ギター女子は勇気が出ない

山下真響

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ギター女子は勇気が出ない

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 屋代やしろ ひかりは、ごく平凡な高校生のはずだった。背が平均よりやや低く、髪がストレートパーマをあてたかのように真っ直ぐで艷やかな長い黒髪であることを除くと、これといった外見的な特徴も無い。

 転機が訪れたのは、高校一年生の秋。文化祭のことだった。ステージに立つ同じクラスの男子で構成されたバンド。なかなかテレビには登場しない、ややマイナーなアーティストのコピーソングは、めくるめくカラーライトが踊り狂う体育館の中を熱狂の渦に変えた。その中心でギターを抱え、シャウトしていたのが通称シノこと、篠川しのかわ 煌紀こうきである。

 光は、衝撃を受けていた。百面相していたように見えたのは、ステージの照明のせいではない。両親は公務員と専業主婦。歳の離れた姉は既に銀行員と結婚して家を離れている。そんな家庭環境で、慎ましく生真面目な学生生活を送っていた光の中に、稲妻が走り抜け、これまでの固定概念で踏み固められた硬い地面に大きな地割れが起こったのだ。

 これは、恋。

 という事実に、すぐに自覚することもできず、光は眠れぬ夜をしばらく過ごす。この胸の高鳴りは何かの病気ではないのかと、本気で心配する程に。

 しかし、気のおけない友人にも相談することができない。どこか気恥ずかしくなってしまう時点で、それは恋愛以外の何者でもないのに、光はひたすら別のことに集中しようとしていた。

「お父さん。このギター、もらってもいい?」
「いいよ。でもいきなり、どうしたんだ?」
「(お近づきになりたい人がいるので)がんばってみたくなったの」

 父親は、昔取った杵柄とやらを武器に、光に自らのアコースティックギターのテクニックを叩き込み始めた。元々、光には素質があったのだろう。水を吸うスポンジのように次々に自分のモノにしていった。

 それは、あっという間にオリジナルソングの作曲。果ては、駅前で披露するところにまで続いていったのだ。

 ここまで勢いづいてしまったのは、父親のせいだけではない。敢えて、悪友とは言わずにおこう。光の親友、縁の差し金だった。

「シノも自分で歌を作っているらしいよ」
「駅前だったら、シノも通りかかるかもしれないし」
「光の歌唱力なら、シノも聞き惚れるんじゃないかな?」
「分かった! 私、がんばる!」

 縁には分かっていた。光がシノに恋していることなんて、長年の友人の目は誤魔化せない。と同時に、光の急成長や隠れた才能には舌を巻いていたのだ。これは、徹底的に煽って盛り上げるしかない!と。

 小柄な光がギターを持つと、子供が無理やり大人服を着たような可愛らしさがある。そして、意外にもよく通る声。見た目からは想像もつかない力強さがあるのだ。さらには、ギターを抱えた時の瞳。一昔の漫画のように、いくつものキラキラが詰め込まれて溢れている。要するに、大変魅力的で、凛々しい少女へとスイッチが切り替わるのだ。

 ギターがある。歌がある。それだけで、こうも人は変われるのか。縁は唸りながら、次なる作戦を考えていた。

 光は、ギターを弾きながら歌うようになったことで、形ばかりはシノの姿に追いつきつつあった。しかし、音楽という共通点を増やしたところで、まだまだ二人の距離感は変わらない。むしろ、最近は少し遠のいてしまったかもしれない。

 発端はある日の昼休みのことだった。

「シノの方がカッコいいから!」
「あんなの乱暴なだけじゃん! 光の方が百倍すごいんだから!」

 なぜか、クラスの女子の中でシノ派と光派に割れて喧嘩が勃発してしまったのだ。

 光は、なぜか女子にモテるようになっていた。歌う時だけは、邪魔にならないようにとサイドを編み込みにして髪をまとめて雰囲気を変える。ややクールな少女になるのだ。そして迷いなく刻まれるストロークと、繊細かつ丁寧で、正確さのあるアルペジオで魅せるギター。恋までいかない恋を叫ぶオリジナルソングも、その控えめで幼気な歌詞と切ないメロディで人気の理由になっていた。

