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ヒロポン

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第1話「何もない場所の真ん中」

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17歳の春休み、俺は京都の叔父の家に行った。地元にいても暇だったし、何より父親の顔を見たくなかったからだ。

叔父は喫茶店を経営していて、自宅の1階部分が店だ。この店はほとんど常連しか来ないが、もう10年以上も続いていた。

「お前、家にいてばかりだな」カウンターの向こうにいる叔父が、熱いカフェオレを出しながら言った。

「……んん?」俺はスマホから顔を上げた。

「観光してこいよ。せっかくの京都だぞ」

「いや、なんかダルくてさ」俺はカフェオレにフーフーと息を吹きかけた。

「ところでお前、絵はどうした?」

「最近、描いてないな」

「オッサンになってから後悔するぞ。青春は有意義に使わないと」

「じゃあ叔父さんは後悔してんだ」

なにィ、と叔父がにらんだ。

「怒るってことは図星なんだろ?」

少しして、カランカランと涼しげな音と共に、客が入ってきた。

その客は青年で、俺と同い年くらいだった。金属縁の眼鏡をかけていた。青いシャツを着て、オリーブグリーンのチノパンツを履いていた。スラッとした体型だった。

「おお、しばらく」と叔父が言った。

「久しぶりです、マスター」と彼は微笑んだ。綺麗で自然な笑顔だった。

「何にする?」

「アイスコーヒーを」彼は答えたあと、俺から1つ離れた席に座った。

叔父が俺のほうを親指で示した。「俺の甥っ子だ。同い年だし、話し相手になってやってくれよ」

「こんにちは」彼も俺のほうを向き、微笑んだ。

「……どうも」俺も笑顔を作ったが、なんだか俺のはぎこちなかった。

「君、ここらへんの人じゃないよね?」

「え?……ああ、東京の方から」

「やっぱり。雰囲気がなんとなくそうだ」

……俺はそんな東京っぽい雰囲気を出してるのだろうか?(東京といっても、住んでる所は下町だが)むしろ彼の方が垢抜けた印象がある。

「あ、僕は北村せいじといいます」よろしく、と彼は俺に手を差し出した。

「俺は松本ゆうじ」俺も手を出し、ぎこちなく握手した。







「今日、来た子いるだろ?」夕食を取っていた時、テーブルの向こうの叔父が言った。

「北村くんだっけ?」俺は言いながら、箸で煮魚をつついた。

テーブルの上にあるのは、インスタント食品と店の残りものだった。店を閉めてからだと、料理をしてる暇がなかったからだ。

俺が作ればいいのかもしれないが、料理をする気にはどうしてもなれなかった。さすがに食品の買い物くらいはしたが。

「彼、作家なんだよ」と叔父が言った。

「……。作家ってプロの?」

「らしいな。去年、新人賞でデビューして、いま2冊目を書いてるとのことだ」

「……。すごいヤツなんだな」思わず箸が止まってしまった。







翌朝の10時ごろ、俺は京都駅のロータリーをぶらついていた。叔父に言われたからではなく、その日は外出したい気分だった。

駅前は人でごった返していた。リュックサックを背負っていたり、キャリーバックを転がしている観光客が多かった。外国人の姿もちらほら見えた。

彼らを尻目に、カフェに入った。朝食を抜いていたので、何か腹に入れたかった。

俺はカウンターでモーニングを注文し、席を探した。そのとき、ぐうぜん彼に出会った。北村だった。ノートに書きものをしていた。

北村は俺に気づいて微笑んだ。「座る?」

「お邪魔します」俺はおどけて、手前の席に座った。「……執筆活動?」

「マスターから聞いたんだね」と北村は言った。「あまり進まないんだけどね」ノートを閉じ、うーんと伸びをした。

「スランプってやつだ」

「スランプは天才が煮詰まったときを言うんだよ。残念ながら僕はそうじゃないな」

「でも、その歳で作家ってなかなかいないぞ」

「現役高校生で作家なんて、いくらでもいるさ」

「……俺には自慢できることは何もないな」と自嘲気味に言った。

「そんなことないだろう」

「……まぁ、絵は好きでノートによく落書きはしてる」身の入らない授業中なんかは、特に熱心に。

「僕は絵心がないから羨ましいな」と北村が微笑んだ。そして、「何か描いてみせてよ」とノートを開き、俺に差し出した。

「嫌だよ」と俺が言っても、「是非」と北村に返されて、埒が明かなかった。だから俺は、仕返しとばかりに、北村の顔を描いてみせた。

「上手いな」北村は目を丸くした。「いや、お世辞抜きに。イラストレーターとか目指してるの?」

「まさか」と俺は苦笑した。なれる訳ないだろ、そんなもの。

そのとき、俺が注文したモーニングが来た。コーヒーとトーストがテーブルに置かれた。

店員が去ったあとで、俺は北村を見やった。北村はまだ絵を見ていた。「いや、本当に上手いって」

「……」お世辞だとしても嬉しかった。







そのあとで、「映画でも観に行かないか?ちょうどチケットが2枚ある」と北村が提案したので、俺たちはショッピングモールにある映画館に行った。

その映画はアニメだったが、かなり難解だった。監督が押井守だからだ。俺は途中でウトウトしたが、隣の北村は真剣だった。

映画が終わったあと、俺たちはそのショッピングモール内にあるマックに行き、軽く食事した。

「悪かったね。あんなに難しい話だとは思わなかった」と北村が言った。

「有名だぞ、あの監督の映画はメチャクチャむずいって」と俺は不平を言った (内容の10分の1も理解できなかった) 。タダで観といてなんだが。

「いや、アニメやマンガはあまり詳しくないんだ。創作をするなら、もっと色んなジャンルに目を通すべきなんだけどね」

そのあとで、映画は小説の勉強になる、と北村が話した。「映画1本で小説1冊分ぐらいだからね、構成の勉強にいいんだ。他にも、映像を文章に置き換えることで、文章力も鍛えられる」

