婚約破棄されたって平気です。

大森蜜柑

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第四章・港町ミナージュ

隠れていれば良いものを

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 団長室へ到着した三人は、ドアをノックし、返事を待った。すると返事が返って来るよりも先にドアは開かれた。ドアを開けたのは、マルクスだった。

「早かったね。僕の言った通りにゆっくり食事してから来るような子達じゃなくて良かったよ。最近はそんなのが多くてね。すまないがちょっと試させてもらった。入りなさい、団長がお待ちだ」

 中に通されると、サンドイッチ片手に奥の執務机で仕事をするギード・ケーニンガー団長が居た。彼は報告書を読むのに集中していて、アナスタシア達が来た事は分かっていてもそれを止めなかった。
 彼の年齢はマルクスと同じか、下手をすれば少し下の様にも見える。優しげで落ち着いたマルクスとは対照的に、ちょっとヤンチャそうな外見は、騎士というより港町で見かけた不良といった風貌だった。制服はきちんと着こなしているものの、焦げ茶の髪は伸ばしっぱなしで肩にかかり、目が隠れるほど伸びた前髪を垂らして、サイドを細かく編み込みにした独特のスタイルにアナスタシアは唖然としてしまった。騎士というのは、いかなる時もきちんと身形を整えていなければならないと教え込まれていて、髪が長ければ後ろで一つに纏めるのが常識だ。勿論アナスタシアもそうしていて、こんなのは初めて見た。
 前髪の隙間から覗く目は鋭く、ブルゲン団長を彷彿とさせる迫力があった。

「なんだ、次の報告書に手を付けてしまったのか。ごめん、呼び出しておいて。あれを読み終えるまで、三人ともそのソファに座って待っていてくれるかい?」
「勿論そちらを優先して下さい。何かあったのですか?」

 険しい表情で報告書を読む団長を見て、アナスタシアはマルクスに質問した。すると彼はあっさりそれに答えてくれた。

「昨日会合に出ていて目を通せなかった分を消化してるだけだよ。あの顔はいつもの事だから、気にしなくても良い。眼鏡をかければ良いのに、折角作っても似合わないから嫌だと言って使わずにその辺に置きっぱなしになっているんだ」 

 そんな会話をしているうちに、団長は一つの束を読み終えていた。乱雑に書類の散らばる机の上を軽く整理すると、疲れているのか徐に立ち上がり、コキコキと首を鳴らして歴史を感じる立派な応接セットのある方へと歩き始めた。

「お前たち、立ってないで座ったらどうだ。マルクス、コーヒー。お前たちも飲むか? こいつのコーヒーはまぁまぁ美味いぞ」
「え?」

 副団長をお茶汲み代わりに使うのを見て、アナスタシアは慌ててそれを手伝いに向った。マルクスの方は慣れたもので、当たり前の様にコーヒーを淹れはじめた。
 広いこの部屋の一角には、執務机に座る団長から見える位置に、一人暮らしのキッチンくらいのちょっとした料理程度なら作れる設備が整っている。重厚感のあるこの部屋の雰囲気にはそぐわないが、それを間仕切りなどもせずオープンな形で使っているらしい。
 とても便利だとは思うが、こういう場合、目に付かないようパーテーションくらい置くものではないだろうか。

「私がやります。こんな事、副団長の仕事ではありませんもの」
「良いんだよ。彼は僕を信用しているからこそ、こうして口にする物を運ばせているんだ。他の人間が出した物は、絶対に食べたり飲んだりしない。でも、今回は君に運んでもらうとするか。君が信頼に値する人物かどうか、見極めたくて呼んだのだと思うよ」
「私が、ですか?」

 マルクスは手際よく全員分のコーヒーを用意してワゴンに乗せた。それをアナスタシアに任せて、団長の隣の席に座った。
 アナスタシアは緊張しながらもワゴンを押して移動させ、団長から順にそれぞれの前にカップを置き、ワゴンを元の位置に戻すと自分も空いていた席に着いた。
 団長はその様子を観察し、頷きながら満足そうに笑った。

「さすがにきちんと躾けられているな。ランスウォールの姫君。所作は完璧だ。メイドや侍女の仕事を良く見ている。早速で悪いが、お前に特命を出す事になりそうなんだ。他人の身の回りの世話をした経験は?」

 突然の話に着いていけず、アナスタシアは困惑した。大体、まだ入団前で、今は挨拶すら済ませていないのに、いきなり特命だなんて荷が重過ぎる。テッドとハワードも驚いた表情をして、身を乗り出す様にしてアナスタシアを見ていた。

「ありません。友人の着替えを手伝った事が有るくらいです」
「まぁ、だろうな。魔法騎士になる訓練は受けていても、将来領主になると決まっている人間が、他の貴族令嬢のように侍女になるための職業訓練なんてする訳がない。なに、今すぐという事ではないから心配するな。入団後、ある屋敷で侍女見習いをしてもらう。一ヶ月で侍女としての身のこなしを習得しろ」

 すでに侍女見習いをする事は決定事項のようだ。マルクスは信頼に値するかの確認と言っていたが、使えるかどうかを見たかったの間違いではないだろうか。
 とは言え、この先女性の護衛に付く事もあるだろう。茶会の席などでは物々しい騎士の制服を着た男性達に警護させる事を嫌う貴婦人も確かにいる。そんな時に女性騎士であれば、侍女として側に居ても場の雰囲気を壊す事も無い。それに女性しか入れない場所や、今までは目の届かなかったバスルームや寝室などにも入る事ができるという利点もある。
 アナスタシアは自分が伯爵を継ぐために頑張って魔法騎士となったわけだが、男性社会の中で本当にやっていけるのか実は少しの不安もあった。しかし女性である事は決して不利ではなく、その事が逆に役に立つと知る事が出来て、俄然やる気が湧いてきた。

「承知しました。精一杯務めさせて頂きます」

 アナスタシアが答えると同時に、団長はまだ湯気がのぼるカップに手を伸ばし、何の躊躇いも無くそれを口にした。今回コーヒーを淹れたのはマルクスなのだから、当然と言えば当然だ。
 団長からの話は済んだようなので、アナスタシア達は改めて団長を前に挨拶を済ませ、使ったカップを片付けて部屋を出ようとした。
 が、その時、団長からふと思い出したように質問が飛んできた。

「アナスタシア、マリエルと言う女を知っているか?」

 思い掛けない名前を聞いて、三人は驚き、同時に振り向いた。

「今、なんと言いましたか? 聞き間違いかもしれないので、もう一度お願いします」

 テッドは何故団長がその名を知っているのか不思議でならなかった。テッドだけではない。アナスタシアもハワードも、同じ気持ちだった。学園では一時期騒動になりはしたが、あの後人知れず消えた男爵令嬢の事など、もう誰も話題にはしないと思っていた。王室からも緘口令が敷かれたお陰で、その後の学園生活では彼女の名を耳にする事は一度も無かったのだから。
 それは誰かがうっかり口を滑らせたという事なのか。確かに衝撃的な事件ではあったし、記憶から消す事は出来ないだろう。

「元男爵令嬢の、マリエル・ミンスだ。お前達は同じ学園だっただろう? 顔を覚えているか?」
「は……はは……まさかここでその名前を聞くとは思いませんでした。勿論覚えていますよ。団長は何を知っているのです?」

 テッドの質問に答える様に、団長は執務机から一枚の報告書を探し出し、それを読み上げ始めた。
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