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外伝06 エアロスと白い花
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きっかけは可憐な白い花だった。シャンデル王国第一王子エアロスの執務室に、毎日それが飾られるようになって一週間。ほんのりと甘い香りに、エアロスは顔をしかめた。
(ルーナルーナは元気にしているだろうか)
ルーナルーナがシャンデル王家の姫となり、ダンクネス王家へ嫁いでから早くも一年半が過ぎた。ルーナルーナは既に一人目の男児を出産し、その後はミルキーナに招かれる形で何度か里帰りを果たしているが、エアロスとは全く顔を合わせていない。
ルーナルーナはある意味エアロスのお陰でサニーと結ばれたわけであり、今となっては兄弟にもあたるので気まずい関係にはないはずなのだが、エアロスは未だに失恋を引きずって、自ら彼女との間に溝を作っている。
想いを告げることもなく散った初めての恋。その痛みを強く思い出させてしまうのが、窓辺の花なのだ。ルーナルーナは黒の娘であるにも関わらず、白い花が彼女のように見える不思議。エアロスは華奢な花瓶から一輪を手に取った。
エアロスは今年十七歳を迎える。あの当時のサニーの年齢まであと一年と迫ることになるが、後一年で彼の背中を追い越せる男になれるとは本人すら到底思えない。背は伸びて、武芸も嗜むようになったことで体格はかなり良くなった。元々の顔の良さも手伝って、日夜貴族令嬢達からの黄色い声を浴びている彼だが、外見だけでは理想の姿とは程遠いものがある。
それにしても、これまでエアロスの執務室に花なんて飾られたことは一度もなかった。部屋を掃除する侍女が変わったのだろうか。ふと興味を覚えたエアロスは、近くにいた侍従を呼び止めて、花を生けた人物を連れてくるように伝えた。
「この者にございます」
王城の侍女頭に先頭されて部屋に入ってきたのは、やはり侍女だった。まだエアロスは見たことがない女。特に目を引いたのは、その肌の色だ。
「黒いな」
侍女服である黒いエプロンドレスから伸びる細い腕は、ルーナルーナ程ではないものの、シャンデル王国においては十分に黒いと言われるだけの色合い。エアロスは無意識に口角を上げていた。
「殿下、申し訳ございません。日頃は殿下の目につかぬように裏方仕事をさせているのですが……」
侍女頭は焦った様子で言い訳しようとするが、これはエアロスが持ち色が黒の者を好ましく思っていないと信じ込んでのことである。確かにこれは、過去においては事実だった。しかしルーナルーナという女を知った今となっては、真逆の立場なのである。
「名前は何と言う?」
第一王子という雲の上の人物に突然呼び出された侍女は、哀れにも怖さのあまり体をカタカタと震わせている。エアロスはできるだけ優しく問いかけたつもりだった。
「スピカです」
ぎこちなく下げられた頭。肩に届くか届かないかぐらいの短めの黒髪がサラリと前に流れた。
「リベラ、しばらくスピカを借りるぞ」
「は、はい……」
エアロスは、侍女頭に部屋の外へ追い払うような仕草をした。リベラは、おずおずと頭を下げると、何度もスピカの方を気にしながら廊下の方へと出ていった。
スピカは緊張のあまり、人形のように固まっていた。エアロスの執務室の掃除係に任じられてから一週間。こうして個別に呼び出されたということは、余程の粗相をしたのか、何か内密な指示を受けるのかのどちらかだろう。
「少し、話をしよう」
エアロスはこう切り出すと、スピカを無理やりソファに座らせた。エアロス自身もその隣に座る。王族と席を同じくするなんて、スピカには卒倒しそうなことだった。
「あの、私……」
「持ち色のことであれば、問題ない」
「はぁ……」
エアロスはスピカに熱い視線を送る。目の前にいるのは、最近城に入ったばかりのまだ幼い侍女。見たところ、エアロスよりも少し年下だろう。
「毎日、花が飾られていた」
「お気に召さないようでしたら、今後は飾りません」
「そういうわけではないんだ」
「勝手な真似をして申し訳ございませんでした。それでは持ち場に戻りますので……」
スピカは逃げようとソファから立ち上がろうとしたが、エアロスが彼女の腕を離さなかった。
「痛っ……」
スピカはきゅっと目を瞑った。薄黒い腕は、手首の近くだけ少し赤くなっている。
「あ、すまない。強く握りすぎたようだ。手当しよう」
「いえ、結構です」
「いや、練習の成果を見てほしい」
エアロスはスピカの腕に自分の手をかざすと、すっとそこへ魔力を集中させる。たちまち白い光が現れた。
(え……もしかして、これは治癒魔法?!)
