雪月花の物語 ~聖域の悪魔~

冴條玲

文字の大きさ
91 / 91
第五章 闇血呪

5-4c. 晩餐の後

しおりを挟む
 アーシャが真っ直ぐに彼を見詰めた瞳を、今でも覚えている。
 彼女の澄んだ瞳は、彼の心の奥底まで、見極めるようだった。
 覚えた感覚は、不思議な期待感だった。深い夜を覆う霧が晴れ、目が覚めて行くような。
 隠さなければならない醜い欲を、彼は抱えていなかった。
 やり場のない悲しみや怒りや痛みを、降り積もるままに、一人で抱えているだけだった。

 彼女は言った。王家に国を守る力がなくて、国を滅ぼされたとは思わないと。
 クラレットは良い国で、良い王家で、皆幸せだったと信じていると。
 あなたの瞳は両親と同じ優しい色、あなたは無力ではないし、あなたが助けてくれると言うのなら、助けて欲しい――

 アーシャはそこまで言って喉を詰まらせた。
 王家の者が彼女一人を残して皆殺しにされてしまったのなら、彼女が何としてもクラレットの民を守らなければならないのに、彼女はあまりに力がなくて、どうしていいのか、わからないのだと――
 抱き締めれば、驚くアーシャは簡単に彼の腕の中におさまった。
 無力、という言葉の意味を履き違えていた。
 国を滅ぼされ、家族を皆殺しにされた年端もいかない亡国の王女が、まだ、民を守ろうと必死なのに。
 内戦が起きるかもしれない。暗殺されるかもしれない。歴史に悪名が残るかもしれない。
 それでも、覚悟して闘おうと思えば、彼に出来ることは山とあった。

『貴女のために私の命を懸けよう。貴女の愛するものすべて、私も愛し守ると誓うよ』


 
 アーシャとの出会いは、彼の闇を革命した。
 二人は愛し合うようになり、彼はアーシャを正妃に迎え、クラレットの民を奴隷身分から解放した。
 彼女は聡明で、王家の姫君だっただけはあり、彼がこの時、何人もの妃を迎えなければならなかった意味も、真摯に理解した。
 三十年物の腐敗を後ろ盾にしたシャークスと渡り合うには、ハーケンベルクの基盤と後ろ盾はあまりに弱かったのだ。
 有力な貴族の娘を妃に迎え、一族の繁栄を約束し、支援を取り付ける必要があった。
 アーシャは後宮をまとめ、力を尽くして彼の妃達を守った。
 彼女は民を守るという使命を、彼女自身の喜びとして背負っていたから、彼と同じ高さから、物事を見ていたのだ。守る立場の彼の考えや感情を、誰よりも、よく理解してくれた。
 しかし、危惧されていた通り、アーシャが兄皇子の正妃になったと知った時のシャークスの激昂は、凄まじいものだった。
 ハーケンベルクも事ここに至っては引かず、彼女を自分に戻せというシャークスの要請など真っ向から突っぱねた。皇太子の位を返上し、帝位を寄越せという要請もまた同様に。
 先代の喪が明けたその日、カムラはついに、泥沼の内戦に突入したのである。
 
 

 よく冷えた酒を一口飲むと、ハーケンベルクは静かにヴァン・ガーディナを見た。
 ゼルシアはまだ、出て来ない。
 それでも、ヴァン・ガーディナが何か考え込んでいる様子なのは見て取れた。

「なかなか壮絶だろう、ご感想は?」

 言葉が見つからない様子で、ヴァン・ガーディナも水で割った酒を一口飲んで、首を振った。
 ヴァン・ガーディナは、ゼルシアを失えば自分も生きていられまいと思ってきたのだ。復讐者達が自分を殺すだろうと。
 けれど、今のヴァン・ガーディナと同じ十七歳でハーケンベルクが置かれた逆境は、ヴァン・ガーディナが想定していた最悪の事態よりも遥かに苛烈で、父皇帝がそれでも生き抜いたという事実は、彼に様々なことを考え直させていた。

「私は些事で、あなたを煩わせたのですね。父上にとっては、私の境遇など進退窮まるものではないでしょう」
「――いいや? そうでもないぞ、おまえがそうして傷ついているのを知るたびに、つくづく、ゼルシアの上手を思い知るよ。あいつは隠すからな。おまえがどんな仕打ちを受けてきたか、私はよく知らないんだ。おまえ、もっと積極的に恨み言を私に吐いて、教えとけ。父親なんだから、甘えればいい」

 ヴァン・ガーディナはかろんと、杯の中の酒と氷を揺らした。何か、慣れない感情が芽生えて落ち着かなかった。

「そのすぐ後だ、アーシャがゼルシアを後宮に連れ込んだのは」
しおりを挟む
感想 3

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(3件)

2021.08.25 ユーザー名の登録がありません

退会済ユーザのコメントです

2021.08.25 冴條玲

ありがとうございます✨
続きも頑張ります!(*´▽`*)

解除
スパークノークス

お気に入りに登録しました~

2021.08.17 冴條玲

ありがとうございます(*´▽`*)

解除
花雨
2021.08.11 花雨

お気に入り登録しときますね(^^)

2021.08.11 冴條玲

ありがとうございます(*´▽`*)

解除

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

ヤンデレにデレてみた

果桃しろくろ
恋愛
母が、ヤンデレな義父と再婚した。 もれなく、ヤンデレな義弟がついてきた。

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

脅迫して意中の相手と一夜を共にしたところ、逆にとっ捕まった挙げ句に逃げられなくなりました。

石河 翠
恋愛
失恋した女騎士のミリセントは、不眠症に陥っていた。 ある日彼女は、お気に入りの毛布によく似た大型犬を見かけ、偶然隠れ家的酒場を発見する。お目当てのわんこには出会えないものの、話の合う店長との時間は、彼女の心を少しずつ癒していく。 そんなある日、ミリセントは酒場からの帰り道、元カレから復縁を求められる。きっぱりと断るものの、引き下がらない元カレ。大好きな店長さんを巻き込むわけにはいかないと、ミリセントは覚悟を決める。実は店長さんにはとある秘密があって……。 真っ直ぐでちょっと思い込みの激しいヒロインと、わんこ系と見せかけて実は用意周到で腹黒なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、他サイトにも投稿しております。 表紙絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真のID:4274932)をお借りしております。

どうぞ、おかまいなく

こだま。
恋愛
婚約者が他の女性と付き合っていたのを目撃してしまった。 婚約者が好きだった主人公の話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。