 一方、シノのファンは学内だけに留まらない。地元の箱で年に数回、先輩バンドの前座として登場し、その認知度と彼のカリスマ性がたくさんの男女を虜にしていた。ぽっと出の光とは違い、かなりしっかりとした地盤があるのだ。

 睨み合う女子達。そこへ仲裁するように歩み出てきたのが縁だ。

「よーし、こうしよう。シノと光で対決してもらおうよ! 来週のどこかで、放課後、体育館を借りられないか、あたし先生に聞いてくる!」

 それを遠巻きに眺めていた光は、明らかに戸惑った様子で。ギターを持っていない光は、どこか自信がなさそうに見える。

「大丈夫だよ」

 縁は光に頷いてみせた。
 きっと、うまくいくと。


   ◇


 シノは苛立っていた。確かに、同じ学年でギターを弾ける女子なんて、屋代光しか知らない。女子が楽器を嗜むと言えば、たいていはピアノだ。金持ちになればバイオリンをやる人もいると聞いたことはある。しかしギターという選択肢は、やはり男性的なイメージが強いらしく、クラスの女子にはそんな偏見をもった者もいるようなのだ。

「光の癖にギターだってさ」
「あの子、そんなキャラじゃなくない? まじ、おもしろいんだけど」
「ま、ちょっと目立ったところで、シノには視界にすら入れてもらえないのにね」
「そうだよねー」

 その『シノ』が廊下から聞き耳を立てているなんて、彼女たちは全く気づいていないのだろう。シノは、忌々しげに曇りガラス越しに女子達を一瞥した後、重いギターケースを肩に背負い直して歩き出した。今日はスタジオに入ることになっているのだ。

 スタジオの使用料は高い。高校生のシノは、バイトで貯めた金をほとんどコレに注ぎ込んでいる。

「シノ、何かあった?」
「お前は、女がギターとか音楽やるってのはダサいと思う?」

 お前と呼ばれた男、祐也は、赤メッシュを入れた髪を揺らして笑った。シノには、何が可笑しいのか全く分からない。

「なぁ、来週の放課後ってずっと空いてる?」

 シノは、低い声でぶっきらぼうに返事した。

「空いてるけど、何?」
「じゃ、縁にOKって言っとくわ」
「お前、女いたっけ?」
「なんでいないと思うわけ?」

 シノは一旦口を閉じる。

「今日は早めに上がる」
「駅前?」
「うん」
「そろそろ声かけてあげなよ」
「うるさい」

 シノが詳細を聞かされるのは、翌日の昼休みのことだった。

 午後からの授業は、早速歌詞作りに充てられた。シノにとって、これはチャンス以外の何モノでもなかったからだ。

 そしてそれは、光も同じことだった。黒板の白チョークを追うクラスメイトを横目に、シャーペンの芯がノートの上を疾走して、抑えきれない思いの丈を綴っていく。それはもはや歌詞ではなく、恋文だった。

 ここでようやく、光は気づくのだ。自分がシノのことを好きだということに。


   ◇


「皆様、ようこそお集まりくださいました。只今から、シノと光の歌合戦の始まりです!」

 翌週の木曜日。シノ推しの女性教員が、演劇部を言いくるめて体育館の舞台を確保し、文化祭の盛り上がりの再来を予感した他の部活動も急遽休みに。元々帰宅部の生徒まで押しかけてきて、観客はニ百人にまで達していた。

「縁、私、無理」

 ギターを抱えてカタカタ震える光は、小動物的な愛らしさがある。これまで駅前で知らない人達相手に歌うことはあったが、よく知っている人の前、しかもこんな大人数を前にして歌うのは初めてなのだ。

「大丈夫だよ」

 縁の笑顔は人を安心させる効果があるらしい。光は小さく頷いて、軽く目を閉じた。

 新しいオリジナルソングは、すっかり暗記しているため、楽譜は持ってきていない。それはシノも同じだ。今日はシノも一人で舞台に立つ。一部の女子からは、バンド編成で見たいというブーイングがあがっていたが、それはシノの周りのメンバーが何とか窘めて、静まった。元々シノは、中学の頃からソロ活動もしていたのだ。

