年の皇帝を見据え、皇帝の意向の端緒なりと、見極めようとした。皇帝はなぜか微笑んでいて、ゼルダに用向きを奏上するよう促した。
皇帝の傲慢な笑みと促し方は、どこか、兄皇子ヴァン・ガーディナによく似ているかもしれない。血は争えない。
「父上、先のクレール戦役で、私は方術師に命を救われました。神殿と懇意にしていた亡き母上も、方術師の無実を証さんとしていた亡き兄上も、悲しまれます。聖アンナ神殿の粛清など、包囲して女子供まで虐殺する真似など、どうか、おやめ下さい」
「くどい、駄目だと言った。そのアーシャとアルディナンを何者が手に掛けたのか、忘れたか、ゼルダ」
皇帝はゼルダを叱責したけれど、強い口調は感情的ではなく、怒声とは呼べないものだった。
皇妃、皇太子暗殺の黒幕はゼルシア様ですと言いかけ、ゼルダは控えるヴァン・ガーディナをはばかった。
「それでも、願いを聞き届けて頂くまでは、まかりなりません! どうしてもと仰るのなら、彼らへの償いに、私はこの命を絶ちます!」
「ほう?」
絶対零度の笑みを浮かべた皇帝ハーケンベルクが、謁見の間の隅に控えていたヴァン・ガーディナを呼びつけた。
「ヴァン・ガーディナ、兄皇子でありながら、ゼルダ一人御せぬのか! この数ヶ月、何をしていた!」
跪いたヴァン・ガーディナが、何か答える前に、ゼルダが言い募った。
「父上、兄上は関係ないでしょう! この願いは私の一存、兄上は私の肩など持たれていません!」
「それは私が見定める。ヴァン・ガーディナ、闇血呪を使えたはずだな? ゼルダを撃て、我が愚息は命がいらぬと吐いた、死に伴う苦痛を叩き込め!」
ヴァン・ガーディナは蒼白な顔で黙ったまま、一向に、呪文の詠唱に入らなかった。
「――父上、ゼルダは私の責任で黙らせます。闇血呪は拷問です。ゼルダの素直さを可愛がって、放っておいた私が至りませんでした。どうか、お許し下さい」
「ならば、おまえがゼルダを庇い、私の闇血呪を受けるか」
ヴァン・ガーディナはわずかな戦慄を見せた後、悲壮な目をして、胸に手を当てた。皇帝への敬意を示し、目を伏せた。
「――受けます。それで、今度だけ、ゼルダをお許し下さい。二度と、甘やかしません」
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