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第一部:オフィス侵攻編
第十七話:ハムスターへの戦勝報告と、泥酔のデータ入力
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午後二十一時五十分。
安アパートのドアを開けた瞬間、綺羅々は靴を揃えることすら放棄し、パンプスを脱ぎ散らかして玄関の冷たいフローリングに倒れ込んだ。
今日の疲労度は、これまでの無能な部長相手の立ち回りとは次元が違っていた。新任・一条という「感情を切り捨てた計算機」との対峙は、彼女の脳内メモリを極限まで使い果たし、今やシステム終了(シャットダウン)寸前の警告音が鳴り響いている。
「……あー、死んだ。今日の私、完全にログアウト。……撤収、解散、強制終了(デリート)……」
オフィスでのあの冷徹な「社畜女神」の面影は、もはや微塵もない。
彼女は這うような動作でキッチンへ向かうと、洗っていない鍋や食器が積み上がったシンクを視界から消去(非表示)し、冷蔵庫の奥から「ストロング系の缶チューハイ」を二本、同時に掴み出した。
プしッ、プシュッ。
連射される快音が、静まり返った六畳一間に虚しく、しかし力強く響き渡る。
「……くぅぅぅ! 肝臓に直接上書き保存(セーブ)されるわ……。これが私の、唯一の『正常系』ルートよ……」
夕食を作る気力など、アスファルトの陽炎の中に捨ててきた。
彼女は、いつからそこにあるのか判然としない冷凍チャーハンの袋をレンジに放り込み、適当な秒数で加熱する。皿に出す手間など、人生の無駄(ラグ)でしかない。袋を器代わりにし、プラスチックのスプーンでかき込む。これが彼女の、誰にも見せられない、しかし最も最適化された「生存戦略(ズボラ飯)」だった。
「おーい、福(ふく)……。聴いてるかぁ? お前だけだよ、裏切らないのは……。ほら、今日は特別に『黄金の種』を追加してやるぞぉ……。私の血と涙の残業代、全部食え……」
呼びかけると、部屋の隅から一匹のジャンガリアンハムスターが、眠そうに、しかし種の気配に敏感に顔を出した。
綺羅々は酔った勢いで、ゲージの前にべったりと張り付く。
「福……聴いてよぉ。今日の一条って男、マジで『未定義の変数』どころか『未確認の生命体』並みに意味不明だったのよ。VLOOKUPに頼りすぎ? 計算が重い? うるせーわよ! 事務職の矜持をなんだと思ってるの。あいつの脳内、たぶん全部二進法でできてるんだわ……。絶対、血の代わりに冷却水が流れてるのよ……」
彼女は二本目のストロング缶を煽りながら、熱弁を振るう。
福は、綺羅々のアルコール臭い絡みを華麗にスルーし、供えられたオーガニックな種を黙々と頬袋に詰め込んでいる。その、計算も忖度もない無関心さが、今の綺羅々には何よりの救いだった。
「いいよねぇ、お前は……。Excelのショートカットキーを競う必要もないし、コンシーラーを三層に塗り固めて『死に損ないの顔』を隠す必要もない。……あー、もう無理。お風呂、明日でいいかな……。どうせ明日も、あいつの冷たい目でデバッグされるんだし……」
半分溶けかけたコンシーラーが、枕に付着するのも構わず、彼女は福のゲージに指を突っ込んで「もみくちゃ」にしようとして、案の定、鋭い前歯で指先をデリート(噛)された。
「……痛っ。……あはは、エラー処理されちゃった。……でもね福、私は負けないわ。あいつのロジックを、私の『現場の泥臭さ』で、ぐちゃぐちゃに上書きしてやるんだから……」
酔いと疲労が限界を超え、彼女の意識は深い、深い、泥のような眠りへと沈んでいく。
明日もまた、六時三十分に「死に損ないの自分」を修復(メイク)する地獄が始まる。
本日も、晴天(という名の強制労働)なり。
安アパートのドアを開けた瞬間、綺羅々は靴を揃えることすら放棄し、パンプスを脱ぎ散らかして玄関の冷たいフローリングに倒れ込んだ。
今日の疲労度は、これまでの無能な部長相手の立ち回りとは次元が違っていた。新任・一条という「感情を切り捨てた計算機」との対峙は、彼女の脳内メモリを極限まで使い果たし、今やシステム終了(シャットダウン)寸前の警告音が鳴り響いている。
「……あー、死んだ。今日の私、完全にログアウト。……撤収、解散、強制終了(デリート)……」
オフィスでのあの冷徹な「社畜女神」の面影は、もはや微塵もない。
彼女は這うような動作でキッチンへ向かうと、洗っていない鍋や食器が積み上がったシンクを視界から消去(非表示)し、冷蔵庫の奥から「ストロング系の缶チューハイ」を二本、同時に掴み出した。
プしッ、プシュッ。
連射される快音が、静まり返った六畳一間に虚しく、しかし力強く響き渡る。
「……くぅぅぅ! 肝臓に直接上書き保存(セーブ)されるわ……。これが私の、唯一の『正常系』ルートよ……」
夕食を作る気力など、アスファルトの陽炎の中に捨ててきた。
彼女は、いつからそこにあるのか判然としない冷凍チャーハンの袋をレンジに放り込み、適当な秒数で加熱する。皿に出す手間など、人生の無駄(ラグ)でしかない。袋を器代わりにし、プラスチックのスプーンでかき込む。これが彼女の、誰にも見せられない、しかし最も最適化された「生存戦略(ズボラ飯)」だった。
「おーい、福(ふく)……。聴いてるかぁ? お前だけだよ、裏切らないのは……。ほら、今日は特別に『黄金の種』を追加してやるぞぉ……。私の血と涙の残業代、全部食え……」
呼びかけると、部屋の隅から一匹のジャンガリアンハムスターが、眠そうに、しかし種の気配に敏感に顔を出した。
綺羅々は酔った勢いで、ゲージの前にべったりと張り付く。
「福……聴いてよぉ。今日の一条って男、マジで『未定義の変数』どころか『未確認の生命体』並みに意味不明だったのよ。VLOOKUPに頼りすぎ? 計算が重い? うるせーわよ! 事務職の矜持をなんだと思ってるの。あいつの脳内、たぶん全部二進法でできてるんだわ……。絶対、血の代わりに冷却水が流れてるのよ……」
彼女は二本目のストロング缶を煽りながら、熱弁を振るう。
福は、綺羅々のアルコール臭い絡みを華麗にスルーし、供えられたオーガニックな種を黙々と頬袋に詰め込んでいる。その、計算も忖度もない無関心さが、今の綺羅々には何よりの救いだった。
「いいよねぇ、お前は……。Excelのショートカットキーを競う必要もないし、コンシーラーを三層に塗り固めて『死に損ないの顔』を隠す必要もない。……あー、もう無理。お風呂、明日でいいかな……。どうせ明日も、あいつの冷たい目でデバッグされるんだし……」
半分溶けかけたコンシーラーが、枕に付着するのも構わず、彼女は福のゲージに指を突っ込んで「もみくちゃ」にしようとして、案の定、鋭い前歯で指先をデリート(噛)された。
「……痛っ。……あはは、エラー処理されちゃった。……でもね福、私は負けないわ。あいつのロジックを、私の『現場の泥臭さ』で、ぐちゃぐちゃに上書きしてやるんだから……」
酔いと疲労が限界を超え、彼女の意識は深い、深い、泥のような眠りへと沈んでいく。
明日もまた、六時三十分に「死に損ないの自分」を修復(メイク)する地獄が始まる。
本日も、晴天(という名の強制労働)なり。
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