スピカはみるみるうちに引いていく痛みに目を丸くしていた。それはものの二、三秒のこと。
「王族だけが使える癒やしの魔法だ。ほら、これで良くなっただろ?」
「……ありがとうございました?」
勝手に傷つけて勝手に治して、ドヤ顔で胸を張る王子。スピカは今度こそ用は済んだとばかりに立ち上がる。
「それでは失礼いたします」
「待ってくれ……!」
「侍女をこのようにからかうなど、王子の品格が疑われるようなことはお止めくださいませ」
「いや、そうではなくて……」
エアロスは手を伸ばすが、スピカはスタスタと部屋の出口へ向かっていく。エアロスの中で、その凛とした後ろ姿はどこか見覚えのあるもので。今を逃すと後悔するような気がしたエアロスは、一度ゴクリとつばを飲み込んだ。そして。
「スピカ! まずは、友人から始めないか?」
スピカはすぐさま振り返った。その視線は氷柱のようにエアロスへと突き刺さる。
「私はルーナルーナ様ではありませんので! それから、サニー殿下を憧れて治癒魔法を会得されたのは宜しい事と存じますが、せっかくの稀有な魔法で侍女を苛めるのはいかがなものかと思います。それでは!」
スピカは大股で出ていった。部屋の扉が閉ざされる音が重く響く。近くでこれら一部始終を目の当たりにしていた侍従からは、明らかに憐れみの目で見られている。エアロスは徹夜明けよりも酷い疲労感に襲われて、執務机に突っ伏した。
(何が悪かったのだろう)
残念ながら、そういった方面で助言できる側近は、まだほとんどいない。
(ルーナルーナは元気にしているだろうか)
ルーナルーナがシャンデル王家の姫となり、ダンクネス王家へ嫁いでから早くも一年半が過ぎた。ルーナルーナは既に一人目の男児を出産し、その後はミルキーナに招かれる形で何度か里帰りを果たしているが、エアロスとは全く顔を合わせていない。
ルーナルーナはある意味エアロスのお陰でサニーと結ばれたわけであり、今となっては兄弟にもあたるので気まずい関係にはないはずなのだが、エアロスは未だに失恋を引きずって、自ら彼女との間に溝を作っている。
想いを告げることもなく散った初めての恋。その痛みを強く思い出させてしまうのが、窓辺の花なのだ。ルーナルーナは黒の娘であるにも関わらず、白い花が彼女のように見える不思議。エアロスは華奢な花瓶から一輪を手に取った。
エアロスは今年十七歳を迎える。あの当時のサニーの年齢まであと一年と迫ることになるが、後一年で彼の背中を追い越せる男になれるとは本人すら到底思えない。背は伸びて、武芸も嗜むようになったことで体格はかなり良くなった。元々の顔の良さも手伝って、日夜貴族令嬢達からの黄色い声を浴びている彼だが、外見だけでは理想の姿とは程遠いものがある。
それにしても、これまでエアロスの執務室に花なんて飾られたことは一度もなかった。部屋を掃除する侍女が変わったのだろうか。ふと興味を覚えたエアロスは、近くにいた侍従を呼び止めて、花を生けた人物を連れてくるように伝えた。
「この者にございます」
王城の侍女頭に先頭されて部屋に入ってきたのは、やはり侍女だった。まだエアロスは見たことがない女。特に目を引いたのは、その肌の色だ。
「黒いな」
侍女服である黒いエプロンドレスから伸びる細い腕は、ルーナルーナ程ではないものの、シャンデル王国においては十分に黒いと言われるだけの色合い。エアロスは無意識に口角を上げていた。
「殿下、申し訳ございません。日頃は殿下の目につかぬように裏方仕事をさせているのですが……」
侍女頭は焦った様子で言い訳しようとするが、これはエアロスが持ち色が黒の者を好ましく思っていないと信じ込んでのことである。確かにこれは、過去においては事実だった。しかしルーナルーナという女を知った今となっては、真逆の立場なのである。