「光、出番だよ」

 先行は、光。
 体育館の高い窓から差し込むのは、彼女を照らすスポットライト。舞台からは、思い思いの格好で座り込む生徒達や、教師の姿が見える。

 マイクは無い。
 光は、チラリと舞台袖にいるシノの方を見た。目が合った。これは、光の勘違いでなければ、あの文化祭以来、合計百八十二回目のアイコンタクトだ。

 すっと息を吸い込む。ギターをしっかりと身体に引き寄せ、ネックを握ると固くなった左手の指に弦が沿う。

「歌います」





人気者の君は いつも遠い
キラキラオーラがバリアになってる
君の歌う声は いつも綺麗
どんなに荒いサウンドも
汚すことのできない
透明を持っているのね
きっと

君が好き って言えたらいいのに
お風呂の中で お湯に潜って練習するんだ
恥ずかしさも シャボンに消える
朝起きた時も 今日こそはって

午後の授業
眠くなって外を見たら
窓際の君と目が合って
勘違いしちゃうよ どうしよう



君の彼女はどんな人?
それすら私は知らないよ
君はどんな夢を見る?
私は毎晩君と会ってる 眠りの世界
会えない君の寝顔を見たくって
睡眠学習みたいにして
私の本気 耳元で囁くの

君と居たい って言えたらいいのに
一秒でいいんだ 君の彼女のフリをして
一緒に帰ろうって 誘ってみるんだ
その腕に抱きついて

嘘でもいいから
好きって言われたくなるなんて
病気でしょ
でもきっと言われたら
たちまち治る

諦められる
君が好き

諦めたくない
君が好き
君が好き





 光が、弦の音をピタリと止めた。
 外から、運動部の掛け声と笛を鳴らす音が聞こえてくるだけ。

 一人、また一人とその場に立ち上がる。拍手がパラパラと響き始めた。それが少しずつ増えて、広がって、大合唱になって。

 光は深く頭を下げると、そのまま逃げるようにして舞台袖に引っ込んだ。

 次は、シノの番だ。


   ◇


「光、大丈夫?」

 すっかり暗くなって、誰もいなくなった体育館前。上履きから靴に履き替える途中で機能停止していた光を、縁は乱暴に揺さぶっていた。

「私、勝負に勝って、恋に負けたのかな」

 光はぼんやりとする頭で、先程までのことを思い返していた。

 シノの舞台は圧巻だった。初めから全員立っていた。シノは観客を煽るのも上手いし、この手の場には慣れている。安定の歌唱力。いつもはチケット代を払わなければ見れないステージを学校という場で目の当たりにできるというお得感。サビの部分では興奮しすぎて泣き崩れそうになる女子もいた程で。

 しかし歌合戦の結果は、そんな女子達の予想を裏切るものになった。

 縁が事前に準備していたネット上のアンケートサイト。そこに、どちらが良かったか投票して、自動集計するシステムになっていた。

 軍配が上がったのは、光だった。

 シノと比べると遥かに素人くさいステージ。でもついつい応援したくなる魅力。これからもっと大化けしそうな予感。さらには、いつも平凡を地で行く少女のステージ上での変貌ぶりは、集まった多くの男子勢に夢と希望と期待を与えたのだ。

「光、これからモテ期が来るかもね」
「そんなのいらない。私は、私は……」
「ねぇ、光。本当に諦めるの?」

 縁にとって予想外だったのは、光の歌詞だった。弾けんばかりの恋心を初めから諦めて閉ざしている。きっとこのステージでは、もっと大胆な歌を歌って、シノに何かを届けようとすると踏んでいたのだ。

