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12月25日【二十五の夜を越えて】
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病室のカーテンは開け放たれていて、晴れた空が見えています。澄んだ空気を通り抜けてきた陽光が、ゆうちゃんの目の奥をちくちくつつきます。
ゆうちゃんがナースコールを押したあと、お医者さんと看護師さんが来て、ゆうちゃんの体の調子を確認したり、ゆうちゃんの周りに置いてある機械をいじったりしました。
お医者さんはゆうちゃんに、「問題ないでしょう」と言いました。無表情で無愛想でしたが、ゆうちゃんには、むしろそれが好ましく感じられました。
そのほかにも、お医者さんが何かお話をしたのですが、ゆうちゃんはそれを、半分も聞くことが出来ませんでした。なぜなら、とても眠たかったから。とても眠たくて、とうていそれに抗えませんでしたので、ゆうちゃんはお話の途中で、眠ってしまいました。
お医者さんは、それを怒りませんでした。だって、夜なんですから、眠ったって何もおかしくなかったのです。
そして次に目を覚ましたら、すっかり日が昇っていたのです。
「おはようございます」
と、看護師さんがゆうちゃんに話しかけました。
「広原さん、覚えていますか? マンションの植え込みの中で倒れているところを、発見されたんです。それからずっと、目を覚まさないままだったんですよ」
看護師さんが、ゆうちゃんに言いました。
ゆうちゃんは全て覚えていましたので、「ご迷惑をおかけしました」と言いました。看護師さんは困ったように微笑んで、それ以上は何も言いませんでした。
ベッドに横になったまま、ゆうちゃんは窓の外を見上げます。灰色がかった冬の空は、氷のような薄い青。葉のない枝にとまったふくらすずめは、じっと羽を丸めたまま動きません。冬の晴天は、空気をどこまでも尖らせていくのです。
「外はとても、寒いんでしょうね」
と、ゆうちゃんが言いますと、看護師さんは笑いながら「寒いですよお」と言いました。それから、サイドテーブルに置いてあった保温瓶に、お湯を入れてくれました。
「白湯を飲みませんか? 喉が乾いたでしょう」
言われてみれば、ゆうちゃんはとても喉が乾いています。看護師さんの差し出したプラスティックのマグカップには、決してやけどしない温度の白湯が、半分くらい入っています。
「いただきます」
と言って、ゆうちゃんは手を伸ばしました。
その手に、何かが握られていることに気が付いたのは、看護師さんでした。
絶対に離すまいとするかのように、強く強く握られていた手を、ゆうちゃんはゆっくりと開きました。そうして出てきたのは、くしゃくしゃになってしまった、毛糸の巾着袋です。
「いつの間に、こんなものが……」
看護師さんがそれを手に取ろうとしましたので、ゆうちゃんは咄嗟に、巾着袋を胸に抱きしめました。
「これ、私のです」
看護師さんは、不思議そうな顔をしましたが、「私のなんです」とゆうちゃんが言いますと、無理に奪おうとはしませんでした。
ゆうちゃんは、ほっとひと安心。巾着袋を枕元に置いて、今度こそ白湯を受け取って、ひとくち飲みました。お腹のあたりが、ぽわっと温かくなります。
「おいしい」
ゆうちゃんが呟くと、看護師さんは嬉しそうに微笑みました。
温かな白湯を少しずつ飲みながら、ゆうちゃんは、これからのことを考えます。これから、どうしましょう? この世界で、ゆうちゃんは、どうしましょう?
空気は刺すように冷たくて、光は遥かかなたに輝くのみ。ぶ厚い雲に己の姿すら見失い、ひとたび風に煽られれば、ままならぬ流転に巻き込まれるしかない、そんな、険しいこの世界に、果たして負けずにおられるのか。じっとうつむいて、ゆうちゃんは考えます。
だけど、枕元にある毛糸の巾着袋を見て、そんな考えはするりと溶けてしまいました。どうあれ、この巾着袋に入れるものを見付けることが、なにより先決のように思われたのです。
退院したら、海を見に行こう。まずはそれだけを、ゆうちゃんは決めました。
そのためにはしっかり眠って、食べて、体を動かして、話して、笑って、生きなければなりません。それはとても、たいへんなことです。でもゆうちゃんは、そうしようと決めたのでした。
「あ、そういえば」
と、看護師さんが言いました。
「今日は、クリスマスですよ」
看護師さんにつられて空を見上げますと、ビロウドのようにきめ細やかな薄雲が、窓の隅々まで広がっていました。
今は星なんてひとつも見えないけれど、夜まで待てば、この窓にも星は訪れます。たとえばひどくふぶいて、星どころか空の一端すら見えなくなったとしても、時を待てば必ず、ゆうちゃんの頭上に、再び星は現れるでしょう。
星待つ喜びと、星仰ぐ喜びとを幾度となく繰り返して、当たり前の日々が続いていくのです。いつかまた、あの夜に帰る日まで。
ひときわ強い北風が、窓の外の景色を、ざわざわと揺らします。枝にとまっていたふくらすずめが、頼りなげな翼を羽ばたいて、厳しい冬の空へと飛び立っていきました。
ミトラの夢は、これでおしまい。
またね!