「名前は何と言う?」
第一王子という雲の上の人物に突然呼び出された侍女は、哀れにも怖さのあまり体をカタカタと震わせている。エアロスはできるだけ優しく問いかけたつもりだった。
「スピカです」
ぎこちなく下げられた頭。肩に届くか届かないかぐらいの短めの黒髪がサラリと前に流れた。
「リベラ、しばらくスピカを借りるぞ」
「は、はい……」
エアロスは、侍女頭に部屋の外へ追い払うような仕草をした。リベラは、おずおずと頭を下げると、何度もスピカの方を気にしながら廊下の方へと出ていった。
スピカは緊張のあまり、人形のように固まっていた。エアロスの執務室の掃除係に任じられてから一週間。こうして個別に呼び出されたということは、余程の粗相をしたのか、何か内密な指示を受けるのかのどちらかだろう。
「少し、話をしよう」
エアロスはこう切り出すと、スピカを無理やりソファに座らせた。エアロス自身もその隣に座る。王族と席を同じくするなんて、スピカには卒倒しそうなことだった。
「あの、私……」
「持ち色のことであれば、問題ない」
「はぁ……」
エアロスはスピカに熱い視線を送る。目の前にいるのは、最近城に入ったばかりのまだ幼い侍女。見たところ、エアロスよりも少し年下だろう。
「毎日、花が飾られていた」
「お気に召さないようでしたら、今後は飾りません」
「そういうわけではないんだ」
「勝手な真似をして申し訳ございませんでした。それでは持ち場に戻りますので……」
スピカは逃げようとソファから立ち上がろうとしたが、エアロスが彼女の腕を離さなかった。
「痛っ……」
スピカはきゅっと目を瞑った。薄黒い腕は、手首の近くだけ少し赤くなっている。
「あ、すまない。強く握りすぎたようだ。手当しよう」
「いえ、結構です」
「いや、練習の成果を見てほしい」
エアロスはスピカの腕に自分の手をかざすと、すっとそこへ魔力を集中させる。たちまち白い光が現れた。
(え……もしかして、これは治癒魔法?!)
スピカはみるみるうちに引いていく痛みに目を丸くしていた。それはものの二、三秒のこと。
「王族だけが使える癒やしの魔法だ。ほら、これで良くなっただろ?」
「……ありがとうございました?」
勝手に傷つけて勝手に治して、ドヤ顔で胸を張る王子。スピカは今度こそ用は済んだとばかりに立ち上がる。
「それでは失礼いたします」
「待ってくれ……!」
「侍女をこのようにからかうなど、王子の品格が疑われるようなことはお止めくださいませ」
「いや、そうではなくて……」
エアロスは手を伸ばすが、スピカはスタスタと部屋の出口へ向かっていく。エアロスの中で、その凛とした後ろ姿はどこか見覚えのあるもので。今を逃すと後悔するような気がしたエアロスは、一度ゴクリとつばを飲み込んだ。そして。
「スピカ! まずは、友人から始めないか?」
スピカはすぐさま振り返った。その視線は氷柱のようにエアロスへと突き刺さる。
「私はルーナルーナ様ではありませんので! それから、サニー殿下を憧れて治癒魔法を会得されたのは宜しい事と存じますが、せっかくの稀有な魔法で侍女を苛めるのはいかがなものかと思います。それでは!」
スピカは大股で出ていった。部屋の扉が閉ざされる音が重く響く。近くでこれら一部始終を目の当たりにしていた侍従からは、明らかに憐れみの目で見られている。エアロスは徹夜明けよりも酷い疲労感に襲われて、執務机に突っ伏した。
(何が悪かったのだろう)
残念ながら、そういった方面で助言できる側近は、まだほとんどいない。
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