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第一部:オフィス侵攻編
第十二話:公園の独り言と、死んだ目のおにぎり
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正午。
綺羅々は、オフィス街の片隅にある、鳩と日雇い労働者しかいない寂れた公園のベンチにいた。
午前中の「部長の領収書処刑」によるアドレナリンはすでに枯渇し、今は二日酔いの残滓と、空腹という名のバグが彼女を蝕んでいる。
「……はぁ。……死ぬ。今日の私、物理的にシャットダウン寸前」
コンクリートの照り返しが、三層に塗り固めたコンシーラーの層をじわじわと内側から浮かせていく。
皮脂とアルコールの分解産物が混ざり合い、顔面が重い。
彼女は、コンビニで買った「半額シール付きのツナマヨおにぎり」を無造作に剥く。
フィルムを剥がす際、不器用にも海苔の一部を破いてしまったが、今の彼女にはそれを悔やむリソースすら残っていなかった。
米粒が指先に付着するが、拭き取る気力もない。
ズボラ。
その一言に尽きる姿で、彼女は虚空を見つめながらおにぎりを口に放り込んだ。
噛みしめるたびにツナマヨの油脂が、酒に荒れた胃壁に容赦なく、かつ暴力的な安らぎを与えていく。
「福……お前はいいよなぁ。ひまわりの種を齧ってるだけで、横領の証拠を探さなくていいんだから……」
昨夜、ストロング缶を飲み干しながら、狭いケージの中のハムスターへぶちまけた愚痴が、アスファルトの陽炎と共に脳内に逆流する。
(……あ、私、昨日『お前を課長にしてやる』とか言ってた気がする。最悪だ。ハムスターのキャリアパスを考えてどうするんだ私)
自己嫌悪の加速。それは、酒が抜けていく際の生理的な現象だと分かっていても、精神の「未割り当て領域」を暗い後悔で埋め尽くしていく。
そんな彼女の「死んだ目」の前に、巨大な影が差した。
「南野先輩。……こんなところで、何してるんですか?」
犬飼だった。
彼は、小洒落たカフェのテイクアウトコーヒー――名前もよく分からない、意識の高そうなホイップの乗った何か――を手に、心配そうに、あるいは若干引いたような表情で綺羅々を見下ろしている。その瑞々しく、何の隠蔽(コンシーラー)も必要としない若さが、今の綺羅々には直射日光よりも眩しくて痛い。
「……犬飼くん。見て分からない? 私の細胞に、炭水化物を『上書き保存』している最中よ」
綺羅々は目を合わさず、おにぎりの残りを口に押し込んだ。
「いや、でも……先輩。それ、おにぎりの包み紙、半分食べてますよ。あと、鼻にマヨネーズ付いてます。……大丈夫ですか? 壊れてませんか?」
「……無視しなさい(エラー)。これは、最新の栄養摂取プロトコルよ。……それより、部長は?」
「それが……先輩が『修正(デリート)するか監査に回すか』って宣告した後、部長、三十分くらいトイレから出てこなかったんです。で、さっき社長室に呼び出されて……。出てきた時、顔が真っ白でしたよ。紙袋持ってたから、たぶん私物まとめさせられてるんじゃないかな。……先輩、やりすぎじゃないですか?」
犬飼の言葉に、綺羅々は最後の一口を飲み込み、ゆっくりと立ち上がった。
立ちくらみが視界を揺らしたが、鉄の意志で平衡感覚を強制修正する。鼻のマヨネーズを手の甲で無造作に拭い、コンシーラーの下で再び「社畜女神」のスイッチを入れる。瞳の光を、ズボラ女から冷徹な事務員へとフォーマットする。
「やりすぎ? ……いいえ。私はただ、会社の資産(お金)と、私の精神衛生(パッション)の整合性を取っただけ。……それに、あの部長のタクシー代四千八百円を放置することは、会社の貸借対照表(バランスシート)への冒涜よ」
彼女は犬飼が持っている甘ったるいコーヒーを一瞥し、鼻で笑った。
「……さて、おにぎりパワーも入ったことだし。部長の『空席』をどう埋めるか、計算しに行きましょうか。……あるいは、その席に新しい『バグ』が座るのを阻止しにね」
本日も、晴天なり。