「そうやって観るの、あまり楽しくなさそうだな」俺は言い、ビッグマックにかじりついた。

「ほとんど職業病だ」と北村が微笑んだ。「でも娯楽としてもちゃんと観るよ。で、しっかり感動する。感動は創作のモチベーションでもあるしね」

「押井守の映画で感動するのは、俺にはムズいな」と茶化した。だけど『感動は創作のモチベーション』というのは、分からなくもなかった。







翌日の昼過ぎ、俺は相変わらず、叔父の喫茶店でダラダラしていた。

「お前、家でもそうやってダラダラしてるのか?」叔父はグラスを磨きながら尋ねた。

まあね、と俺はカウンターに突っ伏しながら答えた。別にしなくちゃいけないこともないし、当面。

「彼女とかいないのか?」

「一瞬いたけど別れた」

「喧嘩か?」

「セックスさせてくれなかったから」

「アホか」叔父は呆れたように言った。

実際は叔父の言うとおり喧嘩が原因だった。LINEで口論してそれっきりだ。……いま思うと、しょうもないことで言い合ったもんだ。

「……ところで、北村って彼女とかいるのかな?」

「2、3回見たぞ、ここで」

「へぇ」女に興味がないのかと思ってた。ストイックという意味で。

そこでドアの鐘が鳴った。北村だった。アイスコーヒーを頼んだあと、俺の隣に座った。

「今日はここで執筆ですか?」俺は敬語でおどけて尋ねた。

「いや今日は……というか当分書かないことにしたんだ」と北村が答えた。

叔父がアイスコーヒーを出した。「なんだ、スランプか?」

「スランプは天才に対して使う言葉ですよ」北村が昨日と同じようなことを言った。「まぁ、煮詰まってるのは確かですけど……」

「しばらく付き合ってくれないかな?」北村が唐突に俺に言った。「ちょっと話し相手が欲しいんだ。君も暇をもて余してそうだしいいだろ?」

「失礼な」と俺は言った。さっきまでダラダラしてた身だが。

「月並みなようだけどさ、スランプの解決法は気分転換なんだ」

「スランプって言ってんじゃん!」

北村が笑った。「便宜的にそう言っただけだ」







……という理由で、俺と北村はそれからも会うようになった。

俺たちはどうせならということで、街を散策し、有名な神社仏閣を回った。地元なので、北村がいろいろ案内してくれた。

俺の金はすぐに枯渇したが、北村が途中で『出世払い』という名目で出してくれた。「気にしなくていい。新人賞の賞金がまだ残ってるんだ」

北村は、行きつけのロシア料理店にも連れて行ってくれた。外観も内装もなんだか高そうだったが、ランチが千円ちょっとで食べられたので、俺は内心ホッとした。

ロシア料理を食べながら、俺たちはとりとめもなく話した。話題はもっぱら映画だった。その頃、共通の話題はそれだけだったからだ。

北村がナイフとフォークでカツレツを切り分けながら話した。「『イエスマン』は面白いし構成も分かりやすいから教材としてもよく観返すんだ。それで……」

「……いや、そういう踏み込んだ話はやめてくれ」……そこまではついていけん。







そのあと2日間、雨が続いた。バケツをひっくり返したような、どしゃ降りだった。

さすがに北村は連絡してこなかったし、俺もしようとは思わなかった。

俺は叔父の喫茶店で絵を描いて過ごした。なんだか急に描きたくなったのだ。こんなに集中して描いたのは、小学生以来だった。

「おい、どういう心境の変化だ?」叔父が不思議そうに尋ねた。