「だって。好きなのは私だけだって、分かっちゃったもん」

 光は完全にラブソング。対するシノは、全く恋愛とは関係のない歌だった。ただ、風景を追いかけるような歌詞で。疾走感はあるものの、彼にしてはメッセージ性が薄い。光は、わざわざシノがこのステージのために書き下ろしていると聞いてから、期待に胸を膨らませていた。が、中身がこれなのは心底がっかりしていたのだ。やはりシノにとっては、ただのクラスメイトとの交流の場にすぎなくて。光のように、一世一代の告白の舞台とはならないのだろう。

「確かにあの歌詞は……よく分からなかったよね。シノは何を言いたかったんだろう」

 縁も口を噤んでしまう。

 その時、ふと光が歌を口ずさみ始めた。音楽を始めて以来、光は歌を覚えるのが得意になったのだ。それも好きな人の歌ならば、尚の事。

「堤防沿いの工場の 横に折れて青い橋 突き当たりの公園のブランコ ……待ってる 二人乗り」

 あ、と言う声がハモった。光と縁は顔を見合わせる。

「これ、きっと待ち合わせ場所だよ。だって、本当にある場所だもん! 光、早く行ってきな。シノは、光に会いたがってるんだ。あんな舞台の上じゃなくて、二人っきりで!」


   ◇


 光が息を切らせながら自転車を漕ぎ、ようやく公園に着いた時には、すっかり空も暗くなっていた。街頭に照らされた公園。錆びた鉄の音がする。

 光は自転車の脇にギターケースを置いた。歩くと、足元の砂がガサガサと騒ぐ。

 揺れるブランコには、見慣れた背中があった。近くには、光と同じように自転車とギターが寄り添っている。

「良かった」

 シノは、光の顔を見るなり心から安堵したようだった。

「せっかく『約束の場所』っていうカッコ悪いタイトルつけたのに。気づいてもらえなかったらどうしよーって心配してた」
「ごめんなさい。さっき、やっと気づいたの」
「ここ乗って」

 光は言われた通りにブランコに腰掛ける。シノは、そのブランコを揺らし始めた。幼い頃に戻ったようで、光は恥ずかしくなってしまう。好きな人がごく自然に自分の背中に触れている奇跡。触れられたところだけに熱が宿って、顔まで火照り始める。自分では制御できないゆらめきに運命を預けるしかない。

「あ、あの……」
「練習の成果、見せてくれんの?」
「え、嘘、でも」

 ブランコは、一層揺れた。スカートがふわっと舞い上がって、それを押さえたいけれど手は塞がっている。

「止めてよ!」
「いいよ」

 シノは、光をブランコごしに抱きとめた。動きの余韻が、二人のくっついた身体の間で静まっていく。光は覚悟を決めた。

「私、篠川くんが好き」
「僕も、光ちゃんが好き。一秒だけとか、そんな勿体ないこと言うなよ」
「え、なんで」

 光にとって、それは予想外の返事。驚いて顔を上げると、すぐ目の前にシノの顔があって思わず目を逸らす。視線の先には、二台の自転車と、二本のギターがあった。

「ギター女子って、いいなって」

 光は、これまでの努力が実ったことと、欲しかったのはそれではないことを知った。がっかりしたことがバレないようにと、上ずった声で返事する。

「そうなんだ」
「うん。歌詞は光の方が才能ある。メロディは僕ががんばる」
「え?」
「僕が敬愛してるバンドは、ボーカルとギタリストが夫婦なんだ」

 光は、目を丸くする。やっとその言葉を理解したと同時、シノの吐息を飲み込んだ。

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みんなの感想(1件)

優奎 日伽 (うけい にちか)

好きな人に近付きたい一心で新しい事を始めるって、ドキドキしますよね。
そのことを相手にも知って欲しい反面、知られるのが妙に恥ずかしかったり、知っていてもそうと言えない照れくささがあったり。
主人公二人のそんな初々しい恋に、ほっこりしてしまう作品でした。

2019.02.17 山下真響

こちらもお読みくださり、ありがとうございました。
大人の視点で考えると、好きな人と同じことしたところで何にもならない気がしますが、それでも我武者羅に突き進んでしまうところに、若さみたいなのが現れていることを祈ります。

解除

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