午後からは、もっと激しい「嵐」になりそうな予感を抱え、彼女は再びオフィスという名の戦場へ歩き出した。
綺羅々は、オフィス街の片隅にある、鳩と日雇い労働者しかいない寂れた公園のベンチにいた。
午前中の「部長の領収書処刑」によるアドレナリンはすでに枯渇し、今は二日酔いの残滓と、空腹という名のバグが彼女を蝕んでいる。
「……はぁ。……死ぬ。今日の私、物理的にシャットダウン寸前」
コンクリートの照り返しが、三層に塗り固めたコンシーラーの層をじわじわと内側から浮かせていく。
皮脂とアルコールの分解産物が混ざり合い、顔面が重い。
彼女は、コンビニで買った「半額シール付きのツナマヨおにぎり」を無造作に剥く。
フィルムを剥がす際、不器用にも海苔の一部を破いてしまったが、今の彼女にはそれを悔やむリソースすら残っていなかった。
米粒が指先に付着するが、拭き取る気力もない。
ズボラ。
その一言に尽きる姿で、彼女は虚空を見つめながらおにぎりを口に放り込んだ。
噛みしめるたびにツナマヨの油脂が、酒に荒れた胃壁に容赦なく、かつ暴力的な安らぎを与えていく。
「福……お前はいいよなぁ。ひまわりの種を齧ってるだけで、横領の証拠を探さなくていいんだから……」
昨夜、ストロング缶を飲み干しながら、狭いケージの中のハムスターへぶちまけた愚痴が、アスファルトの陽炎と共に脳内に逆流する。
(……あ、私、昨日『お前を課長にしてやる』とか言ってた気がする。最悪だ。ハムスターのキャリアパスを考えてどうするんだ私)
自己嫌悪の加速。それは、酒が抜けていく際の生理的な現象だと分かっていても、精神の「未割り当て領域」を暗い後悔で埋め尽くしていく。
そんな彼女の「死んだ目」の前に、巨大な影が差した。
「南野先輩。……こんなところで、何してるんですか?」
犬飼だった。
彼は、小洒落たカフェのテイクアウトコーヒー――名前もよく分からない、意識の高そうなホイップの乗った何か――を手に、心配そうに、あるいは若干引いたような表情で綺羅々を見下ろしている。その瑞々しく、何の隠蔽(コンシーラー)も必要としない若さが、今の綺羅々には直射日光よりも眩しくて痛い。
「……犬飼くん。見て分からない? 私の細胞に、炭水化物を『上書き保存』している最中よ」
綺羅々は目を合わさず、おにぎりの残りを口に押し込んだ。
「いや、でも……先輩。それ、おにぎりの包み紙、半分食べてますよ。あと、鼻にマヨネーズ付いてます。……大丈夫ですか? 壊れてませんか?」
「……無視しなさい(エラー)。これは、最新の栄養摂取プロトコルよ。……それより、部長は?」
「それが……先輩が『修正(デリート)するか監査に回すか』って宣告した後、部長、三十分くらいトイレから出てこなかったんです。で、さっき社長室に呼び出されて……。出てきた時、顔が真っ白でしたよ。紙袋持ってたから、たぶん私物まとめさせられてるんじゃないかな。……先輩、やりすぎじゃないですか?」
犬飼の言葉に、綺羅々は最後の一口を飲み込み、ゆっくりと立ち上がった。
立ちくらみが視界を揺らしたが、鉄の意志で平衡感覚を強制修正する。鼻のマヨネーズを手の甲で無造作に拭い、コンシーラーの下で再び「社畜女神」のスイッチを入れる。瞳の光を、ズボラ女から冷徹な事務員へとフォーマットする。
「やりすぎ? ……いいえ。私はただ、会社の資産(お金)と、私の精神衛生(パッション)の整合性を取っただけ。……それに、あの部長のタクシー代四千八百円を放置することは、会社の貸借対照表(バランスシート)への冒涜よ」
彼女は犬飼が持っている甘ったるいコーヒーを一瞥し、鼻で笑った。
「……さて、おにぎりパワーも入ったことだし。部長の『空席』をどう埋めるか、計算しに行きましょうか。……あるいは、その席に新しい『バグ』が座るのを阻止しにね」
本日も、晴天なり。
午後からは、もっと激しい「嵐」になりそうな予感を抱え、彼女は再びオフィスという名の戦場へ歩き出した。
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