<おわり>
ゆうちゃんがナースコールを押したあと、お医者さんと看護師さんが来て、ゆうちゃんの体の調子を確認したり、ゆうちゃんの周りに置いてある機械をいじったりしました。
お医者さんはゆうちゃんに、「問題ないでしょう」と言いました。無表情で無愛想でしたが、ゆうちゃんには、むしろそれが好ましく感じられました。
そのほかにも、お医者さんが何かお話をしたのですが、ゆうちゃんはそれを、半分も聞くことが出来ませんでした。なぜなら、とても眠たかったから。とても眠たくて、とうていそれに抗えませんでしたので、ゆうちゃんはお話の途中で、眠ってしまいました。
お医者さんは、それを怒りませんでした。だって、夜なんですから、眠ったって何もおかしくなかったのです。
そして次に目を覚ましたら、すっかり日が昇っていたのです。
「おはようございます」
と、看護師さんがゆうちゃんに話しかけました。
「広原さん、覚えていますか? マンションの植え込みの中で倒れているところを、発見されたんです。それからずっと、目を覚まさないままだったんですよ」
看護師さんが、ゆうちゃんに言いました。
ゆうちゃんは全て覚えていましたので、「ご迷惑をおかけしました」と言いました。看護師さんは困ったように微笑んで、それ以上は何も言いませんでした。
ベッドに横になったまま、ゆうちゃんは窓の外を見上げます。灰色がかった冬の空は、氷のような薄い青。葉のない枝にとまったふくらすずめは、じっと羽を丸めたまま動きません。冬の晴天は、空気をどこまでも尖らせていくのです。
「外はとても、寒いんでしょうね」
と、ゆうちゃんが言いますと、看護師さんは笑いながら「寒いですよお」と言いました。それから、サイドテーブルに置いてあった保温瓶に、お湯を入れてくれました。
「白湯を飲みませんか? 喉が乾いたでしょう」
言われてみれば、ゆうちゃんはとても喉が乾いています。看護師さんの差し出したプラスティックのマグカップには、決してやけどしない温度の白湯が、半分くらい入っています。
「いただきます」
と言って、ゆうちゃんは手を伸ばしました。
その手に、何かが握られていることに気が付いたのは、看護師さんでした。
絶対に離すまいとするかのように、強く強く握られていた手を、ゆうちゃんはゆっくりと開きました。そうして出てきたのは、くしゃくしゃになってしまった、毛糸の巾着袋です。
「いつの間に、こんなものが……」
看護師さんがそれを手に取ろうとしましたので、ゆうちゃんは咄嗟に、巾着袋を胸に抱きしめました。
「これ、私のです」
看護師さんは、不思議そうな顔をしましたが、「私のなんです」とゆうちゃんが言いますと、無理に奪おうとはしませんでした。
ゆうちゃんは、ほっとひと安心。巾着袋を枕元に置いて、今度こそ白湯を受け取って、ひとくち飲みました。お腹のあたりが、ぽわっと温かくなります。
「おいしい」
ゆうちゃんが呟くと、看護師さんは嬉しそうに微笑みました。
温かな白湯を少しずつ飲みながら、ゆうちゃんは、これからのことを考えます。これから、どうしましょう? この世界で、ゆうちゃんは、どうしましょう?
空気は刺すように冷たくて、光は遥かかなたに輝くのみ。ぶ厚い雲に己の姿すら見失い、ひとたび風に煽られれば、ままならぬ流転に巻き込まれるしかない、そんな、険しいこの世界に、果たして負けずにおられるのか。じっとうつむいて、ゆうちゃんは考えます。
だけど、枕元にある毛糸の巾着袋を見て、そんな考えはするりと溶けてしまいました。どうあれ、この巾着袋に入れるものを見付けることが、なにより先決のように思われたのです。
退院したら、海を見に行こう。まずはそれだけを、ゆうちゃんは決めました。
そのためにはしっかり眠って、食べて、体を動かして、話して、笑って、生きなければなりません。それはとても、たいへんなことです。でもゆうちゃんは、そうしようと決めたのでした。
「あ、そういえば」
と、看護師さんが言いました。
「今日は、クリスマスですよ」
看護師さんにつられて空を見上げますと、ビロウドのようにきめ細やかな薄雲が、窓の隅々まで広がっていました。
今は星なんてひとつも見えないけれど、夜まで待てば、この窓にも星は訪れます。たとえばひどくふぶいて、星どころか空の一端すら見えなくなったとしても、時を待てば必ず、ゆうちゃんの頭上に、再び星は現れるでしょう。
星待つ喜びと、星仰ぐ喜びとを幾度となく繰り返して、当たり前の日々が続いていくのです。いつかまた、あの夜に帰る日まで。
ひときわ強い北風が、窓の外の景色を、ざわざわと揺らします。枝にとまっていたふくらすずめが、頼りなげな翼を羽ばたいて、厳しい冬の空へと飛び立っていきました。
ミトラの夢は、これでおしまい。
またね!
<おわり>
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