「反動だ、反動」俺は適当に答えておいた。







雨があがった日の夜、俺は自室のテレビで古い映画を観てから、ベッドに入った。

……少ししてスマホが震えた。北村からのLINEだった。『よければ、今から会わないか?』とのことだった。相変わらず、絵文字もスタンプもない、乾いた文面だった。

俺は自転車で、待ち合わせ場所の荒神橋まで行った。暗闇のなか、人影が橋の欄干に寄りかかっていた。「なんか眠れなくてさ」と北村がスマホをしまいながら笑った。

河川敷のベンチに俺と北村は座った。雨のあとだから、草の匂いが鼻をついた。鴨川には、明るい月が揺らめいていた。心地いい風が吹いていた。

「差し入れだ」北村がコンビニの袋を2つ置いた。中身はチューハイ数缶とスナック菓子2袋。

「優等生が酒を買っちゃダメだろ」俺はニヤニヤしながら、チューハイのプルタブを開けた。プシッと小気味いい音が、辺りに響いた。

「酒くらい構うもんか」北村もプルタブを開けた。「だいたい優等生じゃないよ、僕は」

「1人称が『僕』で、眼鏡をかけてて、小説を書いてるのに?」

「おもいっきり偏見だ」と北村が笑った。「そもそも、僕は学校に行ってないんだ。そんな優等生いないだろ?」

「……そうなのか?」

「馬が合わなくてね、クラスメイトや担任と。ある日、何もかも面倒臭くなって、それ以来、不登校だ」北村は缶に口をつけた。「……まあ、よくある話だな」

君もそういうのはないか?と北村が尋ねた。

「いや、俺はわりかし器用だからな。うまく立ち回っていけてる」なんだか、その台詞は皮肉みたいで、俺は少し後悔した。

「……そうか」北村はどこか寂しげに言った。



「君は死にたくなったことはないか?」少しして、北村がそう尋ねた。

「酔ってるな」と俺は茶化した。

「どうなんだ?」と北村が続けた。

「……そうだな」俺は水面の月を眺めた。風が吹いて、月が揺れた。「……ないな、今のところは」

「僕はあるんだ」と北村が言った。「生きてても仕方ないと思ったんだ」

「……生きてても仕方ない?」

「全部、無意味に思えたんだよ。自分も家族も学校も。世界とか未来とか。いわゆるニヒリズムだ」

「……」

「だから死のうとした。自室のドアノブにベルトをかけて。……でも怖気づいたんだ。希死念慮より、恐怖心が強かったわけだ」

「……それで、どうしたんだ?」

「結局、生きるしかないと思った。事故や病気や寿命で死ぬまでは、生きるしかないんだって。……そのときに小説を書こうと思ったんだ」

「……何で」

「死ぬまでは何かして時間を潰さなきゃいけない。どうせなら興味のあることで潰したほうがいい。それが理由だ」

本当は映画を作りたかったんだけどね、と北村は続けた。「でも映画は1人じゃ作れないし、お金もかかる。だから代償行為として、小説を書いてる。それで今に至るわけだ」

「……北村、お前さ」

「?」

「サバ読んでるだろ、歳」

北村が笑う。「まさか」

……同じ年月を生きてても、いろいろ考えてるヤツもいれば、そうじゃないヤツもいるんだな。……そうじゃないヤツというのは、もちろん俺のことだ。

「俺も何かやろうかな」酔ったはずみで言ってみた。「まぁ、人生が長いのは確かだしな」

北村が俺の顔を覗き込んだ。「何をするんだ?」

「秘密だ」俺は笑って、缶の残りを飲み干した。
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